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2018年12月19日水曜日

「ライブの夜」

昨日夜10時40分品川駅より湘南ライナーに乗車した。今年も残り10日と2日だ。当然のように超満員(と言っても座席指定)ライナー券は売り切れなのでグリーン車へ。図体のでかい若い駅員が、グリーン券を見せろという、中年男と二人掛かりである。あいよと、見せると見上げるほどでかい男、黒ぶちの度の強いメガネで見て、あっこれはずっと前に行ってと言う。そうでなくても疲れてイライラしているのに前へ行くと大行列。で、今度はホラこれだとグリーン券を見せると、あっこれはあっちのグリーンの方でというと言う。酔った男女がヘロヘロ、ベタベタ、と並んでいる。渋谷のセルリアンタワーで知人の主催するライブ会場で、スパークリングワインを一杯と半分飲んでいたので、私はほぼシラフ。だが空腹で飲んだので、少々いい気持ちにはなっていた。「北野里沙」さんという美人歌手のニューアルバム発売前夜のライブであった。会場はとてもいいムード。100人位の座席があり、いいかんじのカウンターがあった。この位の会場のライブが私は好きだ。90人以上が来ていて、ほぼ満員であった。私は不覚にも入場料を払ったつもりであったが、 CDを買ったのと勘違いして、すっかり食べて飲んでただで出てきてしまった。先払いでなく、後払いというシステムだった。そんな、こんなの失態があって久々に何かあったら、何かするかもしれない精神状態であった。主催者に迷惑をかけてしまった。コラッあっちに行ったら、又こっちにと言われたぞ、しっかりしろと言った。怒鳴った時の私の声は、かなりただごとじゃないほど、でかい。あっ、スミマセン、申し訳ありませんと謝った。車内は殆ど酔って眠っている。オッヤッター中頃に席が空いていたので、黒いマフラーを外しながら座ろうとしたら、私のマフラーが35・6歳の男の顔をかすったらしく、すこぶる気分の悪い顔をした。ジーンズに黒いロングシューズ、ダウンジャケットを着ていた。かなり酒臭い。あ、ゴメンよと言ったら、さらに気分の悪い顔をしたので、混んでんだよ何か文句あるのかと、太く低く強く言った。足を伸ばしてないで引っ込めろと言ってその男の隣に座った。品川の次は大船→藤沢→辻堂である。品川から大船までかなり不穏な空気であった。私が独り言のように、 オマエ目付きが悪いな、と声をかけたら、黙っていた。何しろイライラしていたので、大人気ないが気にいらないやつだった。せっかくアカデミックな気分だったのに。大船駅に着くと窓側に座っていた男は、小さな声ですいません降りるのでと言った。私は足元に置いていたカバンを取り上げて、足をすぼめて通りやすくしてあげた。その後、睡魔が襲ってきて一気に眠りに落ちた。目が覚めて事件を起こさなくてよかったと思った。相当にアブナイ品川→大船間であった。辻堂駅に着きひとまずトイレに入り、洗面の所で手を洗いながら、鏡に映っている自分の顔を見たらこれ以上なく目付きが悪かった。ただで入場はまずかった。人に借りを作るのが大嫌いなので、さてどうするかと思った。



2018年12月17日月曜日

「アキラと、クイーンとサバ缶」

え、まだ観てないの、何!まだ観てないの、もう3回観たぜとずっと友人から言われていた映画「ボヘミアン・ラプソディ」をついに観た。日比谷ミッドタウン、3時半の回に20分間に合わず、ミッドタウン内で時間を潰した。館内は超満員であったが、いちばん前のいちばん右の席に座れた。スクリーンまでの距離がかなりあるので、広々と見れた。もともと前にアタマがあるのが嫌いなので、いちばん前に座る。前に人がいなければ、2段目か3段目だ。12月12日茅ヶ崎市民会館大ホールで、小林旭ショーを、会社の熱狂的アキラファン2人と見て聞いて久々に、アキラ節に青春時代を思い出した。小林旭は既に80歳(?)2時間以上立ちっぱなしで一気に20数曲を歌った。会場内は、殆ど同年代であった。石原裕次郎と小林旭は、私たちの必須科目であった。映画の主題歌を誰より早くマスターするのが、三度の食事より大切であった。歌とは、なんてすばらしいのだろうか。一曲聞くたびに青春時代にかえれる。アキラは旅から旅へ歌い続けて行く。アキラもいいが「ボヘミアン・ラプソディ」は、最高であった。 クイーンのフレディ・マーキュリー役を演じた俳優は、前歯を数本引っこ抜いて(?)マーキュリーと同じような出歯になっていた。あるいわハリウッド得意の特殊テクニックで。意地悪な女性インタビュアーが、なんで出歯を直さないのと聞く。又、仲間になる時、そんな出歯でロックが歌えるかと笑う。マーキュリーは言う、出歯の分だけ口の中が広い、だから広域の声が出るんだと言う。伝説の名曲がどうして生まれたかが分かる。プロは絶対に妥協しない。曲名はみんな知っているだろう。続々と歌う姿にゾクゾクする。気がつくと足がステップしていた。曲のフレーズが全て文字で出るのが、大成功だった。貧しき者、苦しみ悩む者、ラジオが友だった頃、きのこ雲の下で失ったもの。弱者たちの叫びを曲にしていた。極めて文学的で、詩的なフレーズばかりだった。 CDでリズム感と歌う声だけ聞いていたので、最後のウィーアーザ・チャンピオンを熱叫をしている姿に、涙が流れてしまった。戦え、負けるな、俺たちはチャンピオンなんだ。45歳エイズを告白した次の日に、この世を去った。ハリウッドの撮影、編集、 音響などにドギモを抜かれた。伝説のチャリティーライブは圧巻だった。小林旭も、みなさん年の瀬にたくさんお越しいただき、ありがとうございます。昔の名前で出ている小林旭です。大拍手で始まった。こうして大借金を歌って返した。クイーン時代に稼げたものは今、マーキュリー・フェニックス・トラストとして、エイズ撲滅のために使われている。
日本のロック界よ復活せよ。演歌よ生き返れ。弱者のために。熱叫せよ。男と女の愛を歌ってくれと。サバの水煮缶をパカーンと開けて、いつものグラスに酒を入れた。缶詰は青春の味なのだ。



2018年12月14日金曜日

「無」と「フェルメール」

「世の中は 何にたとえん 水鳥の嘴ふる露に 宿る月影」ー道元禅師ー外国映画のイントロにこの日本語が、フェードインしてきた。超SF的映像世界を見せる、アート・ドキュメンタリー。色々アイデアの源泉になる。(題名不明、外国語版で正確にわからない)世の中を何かに例えるとしたら、水鳥が嘴(くちばし)を水に入れ、それをふると水滴に月影が写りすぐに消える。学のない私は、学のある人に聞いたら、こんな意味だよと教えてくれた。無学な私の先生だった博覧強記の親友が、私より年が下なのに、私より先にあの世に行ってしまった。それ以来私は日々無学の度合いが増している。何んでも聞けば即座に何でも教えてくれた。今、私に課せられた宿題は、10月13日に誕生日のプレゼントですと、会社の女性から、I-PADなるものをいただきそれを使いこなせるようになることだ。アレ調べて、コレ調べてばかり言ってると仕事のジャマをしてしまうからだ。ショートメール位使えるようにならなきゃ駄目だと叱られてもいる。スマホを使えないなんてとも言われている。ずっと長い間凄腕女史に頼り切ったからだ。人生は小さな水滴に映るお月さんみたいに儚いのに、これでもか、これでもかと新しい情報が生まれる。グッドニュースは少なく、うんざりするバッドニュースが星の数ほど氾濫する。超SF的映画の最後は、地球という大宇宙の中の小さな点みたいな存在が、恐ろしく美しく粉々になって散ってしまう。この作品を創った映像作家は、禅の道を学んだのだろう。「無」の境地をアートにした。アートといえば12月15日(土)より恵比寿の三越で「フェルメール 音楽と 指紋の謎展」が始まる。フェルメールといえば「福岡伸一教授」先日お会いした時に、驚くべき推理を話してくれた。フェルメールの絵についた指紋は誰のものか(?)、フェルメールが描く絵には楽器や楽譜が多い。果たしてフェルメールが聴いていた曲とは(?)その楽器とは(?)「宮沢りえ」さんと「小林薫」さんが絶品の音声ガイドをしてくれる。謎を解説する福岡伸一教授は京都大学出身、当然のように京都学派の代表である、西田幾多郎大先生を研究している。西田幾多郎大先生は、禅の道を追求していた。(西田哲学という)まい日、まい日、筆を取りただひたすら 「◯」マルだけを書いていたという。「無」の世界を追っていたのだろうか。無学の徒には分からない。人生でいちばん格好いい人は、スッテンテンになった人だな。広島呉の伝説の博徒「波谷守之」さん。(金庫の中には堅気の人への貸しの証文があったがそのままであった)伝説のVANを生んだファッションデザイナー「石津謙介」さんとか、新宿の伝説の愚連隊で最強といわれた「加納貢」さんだ。「無」は「伝説」になるのだ。週末は「無」になろう。



2018年12月11日火曜日

「新橋の喫茶店」

カルロス・ゴーン容疑者が、起訴され再逮捕というニュースが、昨夜帰宅すると、どの報道番組でも流れていた。最長だと法的にあと20日間勾留される。となると娑婆に出る日は、除夜の鐘がゴーンと108回鳴らされている日になるのかなと思った。否認を続けると、検事は(この事件の場合は検察トップ案件のはず) 徹底的に辛い仕打ちをする。例えば二つ、三つの容疑があれば、それを一括にせずに、一つ、二つ、三つと分けて起訴を続ける。1日でも早く出所したいと思っている容疑者は、もっともこれを恐れる。いわゆる門前逮捕みたいなものだからだ。門前逮捕とはやっと出所して我が家の門に着いた時、今度はこの事件の容疑でと逮捕される。あ〜、やっと温かい風呂に入れる、やっと妻子に会える、 暖かい布団で寝れる。寄せ鍋とかでホカホカできる。久々に刺身などの生ものが食べれる。がすベてがオジャン。かつて男と男が酒を飲む時は、金儲けの話はご法度であった。私が憧れ尊敬する先輩からキツク仕込まれた。仕事をさせてください、それは若い人間を育てるためなのでとか、経験させてやってください、それは言っていいが、ひともうけにからませてくださいとか、ひと口のっけてください、これは絶対に言うなよと。スヤイ男にされるからなと。(スヤイは安いの逆の言い方)男の世界ではいちばん屈辱的な言葉。男と男は天下国家を語らい、夢やロマン、恋愛の歴史や趣味の話、大風呂敷でも壮大なホラを言い合うものであった。 議論風発である。昨今は、金、金、金。新橋駅前ビル3階に、昭和風純喫茶がある。お医者さんが急死してしまったが、その3階にかかりつけの歯医者さんがあった。 予約をとり少し早めに着くと、その喫茶店でコーヒーを飲んだり、夏はアイス入りソーダ水を飲んだ。ミックスサンドが旨かった。今、思えば確かにそれらしき男たちが何人かいて、スポーツ新聞を読んだり、訳あり風な話し方をしていた。森功の近著「地面師」を読むと、その喫茶店が一味の集まりの場の一つであったらしい。今、3階は中国人経営のマッサージ店がひしめき合っている。2階にアロハシャツの小さな専門店があるので、時々いいのが入ったと立ち寄ることがあるが、3階には行かない。♪〜星の流れに身を占って どこをねぐらの今日の宿・・・。こんな古い歌があった。カルロス・ゴーンが今いる東京拘置所の小さな窓から、冬の夜空が見えているのかもしれない。星の流れに我が身を占っているか、自分を売った人間たちを思い出しては、出たら必ず復讐をしてやると思っているかもしれない。否、 出たらゴッソリと貯めた金を、もっと増やす金儲けを考えているかもしれない。地球とは人間を収容する監獄であって、全世界の人間に金儲けという労役を課している。それ故、108の煩悩がゴーンと生まれる。


2018年12月10日月曜日

「あおりへの極意」

あくまでも十代の頃の事である。その年夏休みを利用して三陸に行こうぜと、近海、捕鯨で有名な鮎川港を目指し、友人3人と私の4人でクルマで向かった。当方は小型車であった。当時はトラック野郎大ブームで、ネオン街みたいなトラックが流行っていた。トラック野郎たちは無線で連絡をしながら、こいつと思った車をあおり運転でイジメていた。水戸街道は、トラック野郎のやりたい放題であった。バカな奴等がいてあろうことか私たちのクルマをあおってきた。又、横並びのようになり、畑の中に落とそうとしてきた。私は後部座席から顔を出して、停まれ、停まれと合図した。相手はチトヤバイと思ったのか、仲間に連絡して隊列を増やした。信号で停車したので、小さな道具を持って私はトラックの運転席横の階段みたいのに乗って、道具でバーンと運転席のガラスを叩いた。乗っていた二人の兄ちゃんは、ビックリして、 私が出て来いと怒鳴っても出てこない。信号が変わりトラックは動き出した。私は階段部分に乗ったままであった。何キロか走ったところにドライブインがあり、そこに停めさせた。30代と40代のゴッツイ男たちだったが、道具を持って怒鳴っている私にブルってしまって、スイマセン、スイマセンと頭を下げて絶対にトラックから出てこない。車から出てしまうと、相手になるぞということになり、免許を停止されたりする。10数台になっていた仲間のトラック野郎たちも決して出てこない。トラックに乗ると人格が変わるというか、すべてのクルマを見下ろすので、天下を取った気持ちになると聞いたことがある。気が大きくなり、我が物顔になるのだ。運転席のガラスは少し割れていた。私の友人が水を持ってきたので、それをバシャバシャぶっかけていたら、パトカーが2台来た。事情を説明したら、器物破損だが相手が謝っているので、カンベンしてあげろと言った。当時水戸街道で男女二人乗りのクルマがあおりと横並びされて、畑に落とされるというのが問題になっていた。パトカーの二人はよくやってくれました、そんな顔で、おとがめは何も無しであった。水浸しになった男二人は、ちぢみ上がっていた。 記念写真だと言って、私の友人がカメラで写真を撮った。トラック野郎二人は、ハイチーズの掛け声にも、全く応えず、ブルっていた。 私は白いスラックスにアロハを着ていた。でもフツーの人はすぐ100番を。むかしと違って今はアブナイ人間が多いから。

鮎川港

2018年12月7日金曜日

気分は「乱、乱、乱・・・。」

東海道線車内には、なんと冷房が入っていた。狂っているのだ。地球全体が。何か嫌な感じがする。この一年アメリカのトランプのツイッターに世界中が大混乱をした。米・中・露 、トルコ、イギリス、ノルウェー、イラン、イスラエル、サウジアラビア、アフガン、ブラジル、メキシコ、フランス、カナダ、ドイツなど、もう「瀬戸てんや・わんや」状態だ。何しろ政治経験ゼロ、不動産業やカジノ業を経営していた人間だから。日本国をといえば、存在感ゼロで発言力もなし。ウロウロ状態。盲従状態、アメリカの命令に全面的に“へいわかりやした、親分”である。ステルス戦闘機100機1兆円近くお買い上げ、軍需産業大満足。入管法などを即成立、竹中平蔵たち人入れ稼業(人材派遣)は大満足。今、メッタヤタラに人材募集のCMが洪水のように流れる。これも竹中一派が大繁盛。“口舌の徒”と言われる(人のことは言えないが)学者が、日本国をソックリ米国化する。竹中平蔵に誰も議論で勝てない。新撰組というテロリスト集団が、ブッタ斬った「清河八郎」みたいな存在だ。悪魔のような売国政商とも言える。郵便貯金は本来財政投融資に使っていたのに、民営化により使途不明金みたいに、アチコチに使い放題。時代劇なら、天誅だろう。小泉純一郎、福田康夫、森喜朗、安倍晋三、ちょっとの間、へらず口の麻生太郎と、悪夢のような菅直人、鳩山由紀夫、野田佳彦が、5年ほど、総理大臣になったが(順不同)清和会(旧福田派現細田派、実質安倍派)が10数年支配してきた。 そして現在も支配中。日本国の代表たちは、その能力に限界があるので、大実力者となっている。菅義偉官房長官に、オンブにダッコみたいと、なっている。つい先日友人と虎ノ門のおそば屋さん「砂場」で、お昼過ぎ席待ちをしていたら、大実力者が急いで入ってきて、靴を脱ぎ自分でちゃんと靴入れの棚に入れて、2階に駆け上がった。友人と靴が疲れているのに目をやった。一人でみんなやってんだから靴も疲れてんだねと言った。その大実力者が次の総理大臣に、私の一票を投じる選挙区の河野太郎を推すのではと言われている。 色めき立っている知人の茅ヶ崎市議や、神奈川県議たちが多くいるのだが、もしそうなったら更に救いがたき国政となる。アメリカのパシリになるだろう。言うことがコロコロ変わる口舌の徒だ。現在自然界の乱、世界は政治・経済の乱、人間界は人心の乱。気分は全然ランランではないのに、乱、乱、乱で、来年は値上げと増税の大乱となる。 「亥」年だから猪突猛進のように一直線で乱は加速する。故西村寿行のベストセラー「滅びの笛」のように、人間という生き物が、集団自決化するやもしれない。(滅びの笛ではネズミだが)♪〜あ〜やんなっちゃった あ〜おどろいた。故牧伸二さんのウクレレが聞こえてくる。牧伸二さんの最後も、滅びの笛ならぬ滅びのウクレレだった、国家百年の先を見て、目を覚まそう日本人。相当にヤバイ、株価はドーンと落ちはじめるだろう。アイデアは出すためにある。苦境は乗り切るためにある。思案は重ねるためにある。将棋の竜王戦で使用する駒に、年金だけでは食べてはいけない、家族のために生き抜かねばならぬと、駒作りを50代から始め、精進した人のが、羽生善治竜王によって選ばれた。全国から選ばれた名人、達人の作った多くの駒を、羽生竜王が一つ、一つ、感触を確かめながら、これがと選んだ。「遅咲きの駒師」遠藤正己さん(66)の駒であった。これ以上ない名誉である。血の出るような努力を重ねた者が生き抜くことが出来る。遠藤さんは59歳で天職に巡り合えたと言う。故阪田三吉の名言に“銀が泣いている”というのがあるが、羽生竜王が手にした遠藤さんの駒は笑っていた。私は今、歴史小説作家でいちばん認めている、故「綱淵謙錠」の704ページ、二段組の大長編に挑戦している。読破まで、きっと1年以上はかかる。本の題名は「乱」である。
(文中敬称略)


将棋竜王戦第3局に使われている遠藤さんの駒
(2018年11月2日朝日新聞より)



2018年12月6日木曜日

「うしろ姿は他人」

♪〜帰っちゃいやと 言えないわたし 今夜も来るとは 言わないあなた なんでもないよな顔をして 足音だけが遠ざかる ああ、ああ〜 うしろ姿は他人でも 夕べのあなたは あたしの あたしの あたしのもの・・・。この歌知ってますか、「矢吹健」という歌手が歌った「うしろ姿」です。道を外した男と女。夜の女とヤクザな男。尽くす女と、しゃぶり尽くす軟派な男。不倫をする男、あるいはしゃぶり尽くす悪女 何かの本の中の一説に好きな言葉があった。「許してください。今日だけはわたしは悪い女になっています。」そして男と女は道行きに向かう。昨日夜、忘年会のご接待をする店を訪ねて、打ち合わせをするために、夜の銀座を歩いていた。(食べ物屋さんです)今年も残りわずか、銀座の女性たちが一生懸命営業をしていた。Xmasのパーティ週間のためにお客を呼ばねばならない。大変だながんばれよと思いながら、つい矢吹健の歌を口ずさんでいた。矢吹健の「あなたのブルース」もいい。生死は不明だ。演歌やブルースが消えてしまったのはとてもかなしい。派手派手の服、ギンギラギンの宝飾、又は、見栄をバンバン張った和服。きっと今夜も、うしろ姿は他人でものような夜を、何人もこなすのだろう。私は女性には絶対に勝てないと分かっているので、夜の世界はずっと昔に卒業した。オバちゃんバラを五本ちょうだいと言って、花屋さんで赤いバラを買った。夜の銀座はブルースなのだ。ちなみに、夜の女性たちは12月が好きではない。何故なら、お店はXmasのパーティ週間で同伴のノルマが課せられる。自分の好きな男は、妻子らの待つ家に帰ってしまう。♪〜うしろ姿は他人でも夕べのあなたはあたしのものなのだ。



2018年12月5日水曜日

「『葉もれ日』グランドオープン」

浅草橋3-4-4に「葉れ日」 COFFEE&WOODというお店が12月3日に開店した。 お近くに行った人は是非立ち寄ってください。4年近く私たちと共に仕事をしていた、アートディレクターの山口斗夢という男が、店の主である。あるいは仲間と共同経営かもしれない。昨日開店(グランドオープン)の知らせをもらった。男の決断をスパッとして、日本に脈々と続く職人文化の灯を守る事業を始めた。人間にはいろんな才能がある。一つ事に固執するもよしだが、若いうちは他の分野に色々挑戦するのも、人生の道だ。芥川賞作家花村萬月さんは30数種の職業を転々としたらしい。山口斗夢の「斗」は北斗七星から、夢は正に北斗の夢である。東北地方の出身、夜空北斗七星を見ながら成長したのだろう。温厚にして篤実、長身帽子のよく似合うダンディな男だ。「葉れ日」には木を使ったさまざまな職人が出入りするらしい。これから東京オリンピックや、Wラグビー、また大阪万博も決まった。外人客が4000万人近くになるという。外人さんは職人たちが作った、日本独特の細工物が大好きだ。焦らずにじっくりと取り組んでいけばきっと思いもよらぬ大成功をするだろう。 斗夢ちゃん、妻子を大事にがんばってな、気持ちだけ花を贈った。近々行ってみようと思っている。日本は世界一の森林大国、もっともっと木を大切にし、木のアートや職人芸を見せてほしい。水上勉の名作、越前竹人形の職人芸を見た時は、感動した。手足の指はひんまがっていた。いろんな飾り職人、木工職人、大工さん、庭職人、石細工など、名人、達人に比べると、私の仕事などは未だ甘い。文句を言うより努力を重ねて行けば、きっとビッグチャンスが来る。アイデアは続々と出ているのだが、残念ながら資金がない。チャレンジした「葉れ日」の成功を心から祈っている。“斗夢ちゃん近々行くからな、木の香りを楽しみながら、珈琲をよろしくな。” 東北人は粘り強いからきっと負けない。



2018年12月4日火曜日

「ミニ盆栽と病気」

あくまで十代の頃の話です。ちょっとした喧嘩をして、二日間留置場に入った。喧嘩は両成敗なので相手も入った。もちろん別の監房に。その時、十代のフツーの男が私と一緒に入っていた。聞けば19歳であった。縁日の植木盆栽展で、松の木のミニ盆栽を窃盗した。刑務官がコイツは本当に手クセが悪く、窃盗ばかりしてはパクられて来るんだ、 ほとんど病気だなと言った。そして私は三日目にはもう喧嘩すんじゃないぞと叱られて、パイ(釈放)になった。警察では少々の喧嘩は事件にはならない。つまり得点にはならないからだ。傷害になると重い。盆栽を窃盗した男は、お金は持っているのに、ついそこに物があると手を出してしまうんだと言った。(お金持ちの息子だった。)数年前拙書で物を何度も窃盗するのは、病気だと書いた。気がつくと盗んでいるのだ。昨日元日本代表のマラソンランナーの女性が万引きばかりを重ねていたのを「窃盗症」という病気であると診断された。私の長い間の持論が証明された。治療すれば治るのだ。ということは全国の刑務所や少年院に、窃盗症でありながら懲役刑になっている者が数多くいるということになる。1日も早く治療してあげてほしいと願う。同じ犯罪を繰り返すと刑は重くなるからだ。ミニ盆栽を窃盗した十代の少年は、初等少年院(印幡沼)に行ったと、次に喧嘩して入った時に聞いた。子どもの前に無造作にお金を置いたりしないでください。つい手を出す病気の始まりとなりますから。おサイフも気をつけて。何!サイフの中には金がない、ならばサイフだけでも盗んでしまいます。 どんな病気もはじめはチョットなのです。そっと気をつけてください。鎌倉文士の代表であった作家の奥方も、窃盗症であり、年中大先生は、もらい下げに行ったと言う。話が変わるが、昨日21時30分東京発湘南ライナーに、過日書いた「おやつはカール」を食べていた女性が乗っていた。昨夜は実にシンプルな黒を基調としたファッションであった。斜め前に座っていて、何も食べず、靴を脱がず、かなり美人に見えた。女性とは不思議なもので、ちょっとしたことで別人のようになる。ユニクロからマックスマーラになったが如きであった。書類にじっと目を通していた。
ある賢人曰く、 美人はつまらん、いつ見ても同じだ。だがそうでないのは、愛しいものだ。 ある日は色香あり、又ある日は少女の如くあり、又ある日は悪女の如くであり、見飽きぬものなり。

イメージです

2018年12月3日月曜日

「晩秋の夜と蟹」

一年の終わりに一度、ぜいたくをする。上海蟹ではないが、形はほぼ近い。四万十川産とか、福井産の蟹をのせたパエリアを食すことだ。知人の経営する店である。先週末友人たちと楽しんだ。一人前3000円くらいだと思う。びっしりと卵が詰まっていた。そして高尚な話になった。神や仏はいるのか。数人の男が真剣になった。イナイ、イナイ、神なんぞはイナイ。仏もいない。いると思って“信じる存在である”と一人が言った。ミジンコもデンデン虫も、 ライオンも象も、カバもサイも、クジラもイルカも、トドにアザラシも、そして人間もナメクジと同じ、すべて奇跡的偶然が、いくつもいくつも重なり合って、出来た、生き物に過ぎないという結論になった。織田信長が一人の家来に、神はいるかと問うと「おそらくいますまい、もしいたとしても、人間のことなど、ことさら興味も持たぬかと思われます。」「何故じゃ」と信長が言えば、人間といえどもしょせんは流転する万物のひとつ。その一点においては、牛馬や蟻と変わりませぬ。あまたを照らす彼らも、それほど暇ではありますまい。人は死ねば、天にも地獄にも行かず。ただ灰燼に帰すだけです。莫大な財産を持った人間が、莫大な借金を背負った人間より長く生きる保証はない。とてつもない医学の進歩があったとしても、人間はいずれ死んですぐに忘れられる。いま世界では、食べ物が足りなくて死ぬ人の数より、食べ過ぎて死ぬ人の数の方が、史上初めて上回っている。魚は自分たちが増え過ぎた時、自分たちを守るために、海辺に打ち上げられる。きっと自分たちで間引くのだ。クジラが大量に打ち上げられたニュースを先日見た。自分たちがずっと生きて行くために、きっと集団自決したのだろうか(?)。人類が危ないのは、間引きの変わりに戦争という狂気を起こすことだ。と、こんな話をしたのである。世界は今、極めて危険な状態となっている。日本人の4分の1が、まだ働けるのに、働かない、あるいは病気で働けない。あるいは日々暇をもてあましている。自然の摂理でいえば、間引きが起きる。それが何かは分からない。新黒死病、新ペスト、新型のウイルスの発生とか。しかしある本には、シリコンバレーでは1500歳まで生きることを研究しているらしい。上海蟹風パエリアは絶品であった。おこげの部分は、この上なしであった。敬愛する旧友にワインを一本置いて帰った。ラベルには、「晩秋なり」と書いた。木枯らし一号の吹かない冬に向かっている。