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2018年12月3日月曜日

「晩秋の夜と蟹」

一年の終わりに一度、ぜいたくをする。上海蟹ではないが、形はほぼ近い。四万十川産とか、福井産の蟹をのせたパエリアを食すことだ。知人の経営する店である。先週末友人たちと楽しんだ。一人前3000円くらいだと思う。びっしりと卵が詰まっていた。そして高尚な話になった。神や仏はいるのか。数人の男が真剣になった。イナイ、イナイ、神なんぞはイナイ。仏もいない。いると思って“信じる存在である”と一人が言った。ミジンコもデンデン虫も、 ライオンも象も、カバもサイも、クジラもイルカも、トドにアザラシも、そして人間もナメクジと同じ、すべて奇跡的偶然が、いくつもいくつも重なり合って、出来た、生き物に過ぎないという結論になった。織田信長が一人の家来に、神はいるかと問うと「おそらくいますまい、もしいたとしても、人間のことなど、ことさら興味も持たぬかと思われます。」「何故じゃ」と信長が言えば、人間といえどもしょせんは流転する万物のひとつ。その一点においては、牛馬や蟻と変わりませぬ。あまたを照らす彼らも、それほど暇ではありますまい。人は死ねば、天にも地獄にも行かず。ただ灰燼に帰すだけです。莫大な財産を持った人間が、莫大な借金を背負った人間より長く生きる保証はない。とてつもない医学の進歩があったとしても、人間はいずれ死んですぐに忘れられる。いま世界では、食べ物が足りなくて死ぬ人の数より、食べ過ぎて死ぬ人の数の方が、史上初めて上回っている。魚は自分たちが増え過ぎた時、自分たちを守るために、海辺に打ち上げられる。きっと自分たちで間引くのだ。クジラが大量に打ち上げられたニュースを先日見た。自分たちがずっと生きて行くために、きっと集団自決したのだろうか(?)。人類が危ないのは、間引きの変わりに戦争という狂気を起こすことだ。と、こんな話をしたのである。世界は今、極めて危険な状態となっている。日本人の4分の1が、まだ働けるのに、働かない、あるいは病気で働けない。あるいは日々暇をもてあましている。自然の摂理でいえば、間引きが起きる。それが何かは分からない。新黒死病、新ペスト、新型のウイルスの発生とか。しかしある本には、シリコンバレーでは1500歳まで生きることを研究しているらしい。上海蟹風パエリアは絶品であった。おこげの部分は、この上なしであった。敬愛する旧友にワインを一本置いて帰った。ラベルには、「晩秋なり」と書いた。木枯らし一号の吹かない冬に向かっている。


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