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2012年8月23日木曜日

「男の血」




プロの男の世界では人を判断する時にこんな表現をする。
1、使える。2、器量がある。
この二つで十分なのだ。勿論この逆であいつは使えない、器量がないとなるとまず伸びないし大きく育たない。

“使える”は何事にも頭が切れている男をいう。
“器量”は金の切り方が見事で金離れがいい。
器が大きい、若いけど心配りが行き届いて万事抜かりがない、あいつはきっと上にたつとか、親分にもリーダー、社長にもなるという男だ。酒を飲んで割り勘などという男や、向こう傷を負わない(万事人の責任にする、逃げを打つ)、女性に対して優しさがない、先輩後輩に気配りのない男はまず使えない。

よくチンケでケチな男というのは金に汚い男をいう。あいつはチンケなナンパ師といわれてしまった笑い者の男だ。
女房を質屋に入れても困った人間が相談に来たらそれに乗ってあげねば男はつとまらない。
男の器量は店の支払をする時によく分かるものだ。

ある飲み屋で会社員とおぼしき人たちが三人で飲んでいた。
当然話題は会社へのグチ、上司へのグチ、同僚への悪口だ。
私は知人二人と飲んでいたのだがあまりにグチグチうるさいのでいつもの悪い癖でひと言いってしまった。

君たちさっきから聞いているとよくまあ〜給料貰っている会社のグチばかり言っているねぇ。
君たちみたいな男は会社もきっと辞めてほしいと思っているよ、と。シラーっとした空気が流れた。
私は知人にこういう男達が使えない、器量がないっていうんですよと言った。

すっかり静になった三人は話題を変えた。
そして20分後もう帰ろうぜとなって立ち上がった。
レジの前で三人の男達が割り勘の計算をしてそれぞれ金を出し合って店を出て行った。

その夜私は新橋演舞場で歌舞伎を観た。市川海老蔵の「伊達の十役」だ。
一人十役早替わりを四時間あまりかけて演じる。悪人四役、善人六役。

やっぱり海老蔵は使える、器量がある、華がある、なにより男の色気、男の殺気、男の狂気、男の佇まい、男の眼力がある。西麻布で酒乱を演じたのもボコボコにされたのもキッチリ芸の肥やしに活かしている。
以前に増して風格が出ていた。

その翌朝八月二十三日、日刊スポーツ朝刊に海老蔵をボコッた男の先輩であった男が一冊の本を出版したという記事が大きく書いてあった。
今では市川海老蔵を尊敬している、自分も俳優になると書いてあった。歌舞伎を是非観たいとも。

世の中で一番美しいものは「悪の華」ともいう。
人生という舞台で悪の華を演じれる様な名優になるには自ら“血”を流すという月謝代が掛かるのである。

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