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2013年4月12日金曜日

「ケルベロス」


西武多摩川線


若かりし頃西武グループの隅っこにいた時がある。
西武ホールディングスが米国のハゲタカファンドに
TOB(株式公開買付け)を仕掛けられている。
この事は私にとって何も問題はないのだが、ハゲタカファンドの
サーベラス・キャピタル・マネジメント(サーベラス:地獄の番犬の意)の不採算部門の整理検討リスト項目の中に西武多摩川線があった。これは困る。
何故なら私の父と母のお墓が多磨霊園にあるからだ。
中央線で東京→武蔵境へ。ここで西武多摩川線に乗り換える。
武蔵境→新小金井→多磨→白糸台→競艇場前→是政までが西武多摩川線だ。
単線である。かつては二両編成であったが現在は四両編成だ。

お彼岸、お盆、命日とお墓に参る大切な足なのだ。
クルマを運転しない私にとって西武多摩川線は、父と母に日頃の反省をするため、また家族や会社の人間の安寧をお願いする命綱といえる路線なのだ。
なんとしても地獄の番犬たちに訴えてほしい。
沢山のお墓参りする人のためにも。
そうでないと数万、数十万、その家族一族が数百万、数千万人が化けて出てきて、奈落の底へ落とすだろう。
「サーベラス」はギリシャ神話に出てくる「地獄の番犬ケルベロス」の英語読みだという。

日本法人の社員は一人だけ。こんなケースがどんどん出て、さらにTPPでさまざま市場開放が要求される。中でもISDSの導入は米国の最大の狙いだ。海外企業が投資先の国の政策変更で被害を受けたら投資先の国に賠償を求める事ができる仕組みだ。訴訟大国米国に訴訟後進国日本は勝つ見込みはゼロに近い。莫大な賠償金をモギ取られるだろう。何しろ弁護士の数が桁違いに米国は多いのだから。安倍晋三は永田町で有名な経済オンチ。この国の経済の事、なにがどうなったって知らないよだ。参議院選挙まで憲法の改正の牙を隠し、過半数をとってから一気に本性を現す。そして自衛隊を国防軍へ、徴兵制度へ。もしかして核武装へ一気に突き進むだろう。悪魔はやさしい顔をしているという。

2013年4月11日木曜日

「顔と顔」


佐久間象山




その夜TVのニュースでは株の投資セミナーに“楽して儲けよう”という人々がどっと押し寄せていた。主に中年以上であった。

まるで詐欺師の様な経済アナリストが競馬の予想の如き事をのたまわっている。
真剣にメモを取るオジサン&オバサンたち、勿論オジイサン&オバアサンもメモを取る。

「詐欺」という字を分解すると、言葉を巧みに「作」る→言+作、「詐」となり、人間としての其の事が「欠」けている→其+欠、「欺」となる。
アナリストや経済学者は過去に何度も予想を外してバブル地獄を生んだ。


あなた方の側に株でひと儲けという人がいたら、大切なお金は大切にしなさいとアドバイスして欲しい。後期高齢者であれば尚更貴重なお金をバブルで失ってほしくない。
お金は汗水たらして手にした労働の賜だから。

「儲」という字を分解すると「人」の「言」葉を「信」じてしまう「者」、人+言+者なのです。

そんな人たちの顔の後に、音楽家小澤征爾さん(77)の復活インタビューがあった。
その顔のなんと神々しい事か。三年前癌で食道を全摘出した。
だが音楽への執念は、凄まじいリハビリを終えて遂に復活をとげた。
お金儲けの事とは真逆の人だ。

思うになんで小澤征爾さんは文化勲章も国民栄誉賞も授与されていないのか。
最もご本人はそんな事どうでもいいで賞みたいな気持ちだと察しているのだが。
同じ人間でも楽して金儲けをと思う人間の顔と、音楽を通して人々に勇気と希望、感動をおくりたいという人の顔の違いに心底驚き、見たくもない自らの顔を鏡で見た。
その結果しばし愕然とした。ダメダコリャーと声を出した。
小澤征爾さんのコンサートにぜひ行きたいのだがチケットは手に入らない。
 
“男の顔は履歴書だ”という名言を言った人がいた。
確か元安藤組組長安藤昇さんだったと記憶している。
スカーフェイス、顔半分に斬られた傷痕がある。
顔の傷は男の紋章、背中の傷は男の恥という。

幕末松代藩の佐久間象山という武士にして先見の明ある大学者は暗殺された、その時背中に斬られた傷があった。武士の恥だといわれて佐久間家は断絶された。


2013年4月10日水曜日

「柄の悪い事」

イメージです


何を考えているんだ全く、平日に入学式をやるなんて、親が働いているんだからたった一度の入学式に出れないじゃないか。
親にとっても子供にとっても小学校の入学式は何より思い出の日なのだっていうんだ。
といえば、だって学校が決めた事だから仕方ないじゃないと娘はいう。
で、パパは出るのかと聞けばなんとか会社を休んで出たいと思っていますとお婿さんはいう。


全くふざけた話だ、その夜外は爆弾低気圧で烈風豪雨。
春休みの最後に娘夫婦と二人の孫が三日間泊まりに来ていた。鉄板焼きを大人6人、子供5人、計11人で食べながら私の怒りは鉄板の上みたいになった。 

411日(木)が娘の下の子の入学式なのだ。
誰がどういう考えで決めたか学校長に会って聞いてみたいと本気で思った。
学校とか先公(センコウ)は自分たちのご都合主義なんだ、何が一番大切か分かってネエんだよ、といえば柄の悪い言い方をやめなさいよなんて言いやがる愚妻。

なんでウインナーが茹でてあるのといえば、小さな子どもにはその方がいいのよ、それにはじけないし(?)なんていいやがる。イカが随分小さいなといえば、大きいと喉に引っかかるのよ子どもには、なんていいやがる、もう、もやしもキャベツも海老もホタテもカボチャも肉も何もかも気に入らねえやという事になった。

みんな学校のせいだ。 
11日に行って文句いってやるぞと思ったが当然恥ずかしい事は絶対やめてといわれるのが分かっているからやめて、焼きそばにしてくれといった。
あの紅しょうがとあの海苔をとなるのだが、当然うちは屋台のそば屋さんじゃないのだからというに決まっているから黙って食べた。

暴風大雨洪水警報が出た。
11日ガァーンと一発かましに船橋の小学校に行ってやるかと秘かに思っている。
えっ、それこそがモンスターなんとかなんだと。
私はペアレントじゃなくグランパなのだ。だからきっと許される筈だ(?)筒井康隆の小説に、「わたしのグランパ」という本があった。
読んでからつまんねえの買ってしまってシマッタと思った。
映画にもなった。主演は菅原文太であった。小説も映画もダボであった。

私もきっとダボなのだが、入学式は休日にすべし、親はこの日のために頑張って働いて来たのだから。これは正論の筈だ。翌日、娘家族は風と共に去りぬの如く帰って行った。車の中から手を振る姿は、文句いいに来ないでねといっている様だった。

2013年4月9日火曜日

「ある恋の物語」




昨年10月ある一人の老女が死んだ。八十九歳であった。
上羽秀(うえばひで)さんという、元銀座のバー「おそめ」のママさんであった。
京都祗園時代の源氏名「おそめ」からとったという。

京都の炭問屋に生まれたが、幼い頃両親が離婚し小学校を出て花柳界へ。
地元の名士に嫁いだが別の男性を好きになり子をもうける。
生活のため京都にバー「おそめ」を開く。芸妓時代の馴染客で大繁盛する。
川端康成、小津安二郎ら文化人が通い詰める。

 やがて東京銀座で15坪ほどの店を開く。
円羽文雄や大佛次郎らそうそうたる顔ぶれが通い詰める。
中でも白洲次郎はかなりお熱だったと伝えられる。
当時京都と銀座を飛行機で行ったり来たりする“空飛ぶマダム”といわれた。

銀座のライバル店との客の取り合いが映画「夜の蝶」となる。
確か京マチ子と山本富士子だったと記憶している(?)京都から来て客をとるんじゃないわよと酔ったママがおそめに乱入したシーンがあった筈だ。
当時の銀座には女と女の熱闘があった。また文壇バーという著名人や文化人、経済人が集まる処が何軒かあった。

おそめは1961年暮れにバーテンダーが偽酒を店で使っていたという容疑で警察の捜索を受ける。それ以後客足が少しずつ遠のいていった。
個人経営から企業資本を導入した大箱のクラブの時代に移っていった。

と、ここまではそれ程魅力的な話ではない。
この上羽秀さんは家庭人として幸せな晩年を送った。
が、名士のご主人とわかれるまで一緒になりたかった一人の男性がいた。

五十代になるまでは遊び人といわれその名を未だ世にしらしめる事がなかった映画プロデューサー俊藤浩滋さんがその人だった。
やがて東映ヤクザ映画の一大ブームをつくり大プロデューサーになった人だ。
藤純子(現富司純子さんはその娘)鶴田浩二、高倉健、若山富三郎、菅原文太、梅宮辰夫、千葉真一などみんな俊藤浩滋さんの一家だった。

上羽秀さんと半世紀近く共に暮らした後、俊藤浩滋さんは先妻との籍を抜き、入籍した。その時、新婦上羽秀さんは七十一歳だった。

46日(土)の新聞にその人生を語る記事があった。
上羽秀さんはくじらと異名をとるほどの酒豪で、夜はいつもよって化粧も落とさず寝ていたと、グラスを持って笑う写真のキャプションに書いてあった。
こんな女性に愛された男はやっぱり筋物だ。

2013年4月8日月曜日

「滅びの笛」




いかなる試合も相手がいないと試合にはならない。
相手が強化費を使って強くなれば、その相手も強化費を増やしていかねばならない。
この強化費を軍備費に置き換えると物事は分り易くなる。

北朝鮮が核を飛ばすぞと脅しをかけているが、この事で一番得をするのは誰かといえば、勿論戦争こそ金儲けとしてきた米国。
この際自衛隊を国防軍にという日本国、北朝鮮はオレたちのいう事しか聞かないぞという露国と中国。
核開発の事なら任せてといてくれと算盤を弾くイランやパキスタン。
軍隊に気合を入れたい韓国。
と、まあ北朝鮮問題は裏の裏の裏であらゆる駆け引きがされている筈だ。

 米国はもはや世界の警察だなんていっていられる状態ではない。
ハンバーガーとコカ・コーラで肥満大国、あらゆる主要産業はユダヤ人が握っている。
“ベニスの商人ではないが金儲けに関しては世界民族の中で抜きん出て一番だ”(ベニスの商人は名判事により貸した金は戻らなかったが)
果たして世界の何処かに名判事はいるだろうか。

西村寿行の小説に“滅びの笛”というのがある。百年に一度山の熊笹が異常繁殖をする。
それと同じくして熊笹を食べるネズミが異常繁殖する。
それと同じネズミを食べる天敵イタチやテン等が異常繁殖する。
逃げ場も食べる物も失ったネズミの大集団は、山から村そして街へ出てあらゆる物を食べつくしながら最後には東京湾に向かい集団自殺する。
事実東京湾の歴史でその事が確認されている。

さて、ネズミはどの国か、熊笹は何か、テンやイタチはどこの国か、冷静に考えてみれば分かる筈だ。食べ物もなく生きる術もない北朝鮮の国民を見ていると戦前の日本と見事に一致する。他国を北と南に分断して戦わせる様な事をする国はなんでもありだ。

2013年4月5日金曜日

「売国奴たち」





アベノミクスが→“上げのミクス”となりその正体が現れてきた。
世界広しといえども値上げを進める政党、増税を進める政党の支持率が70%という国はまず無いだろう。

電気、ガス等の値上げ、小麦粉、食用油等の値上げはあらゆる物の値上げに結びついてしまう。正規社員をお金を払って解雇しよう等という悪巧み、65歳以上を勤め続けさせる等という一見いい法案に見えるが、年金を支払うのを少しでも遅らせたいという見え見えの法案、これにより若者たちはますます就活に苦しむ事となる。 
60歳まで減払奉公これから第二の人生だという人にとっては勤労地獄法案だ。
やっとこさ年金生活だと喜ぶときにはすでに体がボロボロとなっている。

竹中平蔵などというアメリカ資本主義、競争主義にどっぷり染まった経済学者が更に規制を緩和して行けと動いている。売国奴といえるだろう。
日本人は“和を以って貴うべし”と教えられてきた。
弱者に対しては皆で手を差し伸べよ、強き者は実った稲穂のごとく頭を下げようと。
世に言う御用学者たちほど始末の悪い者はいない。
害虫であるからにして、フマキラーとかゴキブリホイホイとかキンチョールで退治せねばならない。

“龍腕無鱗”という言葉がある。
龍の鱗には魚の鱗は無いという意味だ。
米国という魚に日本という鱗を何故にベタベタつけねばならないか、本来別々なのだから。

アメリカの最大の欠点は、他国を手前勝手に理解する事だという。
骨の髄までシャブリ続けられるのだろう。
日本にタフネゴシエーターは一人も見当たらない。シャラップ!ジャップ!なんていわれて机をドンと叩かれたらすべて受け入れる事だろう。
甘利明などという“アマリ”に軽いのがこの国の未来を左右するTPPの担当大臣だなんてやっぱり“あまり”の事だと思わずにはいられない。

2013年4月4日木曜日

「ゾッとするもの」




女優岸恵子(80)?が映画監督山本晋也に八芳園でインタビューを受けていた。
幻冬舎刊、“わりなき恋”の著者インタビューだった。

わりなきは→“理なき”の意だという。
とても八十歳とは思えないその姿に山本晋也は息を呑む。

本の内容は七十歳の女性ジャーナリストと五十八歳の会社社長との濃密な愛と性であるとか。いつもながら幻冬舎編集者の目の付け所に感心する。
勿論読む気などはないが、きっと売れるだろうと思う。
岸恵子さんは女性の友達に取材を重ねたという。
「みんな凄いのよあなた、七十歳を過ぎた女性たちが今でも体が疼いて仕方ないっていうのよ」もし岸さんの前にステキな男性が現れたらどうしますかの問いに対して、勿論決まっているわよ、うふふとなり、今までご自身はどうですかと聞かれればそれは企業秘密よ、うふふと応える。

胸の大きく開いた黒字に白の花がらのドレスにピンヒールの靴、首から見事なネックレス(というよりは首輪みたい)黒く太い革のバンド、一分の隙もないパーフェクトなパリのファッションであった。メイクアップが実に上手い。

サルトル、アンドレ・マルロー、ボードレール、オードリー・ヘップバーンなど十八年間結婚生活をしていた時のお友達の名がバンバン出てくる。
イブシャンピというフランス人監督と一緒だったからだ。(恋多き女性は枯れる事なしだ。女性は人の視線を浴びて美しくなるという。当然そうならない人の方が圧倒的に多いのだが。)

高齢化社会、これから七十代、八十代の不倫問題がボロボロ厚化粧が崩れ落ちる様に出てくるだろう。内面に教養を含んでいない七十代の女性たちが“アタシダッテステタモンジャナイ”とゾッとするほど大手を振って歩いている。
目のやり場に困るのだ。図々しいのもほどほどにせよだ。
愚妻には明るいうちは外を歩くなよと言い聞かせている。

2013年4月3日水曜日

「一枚の紙切れ」


約束手形 ※イメージです


若者の特権とは何か、それは何度でも失敗が許されやり直しがきく事だ。
20代、30代で起業する人が増えている。
男子たる者「鶏口と為るも牛後と為るなかれ」と古人はいう。

「鶏口牛後」という。
牛の後にくっついて歩く鶏より、小なりといえども一国の主を目指せという励ましだ。
何度でも敗け続け挫折し、悩み苦しむ事だ。世の中は簡単に成功への門を開けてはくれない。信頼していた知人や先輩や友人に裏切られ、入ってくる筈のお金にはトンズラされ、出て行くお金は待ったなし。
こんな筈じゃなかったとチクショウと屋台のヤキトリ屋でヤケ酒を飲む、が旨くもなんともない。


私は20代で会社を作ったが世の中の事が全く分かっていなかった。
何度か不渡り手形をつかまされた。今日は集金日だと行ってみれば、そこには管財人の貼り紙一枚、相手の会社は行方不明だ。入るのが入らなくて、出るものは出るのだから大事件だった。


私が初めて約束手形を受け取ったのは、ある大手写真機メーカーだった。
会社設立二年目初めての大仕事をしたお金を支払い指定日に集金に行ったのだ。
経理の窓口には列を成していた。

やっとこさ順番が来て渡されたのが約束手形という紙切れだった。
これ何ですかと聞けば、これは約束手形です、今日から六ヶ月後に現金になります。
えー!現金じゃないの、六ヶ月後だって、カメラマンやモデル代、スタジオ代やいろんな処に支払いがあるんですよ、といっても、ハイ次の方どうぞであった。

当時の65万円は大金であった。
途方にくれて知人に相談すると、この手形に裏書する個所が何箇所かあるだろう、ここに誰か裏書してもらうんだな、まあ保証人みたいな人だ、それを金融機関に持って行って割引手数料を払って現金化してもらうんだな。

えー、請求書出して集金に行くまで60日、それでこんな紙切れ一枚、その上裏書だとか保証人だとか、手数料までとられるとか、ヒデー話じゃないですか、マッタク。
最初に支払い条件を聞かなかったのか、先輩の紹介だったので全く聞きませんでした。
もう、トホホのホだったのです。

結局母親に裏書をしてもらいやっとこさ現金化したのです。
こんな初歩的な事を知らずとも、とにかくがむしゃらに働いて約束手形を手にして行ったのです。この手形がちゃんと決済出来て行くと金融機関に信用がついて来たのです。
以来現在まで無事故で来ているのです。

若者たちよ、めげるな、しょげるな、自分に自信を持ってガンガン働けばきっと活路は見いだせる筈だ。社会から信用を得るには高い月謝がかかるのだ。
どんな大企業だってはじめは一人とか二人、数人で始めたのだから。

私の周りにも若くして起業している人間が増えている。
一つアドバイスをする、オイシイ話には決して乗ってはいけない。
酷くマズイ話になるからだ。

2013年4月2日火曜日

「二万回死んだ人」


福本清三さん


1969年東映製作の映画「日本暗殺秘録」というのを一本100円で借りて来て観た。
今から44年前の作品には当時の東映のスターがズラリ勢揃いであった。

片岡千恵蔵を筆頭に鶴田浩二、若山富三郎、高倉健、千葉真一、桜町弘子、藤純子など。それに大部屋俳優も勢揃いだ。桜田門外ノ変、大久保利通暗殺、安田財閥の安田善次郎暗殺、やがて五・一五事件から二・二六事件まで中島貞夫監督が140分余をかけて作っていた。

貧困、汚職、財閥の貪欲、権力の腐敗、軍部内の権力争い、右翼思想の発芽、天皇陛下万歳となって日本は戦争に突き進む。

正直映画はいまいちというか、いまふたつであった。
私がずっと目を凝らしていたのは、映画のはじめに出る出演者のロールの中にオッ、近藤正臣が、オッ、里見浩太朗がその他大勢みたいの中にあったのだ。
どんな役でいつ出て来るかを見つめた。

結局近藤正臣は分からずじまいであった。
里見浩太朗はひと言セリフがあったがよく聞き取れず、顔半分は木の格子で隠れていた。

で、何がいいたいかというと、人間好きなことをバカみたいに一生懸命やっていると、いつかはきっと報われるという事なのだ。
かつて仲代達矢は通行人役だったし、小林旭はセリフのないバーテンダー役だった。
いきなり大スターになったのは、後にも先にも石原裕次郎しかいない。

映画を観る楽しみは脇役や、いわゆる大部屋俳優さんたちの渋い動きや目立たないが光る存在だ。

私が大尊敬する大部屋俳優さんがいる。
その名は「福本三」さん、会った事はないが大ファンである。
この人は斬られ役の名人、今日までバッサリ斬られて死んだ事なんと2万回を超すという。

トム・クルーズ主演の「ラストサムライ」ではその存在がギラッと光っていた。
「福本三」さんは1943年兵庫県生まれ中学校を卒業後東映に入った。
いつかこのひとを主役に短編を作ってみたいなと心秘かに思っている。

監督は勿論中野裕之さんにお願いしたい。
中野監督は人を殺すシーンが好きでないピースな人だからだ。役者を目指す人は、とことんバカになって下さい。きっと機会がやってきます。
役者バカ一代、なんてステキな人たちだろうか。

2013年4月1日月曜日

「諸説フンプン」



イメージです


明日42日(火)は大安である。
新歌舞伎座の杮落とし興行が一年にわたって始まる。

興行の成功を思うのだが気になる事がある、昔から興行の世界や相場師の世界、勝負師の世界は42日を嫌った。

42日は“シニ”といって縁起がよくないとされていた。
大安だからいいじゃないかという者と、“シニ”は避けるべきだという者がきっと激論を交わしたはずだ。取り壊し前とそっくりの歌舞伎座の後に超高層ビルが建った。
その異様な姿は大きな墓石の様である。

歌舞伎好きの私としては気に入らない。
團十郎が“シニ”勘三郎が“シニ”芝翫も“シニ”である、私は縁起かつぎはしないが数字を見ると足し算する癖がある。足して“9”になると、オオ“カブ”かと喜ぶ。

バクチの世界は“9”が一番強い数だ。
例えば18→イッパチスリバチノカブとか、234→ニイサンヨッテラッシャヨシハラノカブとか、10109→ドンドンクツリガネカブとか、531→ゴサンピンオツタチノカブ、いろいろだ。
ちなみに私の名はサブローだから、36→サブローノカブとなるのだが大した事はない。 

29日朝起きて小さな池を見ると金魚から成長して鯉となった三匹の内一匹が忽然と消えていた。また、また、アライグマ説、シラサギ説、たぬき説、猫説は不可能ということで前回で消えた。新たにテン説やハクビシン説が持ち上がって来た。

12年前は大きい鯉が三匹、十年前は中位の鯉が八匹、一夜にして消えた。
こんどこそ監視カメラを取り付けるべしと思うのだが、不思議大好きともいうから謎はとっておくかとも思っている。藤沢市辻堂東海岸にあるうなぎの名店“うな平”のご主人は錦鯉のでっかいのを何匹も養っているので有名だ。
そのご主人は絶対シラサギ説なのである。

小宅の目前の家の屋根に鳥の糞とおぼしき一本の筋が30センチ程あるのを見つけた。
やはりシラサギか(?)いつかとっ捕まえて“焼き鳥”にしてやる。