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2017年2月6日月曜日

「嫌われ度100%」




「お上手ね」という言葉がある。
「オジョウズネ」ご婦人の間でよく使われる。
あの方はお上手だから、といってもお料理やお習字や断捨離が上手な訳ではない。

この手の人を男の間では「調子いいから」という。
両方共会話上はいい意味で使っていない。
おべんちゃら、ゴマスリ、八方美人、男芸者、日和見主義のことを言う。
この手の人との会話は純度も密度もない。気持ち悪い人間たちだ。

昨日夜六時、日テレの「報道番組バンキシャ!」を見ていると、小説がお上手でない小説家山本一力というのが落語家林家木久扇さんと共演していた。
この下手くそ直木賞作家のコメントを聞いていると、この小説家の底の浅さを知る。
お上手、お調子者、日和見主義が全身にある。いわゆる典型的体制主義だ。
トランプさんが選挙中に言っていたことを実行しているんだから、移民規制だっていいんじゃないですか、みたいにシラシラと言う。
このバカヤローは何回も出演してはトンチンカンを言う。

さて世の中は会社員にとって嫌な気分の季節だ。
すでに人事が動いた会社もあるが、これからという会社も多い。
合併やM&A、縮小再生産を目指す。リストラや肩たたきが始まる。
会社経営とは人事にありといっても過言ではない。
えっ、ウソ、ホントという言葉の先に、お上手なヒト、ゴマスリ、お調子者の顔が浮かぶ。ヨイショ名人、まさかというヒトがまさかの出世をし、まさかというヒトがまさかの土地に飛んで行く。
まさかの男が米国の大統領になるのだから、世はまさか現象が起きる。

私はヨイショサれるのが死ぬ程嫌いなので、つとめて嫌われるように生きて来た。
一言居士どころでなく、多言居士である。
ウソで人に好かれるというのが生理的に苦手なのだ。
だから相手にも思ったことはズケズケ言う。遠慮は一切しない。
その変わりいい結果を生むための思案、思考、行動、調査、分析をする。
つまり仕事を頼んで来てくれた相手の嫌な部分(弱い部分)に全力を注ぐ。
何故ならそこを修正、改善しない限りその会社、その商品、そのプロジェクトは絶対成功しない。会社も人間も同じだ。
オイシイ話ばかりしていい格好し、嫌われたくないプレゼンテーションをしても、決していい結果にならない。

究極の嫌われ力を発揮して現在大成功??しているのが、トランプ大統領だ。
東京都知事小池百合子も同様である。
この先何が起きるか一寸先は闇だが、嫌われ力はしばし時代のキーワードかもしれない。私は嫌われ度100%だから、もしかして何かいい事があるかもしれない。(文中敬称略)

2017年2月1日水曜日

「武曲」


映画の題名は「武曲(MUKOKU)」、昨日五反田イマジカ本社試写室で観た映画だ。
原作を読んでいないのでこの映画が原作に忠実なのか、大胆にシナリオ化したのかは分からない。
熊切和嘉監督は今までにない映画を生んだ。

本来映画には物語がある。時間経過がある。主題に対し主語があり、主体がある。
が、この作品にはそれが一切ない。
まるで劇画を1ページずつめくるように映像は過去と現在をめまぐるしくフラッシュバックする。剣道が物語の主体なのだと思うがそれは表現の素材である。

何故剣道かは語らない。鎌倉のとあるお寺の住職(柄本明)は高校の剣道部の師範代でもある。かつて一人の剣士(小林薫)を弟子としていた。
その剣士は幼い一人の息子に殺意を持って鍛える。
いつの日か母親は死んでいる、その経過説明はない。
息子は中学生位になった時、母親に父を殺すと言う。

高校生のラッパー(村上虹郎)がライブで熱唱する。何故か水の中に浮かぶ。
その後かつて洪水で溺れたことを話す、がその説明はそれ以上しない。
アパートに母親と暮らしているのを見ると、洪水で父親を失ったのかもしれない。

ある日下校していたラッパーは道端にたむろしている、剣道部の竹刀を足にかけてしまう。剣道部の部員と喧嘩になる。ラッパーは一本の木を握り数人と戦う。
その時ある構えをとっさにする。それを一人の住職が見ている。
足の運びと闘争心に剣道の才能を見る。やがてラッパーは剣道部に入る。

ある小料理屋にアロハを着たアル中がいる(綾野剛)、父親を剣の戦いで殺している。小料理屋の女将(風吹ジュン)はかつて父親の愛人だったらしい、アル中はその女将に襲い犯そう(?)とするが、何すんのこんなおばさんにといなされる。
女将の髪は乱れ着物ははだける。アル中はボロボロになった自分の家に帰る。
若い女がいる(前田敦子)傷んだ玄関で女に抱きつきスカートをめくる。
白いショーツが妖しく見える。

鎌倉腰越あたりの海、遠くには江ノ島の灯台、サーファー。
剣道の道場での激しい練習、生々しい感情と過去の心象風景が短いカットで次々と描かれる。なんで急に強くなったとか、なんでアル中が急に正気になって剣士となって道場に立っているかは、観る側が整理し推理する。
母親の目の前、庭で殺したはずの父親が、ベッドで植物人間になっていたりする。

映画全編がラップだったんだという事を終わりに近づきやっと分かる(私の判断だが)。村上虹郎扮するラッパーが時々ノートにラップの歌詞を書いていたシーンを思いだす。
やがてアル中から立ち直った剣士と、ラッパーから剣士になった者が殺すことを目的に戦いだす。

これ以上は必ず映画を観に行って下さい。
二人の剣士、その裸の筋肉が肉体言語として画面を支配する。
そうか、これはホモセクシャル的映画でもあることを知る。
住職→剣士の父→その息子→ラッパーから剣士の五人が剣道を通して連結する。
ラストに住職の柄本明が二人の戦いにふと微笑する。どちらかの死を待っている。

プロデューサーは星野秀樹、「海炭市叙景」「そこのみにて光輝く」「オーバーフェンス」次々と名作を出している。凄い!すばらしいの一語である。外国の映画祭はきっとこの映画に日本人の狂気と日本人の伝統美に多くの賞を与えるだろう。
神風特攻隊の原風景をその肉体に感じるだろう。出演した俳優さんは絶品だった。

イマジカロビーで一緒に行った出版社の編集長に小林薫さんを紹介された。
思ったよりガッチリとした体で大きかった。眼光が鋭かった。
声は大好きな番組「美の巨人」のナレーションそのものだった。
あ~、お金が欲しいよ、映画作りたいよと思ったが、今は他にやらなければならない大事なことがある。

この映画のシナリオを書いた高田亮は、日本の映画に新しい刃を突きつけた。
賛否が割れるだろうが、私は大いに支持をする。六月から一般公開となる。
(文中敬称略)

2017年1月31日火曜日

「ニューヨーク•タイムズに声援を」


ボブディランは、友よ答えは風の中に舞っていると唄ったが、世界は一人の大統領のツイッターの指の先で困っている。マイッテル、で、憎んでいる。つまり病んでいる。
うんざり度300%位のツイッターを乱打するトランプ野郎をなんとかしろと、きっとメキシコのマフィアや、アルカイダや、中国マフィアや、イスラム国の危ない連中が何かやらかすのではと、世界中がひっそりと期待している。
それにしてもアメリカの大統領の存在がこれほどまでに絶大とはと思う。
ニューヨーク•タイムズがその巨大な権力に徹底的に戦いを挑んでいる。
ジャーナリズムは決然と生きているのに救われる。
アメリカは四権国家であった。司法、行政、立法、それと報道の権利だ。
通信簿でずっと長い間、英語が「1」だったのでニューヨーク•タイムズが読めないのが残念だ。今は遠くよりフレー、フレー、がんばれと声援を送るしかない。
今日はやけに気分が時化ているのでここまでとする。


夜六時より五反田イマジカで友人のプロデューサーが手がけた映画の完成試写会を観に行く。
原作は藤沢周、監督熊切和嘉、主演綾野剛、人気沸騰中の村上虹郎。鎌倉が舞台である。鎌倉学園高校剣道部が協力している。剣道を通して親子とはを語る。激烈な作品だ。
そのご報告は明日に。

2017年1月30日月曜日

「沈黙そして」




名曲「恋人よ」を唄った歌手、五輪真弓さんは長崎県五島列島にルーツがあることを、ある番組で知った。五年位前だろうか、五島列島には五輪姓が多いという。
その番組は隠れキリシタンについてのドキュメンタリーであった。

遠藤周作さんの「沈黙」をずっとむかし読んでいたので興味があった。
その小説が映画化され、現在上映中である。

私は先週と昨日と三回観た。
一度目は不覚にも映画の途中約四十分を見落としてしまった。
実は観る少し前にビールをコップ三杯飲んでいたのが効いてしまった。
で、昨日午後途中から見落とし分を観た。
45分待つと次の上映がある、よし遠藤周作さんと監督のマーティン・スコセッシさんに申し訳ないと思い、もう一度しっかり通しで観ることにした。
私より先に観た人と感想を語り合うことになっていた。

週末に借りてきていた「神々と男たち」を見た。実話である。
七人の神父さんたちがテロリストたちに連れ去られこの世から消える。
いちばん年老いた神父はベッドの下に隠れて助かる。
そして現在も生きているとロールスーパーが教える。
アラブや中東の国では日常茶飯事にテロが起きているが、神父たちを何故殺したかは現在も謎だという。

昨夜アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」を見た。
「沈黙」を観たあとに借りて来た。
三本の映画に共通していたのは、人は人を殺すということ。
信心深い人々が神よ、主よ、イエスよとひたすら祈る。
また「カティンの森」ではポーランド軍人一万数千人が虐殺される。
殺される軍人は十字架を握っている。ナチスが殺ったか、ソ連が殺ったかずっと不明であった。アンジェイ・ワイダ監督の父親の死を題材にしている実話である。
映画は不可侵条約を一方的に破り、宣戦布告もなしにポーランドに侵攻したソ連による大量虐殺としている。
地中に埋められた一万数千人は掘り出されて一人ひとり医学的検証が成された。

「神々と男たち」では、神父たちは神はなぜに沈黙するか、主にその身をゆだねようと聖書を読み一日中祈る。テロリストたちはコーランを口ずさむ、アッラーは偉大なりと。
「沈黙」では日本に布教に来た宣教師が拷問のあげく踏み絵をし、ある者は日本人姓を名乗り生き続け、ある者は決して棄教(転ばず)せずに殺される。
神よあなたはなぜに沈黙をと祈り続ける人間を処刑の地に向かわせる、
日本人奉行やその家来たちは血も涙もない。お坊さんたちは南無阿弥陀仏を唱える。
キリスト教徒と隠れキリシタンとは違うという人がいる。

春になったらその違いを知るために五島列島に必ず行く。
拷問には水責めだとトランプ大統領はいう、果たしてトランプは水責めに耐えられるだろうか。神をも恐れぬ乱暴狼藉に必ずや天罰が下るだろう。
否、神は沈黙しているかもしれない。

昨夜もう一本見たのは「哀しき獣」韓国映画である。もう救いようもない人間たちが金を求めて殺し合う。それを命じる男は敬虔なクリスチャンであり教会のミサに行く。
午前二時を過ぎたところでいつものグラスにギルビーズ・ジンを入れた。
氷とウィルキンソンの炭酸水。アタマの中がすっかりイエスではなくノーになってしまった。

※私は映画館に行った場合は「観」るを使い、借りて来た家での場合は「見」るを使うことにしている。あしからずご了承を。

「沈黙」は素晴らしい作品、是非映画館へ行って観てほしいと思う。イエス、アッラー、神様、仏様、なんだかよく分からなくなってしまった。

2017年1月27日金曜日

「悪法を知るべし」




ちょっとそこの人、呑気に耳掃除なんかしている場合じゃない。
現在国会ではオドロシイ法案が審議されている。
元共謀罪、名を変えてテロ等準備罪法案である。
圧倒的多数を持つ自民党はまた、また、また、また、強行採決するはずです。

オリンピックをテロから守るためならいいんじゃないの、なんて人が多いのだ。
心ある自民党議員や主要官僚の人たちも、こりゃ希代の悪法といわれた治安維持法と同じだと思っているはずだ。
疑わしいだけで逮捕できるのだ、パクった以上は事件にしなけりゃならないので、拷問が生まれる、自白が強要される、当然冤罪が次々と生まれる。
権力者は政敵を追い込むこともできるのだ。

例えば映画やテレビドラマのシーンを監督やカメラマン、録音や爆弾シーンのプロたちが打合せをしている。
シーン15、そこで主人公がさ手製爆弾を作ってんだよ、月島あたりの倉庫で。
その倉庫には他にもマシンガンやライフルなんかもあるんだ。
いわば秘密の武器庫なの。主人公のオンナが覆面作りのプロなのよ、カメラはフランケンシュタインみたいな顔を作っている手の動きをズームアップすんだ。
シーン16は主人公の仲間二人が水上ボートに乗って倉庫に乗り着くんだ。
その中の一人がさ、ターゲットの人間が車で移動するルートを全部知っているわけ、で、地図を広げる。
シーン17は☓☓橋の☓☓の所に爆弾をセットするんだ。
シーン18は△△ビルの2階からスコープをつけたライフルで狙うんだ。
もう一ヶ所は反対側のビルの2階から。引き金を引く時刻は○時△分☓秒だ。バァーンとやろう。
シーン19、車は吹っ飛ぶからスタントは☓△ちゃんだな、やっぱ体が燃えてる方がいいよな。ターゲットの親分役は○□さんだ。ボディーガード役が☓□ちゃんと△☓ちゃん、蜂の巣になってもらう。
爆弾の仕掛けはやっぱりあの名人しかいないね。

なんて話をファミレスとか、煙草OKの喫茶店とか、プロデューサーの自宅なんかでやっていると、オイお前らテロ等準備法違反で逮捕する、ドドッと刑事や警察官がなだれ込んで来る。
えっ、何!ウソー、映画の打合せをやってんだよと言っても、ワッパ(手錠)がガッチリと腕にかかる。
その後留置場で変死とか自殺とかが、ほんの三行ベタ記事で出る。
舞台だって、演劇だって、小説だって同じこと、複数で打合せをしていたら疑わしいこととなる。

仕事の関係で中国や台湾や韓国やロシア、中東やアジア諸国、南米など同じところに年に何度も何度も行っている人は要注意人物としてマークされる(既にマークされている)。ね、だから呑気に耳掃除なんかしている場合じゃない。
かつて治安維持法で逮捕したのは、芸術家、知識人や文化人が多かった。
権力に批判的な政治家、報道関係、宗教関係、思想家たちも危ないのは当然だ。
花火大会、お祭りの打合せだってアウトになる。

大逆事件や横浜事件、松川、三鷹、下山事件のような事が起きるだろう。
作家小林多喜二を拷問で殺したのは築地警察だ。私の仕事場のすぐ側なのだ。
アメリカという国は、いつでも自分たちが“金ヅチ”であり、他国は“釘”だと思っている。
そしてアタマを叩くのだ、いろんな無理難題を押し付けて来るのだ。
左手に聖書、右手には拳銃や核ボタン、週末はしっかり新聞を読んで下さい(産経新聞以外)。

2017年1月26日木曜日

「松方弘樹さんありがとうございました」




「昌三ヨォ、オレはこの頃夜一人になると堅気になりたい思うんじゃ、だがヨォ朝になり若い衆に囲まれるとヨォ、そうもいかんのじゃけん」
「鉄ちゃんヨォ、そげな弱気なこというとったらいけんヨォ、殺られるじゃけん」

正確なセリフではないが、深作欣二監督の大ヒット作「仁義なき戦い」第一作にこんなやりとりがある。昌三とは映画の主人公、広能昌三、山守組若衆。
鉄ちゃんとは、山守組若頭、坂井鉄也。
故菅原文太さんが演じた主人公役には当初、脚本家笠原和夫は松方弘樹さんを起用することを求めていたという。
映画のモデルになった実在の親分美能幸三氏に面も合うし、柄が合うと思っていたらしい。

伝説の映画にはいろんな諸説伝説が生まれる。
広島県呉市の抗争から端を発したヤクザ戦争は、呉→広島と大展開し、やがて山口組VS本多会という巨大組織の代理戦争へと拡大する。
死者20数名を出したこの抗争に命がけで挑んだのが中国新聞の記者たちである。
「ある勇気の記録」として連日キャンペーンを書き続けた。
その功績は菊池寛賞を受賞した。
山守組(実際は山村組)若頭役坂井鉄也(実際は佐々木哲彦)が松方弘樹さんであった。
映画ファンが選ぶ日本映画No.1はこの仁義なき戦いシリーズである。

私は松方弘樹さん死去の報に接しガタガタガクンとした。
天才中野裕之監督と共に2008年に「灯台」という短編映画を製作した。
テヘラン国際映画祭とクラクフ映画祭にノミネートされた。
江ノ島の灯台をいつも見ている私は江ノ島を舞台に映画を作りたかった。
私の親愛なる兄弟分がキャステイングに一役買ってくれた。
親分役が松方弘樹さん、松方さんと共演ならと松雪泰子さんが親分の後妻役を引き受けてくれた(その和服姿は絶品)。
主役の親分の実子役が小林成男さん(現在中国の映画界で活躍中)であった。

低予算、寒い中朝から午前一時頃まで松方さんと松雪さんは江ノ島ですばらしい演技をしてくれた。松方さんは一日中チューインガムを噛んでいた。
中野監督のヨーイスタートの合図が出ると、チューインガムを口の中、上の部分にペタッとくっつけてセリフをスラスラとしゃべった。
カットというとまた噛みはじめた。特技なんだよと言ってニコッと笑った。
映画好きはいいねぇ~と言った。
コンビニの箱弁とペットボトルのお茶だけでいいよ、いいよと言ってくれた。
夢に見た大スターは本当の映画少年であった。
伊吹吾郎さん、村上淳さんも出演してくれた。

「もしもし松方ですが」と甲高い声、私の家に電話が入った。
「花ありがとうね」と言った。
巨大マグロを釣り上げたのを知ったので御祝に花を贈った。
その礼をしてくれた。
ザワザワと風の音、今どこにいるんですかと聞くと、鳥取の海の上だよと言ってカラカラと笑った。マグロを釣っていたのだ。

松方弘樹さん、ほんとにありがとうございました。
私は永遠にあなたの大ファンです。江ノ島の灯台を見るたび心から御礼を申し上げます。
マグロを見るたびきっと思い出します。

「兄貴が来るまでに広島はササラモサラにしとくけん」これは確か第四作の中、刑務所に面会に行った時のセリフ。
ササラモサラとは、丸竹をバシバシ叩くと、バラバラになることから来ている言葉。

今、世界中が仁義なき戦いとなった。そしてササラモサラになって行く。
午前三時二十二分三十二秒、いつものグラスに酒を入れた。
柳生十兵衛、遠山の金さんもよかったなぁ~。合掌。

2017年1月25日水曜日

「コンビニ内はグローバル」




「あ」さんはきっと「阿」、「ご」さんは「呉」、「しん」さんは「秦」だろうか、深夜のコンビニに三人の店員さんがいた。胸章に名があった。
「あ」さんは四十三歳位の男性、「ご」さんは二十五歳位の男性、「しん」さんは六十歳位の男性であった。銀座二丁目である。

お客さんは、ハイ次の人みたいにちゃんと並んでいる。私の前に四人。
一番前が金髪の外人女性、二番目がエジプト人らしき若者男性、三番目がホステスさんらしき三十三歳位の女性。
金髪の女性がパスタをチンしてもらっていて時間がかかる。
「あ」さんがツギノヒトイルカラヨコニイテマッテクダサイと言う。
OH,YESと金髪女性は体を右に2.5歩ずらす。

3.5歩かけてエジプト人らしき若者が、な、なんとおでんを買う。
チプンデトッテクラサイと「ご」さんが言う。
長いトングで器用にシラタキ、牛スジ、ソーセージ二本をつまみ取る。
カラシイルと「ご」さんが聞くと指を二本ピースみたいに出す。
つまり二個ということ、他に肉まん一個とスプライト一本であった。
オシルタクサン(?)エジプト人らしき人、入れ物の真ん中あたりを指さす。
ここ位までとの意思表示。「ご」さんおしゃもじで一回、二回と半分入れる。

三番目のホステスさん、かなり疲れているのかリポビタンDを持っている。
おにぎり二個、マカロニグラタン、チンスルと「しん」さん、しなくていいとホステスさん。バナナ三本、チョコアイスのピノ、トケナイウチニカエッテネと「しん」さん、余計なこと言うんじゃないよという感じのホステスさん。
メロンパンとカレーパンも買っていた。

世界は分断されつつあるがコンビニの中はすこぶる秩序が保たれ、ルールが守られ、グローバル化が進んでいる。人情が行き交う。ケンカなし、もめごとはなし。

「あ」さんはすでにモップを持って床を掃除している。
イートインのテーブルが路地道に向かって一直線にあり、20個位の椅子が逆さまにキチンと揃っている。
私といえば夕刊紙一紙と夕刊二紙、と“かのか”二本、ピスタチオ一袋とサラミ一袋。

ワインレッドのドレスを着たホステスさんがヒールを脱いで、リポビタンDを椅子に座ってゴクッと飲んでいた。私は都会のこんな時間と映画的シーンが大好きなのである。
次の日朝イチで撮影がある、私は寝場所に向かった。

おっともう一人いた、「ポドロフ」さんだ。ロシア人だろうか。
大きなダンボール箱を軽々と持っていた。

2017年1月24日火曜日

「神と紙」




進化はどこも等しく快適な訳ではない。
あえて駅名は言わないが、私が時々使用している東海道線駅前のファミレスで使用するトイレがある。他に学習塾も使う。

昨日夜九時近く私は相模原から帰って来た。
トイレで小用をすませて出て来ると、八十二、三歳のおばあちゃんが顔面をびしょびしょにして出て来た。手持ちのハンカチーフでは間に合わない位濡れていた。
小柄で小太り、ファミレスで食事をしていたらしい。

ちょっとアンタと若いファミレス店員を呼び出していた。
手を乾かす送風機から強風がガバァーといっぱい飛び出して、こんなに濡れたじゃない。ス、スミマセン先日修理したばかりなんですが、申し訳ありません。
二十一、二歳のバイト的女性は店長を呼びに行った。

変なのよここのトイレ、入り口開けたらフタは開くし、立ったらすぐザァーと流れるし、二度目流そうとすると水が出ない、紙が全部流れない、タンクに水が貯まるまでトイレの中で待ってんのよ、おばあちゃんはかなりオカンムリであった。
ドアを開けた途端にトイレのフタがフニャーと開くし、前の方が良かったわとブツブツ言った。
ス、スミマセンこれでお顔をと店長が乾いたタオルを持って来た。
どうやら手を乾かす所の送風が、強風になっていたらしい。

相模原にそっと顔出したのはある人の報告会であった。
頭がボーッとしていたので少しで帰った。
突然ドバッと出したものを吸い取るようなトイレがある。
やはりトイレは水がくるくると回流し鳴門海峡の渦のようになって消えて行ってほしいと思う。情緒感を大切にしてほしいと思う。
トイレから出て来た濡れた老女は、ご友人か知り合い三人でカキフライ定食を食べていた。食欲はすこぶる好調であり、笑い声も大きかった。

トイレといえば最近ここをタッチして下さいというのがある。
手形の表示があり、そこに手をかざすとなかなか流れない、アホみたいに何度も手をかざす。むかしのレバー式なら足で踏んづけるか、ハンドルを手で押せば確実だった。
気取り優先のプロダクトデザインはダメ、酷いのは隣の人と一緒にザァーと流れることがある。バーローオレはオレだと怒ってしまうのだ。
小さな親切、大きな迷惑ともいう。
この頃アチコチで不愉快な思いをしている。

老人に人気の吉永小百合さんも、昼メロで人気の斎藤工も、出るものの臭いは同じ。
シャネルの香りやアラミスの香りはしない。
イエス・キリストだってきっと同じだったはずだ。
神に紙は必要だったかは歴史家は教えてくれない。中学時代にこんなことを教わった。

だろ・だっ・で・に・だ・な・なら、かろ・かっ・く・い・い・けれ、なんだったかは忘れたが、たしか形容詞と形容動詞の活用と思うのだが。男女の下半身は別人額である。
やる・やれば・やってみよう、なのである。ちょっと前へ、短い人もっと前へ。
こんな貼り紙がある寿司屋がある。

2017年1月23日月曜日

「稀勢の里とマーティン・スコセッシ」




人一倍努力し、人一倍挫折し、人一倍悔しい思いをした者だけに許されるものがある。
一筋の嬉し涙だ。感無量という言葉だ。

大関稀勢の里が遂に優勝をした。類い稀なる才能を持っている。
その才能に勢いあれと親方である元横綱隆の里がシコ名をつけたという。
中学を出て入門した少年がこの一番という時に敗れ続けて来た。
ダメだ気が弱い、ダメだ堅くなる、ダメだ勝ちを急ぎすぎると言われ続けて来た。
私もそういう一人であった。

21日(土)、私は座布団の嵐の下にいた。両国国技館内である。
大変お世話になっている広告代理店の社長がプラチナチケットをギャラ替わりだと渡してくれた。ほんの少しの文章を書いただけであった。
私には法外のものであった。
桟敷席(四人分)前から四列目、すぐ横は花道であった。
デザイン界の名人と仕事仲間二人、そして私の四人であった。
大相撲好きの四人である。午後一時から六時までたっぷりと観戦させてもらった。
そして稀勢の里が勝ち、絶対勝つと思っていた横綱白鵬が平幕貴ノ岩に完敗した。
大横綱白鵬時代が終局に向かっていることを目の前で観た。
国技館は割れんばかりの喚声であった。
そして昨日結びの一番で白鵬のかぶり寄りに耐えて土俵際で逆転した。

19年振りの日本人横綱の誕生である。
インタビューに応える稀勢の里の目から一筋の涙がすーっと流れて落ちた。
なんて美しい涙なんだろうと胸が熱くなった。
初土俵以来不戦敗が一日だけ、後はずーっと休まず土俵に上ったという、類い稀な強い体と強い気持ちの持ち主であった。
たくさんお土産まで頂いて午後八時四十分頃帰宅し、御礼の電話を入れた。

ひと息入れて、オペラ「タンホイザー」のDVDを観た。
ワーグナー、バイロイト祝祭劇場のものである。
頼んで手に入れてくれたのが届いていたので、すぐに観始めた。
188分、壮大な愛と信仰の物語、ヴィ―ナスと愛欲に溺れた男を救う、純心な女性の身を賭した愛。私がなんでオペラかというと、日本に初めてバイロイト祝祭劇場をそっくり引っ越しさせた奇跡の男が私の大先輩で、総勢約300名を日本で初公演させるという、この劇的なというか奇跡的なことをやり遂げた実録を一冊の本にするための、いわば勉強としてであった。
台所でガサゴソやっている愚妻がひと言、音が大きすぎるわよと言った。
まったくアカデミックでない。

トランプ新大統領の16分間の演説、それを書いたスピーチライターは31才だという。
アメリカファーストばかり、トランプによってアメリカ合衆国は合衆国でなくなるのだろう。
いろんな民族が合衆した国なのに、白人至上主義という一世紀も二世紀も先祖返りをするという無知なものであった。
大好きなマーティン・スコセッシ監督の「沈黙」が遂に公開された。
で、TSUTAYAに行きスコセッシのアカデミー受賞作品を二本観た。
一本は「タクシー・ドライバー」もう一本は「ディパーテッド」だ。

ギャングやマフィア、組織団体を撤廃するためにネズミという囮を放つ。
その中でこんなセリフがある。「FBIはキノコのようなもんだ、暗いところにいる」と。
アメリカはネズミ国家、囮国家である。また、CIAは更に増して悪質である。
民主主義国家が独裁国家になる。

SNSを使って戦ったトランプ陣営は、SNSによって意外に早く追い詰められるという皮肉を味わう。インターネット社会はあっという間に世界全国に拡散する。
それ故世界60各国で数百万人のデモが生まれる、それは更に数千万になっていくはずだ。いい映画は何度観てもいい。

ちなみにディパーテッドとは「死者」の意味。
アメリカの民主主義がディパーテッドにならない事を願う。

2017年1月20日金曜日

「手作りの力」




世の中にはランクというのがある。
松・竹・梅とか、上・中・下とかである。ここに特別・中等・初等というランクがある、少年院のことだ。

一月十九日東京新聞に「誓いの成人式」という見出しのコラムがあった。
横須賀市に久里浜少年院というのがある。特別少年院、通称「トクショウ」という。
特別というのだから不良少年の中でも特別の少年が入所する。
ヤクザ社会に向かう少年であればエリートコース、いわば東大法学部を出たようなものである。
新成人53人が、保護者、保護司、教誨師、職員ら130人が見守る中でめでたく新成人となった。

久里浜少年院には現在、非行度の深い少年や外国人ら16才から20才前後の約90人が在院しているという。久里浜少年院は海のすぐ側にある。
水練がキツく、どこよりもツライといわれている。
さて、彼等を世の中はどう迎えてあげるかである。
年少(ネンショウ)出だからぜひ我が社にとか、我らの店にとか誘ってはくれない。
逆にヤクザ社会からぜひ我が組へ、我がグループ、我が会へとの誘いの方が多いかもしれない。私は出所した新成人たちを空腹にしないでと世の中に願う。
何故なら空腹はまた犯罪を生むからだ。

世の中には特少を出てから立派な経営者になったり、一流の役者になったり、教育者になったり、一流のシェフや板前や名人、達人といわれる職人になったりしている人がいくらでもいる。

私は過日見たNHKのドキュメンタリー番組「ばっちゃん」を思い出した。
広島のとある街に住むばっちゃんは八十歳を過ぎている。
ばっちゃんは午前三時頃に起きて、一日何度も食事を作る。
空腹になった非行少年、少女や家族と不調和な若者や、社会生活と手く付き合えない若者たちが、ばっちゃんの作ってくれる手作りの料理を食べに来るのだ(無料である)。
また社会に出てちゃんと暮らしている若者たちがばっちゃんに会いに来る。
ばっちゃんのごはんが食べたくなったからと、番組ではばっちゃんのところから300人近くが育って行ったという。

きっと昨日も今日もばっちゃんはご飯を作り続けているだろう。
ご飯を食べさせてあげなきゃいかんのじゃけん。
子どもは腹を空かしているのじゃけんのぉ~と大きな声で笑った。

私はこんな人になりたくてもなれなかった。とてもなれなかった。
が、いつでも弱者の側にいて少しでも世のために尽くしたい。
人の恩恵で生かされて来た、無学で貧しき者としての役目だと思っている。
ばっちゃんはその大いなる見本だ。

久里浜少年院を出た若者たちに幸多かれと願う。
くじけるな、めげるな、あきらめるな。我慢だよ、世の中には善い人がたくさんいる。
喧嘩で使った根性を仕事に使えばきっと負けない。手作りのおにぎりには愛がある。
その味は一生忘れない。コンビニで買ったものではダメ。