私は「募集」である。1979年、アメリカ映画の名作「クレイマー、クレイマー」はロバート・ベントンが監督、第52回アカデミー賞で作品賞/監督賞/脚色賞をはじめ主演男優賞と助演女優賞も受賞した。主役ダスティン・ホフマンが勤務先の上司からランチを誘われる。広告代理店のクリエイターだった主人公は、上司から君はあの仕事から外れてくれと言われる。アメリカでは上司からランチに誘われるのは、辞めてくれということであった。主人公は個室女性秘書付であった。ランチ代は自分で払うと言って席を立つ。日本語的に言えば、バカヤロー、テメエに昼メシ代なんか払ってもらえるか、こんな会社こっちからやめてやる! こんなかんじだろうか。日本では昼飯を一緒にと誘うのは、より親しく、もっと親しく、ずっと親しくの思いが込められている。映画の主人公は妻と離婚へと進んでいた。妻は子どもと夫を置いて出て行った。もう一人の主人公妻を演じるのは、メリル・ストリープだ。職を探す夫は広告業界専門の募集誌を見て面接に行く。いろんな職業別に募集誌がある。夫はある会社で面接を受ける。自分の制作した作品を見せて、ここは私がレイアウトをやった。これのここは私の書いた言葉(コピーライター)だ。面接に行った会社ではパーティをやっていた。夫は長い間パーティ会場の隅の椅子に座って待たされた。給料はいままでの半分、個室なし、女性秘書なしであった。それでも生活費を稼がなければならない。ある日子どもを自分の仕事場に連れて来て、ここがパパの仕事場だと見せる。6、7才の男の子は目を輝かす。結婚大好きのアメリカは、離婚も大好きな国である。クレイマー、クレイマーとは、文句の多い妻、不満の多い妻とでも言うのだろうか。プータレル妻に夫は勝てない。一生懸命働いていたら家庭をかえりみないとされた。募集という切実さを初めて知った映画がこの作品だった。現在の日本国は募集広告大国である。ありとあらゆる媒体で人材募集の広告をしている。竹中平蔵という学者が日本をアメリカ的にしようと動く、売国的学者が理論的なことには興味のない小泉純一郎(当時の総理大臣)を籠絡した。その後も一貫してアメリカ的雇用制度を推進させている。会社は社員を話し合いもなく、いつでも辞めさせられる。能力給で成果主義。つまりはフツーの人間はいらないということだ。日本はお殿様の時代からフツーの人間を大切にして来た。いわゆる中間層だ。今これがブッ壊されて格差社会を生んだ。アメリカと同じになったのだ。その元凶が竹中平蔵という学者である。自分はしっかり人材派遣会社の会長でもある。最も今の総理大臣は、“募ってはいたが、募集はしていない”という。なんたることか、珍問答となっている。人材派遣の会社の手数料はベラボーに高い。私募集がいる会社などでは、とても払うことができない。例え入社してもすぐ辞められたら、ふざけんなの条件だ。その昔、ヒト入れ稼業は堅気の仕事ではなかった。私募集はイロイロ相談を受けているが、こちらもイロイロ相談をしたいのだよ。辞職願い代行業というのが出て来た。自分で辞めますと言えない(あるいは面倒)なので金を払って会社辞めますと代行してもらうのである。それもこれも憎っく気は竹中平蔵である。日本には長い間培った、日本流の良さがあるのだ。みんなで支え合い、励まし合い、助け合う。フツーの社会に誰かしてとお願いしたい。私募集はこの次の総理大臣を募っています、じゃなくて募集してます。
(文中敬称略)