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2019年7月5日金曜日

「銭湯と戦闘」

(1)大阪579(2)東京561(3)青森303(4)北海道・鹿児島284(6)兵庫174(7)京都171(8)神奈川152(9)大分148(10)愛知100、以下(14)千葉54(16)埼玉47(24)群馬(37)静岡11(40)栃木9(43)茨城3 さて何の数字でしょうか? これは銭湯の多い主だった都道府県(一般公衆浴場・公営と私営)。「南こうせつ」さんの名曲“神田川”の中に若い二人が洗面器にタオルと石けんを入れて銭湯に通う姿が歌われている。石けんはカタカタ鳴っていた。銭湯は不思議な場所であった。番台をまん中に左右男湯女湯と分けられていた。老若男女が丸裸になっていく。脱いだ衣服は丸い竹籠の中に入れた。脱いだ下駄や靴は番号のついた大きな本棚みたいのに置いた。そして下足札をもらった。脱衣場には大きな姿見の鏡があり、体重計があった。冷蔵庫の中には名糖コーヒー牛乳が定番で、ブスッと刺す小さな道具が、冷蔵庫に輪ゴムでつながっていた。銭湯は四民平等で同じ値段で、同じ丸裸である。女性は髪を洗うときお湯をたくさん使用するので、余分にお金を払い、細長い板をもらった(ちゃんとお金を払ったことの印)。番台に銭湯の主人や、その息子が座っていても、なぜか女性は、「イヤダ! 見ないでよ」とか「何見てんのよ。このスケベ」とかは言わない。番台は聖地であった。私の後輩が銭湯の息子だったので、「オイ、一度オレに座らせろ」と言ったら「ダメデス、ダメデス、それだけは絶対ダメです」と拒んだ。熱い湯と少しぬるい湯があって、その境界の下は空いていた。子どもたちはもぐってそこを行ったり来たりした。銭湯は熱いプールであった。刺青の入ったお兄さんもたくさんいた。三助さんというオジサンがいて、いくらか払うと背中を洗い流した。三助さんは女湯に行っても、決して「キャー」とか「見ないでよ」とかは絶対言われない。銭湯は3時オープンで夜12時までが基本だった。どんな外国人が来ても銭湯は断らない。異文化コミュニケーションの場であった。中国人とフランス人はお風呂に入らないので有名。食にこだわり満漢全席なんて途方もない料理を生んだ(3日間かけて食べたと言う)芸術、文化の大国同士は、緯度でも同じ線上であり、両国はウマがあって中国とフランスは仲良くなった。フランス料理のフルコースを見たことがある人は知っていると思う。モノ凄く美しく、モノ凄くソースの香りがいい。一度食べたら当分食べる気を失う。永谷園のお茶漬けが恋しくなる。盛大な結婚式から帰った後、小腹がすいて、焼鮭の残りが半分あったのを思い出し、お茶漬けの中に入れる。ウメエ〜やっぱり日本の味がいい、ということになる。中国料理は基本的に火を通すので油の味がする(これがいいのだが)。現在の国際社会において中国とフランスは協調する。銭湯には富士山の絵がなくては成立しない。時々描き変える。一度その超絶的技を見たが、下書きなしで一気に描いてしまう。「世界で一番ゴッホを描いた男」という中国映画がある。中国は贋作大国であり、コンベアー式にあらゆる画家を本物以上(?)に描いて安価で売る。ゴッホ以上にゴッホを描いた中国人の凄さに驚嘆する。ゴッホになり切るために、ゴッホの歴史を訪ねてまわる。私の友人で日本テレビの社員で、ドキュメンタリー番組をつくっていたプロデューサーがいる。過日会ったとき、「何やってんだよ」と訊いたら、「いろいろやっているが、いま全国の銭湯に行っている。もうすぐすべてをまわり切る」と話をしていた。反体制の闘志であった。“戦闘だよ、銭湯”と言って笑った。同席のもう一人の友人は国会や官邸の日々の出来事を記録するカメラマンだった。いよいよ昨日、参議員選挙が告示された。報道各社のインタビューでそれぞれ決意を白いボードにマジックで書いた。全員子どもより下手な文字であった。“書は人なり”とも言う。17日間各政党同士、正々堂々と「戦闘」してもらいたい。戦いが終わったら、各党首全員、丸裸になって銭湯に入って、互いの労をたたえあってほしい。裸同士のつき合いから、いい政治は生まれる。いい週末を。


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2019年7月4日木曜日

「淫雨」

ショパン作曲「バラード第1番ト短調」を聞きながらと言うと少しはクラシックを知っているのか、と言われるそうだが、正直クラシックはベートーベンの「運命」とか、「第九」くらいしか知らない。ピアノ曲の中でも難しい曲の代表と言われているのが「バラード第1番ト短調」だと言う。BSドキュメンタリー番組「私を救ったショパンのバラード」イギリス制作、2013年9月6日の番組を録画したDVDを見た。東日本大震災の後、日本の一少女とイギリスの青年の心の行き場を追ったドキュメンタリーだった。その主題曲がショパンのバラードで、番組のラストに超絶的テクニックでピアニストが鍵盤の上に指を動かす。浅田真央さんがこの曲を好んで使い銀盤の上をスケーティングする。その映像もインサートされる。病んでいる青年は音楽家を目指している。大津波の映像は何度見ても信じられない自然の怒り(?)だ。少女はその中で希望を追う。九州・八代出身の八代亜紀が歌った曲がある。♪~雨々 ふれふれ もっとふれ~♪というフレーズで大ヒットをした。皮肉にも九州地方がとんでもない大雨の被害にあっている。毎年、毎年繰り返される。アメリカは地球温暖化防止を世界の国々でやって行こうという“パリ協定”から脱退した。屋久島猿が沖縄の施設から脱走して麻酔銃で撃たれて捕まった(全匹)。屋久島に行ったとき、やたらに屋久島猿が出て来た。体型は小さい猿だが、かなり闘争心が強く、決してガンを飛ばすな(目と目を合わせるな)と言われた。施設の担当者が鍵を閉めるのを忘れたらしい。いよいよ今日は参議員選挙が告示される。過日深夜1時頃フリーのライター須田諭一さんと仕事の後、少し腹が減ったねと赤坂の路地裏の焼肉店に入った。小さな店で2階にあった。客が3組居た。私たち2人の斜め前に山本太郎議員とその秘書らしき人。2人の前に中年の男。私のイメージでは、熱弁をふるう山本太郎がイメージされたが、意外にも、とても静かに目の前の人の話を静かにじっと聞き入れていた。「アレッこんなだっけ?」と思った。牛タン塩、カルビ、ロース、サンチュなどを食べ2時半近くまでいたが、山本太郎はずっと静かだった。「えらい違いだね」と須田さんに言った。政治とは演説であると言う。“れいわ新選組”がブームを呼ぶのは間違いない。アメリカの大統領選は、ハリスという女性の上院議員が相手になれば、トランプは勝てない。強力なディベート力を持っている。80歳に近いバイデンとサンダースの支持率は急降下している。自民党内だけで選ばれた我が国のリーダーは、G20でウロウロするばかりで、トランプからシカトされ、板門店から北朝鮮に入った。トランプは負ければ刑事訴追される可能性がある。湘南ライナー21時40分品川発、前から3番目、隣りに32、3歳の女性と男性。男は氷結を飲み、女性はトロピカーナを飲んでいた。2人は大きな袋の中から“ゲンコツセンベイ”を出して食べ、喋りまくり、笑いまくり、異臭を車内に放散させた。ゲンコツはとにかく食べる音がガリガリ、ガリガリうるさい。足を組んでいたので、トイレに行くオヤジが私の足にぶつかって行った。確かに組んだ足が通路側に出ていたので私の非である。ガリガリ、ウルサイ“ゲンコツセンベイ”は大船駅で止まったが、まだキャーキャー言ってゲンコツを食べ合っていた。「ウルサイ、クサイよ」と小さく言った。シュンとしてバッグの中に残りのゲンコツを入れた。嫌なオヤジ、バーローと顔に書いてあった。トイレから男が戻って来たので足を中に入れた。日本人は泣く子と地頭にはかなわないの言い伝え通り、現代の若者は女性には何も言わない。家に帰り「ヘンリー」という実話を元にした古い映画を見る。この主人公は母親が、子どもの前で体を売るようなことをして金を得ていた。ヘンリーはそれがトラウマとなっていたのか、あるいは生まれつきの殺し愛好者か、娼婦や罪なき人たちを次々に殺しつづける(300人以上の女性を殺害したと言われている)。この頃「ただ人を殺したかった」そんな動機の事件が多い。夫が妻を、妻が夫というのも多い。近隣同士も多い。生活音の嫌悪を長年感じていたとか、ペットが嫌いだったとか。東海道線の列車内も、街の中も、近隣もイライラ、ムカムカが積み重なっている。ヤバイ世の中なのだ。ゲームで育った世代は、日常的に残酷な映像シーンをYouTubeとかで我れ先にと見ていて、感覚がマヒしている。神経的肉体感覚にスリ込まれている。やることを失った定年後の人たちも、YouTubeというのを見て殺意をタメ込んでいる。老人たちがオドロシイ世の中である。ストレスをタメ込んだ教師たちや官公庁の人間のスケベな事件も多発する。雨、雨、雨、ずーっと続く雨を「淫雨」というらしい。淫乱な雨なのだろうか(?)。体がベタベタして気持ち悪い。災害には、自助、共助。公助が必要なのだが、「近助」という考え方の、ふだんからの定着も必要だ。♪~とんとん とんからりと 隣組~♪という歌がむかしはあった。近隣とは「淡交」を旨とせよと言うが、この頃は「無交」が多い。日本は世界一の森林国だが、そのメンテナンスをして来なかったツケが出る。ゲンコツとトロピカーナのガリガリ女性は、私の足元に置いてあったカバンを蹴飛ばすようにして藤沢駅で降りて行った。それにしても不快指数100が続く。不眠症なのでさらに眠れない。「告発者」という不気味な映画を見る。医者が看者の若い女性に注射を打ち、モーローとさせて犯し続ける。そして告発される。合コンなどをしているとき、女性のドリンクにクスリを入れてモーローとさせて一人、二人で犯すという、ドラックドリンクを使ったバカヤローな犯罪が続く。自分のことは自分で守ることを心がけて行く世の中となってしまった。今日も激しく雨が降り続ける。八代亜紀はしばらく♪~雨々 ふれふれ~♪は歌えないだろう。(文中敬称略)

2019年7月2日火曜日

「高島忠夫さん、ありがとう」

雨、雨、雨、そして雨。ベタベタとした風がへばりつく。不快指数は100%だとニュースが流れる。突発的、衝動的、猟奇的、無慈悲な殺人事件が、続々と起きる。吉本の芸人たちが闇営業という名のシノギで退場を命じられる。芸能の世界では今でいう反社会勢力の許可なくしては何もできないできた。国技である大相撲も同じであった。昔の議員の中には体にモンモン(刺青)をしょっている人もいたという。業界の代表として。雨、雨、雨、そして雨の中、やけにむし暑い中カルロス・ゴーンの記事はベタ記事のように日々小さくなっている。「世の中には、2つの不幸があるという。(1)お金のない不幸。(1)お金がある不幸。 私が東京都杉並区に住んでいた頃、荻窪駅南口、阿佐ヶ谷寄りの片隅に映画館がポツンとあった。「新東宝」である。隣りにビリヤード、その隣りにラーメン屋(たしか丸長)があった。映画館は他にまだなかったので、新東宝の映画は封切りされるたびに全部観た。冷暖房なし、長椅子は石みたいにカチンコチンだった(一人ずつの席ではない)。夏は暑いので大きな氷の塊りを持って行ったり、冬は七輪に品川の練炭(有名ブランドだった)を持ち込み火をつけて暖をとった。支配人が「何やってんだ」と怒ってきた。ラーメン屋さんから出前をとってガラガラの館内で仲間とラーメンをすすった。支配人がすっ飛んできて「何やってんだ」と怒った。その頃の銀幕のスターは鞍馬天狗の「嵐寛寿郎」と「高島忠夫」であった。第一期ニューフェイス、確かハンサムタワー3人衆の一人であった。あと2人は、松竹に移った。「吉田輝男」と東映で大スターとなった「菅原文太」であった。女優はなんといっても「三原葉子」であった。3人衆の中でとび切りのスーパースターが高島忠夫であった。大学生の役などを観て、一度は大学に行きたいと思った。次々と主演していた。映画を観ていると、ビリヤード場から玉と玉がぶつかる音がして、点数を数えるビリヤード場独特のオバサンの声が、けだるく聞こえる。2点、3点、4点〜なんて、中央線の列車が通る音が聞こえる。高島忠夫が正義の男として活躍する。新東宝はアラカンこと嵐寛寿郎と、高島忠夫でもっていた。うつと闘いながらも“イエ〜イ”とやったがつらそうだった。同じ経験がある私には死ぬほどつらいことがよく分かった。でも、これぞ愛妻という寿美花代さんと、才能豊かな父親思いの2人の息子がよく支えた。すばらしい親と子である。私の高島忠夫は、どんなになっても希に見る日本人離れしたエンターテナーだった。イエ~イな存在であった。うつを克服してイエ~イもいい声になった。私を映画の虫にしたのは100%新東宝であり、高島忠夫さんであった。永眠、合掌する。寿美花代さん、政宏、政伸の息子さんに「心からご冥福を祈ります」と言いたい。香港では学生たちが決起している。日本の学生はどうだろう。高島忠夫さんは大学生がよく似合った。時代を大きく変えるのは、いつの時代も若い力だ。(文中敬称略)


2019年6月28日金曜日

「終わりは、始まり」

6月28日金曜日の銀座は、台風が残していったベタベタの湿気と30度を超える熱とで蒸し暑かった。私はこれ以上ないというほどお世話になった会社の会長ご夫婦への御礼の品を求めて仕事仲間と有楽町のビックカメラに行き、デジカメを選んだ。62年間の会社通いが終わり、自由人になられたので、ウオーキングの途中に花や蝶や、小さな虫たちの営みを写真に撮っていただきたいと願った。全身誠心誠意の御方で、私にとっては「神」に近い存在だった。18歳で入社してから社長、会長まで62年間毎朝7時20分に出社された。私は時々7時40分に電話をした。必ずその御方が元気よく電話に出てくれた。超優良会社であり、超ハードでもあった。創業して66年の会社、私は創業者の初代社長から、2代目、3代目、そして現在4代目となるまで約半世紀仕事をさせていただいた。和田アキ子さんに出演してもらい、長い間この会社のCMを作らせていただいた。香山美子さんにも出てもらった。そして今、桃井かおりさんに出演してもらっている。ロスアンジェルスに住んでいる桃井かおりさんに連絡を取り出演を頼んだ。まずその会社の製品を使っていただいた。「この商品は最高よ。私、日本に行って何でもやるわよ」とおっしゃってくれて、福島県白河の広大な敷地の中にある工場内や、ホテルを借りて撮影した。監督、撮影、編集は天才「中野裕之」さんにお願いした。この会社の最初のCMは、大巨匠であり、業界のレジェンド「原田徹」監督にお願いし、海外の賞を受賞し創業者によろこんでいただいた。私にとって「神」のような存在の御方が退社されて、私の心の中にポッカリどころか、ドッカリと穴が空いている。ベタベタの暑さの中でビックカメラに行った。カメラに詳しい仲間に一緒に行ってもらった。その後、和光に行った。中国の人が銀座を占拠しているほど居て、タイの人や、ベトナムの人や、台湾の人などアジア系の人々が多勢“銀座の民”となって居た。現在G20が大阪で開催されている。銀座にもその影響か、警備のために動員された警察官が多く居た。今日6月28日より、映画「新聞記者」が上映される。現在の日本では難しいと言われた社会派の映画である。日本にも根性者の凄いプロデューサーが居る。それは「河村光晴」さんである。首相官邸の内部をあらゆる圧力をはねのけながら、私たちにはじめて見せてくれる。あえて参議員選挙直前を選んで上映を決めたと、ある新聞のインタビューで応えていた。主人公の女性記者は、今も官邸の代表に対して、鋭く質問をつづけている。一人でも多くの人に観てもらいたい。リベラルな議員さんたちにも観てもらいたい。賛否は人それぞれが感じればいい。この国は民主主義国家であるのだから。6月の終わりが、何かの始まりかも知れない。



2019年6月26日水曜日

「笑いたい、でも……」

「最後は笑うしかない」。確かシェイクスピアの生んだセリフだと思う。あらゆる悲劇にあった末に何ができるか、その答えである。その笑いが正常の状態か、気が狂ったうえでの笑いかは分からない。シェイクスピアの「リア王」をモデルにしたと言われている映画「乱」を黒澤明監督が手がけた。主演は仲代達矢であった。信じていた者たちに徹底的に裏切られて最後は炎上する城を出て、荒地をさまよう、まるで泣いているような、笑っているような姿で。乱れきった着衣をはだけながら。たぶん若手は信頼はしても、信用はしていないと言ったと記憶している。これはある野球の監督の言葉。投げさせても、投げさせても、コテンパンに打たれる。それでもこの監督は若い投手を重要な場面で起用し続けた。その年、名門のチームは歴史的敗北を重ね最下位となった(野球通だと、きっとその監督の名は分かるはず)。スポーツマスコミは、これでもか言うほど叩きまくった。しかしその若い投手はエースピッチャーとして成長した。打たれても、打たれても、ベンチの中で怒ることなく監督は笑っていた(そう見えた)。人に迷惑ばかりかけまくって来たが、一昨日笑ってられない言葉を知った(「現代用語の基礎知識」には2008年に載ったらしいが)。「ググれカス」という言葉だ。ガラケーを使い、自分で検索(ググる)ことをせず、人にアレを調べて、コレを調べてと頼んで手間をかけさせる。そんな現代社会では使えない者を「ググれカス」というのだと日経新聞に書いてあった。私は完全な「ググれカス」である。笑ってられない。一人では何もできない。自分が心底情けない。打たれ続けた若い投手には時間という財産と潜在的才能があったが、私にはその両方がない。いずれ荒野を一人さまようだろう。ある大学の医学部の調査によると、笑わない人の死亡率は2倍高くなると、2万人の検診データを収集し分析したことを発表していた。この頃、腹の底から笑った記憶はない。私の住む広告界という世界はインターネット広告が全盛となり、大変革の時代になっている。やがて人工知能AIが広告づくりをするだろう。それでも私は若いクリエイターが育って行けば、きっと人がヒトに伝えるいい広告が生まれると確信している。人工知能AI同士は恋愛もできず新しい生命をつくる行為もできないだろう。ザマーミロなのである。若い投手を育てた監督の笑顔を、故大宅壮一大先生は、日本人の中で笑顔がいい3人のうちの1人に挙げていた。あなたは今年になって何回腹の底から笑いましたか(?) 世界中「乱」である。(文中敬称略)


2019年6月24日月曜日

「青空と、鉛色」

これほど対照的な映画を2本続けて見たのは久々であった。週末TSUTAYAでレンタルして5本持ち帰った。1本はクリント・イーストウッド監督・主演の「運び屋」である。私が少年の頃テレビの人気ウエスタン「ローハイド」に出ていた若いカウボーイがクリント・イーストウッドだった。すでに89歳となっているが、その制作意欲はおとろえを知らない。世界の映画人が認める生けるレジェンドである。アメリカのテネシー州、広大に広がる青空、ある物を運ぶことになった。老運送屋業者はカーラジオから流れるカントリーウエスタンを口ずさむ。物語は書けないが、妻と離婚して、子どもたちとも気まずい関係になっている、男は丸くなった背中をアロハシャツでかくして、ヨレたブルージーンズでヨタヨタの足をかくす。運び屋業で稼いだ金は、朝鮮戦争の退役軍人会などに寄付をする。「100歳まで生きたいなんて、99歳の奴が言うもんさ」と言う。明日のことは明日にならなきゃ誰もわからない。ある賢人の言葉を思い出す。クリント・イーストウッド自身、何度か離婚をし、若い女性と再婚したりしてひたすら映画制作に執念を燃やす。気分は今でも、ローレン、ローレン、ローハイド! イエーイなのだ。カントリーソングはテネシーのロングハイウェイで聞くとたまらなく気分がいい。私は、ジョニー・キャッシュの大ファンだ。ロードサイドの小さなライブハウスでビーフサンドとかビーフジャーキー、スペアリブかなんかを手をベタベタさせながら食べて、冷えたビールが最高だ。バイオリン、アコーディオン、バンジョー、薄暗い中で何度か聞いたことがある。映画の結末は(?)クリント・イーストウッドに心から拍手だ。好きな映画だ。次に見たのはイギリスのとある田舎だ。正岡子規は、たしか秋雲は砂の如く、冬雲は鉛の如しと書いたと記憶しているが、まさにイギリスの空は鉛色だ。映画のカテゴリーはラブ・ストーリーだが、この映画のラブは山の中で牛を養い、羊を養い、年老いて半身不自由な父と、その母を養う一人の若い息子だ。毎日の生活は空の色のように重く、暗い。小さな町にあるBar以外若い女性はいない。牧草と堆肥とクソまみれの牛たち、羊たちと暮らす。イギリスの料理は世界的にマズイというか、種類はないのが有名だ。若い息子の趣味といえば、気に入った男とのセックスだ。男と男のセックスをこれほどリアルに描いた作品は少ない。暗い毎日にやり切れない男たちが、トイレで、トレーラーハウスで、山小屋の中で、動物のように交尾したり、セックスに慣れた女性からされるように“愛”を重ねる。1週間の約束で手伝いに雇った男もまた、これしかやることことがないように全裸のようになり、求め合う。見終わった後、映画を見たというより、イギリスの本を読んだ気分になった。この映画に似合う曲は何だろうか。題名は「ゴッズ・オウン・カントリー」である。決して変態的でなく極めて秀作であり評価を得た。シネマートの上映企画で5回限定の上映が行なわれ、すべて満席に立ち見が出て全国上映にいたった。監督の力量は並外れている。アメリカの西部の牧童たちも同様な“愛”が多いと言う。美しい絵画のような「ブロークバック・マウンテン」などは多くの賞を得た。長い時期、牛を追って男同士が長いテント生活を一緒にするからだ。6月23日、日経新聞にTHE STYLE/Fashionという特集ページがあった。今年5月世界的デザイナー、ジョルジオ・アルマーニ(84)が、12年ぶりに来日したときの記事があった。アルマーニは医学部で人体構造を学んでファッションに転じ、それまでの概念を革命的に変えた。その経験を活かして、インテリア、ホテル、レストラン、化粧品などトータルライフブランドを築きあげた。大事業家でもある。41歳でアルマーニ社を起こす。彼を支えたのが公私ともにパートナーだったセルジオ・ガレオッティ氏だった。11歳年下の彼を失ったショックは大きく、一時姿を現さなかったが、アルマーニは復活して今日まで世界に君臨している。「一つだけ願いがかなうなら不死身になりたい」と語った。メンズにしてもレディースにしても、ファッション界のパートナーは同性が多い。クリエイティブを生む“種”があるのだろう。私にはまったくソノ気がないので分からない。で、ソノ人たちに聞くと、異性は疲れを感じさせるだけで、癒してはくれないのだと。クリエイティブを追求する人間に、定年はない。孤独との旅を続けるのと同じである。(文中敬称略)



2019年6月21日金曜日

「日本と香港」

中国ではかつて宮中に男の使用人は入れなかった。そこで「宦官政治」なるものが、中国の政治史の中で重要な役割りを果たした。宦官とは男性器を取った者たちが行う政治である。手術は通常12、3歳の頃に行われる。命がけの手術である。志願者は数日前から水分を控える。同時に利尿剤を飲まされて、できるだけ排泄をすませておく。手術のときは寝台に四肢を縛りつけられ、除去される部分を紐で縛って天井に吊った滑車で引っ張って置く。痛み止めの麻薬薬を局所に塗り、下から上へ一気に切除する。鮮血がほとばしり気絶する。4、5日して栓を外したときにチョロリとでも小便があれば手術成功となり、執刀者を招いて祝宴を張る。オシッコが出なければアウト、ジ・エンドとなる。なぜこんなことをするのかといえば、卑賤な身分から出て宮中に入ることができ、あこがれの皇帝の身近で生活ができ、その力量によっては、書物も読まないで、高い地位に出世でき、高貴も得られる。宦官たちは王子のお守り役だった。それぞれいろいろのケースがあるが、この宦官が宮中を仕切り、莫大な財を生んだ。それは国を動かすほどの力を持つことになる。宮中に出入りする者は、すべての宦官の許しが必要であった。この力を元にときには政治に介入した。家の床が抜けるほどの金銀財宝を賭路で手にした。徳川幕府の頃、大奥が絶大な力を持ったが、例えていうなら宦官政治は、女性器をなくした大奥政治であり、絶大な力を持った。今、日本の政治は宦官政治そのものである。「A」という皇帝に「B」という影の皇帝がいる。そのお側役として宦官たちが、やりたい放題をする。もちろん莫大な心づけが入る。調子にのって忖度しすぎる者もいるが、やがては非情なこととなる。「C」という自称皇帝以上だと思っている者が、「みっともないことの見本市」みたいなことを日々放言してヒンシュクを買っているが、歴史の終わりの悪アガキと言える。皇帝の周辺は宦官だらけである。妖怪「D」はあらゆる術にたけ、宦官をときに叱り、ときにヨイショして自在に操っている。が、年齢というどうにもならない壁が立ちはだかる。日本国は現在4000年ほど前の中国である。昨日、知人と銀座で待ち合わせていた。少し早く着いたので博品館から4丁目まで歩いたが、ほとんどの人は中国人観光客であった。アメリカがいくら中国に挑んでも勝ち目はない。日本経済も日中貿易なくしてはジ・エンドである。人海戦術はあらゆる兵器より強い。わずか建国200年ほどのアメリカには、日本の10分の1しか歴史がない。いつまでも第7騎兵隊の気分では、4000年、5000年とも言われる宦官政治には勝てない。いつでもズルイロシアが漁夫の利を得て暗躍する。トランプはロシアのプーチンの手の上にいる。ギュッと握られたら、ブッチュッとなってしまう。政治オンチの結果はきっとつまんないギャグで終わるだろう。日本はその観客になるのだろうか(?)。後継者を自分の後にさせたいと思うのは、親の希望であるのは言うまでもない。現在はそれをすんなり許すほどあまくない。ニュースや新聞記事を見れば、それが失敗の歴史であることであることを知らせる。単なる権力の移行から、しっかり未来を見た経営手腕の歴史になっている。年功序列などと呑気に言ってはいられない。優秀な人材はすぐ他に行ってしまう。この男だけは、という人を大切に守らねばならない。昨夜会った人は、「この男だけは」になる人だと思った。実に冷静にして沈着であった。週末この国の未来を考えてみよう。香港の若者たちのエネルギーを考えてみよう。そこに希望が見える。有名な「西太后」のお気に入りの宦官「李蓮英」は、巨万の富を得て絶大な権力をもったという。日本国はこの国とどうつき合って行けばいいのだろうか。答えは香港にある。列車を待つベンチで資料の本をパラパラめくっていたら、隣の席の若い女性が、巨大なコロッケパンをガバッと食べた。コロッケの欠片がバラバラと私のズボンにかかった。本人は何も気づかず、口紅の代わりがブルドックソース(?)色になっていた。
※参考文献 文春文庫「私は見た」



2019年6月20日木曜日

「鮎と次郎長」

鮎のおいしい季節となってきた。川魚の女王とも言われる。6月解禁されると、釣り人がここぞとばかりに川に入る。時に腰まで入り、急流となると命がけである。鮎は稚魚のころは雑食だが、大きくなると岩肌についたコケを主食にするベジタリオンとなる。キュウリやスイカのような香りがするので「香魚」と言われる。養殖ものはゴツイ顔をしており歯も鋭い。天然ものはすっきりとしていて顔もやさしい。はらわたを抜かず、口の中から尾の部分まで竹の串を通し、たっぷりと岩塩などをかけて焼く。美食家で有名な北大路魯山人などは、釣った鮎をすぐに届けさせてそのままがぶりとやったとか。やけどするほど熱いものに、蓼酢(たです)絞ってかけ、串を左右に持って横腹にかぶりつく。鮎といえば浪曲で有名な「広沢虎造」の「森の石松」を思い出す。“流れも清き大田川 若鮎おどるころとなる……”。こんな一節がある。で、森の石松となればやはり「清水次郎長」だ。この次郎長と清水港であったのが、「杉野はいずこ」で有名な広瀬武夫だ。軍神にまつりあげられたこの広瀬から次郎長にまだ会ってないのか、バカ者すぐに会えと言ったとか。その人は後の子爵、海軍中将「小笠原長生(ながなり)」であった。次郎長はかの山岡鉄舟先生(後の明治天皇の先生)もゾッコンに惚れ込んだ男だ。そして小笠原が会った清水次郎長は容貌魁偉な大親分だった。ドスンドスンとやって来て、「やあ、おいでなさい」と言って現れた。そのとき、次郎長は71歳であった。田舎めいた着物に三尺帯を締めていた。賭場では何が起きるかわからないので、いつも短刀を懐に入れておいたので、腹にたくさんの刺し傷があった。私は善人と戦ったことはない。相手がヤクザ者でなければ逃げたもんだよと言った。だから今でも目覚めの悪いことはないんだと言った。小笠原先生と人物語りとなり次郎長は誰がいちばんの男だと聞くと、そりゃ「新門辰五郎」さと言った。あれほどの男はいない。江戸の町火消し親分である。それといちばん偉いと思った人は、山岡鉄舟先生だ(無刀流の達人)。「勝海舟」「高橋泥舟」「山岡鉄舟」、この3人を維新の三舟と言う。江戸無血開城のために命をかけた。俺は鉄舟先生から「度胸免状」をもらっているんだと、あざやかな筆使いで書かれた「精神満腹」と書かれた額を外して持って来た。次郎長親分は外に出るときは、財布の中にいろいろな金を入れ、道で会った困った人たちに配って回ったという。こんなヤクザ者でないようになってしまった親分を、でやんでえ、オラッチたちはどこまで行っても渡世人、賭場こそ命だ。堅気ぶって行く次郎長をよく思わない子分がいた。「小政」である。この小政を作家「諸田玲子」が「空っ風」という本に書いてある。この本は滅法おもしろいので、おススメしたい。かつては人物と人物が会って、お互いの値打ちを確かめあった。また評判の人物がいれば会いに行ったものだ。昨日の党首会談を見て、この国はもう駄目だと思った。人物がいないのだ。若い人がもっともっと出てこれる環境をつくらねばならない。日本国政党史上、もっとも人物のいない内閣ではないだろうか。麻生太郎という人間の辞書には、「恥」という言葉がないのだろうか。親分がその失敗をみんな子分に背をわせるのが、麻生太郎である。チンピラといわれるゆえんである。「時の氏神」という言葉がある。喧嘩の仲裁をかって出た男である。ある人がイランに仲裁人として行って、まるで相手にされなかった。侠の世界では氏神になれなかったときに、その責任をとって指を詰めて、相手の顔を立てた。さすがに堅気の世界ではこんなことはしないだろうが、仲裁人というのは実に重い役目なのだ。週末、鮎を食しに行こうと思っている。ここ一両日はどういうわけか立っているのもつらい日であった。期待の新人が立派な会社に就職が決まった。大きく育ってくれたら、この上なくうれしい。ガンバレ! 会社は人を育てるためにある。若鮎が川に放たれる。いざ、泳げよ。上流を目指して。(文中敬称略)




2019年6月19日水曜日

現在、取材中および友人と会談があるため休筆します。すみません。


2019年6月17日月曜日

「暴言と、暴行」

人間はたった一言、一つの誤解で仲違い(なかたがい)をする。モンゴルのことわざにこんな言葉がある。「逃げた馬は捕まえられるが、口から発せられた言葉は捕まえられない」。ガキの頃、“バーカ、バーカ、チンドン屋、オマエのカーサン、デベソ”などと言っては殴り、殴られをした。人間は一家一族の悪口や、人種的差別用語や、身体的なことに対して、侮辱的な言葉を言われたら、ヘラヘラと笑ってはいられない。私はどれだけ暴言、放言、失言、苦言を言ってきたか分からない。きっといずれ落ちる地獄のエンマ大王に舌を切り落とされるだろう。たった一言で長い友情は断ち切られ、親子の関係も断ち切られ、祖父や祖母と孫の関係も断ち切られる。しまいには流血、殺人となる。いわんや親類縁者、会社の上司や同僚、金の貸し借りをした先輩、後輩も、たったその一言で絶縁したり、絶交をする。聖書にあるはじめに「言葉あった」というのは、人間同士が言葉によって支配され、言葉によって救われるということかも知れない。週末5本の映画を見た。奥歯がズキンズキンしていたが、ロキソニンをボリボリかじって水で流し込んだ。「判決・ふたつの希望」。レバノン映画であった。とてもいい映画で主演の役者は、2017年のベネチア国際映画祭のコンペティション部門でプレミア上映され、男優賞を獲得した。アメリカ映画「華氏119」、ルーマニア映画「特捜部Qカルテ番号64」、スウェーデン映画「ドラゴン・タトゥーの女 第3作目」、韓国映画の「代立軍」である。この中でレバノン映画の「判決・ふたつの希望」が実に良かった。レバノンの住宅街、安いアパートメントの2階に住む46歳のレバノン人の男と、身重の妻、1階で自動車の整備工場を営んでいる。そこにそのアパートメントが違法建築なので、修繕しにパレスチナ人の現場監督が何人か連れて来る。そのときレバノン人はベランダにある植物にホースで水をまいていた。その水が下で働くパレスチナ人にかかってしまう。そのとき老パレスチナ人現場監督が一言、暴言を発する。ドリルでガリガリと壁に穴を開け始め、そこに排水管を入れていると、レバノン人の男が、ハンマーでその排水管を壊してしまう。そして一言、暴言を発する。老パレスチナ人はその言葉に怒り、レバノン人の肋骨を2本折ってしまう。もともとの原因は、水がかかったときに老パレスチナ人が発した言葉に対して、レバノン人が謝罪しろと言ったのに、謝罪をしなかったことが原因であった。レバノン人は老パレスチナ人を訴え裁判となる。このことがネット上で拡散して、大きな問題となる。そこにはレバノンに移民して来たパレスチナ難民たちとの根深い民族問題があったからだ。事は重大関心毎となり、民族の争いとなる。シナリオが抜群によくできていて、レバノン映画恐るべしと感じた。「ただ謝罪をしてくれればよかったんだ」という男と、その一言は暴行せずにはいられなかったという男の内面を静かに描く。3人の裁判官、主判事は女性。「暴言」と「暴行」は、いかなる判決になるか。それが女性判事によって実にすばらしい裁きとなる。過日、ある記事を読んでいたら、定年後ずっと家にいる夫と、ずっとその夫を見ている妻との、言葉の言い争いのはじまりの一言が書かれていた。(1)脱いだ靴を揃えてよ。(1)トイレットペーパーの紙を取り変えろよ。(1)お風呂を使ったあとが汚いぞ。(1)枕が臭い。布団が臭い。なんだか臭い。そして決定的な一言が、「オマエ、ババアになったな」「アナタ、スッカリジジイになったわね」。こうなるともう“綾小路きみまろ”みたいな話だが、案外数多く起きている殺人事件の原因は、たった一言にあるのかも知れない。私の家はほぼ会話をしないので、喧嘩にならない。要件があればメモパッドに書いて置いておけば通じる。何人かの人と言葉一つのやりとりで、別れ別れになってしまったが、これも人生だ。レバノン映画に改めて言葉の恐さを知った。「この頃は、皆怒りっぽくなっているからな」。仲裁に入った請負会社の社長の言葉が、現代社会を現わしていた。世界中がカルシウム不足なのだろう。昨夜はヒジキ、コウナゴ、シラスおろし、カツオ節など鉄分とカルシウムを多く食した。新サンマは細々として脂気がまったくなく、マイワシをショーガで煮て食した。これは旨かった。夫婦喧嘩をしないコツは会話をしないこと。古人の教えである。売り言葉は、買い言葉になるからだろう。