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2019年6月12日水曜日

「カラシの思い出」

大学時代に哲学を学んでいたが、哲学じゃ食べていけないので、コンピュータのプログラマーになった男がいる。「何か人生の教えになる言葉をいくつか教えてよ」と一杯飲みながら頼んだ。「う〜ん、もう憶えていないがこの言葉は好きだった。『太陽は日々新しい』。これは古代ギリシャの哲学者(ヘラクレイトス)の言葉だ」と言った。一度や二度の失敗でクヨクヨすることはない。「失敗しない人は、常に何ごともなし得ない」これは(エドワード・ジョン・フェルプス)の言葉。「間違いと失敗は、我々が前進するための訓練である」。これは(ウィリアム・チャニング)の言葉だと。みんな知らないけどいいことを学んだじゃん、じゃ、何で哲学で食べていけなかったの?と聞けば、「ほとんど無理」と言って、おでんにたっぷりとカラシを付けすぎて目から涙を流した。昔、銀座に屋台のおでん屋があってよく立ち寄った。4丁目の側であり、かなり遠くから屋台を引いて来ていた。そのオヤジが「ヒマなおでん屋のカラシは、強烈ですよ」と言った。お客が来ないあいだカラシを割り箸でかき混ぜるほど、カラシは強さを増すのだと。一度、その屋台で試してグルグルかき回して、連れのヒトに渡したら、それをコンニャクに付けてモロに鼻にツーンと来て、涙を流した。着物を着た女性であった。屋台で泣く銀座の女性は絵になった。深夜1時半頃だった。男が私に「何か教訓みたいなこと、支えにしている言葉はあるんですか?」と言った。学のない私には学びがないが、記憶は定かでないが、「失敗には達人というものがない。人は誰でも失敗の前では凡人だ」。私はずっと失敗に挑戦して、誰もやらない方向へ向かったと。もう一つ、これは勝海舟の言葉だが、「人の人生には何をやってもうまくいかないことがある。そんなときは何もやらないのが一番いい。ところが小心者に限って何かをやらかして失敗する」。我々の世界は絶えず競合プレゼンをして勝たねば食べていけない。一つの仕事をとるために精鋭を揃えて何社もが頭をヒネリ、あらゆる手段を使う。丁度動物のトラやライオンが獲物を襲うように鋭く全力で、プレゼンをとりに来る。そんなとき、私はいつも「これはきっと大失敗を超えれば大成功するな」と、自分の五感を信じて失敗に向かった。相手がいろんな手を使ってくるから、勝海舟の言う小心者になって何もやらないということを、誰もやらないに置き換えて、無学を武器にした。学のある人は学を信じることで固まっているからだ。家に帰るとおでんであった。カラシがチューブに入っていた。仕方ねえ、おでんの気分にならないが、ブチューと出して白滝(シラタキ)に、それを注入した。チューブのカラシは、白滝の一本一本のあいだにへばり付いた。それをトコロテンかソーメンのようにすすると、鼻にツーンと強烈に来た。目から涙が出て、泣きが入った。前にもこんな大失敗をした。妙にヒマな屋台のおでん屋がなつかしくなった。人生とはおでんとカラシみたいなもんだ。ずっと昔、青山学院大学のハシッコに深夜までやっているおでんの屋台があり、何故かお客さんの名刺がビッシリと貼ってあった。青学会館への入り口のところ、青山通りで人気があった。すっかり屋台がなくなった。風情もなくなり、はじめて出会った人たちとの会話もなくなった。つまんない街に東京はなって来た。チャイナ&アジアンタウンだ。おいしさが目にツーン。こんな気分を屋台で味わいたい。


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