「昌三ヨォ、オレはこの頃夜一人になると堅気になりたい思うんじゃ、だがヨォ朝になり若い衆に囲まれるとヨォ、そうもいかんのじゃけん」
「鉄ちゃんヨォ、そげな弱気なこというとったらいけんヨォ、殺られるじゃけん」
正確なセリフではないが、深作欣二監督の大ヒット作「仁義なき戦い」第一作にこんなやりとりがある。昌三とは映画の主人公、広能昌三、山守組若衆。
鉄ちゃんとは、山守組若頭、坂井鉄也。
故菅原文太さんが演じた主人公役には当初、脚本家笠原和夫は松方弘樹さんを起用することを求めていたという。
映画のモデルになった実在の親分美能幸三氏に面も合うし、柄が合うと思っていたらしい。
伝説の映画にはいろんな諸説伝説が生まれる。
広島県呉市の抗争から端を発したヤクザ戦争は、呉→広島と大展開し、やがて山口組VS本多会という巨大組織の代理戦争へと拡大する。
死者20数名を出したこの抗争に命がけで挑んだのが中国新聞の記者たちである。
「ある勇気の記録」として連日キャンペーンを書き続けた。
その功績は菊池寛賞を受賞した。
山守組(実際は山村組)若頭役坂井鉄也(実際は佐々木哲彦)が松方弘樹さんであった。
映画ファンが選ぶ日本映画No.1はこの仁義なき戦いシリーズである。
私は松方弘樹さん死去の報に接しガタガタガクンとした。
天才中野裕之監督と共に2008年に「灯台」という短編映画を製作した。
テヘラン国際映画祭とクラクフ映画祭にノミネートされた。
江ノ島の灯台をいつも見ている私は江ノ島を舞台に映画を作りたかった。
私の親愛なる兄弟分がキャステイングに一役買ってくれた。
親分役が松方弘樹さん、松方さんと共演ならと松雪泰子さんが親分の後妻役を引き受けてくれた(その和服姿は絶品)。
主役の親分の実子役が小林成男さん(現在中国の映画界で活躍中)であった。
低予算、寒い中朝から午前一時頃まで松方さんと松雪さんは江ノ島ですばらしい演技をしてくれた。松方さんは一日中チューインガムを噛んでいた。
中野監督のヨーイスタートの合図が出ると、チューインガムを口の中、上の部分にペタッとくっつけてセリフをスラスラとしゃべった。
カットというとまた噛みはじめた。特技なんだよと言ってニコッと笑った。
映画好きはいいねぇ~と言った。
コンビニの箱弁とペットボトルのお茶だけでいいよ、いいよと言ってくれた。
夢に見た大スターは本当の映画少年であった。
伊吹吾郎さん、村上淳さんも出演してくれた。
「もしもし松方ですが」と甲高い声、私の家に電話が入った。
「花ありがとうね」と言った。
巨大マグロを釣り上げたのを知ったので御祝に花を贈った。
その礼をしてくれた。
ザワザワと風の音、今どこにいるんですかと聞くと、鳥取の海の上だよと言ってカラカラと笑った。マグロを釣っていたのだ。
松方弘樹さん、ほんとにありがとうございました。
私は永遠にあなたの大ファンです。江ノ島の灯台を見るたび心から御礼を申し上げます。
マグロを見るたびきっと思い出します。
「兄貴が来るまでに広島はササラモサラにしとくけん」これは確か第四作の中、刑務所に面会に行った時のセリフ。
ササラモサラとは、丸竹をバシバシ叩くと、バラバラになることから来ている言葉。
今、世界中が仁義なき戦いとなった。そしてササラモサラになって行く。
午前三時二十二分三十二秒、いつものグラスに酒を入れた。
柳生十兵衛、遠山の金さんもよかったなぁ~。合掌。
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