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2014年12月12日金曜日

「人間のすること」



「うつつ責め」という言葉を知っていましたか。
これは過酷な拷問のこと。のべつ幕なしに尋問を浴びせて、夜も昼も眠らせない。

ブッシュ政権下でCIAがテロ容疑者にこの「うつつ責め」をしていたことが公表された。
顔に大量の水を注ぐ、氷風呂に入れる、真っ暗な独房に入れて大音響を流す、立たせたまま180時間眠らせぬ。

日本の場合は木の上に正座させ、その上に重い石を一枚、二枚と重ねていく。
北朝鮮の火あぶりの刑について読んだがこれがすさまじい。
人間の腸がふくらんでバアーンと次々に大爆発する。
そして頭も身体もバッバァーンと大爆発すると書いてあった。

かつて日本には治安維持法という稀代の悪法があった。
その悪法が着々と甦って来ている。
秘密保護法の名の下に隠れているがやがて頭をもたげて来るはずだ。 
TVの報道も新聞も報道規制されてきた。 
TV、新聞の選挙報道は前回の半分にも満たないという。

「うつつ」のもう一つの怖さは、国民一人ひとりが政治に無関心となり、何もかもに「うつつを抜かす」ことだ。ええじゃないか、えんじゃないか、と。

友人たちと一杯楽しく飲んでいたら急に数人の男が来て連れていかれてそのまんま帰らぬ人になる。つい一杯機嫌で権力批判みたいなことを口走っていたからだ。
一冊の拷問史を資料のために読んだが、人間が人間でなくなることを知った。

私といえば二日間風邪にうつつを抜かしていたました。
あそこが痛え、ここが痛え、とてもじゃないが拷問になんか耐えれるわけがない。

2014年12月10日水曜日

「有頂天とは」




私の人生といえば「へ」らず口を叩く人生でした。
チェッカーズがデビューした頃に唄っていた曲にこんなのがありました。

♪〜ちっちゃな頃から悪ガキで15で不良と呼ばれたよ ナイフみたいにとがっては触わるみな傷つけた あーわかってくれとは言わないが そんなに俺が悪いのか ララバイララバイおやすみよ ギザギザハートの子守唄…
「ギザギザハートの子守唄」という曲だったと思います。

「へ」らず口を叩き出したのは私の場合はオギャーと生まれた時からではないかと思います。当たる物みなに当たって生きてきたのです。

麻生太郎氏という大臣はやはり「へ」らず口が売りというか、人物学的特徴です。
ハッキリいってヨォみんな金を儲けてんのにヨォ、金儲けできてない奴はアタマ悪いか運が悪いかじゃねえのぉ。とか、年寄り守るのにヨォ、むかしは何人でも守っていたけど、これからは一人か二人で守らなきゃなんねえ、子どもをつくらねえのがいけねえんじゃねえの、というようなことを口をへの字に曲げて演説をした。
 
いわゆる本音が出たということなのだ。
この人はさすがに大臣になっただけあって、へらず口を叩きながら口をちゃんとへの字にしてしまった。私などのへらず口は大したことはねえなと思った。
最もシドロモドロに弁解しているへの字の口は絵にならねえ。

寒風ピューピュー岩手県のとある場所、黄色いアサヒビールのケースの箱の上に立っているのは小沢一郎氏、わずか数十人を相手に演説している。
人間落ち目は素晴らしい、その見本として絵になっていた。
私は落ち目大好きなので小沢一郎氏が落選する姿を見てみたい。
きっと見れるはずだ。

数年前、小沢一郎氏は有頂天の頂点にいた。
お正月の小沢一郎氏邸では一部、二部と分けてヨイショ、ヨイショの新年会をやっていた。私が出した売れないであろう本にこんなことを書いた。
「有頂天とはこれから転がり落ちる場所のこと」一流の人間は決して有頂天まで登らないよと。

もういくつねると投票日、1214日有頂天に登る人間が沢山登場する。
そして転がり始める。当然口をへの字に曲げて落選の弁を語る人間が山ほどでる。
この世は苦界なのだ。だからいつも落ち目の中にいた方が居心地がいいのだ。
苦の先には楽があるやもしれないからだ。

テレビに林修氏という予備校の講師が出ている。この男も口をへの字にしている。
いつやるのいまでしょ!このひとことで苦界から這い上がった。
この男いつ消えるの、もうすぐでしょ!

2014年12月9日火曜日

「ヤキを入れる」




12月のポストには「喪中につき年末年始のご挨拶を失礼させて頂きます」という葉書が一日何枚か入って来る。
このようなご丁寧な習慣はきっと日本だけではないだろうか。


私は一年の内で12月がいちばん嫌いである。
何故なら人の死の便りに多く接するからである。

107歳で祖母を亡くしましたのお知らせにはよくぞ生きましたね、すばらしいの言葉をかける。
若い頃いろんなことを教えてくれた先輩の死には、あれだけ酒飲んでいて79歳。先輩やっぱり東京から離れてよかったね、と声をかける。

若い頃ハイミナールという睡眠薬中毒で一日中ラリって煙草の火を体中につけていた後輩が66歳で死んだ。私は睡眠薬をやる後輩を治させるために何度もその身を拘束した。
いつ死んでもおかしくないような男だったが一人の女性と知り合いハイミナール中毒を克服した。オイ、実はオレは今睡眠薬を飲まないと眠れない不眠症だと葉書に向かって苦笑する。

人生とは皮肉なものだ。
後輩や仲間をハイミナール中毒から守るために泣き泣きヤキを入れていたのに。
私は私にヤキを入れなければならない。後輩ほど可愛い者はいない。後輩を守るためにどれだけ体に傷を残しただろうか。

12月のポストにはBARやクラブのXmasパーティのご案内が入って来る。
むかしはよく顔を出したものだがこの頃は殆ど行かない。

今年の12月のポストには政党の葉書が入って来る。 
1214日赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした日に投票がある。
エイエイオーと討ち首をあげる者あれば、奮戦するも討ち死にした者のドクドクと流れる血の音がするはずだ。武士は大義に生き、大義に死ぬ。
大義なき選挙で職を失った人の葉書はきっとお正月に来るはずだ。

♪〜もういくつねるとおしょうがつ。
生きている内に年賀状書きを始めねばならない。ポストほど人間のドラマが入って来るところはない。手書きで書かれた文字ほど人に伝わるものはない。

2014年12月8日月曜日

「絶対売れない本」




今日128日は真珠湾攻撃をした日。
またジョン・レノンが銃弾に倒れた日。

こんな縁起でもない日に、私が書いた本の見本が届きました。
私らしいといえばとても私らしい日です。

1220日ごろから書店に出るそうです。
とりあえずご報告をさせて頂きます。
出版社は経済界、値段は1300+税です。

2014年12月5日金曜日

「師走なり」




全速と喘息の関係は何もない。

ただ私が乗った東京発小田原行の湘南ライナーが全速でレールの上を走っている間中、私の隣に座っている男がひどい咳き込みだったのだ。

湘南ライナーは東京→品川→大船→藤沢→辻堂の順に停まる。
新橋、横浜、戸塚は通過となる。

「キリンのどごし生」と細切りチーズとつま味サラミを持ったその男は40才位だろうか、ゴホン、グフォン、ガァフォン、ギャホンをずっとしながらビールを飲み、サラミをかじり、細切りチーズを口に入れる。
と同時にまた、ゴホン、グフォン、ガァフォン、ギャホンを繰り返す。

湘南ライナーは全席指定のため移動できない。
男はじっと目を閉じながら同じ動作を繰り返す。
間は隣で同じ動作をされるとイライラが生じ、イライラが凝り固まり、気が付くと自分が制御できなくなる。自制心との戦いとなる。
日経トレンディという月刊誌を持っているところを見ると堅気の会社員なのだろう。

ゴホンと来たら龍角散というコマーシャルがあった。
のど黒飴になんで瀬川瑛子が出ているのだろう。などと思いつつ気を紛らわせる。
グフォン、ガァフォンときたら、イソジンでうがいをとか、金太郎飴を思いつつ気を散らす。ギャホンときたら列車は大船に滑り込んだ。
ど、ど、どっと男は日経トレンディを目の前の網の中から引っ張り出し下車して行った。

私は自分がずい分と我慢強く大人になったことを知った。
自制心がこの歳になってやっとこさ効いて来たのだ。
あのヤロービールを飲み放し、チーズの細切りとつま味サラミは食べ放し、空缶と空袋を編みの中に突っ込んで下車しやがったのだ。全速で出て行ったところをみると、喘息じゃないなと思った。
 ノドチンコにきっとチーズの切れっ端とかがへばりついていたのかもしれない。

 やっと新聞を読む気になった。
自民党単独で300議席超、民主東京124敗と大見出しが目に突入してきた。ファクションと大きなくしゃみが出た。どこかで誰かが私の噂をしているのかもしれない。

これを書いているのは125日午前三時五十一分三十七秒だ。
午前四時からキラリトギンザ3oluha(オルハ)ショップを取材してくれたのがON AIRされるからだ。室外機がイカれて暖房がつけられない、足元がかなり寒い、雨がポットン、ポットンと落ちている。月日は全速で走り過ぎていくのだ。
師走とはよくいったもんだ。

2014年12月4日木曜日

「ダウンの価値」




大先生がいいました。
実業界にとって「景気」というものは、ボタモチのようにタナから落ちてくるもんなんですね。だから彼等は今日もまた一生懸命タナの上を見ますよ(故東大名誉教授、大内兵衛)。

トリクルダウンという言葉がこの頃あちこちのニュースに出てくる。
早い話1%のお金持ちがもっとお金持ちになれば、全然お金持ちでない人々におこぼれが落ちてくる、それにより景気は良くなるんだよという経済用語らしい。
当然私はお金持ちでないのでタナからボタモチが落ちてくるのを待つようにずっとタナの上を見ているのだが。
 実業界というか経済界はせっせ、せっせとタナの上の権力に献金をしている。
赤組が権力を握ると赤組へ、白組が権力を握ると白組へ。右往左往する。

バカ者、トリクルダウンじゃねえ、トリプルダウンだと怒る人は世の中を真当に生きている人々だ。実質給与ダウン、年金もダウン、円の価値もダウン、ついでに国債の価値もダウンだ。

最良の羽毛ふとんに使用されるのは良質のグースダウンなのだが、明け方に見た通販番組「カイモノラボ」で、ある安物の羽毛布団に“ハンガリー産ホワイトダックダウン”85%と内容表示がされていた。なんだいこりゃと大声を出してしまった。

この際ハッキリいわせてもらうと、一万円台、二万円台、三万円台、四万円台、五万円台などの羽毛布団に最高品質なものは絶対にない。
臭い、汚い、ダニだらけ、長持ちしない、羽毛出が多い。
名ばかりのダウンは使う人の睡眠の価値をダウンさせる。

なんだかダウンばかりの話となってしまった。
ダウンが評価されるのは最高品質の羽毛ふとんとプロボクサーだ。
相手をダウンさせKOすればボクサーの価値は上へ、上へと上がる。
ボクサーにタナからボタモチはない。タナの上を見るようにアゴを上げれば相手のパンチを受けるからだ。

現在実業界、経済界のリーダーたちはタナの上を見上げてアゴはガラ空きだ。
きっと強烈なパンチが、バチン、バチン、バチンと当たり、リングの上にダウンし転げ回るだろう。栄光あるSONYのマークが、かつての本社ビルから取り外されていた。
ダイエーの名は消える。“どういうわけかキリン”といわれたガリバーキリンが時価総額でサントリー、アサヒに抜かれ第三位となってしまう。
大ヒットを連発したキリンビバレッジはな、なんと赤字となってしまった。

一度ダウンしたブランド価値が再び上がった例はこの国では殆どない。
キリンブランドに大恩ある私にとって悔しく、つらく、かなしい。
そんな記事を読みながら飲むにはいつものグラス気分にならない。
で、湯のみにヤケ酒を注いだ。どういうわけだキリン。
経済誌ZAITEN今月号にサントリーいよいよキリンを手に入れるかと、真冬の悪夢の様な記事が書いてあるとか、急ぎ取り寄せてもらっている。

2014年12月3日水曜日

「静かにしろい」




鳥には何の罪もない。
あの野郎は蝙蝠(こうもり)みたいな奴だから気をつけろ。
あの野郎は鵺(ぬえ)みたいな奴だから気をつけろ。
あの野郎は廊下鳶(とんび)だから気をつけろ。
あの野郎は烏(からす)みたいな奴だから気をつけろ。
など人から嫌われる人間を表すのに何故か鳥類がその表現として使われる。

人間が群れをなす社会とか会社にはこの鳥類が飛び回り、走り回り、逃げ回り、隠れ回り、漁り回る。この鳥類たちに気を許したり、心の内をさらけ出したり、内緒の話をしたりするとあっという間に話に尾ヒレがつき、あっちこっちに話がこぼれ回る。

メダカみたいな話は巨大魚となり、小石みたいな話は巨岩となり、小さな波紋は鳴門海峡の渦巻きとなる。あの野郎とっ捕まえて嬲(なぶ)り殺しにしてやると被害にあった人は怒気と憎しみを口走る。

「嬲」という文字を見れば分かる通り、世の常として許されざる男と、許されざる女と、許されざる男が見えざるところで人を陥れる。だから「嬲」という文字が生まれたのだろうと私は思うのだ。

ある業界では秘密はベッドの中から一番流れ出るという。
大会社を潰すのには刃物はいらない。人事、人事、人事の噂を流せば内部からガタガタになるという。

ある店の小上がりの部屋で数人の男たちが熱気を放出して会社の人事話をしていた。
ウルセイ蝙蝠と、ゴッツイ鵺と、キョトンとした鳶と、やたらに改革だを連発する烏野郎が会社の秘密を大きな声で話していた。一人の男が突然、俺は是々非々だといった。
何がゼゼヒヒだと他の人間から集中攻撃を受けていた。

静かにしろいと私が怒鳴ったら、一同シュンとなってしまった。
あんな奴等にも会社はちゃんと給料を支払っているのだ。馬鹿な男たちでここだけの話だぞといっているのに、背広の上着に会社のバッヂをつけていた。
誰でも知っている有名な会社であった。私と友人の後をゾロゾロと出て行った。

2014年12月2日火曜日

「最強の武器とは」



地球に人類が誕生し、群れて集団を形成した時から人類の歴史、ヒト、人間の歴史は裏切り、寝返り、密告、権力闘争の歴史であった。
古代から現代に至るまで人間と人間は終りなき争いの中にいる。
人類平和を願うがそれが叶うことは永遠にない。 

12月1日、高倉健さんに次いで菅原文太さんが81才の生涯を終えた。
彼の演じた広島のヤクザ戦争の主人公は、東映の生んだ映画史の中でも特筆すべき映画「仁義なき戦い」シリーズの主人公であった。

この映画が何故ヤクザ映画なのにあらゆる階層の人々から絶大な支持を得たか、笠原和夫の生々しい言語が銃弾のように飛び交う、過去に例のない脚本、深作欣二監督の斬新を極めた演出、鮮烈な音楽、この映画の中でえぐり出されたのは、正に人間の深層心理劇であった。
 
人間は弱い、人間は汚い、人間は恐く怖ろしい。
人間は裏切り、寝返る。人間と人間は金と権力と縄張りと利権を巡って非情なまでに殺し合う。

この映画は実話を基にしている。
中国新聞はあらゆる脅し、脅迫、暴力、襲撃に負けず、暴力許すまじと新聞に記事を連載し続けた。その記録は「ある勇気の記録」として残っている。確か菊池寛賞を受賞した。

菅原文太さんが演じる、広島呉の組長が獄中でそのヤクザ戦争について手記を出した。
昨日の友は今日の敵、敵の敵は味方、大都市の巨大な組織と地方の組織との意地と意地のぶつかり合い。仁義なき戦いの中で、その仁義を信じ人を殺し、殺される若者たち。
私は日本映画史の中でベストワンといっても過言ではないと思っている。

事実ある調査によると、日本人が選ぶ映画ベスト10に於いて。
1位「七人の侍・黒澤明監督」の次の2位に選ばれている。ベストテンの中に2作選ばれている監督は、深作欣二さんしかいない。もう1作は「蒲田行進曲」だ。

仁義なき戦いシリーズ第1作に、確かこんなやりとりがある。
刑務所から出て来た菅原文太に、組の若頭はホテルのベッドの上でポツンとこういう。「オレはよォ、毎日夜になると堅気になろうと思うんじゃ、だがよ朝になってよォ、若い者たちに囲まれると忘れちまうんじゃ」この若頭には赤ん坊ができていた。
菅原文太演じる呉の組長はこういう。「ヤクザ者がよォ、そげな弱気を持ったら危ないじゃけん。身引いて堅気になりなよ」と。
二人は若い頃からの仲間同士だった。若頭はその後襲撃され、殺される。
終りなき仁義なき戦いのはじまりであり、その戦いは広島の軍港呉から広島へ、そして日本中が抗争の渦の中に入っていった。

今日122日、大義なき解散による衆議院選挙の火蓋が切って落とされる。
全国津々浦々で仁義なき戦いが公式に始まる。この戦いに最大な力を発揮するのは一票を投じる国民だ。この一票はどんな武器よりも強い。
信条、思想は自由、棄権という逃げを打ってはいけない。どこかに必ず一票を。
(文中敬称略)

2014年12月1日月曜日

「恐い泣き虫」


私が現在に至るまで映画を観たあと号泣した映画は、小学生の時に観た「綴り方教室」と、大人になって観た「砂の器」だ。その映画を観た映画館が、12月末をもって閉館するという。
 
新宿歌舞伎町にあった「ミラノ座」だ。日本最大の客数を誇っていた座席数は1000席超だった。同時にミラノ1・2・3、シネマスクエアとうきゅうの4館も閉館する。
60~70年代映画を見に行くといえば歌舞伎町であった。新宿プラザ、新宿名画座、歌舞伎町東映、歌舞伎町日活。洋画の大作からヤクザ映画、ロマンポルノ、ピンク映画、学校の先生から歌舞伎町は不良の行くところだから決して近づくなといわれた。

ミラノ座と新宿コマ劇場の間に大きな噴水があった。
それを取り囲むように様々な娯楽施設があった。当時は不良全盛時代、中でも愚連隊全盛時代であった。噴水の周りにはビッシリ決まったファッションの愚連隊が勢揃いしていた。

その中のリーダー的先輩と「砂の器」を観た。松本清張作、野村芳太郎監督、音楽は芥川也寸志。主演加藤剛と丹波哲郎、有名になった人間の過去、血の歴史、差別をされていた不治の病、国を追われ巡礼となり流浪する父と子、宿命と運命を奏でるオーケストラの曲、ピアノの激しくも哀切な音、愚連隊のリーダーも私もあるシーンから泣き放し、終わってからも泣き放し、通路のソファーでも泣き放しであった。恐いはずの先輩も私も泣き虫だった。

その後現在のアルタ、むかしの二幸裏にあった「三平食堂」という洋食屋で三平ランチをおごってくれた。ラグビーボールのような形をしたライスに波の形があった。
オイ、ライスは少し残すのがマナーだからなと先輩はいった。二人ともフォークにライスをのせるのにすごく手間取った。恐くて泣き虫の先輩はその後外科医となった。

映画にはいろんな思い出がある。恐い先輩は三平ランチでビフテキを切ったナイフを人の命を救うメスに替えたのだ。 

2014年11月28日金曜日

「東映大国」

週刊誌より




どの週刊誌も高倉健の特集記事とグラビア写真でギッシリだ。
私は大の健さんファンであった。人間誰にも表があり裏がある、光あり影がある。

私は映画という作品の中で、「死んでもらいます」といって日本刀でブッタ斬る姿に拍手した。健さんが手紙魔でありプレゼント魔であることを知人の写真家やスタイリスト、ヘアメイクの人たちから聞いていた。
熱烈なラブレターもどきを何回も送ってもらい困惑していた人もいた。

スターがスターであり続けるのは孤独との闘いでもある。
流れ星にならないために俳優や役者やタレントさんは日々不安と同居する。
スターであるが故に行きたくても行けないところがあり、食べたくても食べられないものがある。絶えず人から見られているという恐怖の中にいる。
見栄と虚飾にあふれ、嫉妬と怨嗟が渦巻く。

ある愚連隊の大スターだった組長がはじめて映画の主演をした時、芸能界はヤクザ者の世界より怖いところだなとインタビューに応えて笑った。
本場の男と男の世界に身を置いた人間にとって、堅気の俳優がヤクザを演じるのがきっとコソバイ気分だったのだろう。
ヤクザ者を演じているといつしか本物になった気になる俳優もいる。

本当の健さんを知っている人は、本当の健さんを語れない。
伝説は大切にしなければならない。

青春時代私が通った「荻窪東映」が通路までビッシリお客で詰まり、扉は閉まらない、映写室の横の階段まで健さんのファンで埋まった。煙草のけむりで館内はスモッグ状態。
そのスモッグを切り裂くように映写機から投影される光が画面を作りだす。
ラムネをラッパ飲みする者、モナカアイスを二つに割る者、あんず飴を舐める者、都こんぶを口にするもの、オイ、アタマ下げろ見えねえじゃねえかと怒鳴る者、荻窪東映はひとつのドラマ大国であった。
オイそこの席、オレの女を座らせろい、なんてイキガってあとでボコボコにされるのも大国の姿だった。

あと二週間もしたら健さんを語る人たちはいないだろう。
本当の健さんを知る人以外は。東映の岡田裕介氏が死後の一切を仕切ったという。
本当の姿を見せないための男と男の友情だ。