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2021年1月21日木曜日

つれづれ雑草「豚テキ」

深夜に見る「深夜食堂シリーズ」は格別にいい。小林薫さんが営む新宿裏街の小さな食堂だ。午前十二時から朝七時頃までが営業時間だ。Uの字形の店内には九人位が入れる。メンバーは基本的に“豚汁定食”(六百円)だけだが、お客さんの注文に応えられるメニューは作る。本日午前十二時四十五分早朝からずっと長い原稿を書き続けていたので、ひと休みするためにNetflixで深夜食堂を見た。(昼にカチコチになった首と肩と腰に、平塚の達人に来てもらって、鍼り治療を受けた。)メニューは「タンメン」だった。女性のタクシードライバーが来て、いつものタンメン、メン抜きと頼んだ。男女一組がいた。女性はえっタンメンのメン抜きとおどろいた。男はタンメンを肥満を気にしながらも食べていた。タンメンのメン抜きならば“野菜スープ”だからだ。私はチャーハンを家で食べる時でも、丸い山盛りでないと食べない。ピラフというのがあるが、なんだかバラバラしていて食べない。チャーハンをスプーンで食べると美味しくない。やっぱりレンゲでないとダメだ。逆にピラフをレンゲで食べると、食べにくくてダメだ。火曜日八時十五分頃に、お世話になっている代理店の人と、会社の仕事でお世話になっている友人と三人で、長い長い打ち合わせで腹が減った。で、食事をしようとなった。寒いからちゃんこ鍋でもと会社の前の「鮒忠」を見ると看板が出てない。それじゃパスタでもとすぐそばのイタリアンに行くともう閉店とか。そんじゃ「だるま亭」で中華でもと言ったら、店閉じまいしちゃったと。昭和通りに出て、オッ、ハンバーグ店がやっているとよろこんで行くと、テイクアウトだけです。な、なんだょ「長寿庵」も「菊鳳」も、「寿し辰」も八時で終りだ。こうなると「なか卯」しかないねと店内を見ると誰もいない。大きな紙にテイクアウトのみとあった。日本人は実にちゃんとルールを守るのだ。寒い、仕方ない家で食べましょとオツカレさん、サヨウナラとなった。オッ、立食いソバ店の灯りが見える。「吉べえ」だ。近づいて見ると、立て看板が店内に斜めに置いてあった。つまり終っていた。その夜遅く家に帰り、アジフライを食べた。キスは天ぷらは美味しいけど、キスフライはないなとつぶやく。こんな遅くにフライなんていいのと愚妻は言ったが、空腹はフライを好むのだ。深夜食堂次のメニューは、魚肉ソーセージのアメリカンドックだった。今は拘置所暮らしだが、私の好きな役者“新井浩文”が出演していた。安藤サクラさんと共演した映画「100円の恋」は良かった。新井浩文はボクサー役でコンビニに行って一本100円のバナナをよく買う。そこの店員役が安藤サクラさんで、ボクサーに恋心を持つ。肥満で食っちゃ寝生活だったが、トレーニングらしきものを始めるのだ。恋はダイエットにもなる。本当の恋をすると、食欲なんかはどこかへ行ってしまう。新井浩文はいつ出所するのだろうか。アメリカではD・トランプがホワイトハウスを出所した。ジェントルマンシップのない、ギャンブラーは大統領の就任式に出席しないで、ヘリコプターに乗って出て行った。この男は罪人的なので、出所という言葉が似合う。今年になって会った人々に、菅内閣を支持する人はいない。高(三)の孫に、友だちたちはと聞いたら、“ガースー”は終っているでしょと言った。つまり支持率0%だ。おそらく永田町湖の水面下ではアヒルの足の如くだろう。所信表明演説は腹から声が出ていない。きっと半ウツ状態だと思う。経験者の私にはよく分かる。それに目が浮いで死んでいる。まるで鯵(アジ)の目だ。午前二時からCNNニュースで、J・バイデンの演説を見るのだ。D・トランプの支持者たちを見ていると、名作「イージー・ライダー」のラストを思い出す。アメリカファーストの保守的人間は、自由に生きる若者たちを、何のためらいもなく散弾銃で殺す。ニューオリンズに行った時、スーパー一店位の大きさのGunShopがあった。38口径スミス&ウェッソンを買いたかったが、日本人は持ち帰れないよと言われた。(トーゼンです)あの時持ち帰っていたら、きっと自分の頭を撃ち抜いて、今はないだろう。どっちが良かったかは分からない。深夜食堂三話目は“豚テキ”だった。私はビフテキより、断然豚テキが好きなのだ。(ポークステーキともいう)

2021年1月16日土曜日

つれづれ雑草「しあわせってなんだっけ」

午前二時十分から、いつも脳内がOh! NOと停止した時、見る映画を見始めた。トコロテンを押し出すように、アイデアを出していた。もう何度も見ている作品だ。「ALWAYS 三丁目の夕日」だ。「男はつらいよ」とこの作品には、悪い人、いわゆる悪人は出てこない。みんないい人なのだ。私たちは今コロナ禍の中で、文明の進化によって得た物質文明が、実は大きなものをすべて失う文明であったことを知る。得たものが大きいほど、失うものも大きい。私の愛する東海道線には週に二、三回乗る。食べていくためには働かなければならない。受けた仕事は期待以上にプロとして応えねばならない。人間観察をしていた東海道線の列車内は、すっかりつまらない。みんなマスク、マスクだから、缶チューハイを飲む人も、第三のビール缶を飲む人も、ハイボールロング缶を飲む人もいない。柿ピーやサキイカ、ホタテのくんせい、タコ焼きやヤキトリを食べる人もいない。日本人はルールを守る国民なのだ。咳ばらいを二度位すると、思わずまわりの人たちを気にする。マスク大嫌いな私も出かけに愚妻から、マスクを渡されちゃんとしてよと言われる。常識よ、ルールよ、ウルサイナ、ワカッテルよと言って家を出る。で、「ALWAYS 三丁目の夕日」だが、東京タワーがつくられている時代、マスクをしている人は一人もいない。車は少なく二酸化炭素も少ない。ウイルスもいない。大声で笑い、大声で泣き、大声で叫び、大声で飲み合う。はじめてモノクロテレビが入ると、その家にご近所みんなが集まり、力道山の空手チョップに大拍手する。裸電球、ちゃぶ台、氷の冷蔵庫、扇風機がのんびり回っている。夏はランニングシャツでOKだ。集団就職で出て来た娘は、シュークリームが古くなっていても食べてしまう。私がガキの頃テレビがある家は、ごくわずかであった。プロレスを見せてもらうために、見せてください、おねがいしますと言ってその家に行った。大人から子どもまでご近所のテレビ無し家族が、その家に集まった。大人たちはお世辞を言った。お金持ちはウラヤマシイですよ、なんて。プロレスは日本テレビ、提供は三菱電機であり、試合前は、リングの上を掃除機でキレイにした。そして大歓声の中力道山が黒いタイツ姿で現われる。何故か61分一本勝負だった。1分の意味は大人になるまで分からなかった。その頃、マスクマンと言えばコロナではなく、悪役ミスターXだった。顔をかくして目と口だけが出ているのだ。“ザ・デストロイヤー”という“四の字固め”のマスクマンがその後出現する。銭湯に行って電気屋さんの前に行くと、プロレス中継を見る人でいっぱいだった。意地悪なババアが白いカーテンを閉めて見えなくした。ナショナルの店でそれ以来ナショナルは嫌いになった。松下電器という看板が今でも目に浮かぶ。♪~「しあわせってなんだっけ」明石家さんまさんがCMソングを歌ったのが確かあった。何のCMかが思い出せないのだが、「ALWAYS 三丁目の夕日」を見るたびに、「しあわせってなんだっけ」と思う。何も無い時代には、いろんなものがあった。人情があふれるほどあった。人の親切がつながるようにあった。サンタクロースがいると信じる子どもたちがいた。今日はコロッケよとお母さんが言うと、ヤッタァーと喜ぶ子どもがいた。はじめてコカコーラを飲む人に、なんだそのしょうゆみたいのはと言った。アメリカ文化が音をたてて入って来た。日本人の思想を破壊せよ、アメリカ文化は進駐軍と共に、確実に日本人から奪うべきものを、奪って行った。「ALWAYS 三丁目の夕日」は一人の男のロマンから生まれた名作だ。その男は大手広告代理店のすばらしいクリエイターだった。嫌いな奴の下で働きたくないと言った。決然と会社をやめて映画界に入った。鉄道大好きであった。大ヒット作を多く手がけ、立ち上げた会社は世界的に有名となり、でっかくなった。男は映画界のレジェンドとなった。多くの人材を世に出し、アカデミー賞も受賞した。私は大尊敬している。今では遠い遠い存在となっている。コロナで“すごもり”している人に、今ぜひおススメだ。何度見てもいい作品だ。特に第一作目がいい。人間は本当はみんないい人なんだ。さて、「しあわせってなんだっけ」。



2021年1月9日土曜日

つれづれ雑草「演歌の夜」

寒い、やけに寒い。寒椿の赤いつぼみがポツポツと見える。秋田に義姉家族がいるので大雪の凄さを見るにつけ自然の恐ろしさ知る。正月が明けるも冨士山の雪は極めて少ない。ある地質学者によると、地下のマグマが熱気盛んとなり、 休火山である冨士山を活火山にしはじめ雪を溶かしているのでは(?) これは大地震の前触れかもと言う。不気味な黒冨士を寒風の中で見ていると、実にくだらない言葉ばかりが浮かんだ。ある世界ではもう駄目だパンクだを、もう“クンパ”だとか、どうにも苦しいを、“シークル”だ。一銭も無い状態をもう“ハイナシ”だよとか言う。又、持ち金がないことを“ハコテン”(麻雀などで負けが込む)だと言う。コロナ、コロナで、一部の金持ち(不労所得で儲ける富裕層という悪徳者たち)以外は、皆、クンパ、シークル、ハイナシ、ハコテン状態となっている。国難ともいえる国家最大のコロナ危機に対応しているのが、役不足の見本のような軽量大臣たち。そのボスである総理大臣が、史上最も役不足とも言える暗い人。「政治とは言葉だ」とも言われるが、悲しいかな自分の言葉がハイナシだ。裏舞台を仕切っていた番頭が、表舞台、大店の主にはなれない。コインの裏はずっと裏であってこそ役を演じる。ボスのボスは更に裏舞台を仕切っていた。稼業人だ。ローマ帝国を仕切っていたのは元老院で、あのシーザー(カリサス)でさえ元老院にオプソ(終り)にされた。英国王政のドロドロの人間劇を知っているシェークスピアは、それを劇にした。今のすべては次の悲劇への“序章”であると。私の尊敬するクリエーターが、一月六日、七日、朝日新聞に見開き30段で四本の新聞広告を発した。ある出版社の広告だ。毎年話題作を出し多くの賞を得るが、今年の作品もやはりすばらしかった。おそらくこれを超える作品は今年中は出ないと思う。私は負けられないぞと思った。その中に「暴力は失敗する」というキャッチフレーズの作品があった。又、「君たちは腹が立たないのか」というのもあった。この作品と時を同じくして、アメリカの議事堂にトランプ支持者が、殴り込んで、民主主義の国(?) アメリカの民主主義を破壊した。政治経験のない博打屋トランプを大統領にした、アメリカの無惨な姿であった。「空樽の音は大きい」と言う。(私も空樽だ)トランプのハッタリも、何んとか大統領恩赦を勝ち取りたいの一心であったはずだ。身内、側近から見放され一気にトーンダウンして、従順にルールに従う罪人となった。いずれ多くの疑惑で公聴会に引っぱり出されるだろう。トランプはクンパ、ハコテン、シークルとなった。暴力を扇動したが、暴力は失敗した。我が国のボスを選んだボスもマサカこれほどの能力しかなかったのかと、キャスティングミスに気づいた。四月二十五日の補欠選挙で二つ負けたら、元老院は次のボスを決めて行くだろう。我々下々はコロナ、コロナの中でシタタカに生き残る知恵と勇気を出して、戦い続けねばならない。あるドキュメンタリーを見ていた。新橋で流しの歌手をしている人だが、二十代の初めに北国から出て来て五十余年ギターを片手に一人駅ビルの中の店を回っては歌う。持ち歌はなんと一万曲。正に人間レコード店だ。ごひいきさんたちが、割り箸に千円、二千円、三千円とはさんで胸ポケットに差し込む。そして酒場から客が消えた後、カプセルホテルの狭いカプセルに入って眠る。「ちあきなおみ」が歌う、船村徹作曲の名曲「紅とんぼ」を思い出す。♪~ 空にしてって 酒も肴も 今日でおしまい 店仕舞 五年ありがとう 楽しかったわ いろいろお世話になりました しんみりしないでよ ケンさん 新宿駅裏“紅とんぼ” 想い出してね 時々は ~♪ 作詞は吉田旺だ。もう一曲「新宿情話」というのがこれ又名曲だ。二曲とも店を閉める歌だ。私のところに長い間通った店から、もう駄目みたい、もう終り、もう故郷にも帰れないとかの電話が入る。私は言う。諦めるな戦え、ファイトだ。そして新橋の流しの話をした。カプセルホテルに入ったって恥ずかしくはないんだ。一人ぼっちでも戦っていけば必らず人はついて来てくれるからと。深夜からずっと久々に演歌を聞いている。徳久広司「北へ帰ろう」北原ミレイ「石狩挽歌」長山洋子「じょんから女節」いい歌だ。人は何故か傷つき破れると、北へ帰る。きっと人の温度があたたかいのだ。南へ帰る歌はない。小林旭の「北帰行」を聞きながら想う。負けるな人間、負けるな北国の人たちよ。悲しいかなすでに天才「なかにし礼」の話をする人はいない。しかし名曲は永遠に歌いつがれる。人は生きていればこそなのだ。“死は一睡の夢”恐れるなかれだが、コロナは強敵だ。死ねば一日で忘れ去られる。それにしても、田崎史郎という間抜け顔の政権のポチ。(政治ジャーナリストとか)八代英輝という馬鹿者(国際弁護士とか)東国原英夫、その他多勢のコメンテーターたちの顔にうんざりする。熊谷亮丸(経済アナリスト)などという、競馬の予想屋より当らない予想をする恥知らずの厚顔人間たち、無責任な阿呆たちへ、画面から消えて、終列車に乗って国へ帰れと言いたい。午前二時、春日八郎の「赤いランプの終列車」を聞く。最後に井沢八郎の「あゝ上野駅」を聞きウルウルした。上野は心の駅だったのだ。新政権は始発してすぐに終列車のようだ。(文中敬称略)



2020年12月30日水曜日

「年の終りに」

1230日久々に400字のリングに上がる。観客はいない。朝、風があり雨が静かに降っていた。海へ行くと鉛色の重い雲が、海の上にどんよりどっさりと広がっていた。天気予報では昼からは晴れるとか。波はなく惰性のように来ては返すを繰り返す。傘は持っていない。海辺に人は誰もいない。年の終り富士山に雪は無く、ずっと黒富士だ。今年思いもよらない新型コロナというウイルスが400字のリング上に現われた。相手が見える闘いならば打つ手が探せるが、ウイルスという相手は何も見えない。人類が過度に文明を進化させていったために、地球上の自然が破壊され、地球温暖化を生み生態系が狂ってしまった。人間が食べる牛肉、豚肉、鶏肉などを生むためには水と牧草が大量に必要となり、エサを作るために、地球は破壊をつづける。弱肉強食の世界のいちばんの強者は、言うまでもなく人類、つまり人間という凶暴な生き物だ。シラスのような小魚からシロナガスクジラまですべて食べていく。かつて敗走に敗走を重ねた日本軍の軍人は、餓死から逃れるために、動く物は何でも食べ尽くした。最後に何を食べたかは想像がつくだろう。原一男監督がそれをベストワンとなった映画「ゆきゆきて、神軍」で描いた。又、結城昌治の原作による「軍旗はためく下に」もある。ぜひ正月休み中に見てほしい名作だ。私が食を得る業界は、正に不要不急の業界だから、ウイルスが放ったパンチは、まともにアゴに、レバーに、チンに、テンプルにと急所にあたった。ウィービング、ダッキング、ショルダーブロック、アームブロックでと防御するもウイルスのパンチは不気味に強い。400字のリングはすでに原稿用紙8000枚以上書いてきた。雑文の極みであった。ソロソロやめるべしと思っていたところにウイルス禍となり、サバイバルゲームとなった。原稿用紙4枚を書くのに、約2時間、ライターの方にテキスト化してもらい、それをFAXで読んで、直してもらったり、書き加えたり、削除したりする時間に一時間以上を要する。頼みの綱であるライターの方が体調不良となり、これを機にウイルスと共に休筆した。その間この国の政治リーダーは、嘘八百の人間から、ガースーなどという愚相へと変った。まい日東京都知事の顔を見て、ヘドが出る。恥を知らぬコメンテーターたちは無能をさらけ出す。それを見てバカヤローがと言っている自分にうんざりする。私は批評家でなくアイデアを具現化するのが仕事なので、それをつづけることで精神の安定を計る。おかげでいい仕事を生むことができた。アイデアが出すぎるくらいに出た一年だった。だが悲しいかな資金がないという重大なテーマがあり、具現化できないもののほうが多い。マイク・タイソンが50代を過ぎ60代に近づきながら、40キロも減量をしてエキジビションながら(2R×8回)リングに上がり、バッチバチ殴り合った。人間は闘争心を失っては美しくない。マイク・タイソンは美しかった。ボクシングはすばらしい。コロナで大不況なのに、嘘八百の片棒を担っている日銀が市場の株を買い漁り、バブル期以来の株高となっている。格差社会の異様な姿だ。(株価27568円)実体の株価は1200016000円位のはずだ。やがてドーンと落下する。日銀が正常に戻すには、100年かかると1230日の新聞に書いてあった。不条理だ! 118回も国会で嘘をつきまくった人間が不起訴となり、500万円受け取った政治家は返すつもりだったと入院した。物を盗んでパクられて、返すつもりだったと言っても、一般社会では通らない。1966年に静岡で起きた味噌商殺人事件の容疑者「袴田巌」さんは50年近く投獄され、死刑囚となり恐怖の中で無罪(確定されていない)となり釈放の身分となった。お姉さんの執念であった。検察のメンツを保つだけのために、一人の人間が犯人にさせられた、元ボクサーという差別的見解を持たれて。「阿久悠」さんと並ぶ天才が逝った。作詞家「なかにし礼」さんだ。くしくも細川たかしさんが歌った「北酒場」でレコード大賞を受賞した作曲家「中村泰士」さんも時を同じくして逝った。なかにし礼さんが書いた本の腰巻だが、宣伝用のコピーにこう書いてあった。兄貴たのむから死んでくれニシンで財を成した実家を、ニシンへの過剰投資で没落させた実兄を恨む言葉だった。人間は親を選ぶことはできない。又、兄弟姉妹も選ぶことはできない。金を追う者は、金に殺されるのが世の常だ。グチとノーガキの多い人間は、もう会社は必要としない社会となる。こんな人間に限り、実は働いていない。一日中パソコンの前にへばりついて、仕事をしていると錯覚する。プライド山という山にしがみついて、他の山を登る勇気を持たない。今年も残り一・五日となった。2021年は今年より更に、想像もつかない世となるだろう。私はマイク・タイソンのようにリングの上に立ち、誰もやらなかった作品を一つでも多くつくりたいと思っている。攻撃は最大の防御である。守りに入った人間には、つきも運も回って来ない。キャリアを十分に積んだリーダーがこの国には必要だ。総選挙が必ずある、天下は激動する。D・トランプは大統領恩赦を得るために、無惨な怯えをつづける。共和党内、身内からも見放されはじめている。一月二十日以降さまざまな公聴会に引きずり出される。敗者の美学なき者、命ごいをする者は哀れを極める。権力者に味方はいない。これが定めなのだ。検温、消毒、マスクの時代はつづく。みなさん決して諦めずに、決して油断せずに、そして闘う心を失わずに佳いお年を迎えてください。ボクシングでは100分の1秒で逆転があるのです。看護師さん、医療従事者の方々に感謝の心を。2021年、400字のリングは未定です。新年、おススメの映画を一本「花束みたいな恋をした」尊敬するリトルモアの孫家邦さんのプロデュースによる作品です。ステキな映像日記です。



2020年8月6日木曜日

第84話「私は距離」

私は「距離」である。私距離は現在ソーシャルディスタンスなどと言われている。人間とは文字通り、人と人との間である。それが今、人間間間間人位に離れないといけない。麻雀をやっている人なら、千鳥(チドリ)という用語を知っているはずだ。(千鳥格子模様から)例えば麻雀牌(パイ)を上下17づつ積む時、|中| |中| |中|と飛び飛びの間をとる。現在人間関係はこの千鳥となった。列車の中、会社の中、レストラン、飲食店、映画館など人が集まるところは座席に╳印がついている。コロナウイルス狩りなどというのが始まった。米国で吹き荒れた赤狩り(マッカーシー施風)と同じだ。コロナに感染すると魔女狩りが始まるだろうと以前書いたが、やはりその通りとなった。家のご近所とか、学校とか、飲食店でコロナ感染者が出ると、陰湿なイジメがSNSによって一斉に行なわれる。いずれ八つ墓村事件みたいな惨劇が生まれるだろう。格差社会で人と人との関係、友人と友人、親と子、夫と妻さまざまな関係が、すでに千鳥となっている。家庭内感染が増えたから、いよいよ家庭内は千鳥となる。地方では村八分などという言葉が復活しているとか。内緒の話はあのねのねと言うが、人の顔を遠くで見ている人が、本当は今晩のおかずは、コロッケと魚の煮付、ヒジキに冷奴なんて話をしているのだが、コロナ感染で疑いを持たれた人は、アノヤローたちいつか見ていろ、人の噂ばかりしくさってとなる。大阪府知事の吉村さんがイソジンみたいな、うがい消毒液がコロナ感染に効く、そんなことを記者会見で話したら、近所にあるドラッグストア 「クリエイト」から、あっという間にうがい薬は消えたとか。その内イソジンのオンザロックみたいのを飲む人間が出るだろう。犯罪史に残る無残な事件は、小さな噂話から始まっている。又は、あの家の人は感染しないのに、なんでウチの人がとの嫉妬心である。人類史上初の殺人事件という、カインとアベルも兄弟間の嫉妬みたいのから生まれた。神々の世界も又、嫉妬の世界なのだ。私距離は人と人とがどんどん離れ離れになって行くこの世を嫌う。ちなみに「千鳥格子」という名称は、その模様が飛んでいる千鳥が連なって見えるところから来ている。(英国ではツィードとも言う)さらにちなみに、麻雀のプロたちは千鳥というツメ込みで八百長をやる。私たち貧しき者は必死に働いているのに、総理大臣は十月まで長い休みをとるのだとか。指揮官のいないコロナ戦争に終わりは見えない。政権はすでに千鳥足となっている。400字のリングはしばし休筆する。


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2020年8月4日火曜日

第83話「私は逆境」

私は「逆境」である。この世に生を受け、ものごころがついた頃から、私は逆境である。それ故逆境に打ち勝った人とか、ずっと逆境にいる人に共感する。日曜日は、「泣けた泣けた、こらえ切れず泣けた」元大関照ノ富士が、平幕番付どんじりで優勝した。モンゴル出身である。入門以来強いのなんのと勝ちまくり、十両から幕内、そして三役、大関へと一気に駆け上がり、すぐにでも横綱かと言われた。怪力無双で相手力士をつり上げた。横綱白鵬の全盛期であったが、照ノ富士時代が来ることを疑わなかった。しかし大関といっても二十三歳の若者である。相撲の怖さを忘れ慢心し、増長した。そしてその慢心が相撲の神様を怒らせた。ある一番で相手力士をつり上げ、つり落としを仕掛けた。その時相手力士の体重が照ノ富士の両ヒザにのしかかった。ガクッとして、ボキッとして、グシャッとなった。力士にとって両ヒザは命に等しい。多くの有望力士が横綱を目前にしてヒザを痛め脱落して行った。又、両ヒザを痛めて大関から関脇、小結、幕内、十両、幕下、そして序二段まで番付を落として再起し、幕内優勝をした例は江戸時代からない。照ノ富士は糖尿病と肝炎にもなっていた。正に身も心もボロボロになり、力士の命である体は再起不能に近い状態だった。引退したいと親方に何度も言ったが、元横綱旭富士の伊勢ヶ濱親方夫婦や知人友人がもう一度やってみろと励ました。優勝力士インタビューで、あの頃はイケイケだった。目をうるませながら、親方やおかみさん、励ましつづけてくれた人に感謝していた。二十八歳になった元大関は新大関も破りその実力を見せつけた。私逆境は努力をしてきたことが実ったと言う姿に泣いたのだ。努力しない人間が報われることはない。悪事を働いている人間が報われるのが、世の中だがそれは違う。株への投資や相場で富を得てもそれは仮りの姿、必らず地獄が待っている。照ノ富士の両ヒザには白くて大きくてぶ厚いサポーターが巻いてある。今度つり落としをしたら、相撲の神様は許さないだろう。楽して勝とうとする力士が大成した例はない。私逆境がいつも気にしている、茅ヶ崎出身の力士、服部桜は今場所も全敗だった。入門以来2勝しかしていない。100敗より先は勘定しないことにしている。番付表のいちばん下にいる。いずれ会ってみたいと思っている、アコガレの力士だ。二日の日曜日朝八時三十分プレイボール、小(四)の孫の試合だ。野球場に愚妻と行き検温をし、消毒をし、名前、住所年令を書き球場に入った。孫ははじめてピッチャーで先発する。公式戦なので審判も三人、記録員もいる。試合時間は七十分、一回に5点入ったら相手チームと交代するルールだ。孫は私らの顔を見ると大きく手を振った。息子は助監督である。孫の先発はみんなでミーティングして決めたと言った。空は青くグリーンに囲まれたグラウンドは整備されている。プレイボールと同時に、ボールばかり、時々入るストライクをボカン、ボカンと打たれる。エラーもあり、5点が入り、そこでストップ。相手チームと攻守交代。こうしないと少年野球は終らない。一回裏一点返す。二回は少し落ちついたのかストライクが入り一点で終えた。そして三回表、又、ボール、ボールでランナーを出しつづけ、監督がピッチャー交代を告げた。孫は逆境に強い(?)ので、交代してショートに行っても元気一杯だった。とにかく野球が大好きなのだ。その夜食事を一緒にすると、あ~楽しかったと言った。試合は結局コールド敗けであった。ネット裏に来ていた知り合いの市会議員が、二回はよかった、何度か投げて行けばよくなりますよと言った。この議員は少年野球の監督をしていた。私はいつも逆境の中にいるが、少年たちの一生懸命ボールを追う姿に、何よりの勇気をもらうのだ。今、全国民がコロナ禍による大逆境の中にいる。バカヤロー負けてたまるかだ。伊勢ヶ濱親方は常日頃、歩けるうちはケガではないと言っているとか。



2020年8月3日月曜日

第82話「私は応援」

私は「応援」である。八月一日土曜日午前九時四十五分プレイボール。私応援は高(三)の孫の野球の応援席にいた。孫はあと3試合で高校野球生活を終える。日曜日と月曜日には応援に行けないので土曜日に行った。相手は三浦学園という強いチームだった。野球の試合は孫の学校の野球場であった。横須賀線保土ヶ谷駅からタクシーで1500円位の所にある。映画を見ながら朝までずっと起きていた。八時四十分お世話になっている運転手さんに来ていただいた。グラウンドに着くと、丁度両チームが気合と共にホームベースのところに行き、相方礼をして試合は始まった。先攻は孫たちであった。孫は三塁を守り打順は五番であった。前の晩に食事しに来ていて、観に来たら絶対打つよと言って帰った。一回表孫たちは0点。その裏相手に4点をとられた。孫は第一打席鋭い当たりで、三遊間を抜いてチーム初ヒット。すかさず盗塁に成功した。ウオーヤッタヤッタと拍手。私はネット裏のスタンド真ん中にいた。年配のOBがたくさん来ていた。第二打席カッキーンと、凄いライナーでショートオーバーのヒット。ウオーヤッタヤッタ。しかし、相手はよく打つその後3点、1点と追加点。第三打席は四球で出塁すかさず盗塁したがタッチアウト。8対1のまま最終回、第四打席は満塁であった。カッキーンとセンター前ヒット。ウオ~ヤッタァー、ヤッタァーと大拍手、二打点をあげた。試合は結局8対4で負けた。私は二時には家に帰らないといけないので一試合だけ観た。四打席三打数三安打一四球、二打点、チーム一の成績であった。強い陽射しを受けて顔はヒリヒリとしていた。両手は拍手のしすぎでふくれていた。一打席ごと試合には仕事で来れない息子に、ガラケーで報告した。来てよかった。サイコーだった。小学一年生からずっと野球をしていた孫は、もう野球はしないと言う。保土ヶ谷駅までタクシーに乗って横須賀線久里浜行に乗った。大船で東海道線に乗りかえる。久里浜かとホームで思った。三分間ホームで待ち時間。少年の頃大好きだった先輩の面会に行った。久里浜の特別少年院を思い出した。「特少(トクショウ)」というのは文字通り特別に選ばれた不良少年が行く。当時は初等・中等・準特少、そして特少というランクがあった。久里浜は海のそばなので水泳の教練がある。先輩は水泳が苦手であったので、水泳の教練がキツイと言った。体は小さいがその根性は、すでにヤクザの間では一目置かれていた。十九歳でヤクザの幹部を斬り殺して入っていた。同じ中学の三つ上の先輩だった。久里浜の特少と言えば、羽仁進監督の「不良少年」という映画を思い出す。上映した年キネマ旬報のベスト1位になった不朽の名作だ。久里浜の特少と同じセットを作って撮影した。同じ年黒澤明監督の「用心棒」が大ヒットしていた。映画はこんな少年の言葉から始まる。「俺は銀座を歩いたことがない。護送車の中から見ただけだ」実際の不良少年たちを起用した映画は、監督賞も受賞した。私が生涯見て来た映画のベストファイブに入る。撮影が「金宇満司」さん。後に石原プロモーションで、石原裕次郎さんの名作を撮り続けた名カメラマンである。ホームに久里浜行が入線して来た。空席に座ると隣りに黒い短パンのマスクした外人、その外人と手をつないで座っているのは、ジーンズの短パンの若い日本人女性。なんだか横須賀線ぽい気分になった。石原プロを解散というニュースを思い浮かべた。いずれこの国のリーダーになる人を、今は支えている、ヨットマンでもある名物プロデューサー。調布にあった建築の現場にあるようなプレハブの石原プロ、駐車場にはシャワー付きのロケバス、大きな炊き出し用の鍋、裕次郎さん愛用のボロボロのソファー、映画屋の城はかくあるべしという、二階建てのガタピシの石原プロモーションがイカシていたシビレるような低く太い声の渡哲也さん、ジャケットのサイズが全く私と同じだった、舘ひろしさん。映画大好きの男たちの臭いがたまらない。ずっと野球少年だった孫は、映画の専門学校に行くと決めたようだ。映画屋はいいぞと、私がいつも言っていた影響だろうか。孫の親友は寿し職人になると言う。私応援は少年たちを、応援しつづける。大人は少年を経てしかなれない。私応援は、善良なフリしているつまんない人間は応援しない。不良の方がいいのだ。


2020年7月28日火曜日

閑話休題「ご報告」

私がお世話になっている、ライターの方のおなかの“激痛”の原因が、やっと分かって来た。T病院でいろいろ検査をした。その後T病院では検査できないものがあり、S医大へ検査入院。そこでいろいろ検査をした結果、まず七転八倒の痛みの原因が、胆管の入り口近くに石があり、それが動き回ると激痛になる。つまり“ローリング・ストーンズ”なのであった。で、口から内視鏡を入れて転がる石を取り除いたとのこと。今は退院されて体力の回復を計り、来週の水曜日に再び検査をする予定との電話であった。声に張りがあり、食欲もあるとのことであった。まだ無罪放免とはならず、心配は残る。人間は2メートルを超す大男でも、おしりに画びょうが刺されば、痛え~と大声を出し飛び上がり、虫歯一本の痛みで大の男が泣きを入れる。深爪をちょいとしただけで、一日中痛さが気になる。特に私たち男は痛さには弱い。女性が絶対的に強いのは、3キロとか4キロ近い赤ん坊を、激痛に耐えて生み出す。三日四日激痛に耐える女性もいる。だから絶対に男は女性に勝つことはできない。コロナ、コロナの暗いニュースばかりだが、明るいニュースもある。小社の女性スタッフ二人が赤ちゃんを生んだ。産休に入った女性、少しづつ出社しはじめた女性、母になった女性は誇り高く見える。私の理想の会社はミルクの香りがする会社だ。いつでも乳母車やバギーに乗せて来ていいよと言っている。コロナで今はむずかしいが、いつか一緒に来てほしい。んぎゃ~、んぎゃ~という泣き声を聞きながら、仕事をしたいものだ。ライターの方は独身主義者のようだ。400字のリングは、リング上に鼻血が点々と落ちるように、しばし点々と書いて行く。人生は流転、これからどう転ぶかは分からない。私もローリング・ストーンズだ。 
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2020年7月15日水曜日

「訂正と休筆」

昨日夜帰宅すると、一枚の葉書が来ていた。400字のリング第80話「私は雲丹」について、誤り有りご指摘をいただいた。雲丹はウニで、中革のワンタンは雲呑が正しいとコロナ、コロナ、コロナで、頭の中がウニ(雲丹)みたいになっていて。すっかり雲呑を忘れていた。大変恥ずべきことであった。テキスト化してくれている方が、再び腹痛盛んになり加療が必要とのこと、でしばし休筆します。

2020年7月14日火曜日

第81話「私は淡淡」

私は「淡淡」である。アワアワではない。タンタンメンとも違う。「たんたん」である。辞書にあっさりとした様子、こだわらない様子とある。私淡淡には現在こんな日はない。世の中は、もうどうしようもないほど、混乱と騒乱を極めている。明日という字はあかるいひと書くのね、そんな歌があったが、今では次の日はあかるいと、胸ときめかすヒトビトは少ない。北の果てから南の先端まで、明日は重苦しくて、息苦しい。東京がもう一度ロックダウンしたら、我々芸を売る身はノックダウンとなる。私が欝の時、尊敬する大先輩(画家・作家・チーズ研究家)が、一枚の葉書をくれた。そこには、佐藤一斎の「言志四録」の中の一文があった。達筆である。「暗夜を憂うること勿れ、只一燈を頼め」とあった。只一燈が何かはいまだに分からない。お世話になっていた広告代理店の役員さんたちが、私の家まで押し寿司を持って来てくれた。トロイメライ(放果後に流れた曲)みたいになっていた私を見て、大丈夫、大丈夫と言って大声で笑った。その時の押し寿司は只一燈だった。又、同じ代理店の人で近所に住む二組のご夫婦が、江の島にある行きつけのお寿し屋さんの、美しい握り寿しをたくさん持って来てくれた。色彩やかな握り寿司一貫、一貫が只一燈に見えた。狭い所にもう一組お世話になっているご夫婦も来てくれた。トロイメライのような私は、スプーンが曲げられる念力がまだある、などと言って、いよいよトロイメライであった。(かつてみんなの前で二度曲げたことがある)ヨットマンのご夫婦と陶芸家のご夫婦。今は亡き佐賀出身の偉い人。その日、その時私には只一燈の方々であった。今もおつき合いをしていただいている。その恩は忘れない。私淡淡が何故このようなことを書いているかと言うと、淡淡があった日々を思い出したくて、一昨日の深夜、昨日の深夜、すでに何度か見ている世界的巨匠「小津安二郎」監督の作品を見た。「秋刀魚の味」が特によかった。小津作品はその日の気持ちで味が違う。父親がいて、(妻に先立たれた)年頃で嫁入り前の娘がいる。長男と嫁はアパート住まい(団地みたい)次男は学生で家にいる。娘が家事をしているのだが、父の友人たちは、酒を飲みながら、そろそろ嫁に出してやれよと言う。小津安二郎独特のローアングルの映像、一点透視画法の徹底的構図。その中でみなさん淡淡としている。大きな声もない。あくせくすることもない。ざわつく空気もない。淡淡を極める。人への愛情、友との友情、恩師への慕情が、淡淡、淡淡と描かれる。あ~こんな生活が、この国にはあったんだとため息をついた。だらしなくジメジメとした雨が降っていたが、私淡淡は、小津安二郎監督の作品に只一燈を見た。私淡淡はまだ、恩人たちに恩返しができていない。この国に淡淡とした日は、もう来ないのだろうか。