ページ

2019年6月26日水曜日

「笑いたい、でも……」

「最後は笑うしかない」。確かシェイクスピアの生んだセリフだと思う。あらゆる悲劇にあった末に何ができるか、その答えである。その笑いが正常の状態か、気が狂ったうえでの笑いかは分からない。シェイクスピアの「リア王」をモデルにしたと言われている映画「乱」を黒澤明監督が手がけた。主演は仲代達矢であった。信じていた者たちに徹底的に裏切られて最後は炎上する城を出て、荒地をさまよう、まるで泣いているような、笑っているような姿で。乱れきった着衣をはだけながら。たぶん若手は信頼はしても、信用はしていないと言ったと記憶している。これはある野球の監督の言葉。投げさせても、投げさせても、コテンパンに打たれる。それでもこの監督は若い投手を重要な場面で起用し続けた。その年、名門のチームは歴史的敗北を重ね最下位となった(野球通だと、きっとその監督の名は分かるはず)。スポーツマスコミは、これでもか言うほど叩きまくった。しかしその若い投手はエースピッチャーとして成長した。打たれても、打たれても、ベンチの中で怒ることなく監督は笑っていた(そう見えた)。人に迷惑ばかりかけまくって来たが、一昨日笑ってられない言葉を知った(「現代用語の基礎知識」には2008年に載ったらしいが)。「ググれカス」という言葉だ。ガラケーを使い、自分で検索(ググる)ことをせず、人にアレを調べて、コレを調べてと頼んで手間をかけさせる。そんな現代社会では使えない者を「ググれカス」というのだと日経新聞に書いてあった。私は完全な「ググれカス」である。笑ってられない。一人では何もできない。自分が心底情けない。打たれ続けた若い投手には時間という財産と潜在的才能があったが、私にはその両方がない。いずれ荒野を一人さまようだろう。ある大学の医学部の調査によると、笑わない人の死亡率は2倍高くなると、2万人の検診データを収集し分析したことを発表していた。この頃、腹の底から笑った記憶はない。私の住む広告界という世界はインターネット広告が全盛となり、大変革の時代になっている。やがて人工知能AIが広告づくりをするだろう。それでも私は若いクリエイターが育って行けば、きっと人がヒトに伝えるいい広告が生まれると確信している。人工知能AI同士は恋愛もできず新しい生命をつくる行為もできないだろう。ザマーミロなのである。若い投手を育てた監督の笑顔を、故大宅壮一大先生は、日本人の中で笑顔がいい3人のうちの1人に挙げていた。あなたは今年になって何回腹の底から笑いましたか(?) 世界中「乱」である。(文中敬称略)


0 件のコメント: