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2019年6月21日金曜日

「日本と香港」

中国ではかつて宮中に男の使用人は入れなかった。そこで「宦官政治」なるものが、中国の政治史の中で重要な役割りを果たした。宦官とは男性器を取った者たちが行う政治である。手術は通常12、3歳の頃に行われる。命がけの手術である。志願者は数日前から水分を控える。同時に利尿剤を飲まされて、できるだけ排泄をすませておく。手術のときは寝台に四肢を縛りつけられ、除去される部分を紐で縛って天井に吊った滑車で引っ張って置く。痛み止めの麻薬薬を局所に塗り、下から上へ一気に切除する。鮮血がほとばしり気絶する。4、5日して栓を外したときにチョロリとでも小便があれば手術成功となり、執刀者を招いて祝宴を張る。オシッコが出なければアウト、ジ・エンドとなる。なぜこんなことをするのかといえば、卑賤な身分から出て宮中に入ることができ、あこがれの皇帝の身近で生活ができ、その力量によっては、書物も読まないで、高い地位に出世でき、高貴も得られる。宦官たちは王子のお守り役だった。それぞれいろいろのケースがあるが、この宦官が宮中を仕切り、莫大な財を生んだ。それは国を動かすほどの力を持つことになる。宮中に出入りする者は、すべての宦官の許しが必要であった。この力を元にときには政治に介入した。家の床が抜けるほどの金銀財宝を賭路で手にした。徳川幕府の頃、大奥が絶大な力を持ったが、例えていうなら宦官政治は、女性器をなくした大奥政治であり、絶大な力を持った。今、日本の政治は宦官政治そのものである。「A」という皇帝に「B」という影の皇帝がいる。そのお側役として宦官たちが、やりたい放題をする。もちろん莫大な心づけが入る。調子にのって忖度しすぎる者もいるが、やがては非情なこととなる。「C」という自称皇帝以上だと思っている者が、「みっともないことの見本市」みたいなことを日々放言してヒンシュクを買っているが、歴史の終わりの悪アガキと言える。皇帝の周辺は宦官だらけである。妖怪「D」はあらゆる術にたけ、宦官をときに叱り、ときにヨイショして自在に操っている。が、年齢というどうにもならない壁が立ちはだかる。日本国は現在4000年ほど前の中国である。昨日、知人と銀座で待ち合わせていた。少し早く着いたので博品館から4丁目まで歩いたが、ほとんどの人は中国人観光客であった。アメリカがいくら中国に挑んでも勝ち目はない。日本経済も日中貿易なくしてはジ・エンドである。人海戦術はあらゆる兵器より強い。わずか建国200年ほどのアメリカには、日本の10分の1しか歴史がない。いつまでも第7騎兵隊の気分では、4000年、5000年とも言われる宦官政治には勝てない。いつでもズルイロシアが漁夫の利を得て暗躍する。トランプはロシアのプーチンの手の上にいる。ギュッと握られたら、ブッチュッとなってしまう。政治オンチの結果はきっとつまんないギャグで終わるだろう。日本はその観客になるのだろうか(?)。後継者を自分の後にさせたいと思うのは、親の希望であるのは言うまでもない。現在はそれをすんなり許すほどあまくない。ニュースや新聞記事を見れば、それが失敗の歴史であることであることを知らせる。単なる権力の移行から、しっかり未来を見た経営手腕の歴史になっている。年功序列などと呑気に言ってはいられない。優秀な人材はすぐ他に行ってしまう。この男だけは、という人を大切に守らねばならない。昨夜会った人は、「この男だけは」になる人だと思った。実に冷静にして沈着であった。週末この国の未来を考えてみよう。香港の若者たちのエネルギーを考えてみよう。そこに希望が見える。有名な「西太后」のお気に入りの宦官「李蓮英」は、巨万の富を得て絶大な権力をもったという。日本国はこの国とどうつき合って行けばいいのだろうか。答えは香港にある。列車を待つベンチで資料の本をパラパラめくっていたら、隣の席の若い女性が、巨大なコロッケパンをガバッと食べた。コロッケの欠片がバラバラと私のズボンにかかった。本人は何も気づかず、口紅の代わりがブルドックソース(?)色になっていた。
※参考文献 文春文庫「私は見た」



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