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2017年1月24日火曜日

「神と紙」




進化はどこも等しく快適な訳ではない。
あえて駅名は言わないが、私が時々使用している東海道線駅前のファミレスで使用するトイレがある。他に学習塾も使う。

昨日夜九時近く私は相模原から帰って来た。
トイレで小用をすませて出て来ると、八十二、三歳のおばあちゃんが顔面をびしょびしょにして出て来た。手持ちのハンカチーフでは間に合わない位濡れていた。
小柄で小太り、ファミレスで食事をしていたらしい。

ちょっとアンタと若いファミレス店員を呼び出していた。
手を乾かす送風機から強風がガバァーといっぱい飛び出して、こんなに濡れたじゃない。ス、スミマセン先日修理したばかりなんですが、申し訳ありません。
二十一、二歳のバイト的女性は店長を呼びに行った。

変なのよここのトイレ、入り口開けたらフタは開くし、立ったらすぐザァーと流れるし、二度目流そうとすると水が出ない、紙が全部流れない、タンクに水が貯まるまでトイレの中で待ってんのよ、おばあちゃんはかなりオカンムリであった。
ドアを開けた途端にトイレのフタがフニャーと開くし、前の方が良かったわとブツブツ言った。
ス、スミマセンこれでお顔をと店長が乾いたタオルを持って来た。
どうやら手を乾かす所の送風が、強風になっていたらしい。

相模原にそっと顔出したのはある人の報告会であった。
頭がボーッとしていたので少しで帰った。
突然ドバッと出したものを吸い取るようなトイレがある。
やはりトイレは水がくるくると回流し鳴門海峡の渦のようになって消えて行ってほしいと思う。情緒感を大切にしてほしいと思う。
トイレから出て来た濡れた老女は、ご友人か知り合い三人でカキフライ定食を食べていた。食欲はすこぶる好調であり、笑い声も大きかった。

トイレといえば最近ここをタッチして下さいというのがある。
手形の表示があり、そこに手をかざすとなかなか流れない、アホみたいに何度も手をかざす。むかしのレバー式なら足で踏んづけるか、ハンドルを手で押せば確実だった。
気取り優先のプロダクトデザインはダメ、酷いのは隣の人と一緒にザァーと流れることがある。バーローオレはオレだと怒ってしまうのだ。
小さな親切、大きな迷惑ともいう。
この頃アチコチで不愉快な思いをしている。

老人に人気の吉永小百合さんも、昼メロで人気の斎藤工も、出るものの臭いは同じ。
シャネルの香りやアラミスの香りはしない。
イエス・キリストだってきっと同じだったはずだ。
神に紙は必要だったかは歴史家は教えてくれない。中学時代にこんなことを教わった。

だろ・だっ・で・に・だ・な・なら、かろ・かっ・く・い・い・けれ、なんだったかは忘れたが、たしか形容詞と形容動詞の活用と思うのだが。男女の下半身は別人額である。
やる・やれば・やってみよう、なのである。ちょっと前へ、短い人もっと前へ。
こんな貼り紙がある寿司屋がある。

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