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2013年12月11日水曜日

「車内に屋台」


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左斜め前の男は雑誌SPAを読んでいる。
年末人妻浮気カレンダー、危険な日は1220日という見出しのページだ。
右斜め前の男は東京スポーツという新聞を読んでいる。
見出しにはどーんと、関東連合元リーダー、石元太一無罪を主張!勝算?!
右隣の男はマスクをしたまま眠っている。

問題は私の左隣りに座っている女性だ。
ぷーんとたこ焼きの臭いを発散させている。
年の頃は三十五位、髪は黒く顔は四角い。
別に何を食べたからって文句は言えないが、何も満員の列車の中でたこ焼きはないだろうと思う。白い袋に赤い文字で「銀だこ」と印字してある。

東海道線グリーン車内は年末気分が充満していた。
重心を失ってグラン、グランしている中年の紳士(?)(混んでいて座れなかった)私の横まで揺れて来たりする、吊り革がないからだ。

車内アナウンスの女性の英語が気持ち悪い位呂律が回っていない。
英語が達者な私の知人もヒデェー英語だと言っていた。酔った時に録音したのだろうか。外人が何人乗ってるか知らねえが、いちいち英語でアナウンスすんなといいたい。
あちこち外国に行ったが日本語のアナウンスなんか聞いた事はないっていうの(マア当たり前か)。

グラン、グランしている人がいつかぶっ倒れて来るぞと覚悟していたらやっぱり来た。
横浜を過ぎた時男の両膝がカックンと来た。
横浜で座れるだろうと期待しつつ緊張感をかろうじて維持していたのが、その期待は叶えられなかった。前の席の一部分で支えていた体が新聞を読んでいた処にガッガッと来たのだ。

覚悟をしていたので新聞にダメージはなかった。
“気合を一発”発すると、ふ・い・ま・せ・んと言った。
グレーのスーツの素材がかなりいいと思った。それなりの地位の人だったのだろう。

戸塚に着いて席が空いた、男はどどっとなだれ込むように席に座った。
頭がガクンと前に落ちた。

たこ焼きの女性は相当神経質なのか無神経なのか、車内に屋台を持ち込んだ。
たこ焼きの上の鰹節を二本の楊枝でかき分け、そこに小さな袋に入ったマヨネーズを少しずつ少しずつたこ焼きの上に絞り出す。楊枝でかき分けてはたこの存在を確かめる(?)

それにしても列車内のたこ焼きの臭いは物凄い。
屋台からのものは“いい香り”なのだが。東海道線内には日々ドラマがある。
今年も残り二十日、見たくもないものが見え、嗅ぎたくない臭いに接し、グラン、グラン、ゆ〜ら、ゆらする人に注意を払わねばならない。

2013年12月10日火曜日

「頭と靴」




生き物は出会った瞬間から別れに向かう。
それは辛く悲しい。生命には終わりがあるからだ。

人間界は六道の中の一つ苦界である。
地獄、畜生、修羅、天道、飢餓、人間は六道を転廻すると仏教は教える。
会う時はいつも他人、別れる時もいつも他人ねと日陰の女性はつぶやき悲しい酒を飲む。

話は突然変わる。
キタキツネの子別れのシーンには親と子の絆を見る。
我が子よ逞しく育って行けよ、愛するが故に別れるのだよ、野性に生きよと。

長崎の動物園で育った二歳のカバ(百吉モモキチ)が陸路、海路を経て北海道の旭川にある旭山動物園に運ばれる映像を見た。二歳といっても体重700キロもある。
我が子の様に育てた飼育員の目には涙が溢れる。
親カバは(親バカではない)我が子が連れて行かれるのを切なく追う。
二人仲良く(二頭か)暮らしていたのに、子カバは旭山動物園の新装なったプールに入れられる。ビックリして底に沈む、そしてまたビックリして底から水面にガバァーっと浮かぶ。
人間の親子たちはそれを見て、ワァ〜、スゴイ、楽しいと喜ぶ。
新聞の記事で知ってはいたが連行される映像を見て胸が痛んだ。

水族館の魚はお前たちよかったな、包丁で切り刻まれて、刺し身や寿司や焼いたり煮たりされなくてと思うのだが、動物園は年を取ると共に苦手になった。
檻の中をウロウロする姿がどこか自分に見えるからだ。
みんな野性の地から連行されて来たのだ。

何もしない「ナマケモノ」を見ているとかなり尊敬する。
あんな風に哲学的になりたいと思う(無の境地だ)。
私のような小物はアクセク、ウロウロが似合っているのだろう。
魚でいえば回遊魚、止まった瞬間にこの世との別れとなる。

転廻するなら動物の場合は「ナマケモノ」、魚類なら進化しない「クラゲ」になりたいものだ。毒クラゲがいいな、時々人間たちを刺してやる事ができるから。

みんなの党が分裂して、14人がみんなと別れるというややこしい事になった。
アジェンダ渡辺喜美からアジェンダが消えてしまった。
余程アタフタしたのかヘアースタイルが起きたままのボッサボサだった。
去る者は追わず、去る者を愛せだ。但し裏切り者は許すべからず。
仲間を売った者も許すべからずだ。

政治の世界は一寸先は闇、枕元には絶えずムースとかスプレー、ヘアクリームと櫛は用意すべしだ。頭と靴の手入れが悪い人間は銀座のホステスさんに見下される。
就活が始まったようだ。子別れをする時が来たのだ、突き放せよだ。

学生さんの面接も銀座と同じ、頭と靴はキチンと手入れして行くべしだ。
特に靴の先はその人間の将来を表すというからだ。
男の世界では、キレのいい男という表現がある。別れ方がいいという事だ。
当然金のキレがいいという事、キレが悪いと後々とんでもない事となる。
金の切れ目が縁の切れ目なのだから。

アジェンダ渡辺喜美よ、議席を返せなどというケチを言っては負けだ。
最も出て行く14人も政党助成金が目当てなのだが。キレの悪い男たちだ。(敬称略)

2013年12月9日月曜日

「熔ける人」



WHO(世界保健機関)は国際疾病分類に「病的賭博」という項目を設けている。
わかりやすく言えば、ギャンブル依存症の事なのだ。

次の10項目に心当たりのある人は要注意だ。
   賭博にとらわれている。
   興奮を得たいがために、掛け金の額を増やして賭博をしたい。
   賭博を抑える、減らす、やめるなどの努力を繰り返し、成功しなかった事がある。
   賭博を減らしたりやめたりすると、落ち着かなくなる。またはイライラする。
   問題から逃避する手段として、また不快な気分を解消する手段として賭博をする。
   賭博で金をすった後、別の日に取り戻しに帰ってくる事が多い。
   賭博へののめり込みを隠すために、家族、治療者、またはそれ以外の人にウソをつく。
   賭博の資金を得るために、偽造、詐欺、窃盗、横領などの非合法的行為に手を染めたことがある。
   賭博のために、重要な人間関係、仕事、教育または職業上の機会を危険にさらし、または失ったことがある。
   賭博によって引き起こされた絶望的な経済状態を救うために、他人にカネを出してくれるように頼る。
 
双葉社刊・井川意高著「熔ける」より(原文ママ)東大法学部に現役で入る程の優秀な人間、元大王製紙社長、現在懲役四年の刑で入獄中。
カジノへ行き勝った負けたを繰り返し、やがては負けて、負けて

賭博で熔かした金額は1068000万円。
賭博は必ず胴元が勝つと決まっている。
勝ち逃げする勇気と、今日はここまでで終わりという強固な意志がある人間、または今日は偶然勝ったのだ、だから二度と偶然はやって来ないという冷静さを持つ人間でないと、地獄へ落ちやがて入獄となる。
株や相場への投資、不動産などへの投資をしている人も同じだ。

井川意高(もとたか)元社長の場合は「アルコール依存症」と「ギャンブル依存症」、それと「抑鬱状態」の三拍子が揃ってしまった結果だと書いてあった。
入獄せずにいたら200300億と熔かし続けた筈だ。何しろ病気なのだから。
 そして何より財力があったからだ。命が無くなるまで続けただろう。


十二月六日(金)午後六時半〜八時四十五分、会社の番頭さんとやっと手に入った「立川談春・独演会」に行った。板橋の会館はビッシリ満員、相変わらずの大人気だ。
「立川志の輔」と共にチケットが手に入らない当代一、二を競う落語家だ。
演目は「寝床」と「ねずみ穴」であった。

談春が書いたエッセイの名著「赤めだか」に確か父親が大の競艇好きで、子供の頃板橋から埼玉県戸田に引っ越した、直ぐ側に戸田の競艇場があり、父親とそこに入り浸っていたと書いてあった。その夜すっかり落語に酔った後、会社に戻り、資料と共に友人より借りてあった「熔ける」をカバンの中に入れて帰った。

何が目的で書いたのかは分からないが、本の印税は全額社会福祉事業に寄附いたしますと書いてあった。日本にもいよいよカジノを作るとか。

井川意高元社長が拘置所に入った時、堀江貴文から座布団の差し入れがあった。
それがとても温かくありがたかったと書いてあった。
入った者だけが知る差し入れのメニューだ。

世界中のカジノで共通している事、それはカジノで儲ける者は「質屋」と「カード会社」「ジャンケット」というお客をカジノに引張る人間。それと当然の様にソックリ儲けるのは「カジノマフィア」だ。賭博はやらなければ絶対に負けない。
そして熔ける事もない。
人生最後に勝つのはコツコツ働いた人間と歴史的に決まっている。(敬称略)



2013年12月6日金曜日

「どこへ行く」




午前二時五十六分、NHKのテレビには昭和のSL映像が流れている。
私は鉄道マニアではないが、この「新日本紀行」のSLの映像は格別に好きだ。

GILBEY’S-GINのチビ瓶を買ってきたのでそれを氷の入ったグラスに入れてゴクッと飲む。口からノドへ、そして食道を通って空腹となっている胃袋にジーンと入って行く。
丁度SLがトンネルの中を抜けて行く映像とダブって行く。
亀田製菓の「手塩屋・だし塩味のおせんべい」をポリポリと口に入れる。
ジンと塩せんべいは中々に相性がいい。

昭和四十年代の日本はまるで印象派の絵画の様に叙情的だ。
森林が直立し、山並みは広く長い。空はどこまでも青く雲は真白い。
大地には緑が溢れている。田畑は黄金色に輝いている。
波が打ち寄せる海岸は見事な曲線美を誇っている。 

SLの鳴き声と共に白い煙が獅子のたてがみの様に気高く噴出する。
春は騒ぎ、夏は叫び、秋は交響曲となり、冬は一年の汚れを白く洗い落とす作業を進める。世界中で日本ほど四季の物語がある国はない。

SLは戦後の日本を復興させる労働者のシンボルであった。
二度と戦争に向かう事なきように願う人々の汗が水蒸気となって北から南へ、東から西へと走り続けた。人間は清貧だが大地は豊かであった。

昭和四十年、私は成人した。心を入れ替えると決意した。
振り返ればこの国が脱線し、金儲け主義・競争社会になったのは東京オリンピックが始まりだった。

平成二十五年、大地は骨灰色となり緑はない。空は暗く雲は重い。
海は放射能で汚染され、海の幸は死滅する。四季の物語は消えて行く。

あ〜あなんだか悪酔いしそうだ。眠気を誘うつもりが目が覚めてしまった。
直径7センチ位の一枚のおせんべいも残りひとかけらとなった。
もう一杯やるか、否止めておこう。国が乱れる時、人物が現れるという。
諦めからは何も生まれない。人物はきっといる、そんな夢を見たいとテレビを消した。
何もかもしんどい日本、そんなに急いで何処へ行く

2013年12月5日木曜日

「途方もない人」




小説家は誰が見つけて世に出すか。
それは間違いなく出版社の編集者及びそのボスである編集長と決まっている。

過日、実に痛快なドキュメントを見た。
それは集英社のヒット雑誌「週刊プレイボーイ」のかつての名物編集長の実話の再現であった。ある賢人は言った。「芸術は途方もない無駄の先にある」と。

およそ編集長と名のつく人は、この途方も無い作業を毎日、毎晩、朝まで行う。
嫌な奴だろうが、変なやつだろうが、相当に気が狂っていようが、金の亡者だろうが、女狂いだろうが、男狂いだろうが、同性愛だろうが、名誉欲の塊だろうが、きちんと会い、語り合い、飲み合い、抱き合い、勘定は全て支払い、その人間に何かがあるかを探り、その先を確かめる。

小説家はたかり魔が殆どだ。編集者や編集長をお財布代わりにする。
編集長は痴情のもつれや、借金のトラブルを始めこの世にあるトラブルと名のつくもの全ての相談に乗り、その解決を目指す。

「週刊プレイボーイ」の元編集長の話で面白かったのは、芥川賞を受賞した後、極度の躁鬱病になり小説を書かなくなった作家、開高健に人生相談のページを依頼し成功したエピソードだった。開高健は躁の時は大音声で喋り、鬱の時は蚊の鳴くような声であった。
博覧強記、グルメにしてグルマン、濃密な文体と同じでこの編集長(あるいわ編集者)と思った人間には接着、密着、交着する。

「なあんでワシが週刊プレイボーイみたいな軟派な雑誌で若者相手に人生相談せなアカンの」みたいだったのだが、名物編集長は作家の住む茅ケ崎に通い詰め、抱き合い、キスをし、お土産のコロッケを共に食べながらロマネ・コンティで口説き落とす事に成功する。

この人生相談は「風に訊け」と題され、やがて若者たちの圧倒的支持を得る。
この元編集長は現在、三越伊勢丹にあるBARでバーマンをしておりエッセイを書いている。

この編集長に匹敵する途方もない編集長から一冊の本を送ってもらった。
腰巻きには政府と企業と安全対策に警鐘を鳴らす、トップリーダー必読の書!とあった。
題名は「最強の危機管理」若者は危機管理アナリスト金重凱之。
元警察庁警備局長、内閣総理大臣秘書官、数百社の危機管理コンサルティングの実績を持つ人だ。




送っていただいた以上読まねばならないと一週間みっちりかけて読んだ(超難解)、その内容の凄さに驚いた。まるでホワイトハウスの歴史を全部見てきた様な深密な情報に満ち溢れていた。読み終えるとどっと来てテーブルにうつ伏せになった。
その瞬間全てを忘れた。やっぱり途方もない事を平然とする編集長だった。

「退屈は人生の最大の罪だ」と言った人がいるが、その言葉が実に似合う稀代の人物だ。「クリネタ」という新しい雑誌に特集されている。
その編集長がまた途方もない人でその名を長友啓典さんという日本を代表するグラフィックデザイナーだ。人間は危険とずっと背中合わせに生きてきた、そこから逃げたら退屈だけが待っている。ジャーン、だが待てよ、逃げるが勝ちという教えもあるぞ。
始めは処女の如く、後は脱兎の如くだ。

2013年12月4日水曜日

「シャックリ」




走る速さと、食べる速さの競争をじっと見守った。
東海道線上り東京行。

私は新聞を読んでいた。列車は順調に横浜を通過した。
1140分ちょい過ぎ、それにしてもこの日本国はどうなってしまうのか。
いちばん成ってはいけない人間たちがリーダーとなって何もかもが滅茶苦茶、ごっちゃごちゃになって来てしまった。
“シマッタ”こんなはずじゃなかったと地団駄を踏んでも後の祭りだ。

今年も残り一ヶ月を切ってしまった。
仕舞って置いたお年賀の判子が勤続疲労で欠けてしまっていた。
列車は川崎駅に着いた。

ドアが閉まったと思った時ガヤガヤと五十代中頃の女性が二人乗り込んで来た。
ウルサイナ、マッタクと思うと新聞の活字も目に入らない。
私の斜め前に女性は座ると直ぐに駅弁とお茶を出した。

幕の内弁当を一気に食べ始めた。
列車は走る、オバサンは食べる、列車は走る、オバサンは食べる。
アタフタ食べるからご飯はこぼれる。
列車は走る、お茶でご飯を流し込む、次は品川駅だ。

エビフライ、魚の切り身、梅干し、昆布、玉子焼き、食べる、飲み込む、こぼす。
カマボコ、黒豆、列車は品川に近づく。未だ半分位しか食べ進んでいない。
二人は黙々と食べ、飲みを繰り返す。多分品川までには食べ尽くせない。

新橋、東京までに食べると作戦を立てているのだろうなと推理する。
この二人かなり慣れているなと思っていると一人の方がシャックリを始めた。
やはり急ぎ過ぎたのだろうか。箸にはコロッケとおぼしき物を挟んでヒクッ、ヒクッとシャックリをしていた。ニワトリが天に向かって鳴いている姿を思い出した。

朝日新聞に内閣支持率が50%を切ったと書いてあった。
来年の夏頃には40%を切り30%台になる筈だ。列車は新橋に着いた。
私は列車を降りたのだが二人の女声は黙々と食べ進みシャックリは止まってなかった。
トリの唐揚げに箸をグサッと刺していた。

2013年12月2日月曜日

「フィクションの話・ショップにて」

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Y子さんはインテリアデザイナーです。
中近東のデザインが大好きです。特にペルシャ 絨毯が好きでした。
学生時代から何度もバックパッカーとして訪ねていました。

今、付き合っているのはそんな中で知り合ったイラン人の男性です。
日本にペル シャ絨毯のショップを出すのが彼氏の夢でした。

知り合ってから六年後銀座に小さなショップを出したのです。
そのショップにはイラン人、イラク人、トルコ 人、アフガニスタン人などが出たり入ったりしていました。Y子 さんもそのショップを手伝っていました。
二人はショップが順調にいって良かったねと喜んでいました。

ある日、よく来てくれていたイラン人が警察に捕まった という噂を聞きました。
それから一ヶ月後白いシャツに黒のズボン、灰色のベレー帽を被った男が二人ショップに入って来ました。お二人にちょっと聞きたい話 があるのでと言いました。

えっ、なんですかとY子さん。そしてそのまま。

2013年11月29日金曜日

「フィクションの話・外国語教室にて」




Kさんは商事会社に勤めていました。
仕事の担当は中国です。Kさんは北京語、広東語が得意です。
ロシア語もかなり出来ます。

仕事なので一年の内3分の1は 中国へ行っていました。
大学時代の友人が外国語教室を経営していました。
オイ、中国人の教師が手薄になっているんだ、日本に居る時は少し教室を手伝ってく れないか。
日本に長く居るロシア人が中国語を勉強したいって言っているんだ。
そうか、いいよ手伝うよ。

それから数ヶ月が経ちました。 
Kさんは中国から帰る度にロシア人に個別指導をしていました。

ある日、ロシア人から中国の友人から手紙を貰ったのだが正しく訳せないから頼むと言われた。そこにはオモチャとおぼしきロケットや宇宙船の写真が載っていました。 
Kさんは教室でその手紙を訳してあげていました。

と、そこへ黒い服の男二人。君、ちょっと話を聞きたいんだ、ちょっと一緒に来てくれるか。Kさんはそのまま。こんな事がまさか。







2013年11月28日木曜日

「フィクションの話・軍港にて」

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今回28日、29日、2日のブログはキッチリ400字(?)で納めます。
テーマはこんな事をしていると特定秘密保護法で捕まること有りです。

とある二人の男女が横須賀港に来て、わぁー凄いあれが戦艦か、スッゲーカッコイイな一緒に記念写真撮ろうよ。そうね、初めてのデートの記念になるもんね。
誰かシャッターを押してもらえないかな、とそこへ外国の水兵さんが通った。

す、すいません、プリーズシャッター。
 OhイエスOKOKとシャッターを押してくれました。
それじゃ水兵さんと一緒のところを写してよ、君シャッター押してくれる。
でパシャ、ちょっと高かったけど真っ当な一眼レフはいいショットが撮れるな。
 と、戦艦に近づいてはパチ、パチ、パシャをしていました。いい写真が撮れた最高だね。

あそこでコーヒーでも飲もうか。
そうね、アラさっきの外人さんもいるわ。
で、一緒にコーヒーを飲んでいると、君たちちょっと話がある。
そして二人はそのまま。



2013年11月27日水曜日

「三度目の日」


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シラスコロッケ、シラス丼、シラスマン(肉まん風)、シラス揚げ(さつま揚げ風)、とれたてシラス、釜ゆでシラス、シラス盛り放題定食、江ノ島は火山も無いのにシラス大地(?)だ。

十一月二十四日(日)快晴、訳あって江ノ島神社に行った。
小田急線江ノ島駅から橋まで人、人、人、橋の上から江ノ島まで人、人、人、橋から神社まで人、人、人、富士山はぼんやり灰色だった。
海の上には洞穴巡りの船、釣り船が遠くにチラホラ、ホラホラ。

ヨットが気持ちよさそうに海の上をセーリング、友人が出ているかもなと思いつつ橋の上を歩く。風を受けウィンドサーフィンを楽しむ人、あーこの国は平和(?)なのだなと思ったりもする。

観光地を生かすも殺すもお天気次第。
この日はすこぶるつきの観光日和で、お土産屋さんや食堂やまんじゅう屋さん、おかき屋さん、ソフトクリーム屋さん、海老せんべい屋さん、何でも1000円ショップなどは大賑わいであった。神社までのゆるい坂道は殆ど満員電車であった。

イカ焼き、ハマグリ焼き、タコ焼き、トウモロコシ焼き、貝の串焼き、サザエのツボ焼きなどお醤油の焼き焼きのいい香りが元気よく鼻の穴に入って来た。
顔が隠れてしまうほど大きな海老せんをかじって歩く若い娘さん、バリバリしていると段々と顔が見えて来る。

アレッ、確かあった射的屋がいつの間にか和装小物に様変わりしているではないか。
それにしても地引網にあんまり入っていないシラスがなんでこんなにあるんだろうと疑問に思う。

湘南シラスが売りのこの地に本当に湘南シラスがこれだけいるのかい(?)
近頃何もかもが偽装とか、誤表示と続々と「お白州」の場に出されている。
あのイカも、あの貝も、あのサザエも、怪しいな、長い歴史を誇る店がある。
そこの太った三代目だか、四代目だかがラムネの栓をボッシュと抜いていた。

橋の上にズラリと並んでいた屋台のおでん屋さんが何とか条例で消えてしまった。
江ノ島の文化だったのに。富士山を見ながら波の音を聞く、サザエのツボ焼きを食しながら冷えたビールをグビィプハァーと飲む。次に大根、チクワブ、はんぺん、つみれと進む。そんな楽しみがもう無い。

目的のものを手にし、今日みたいな平和(?)な日が続くといいなと駅に向かった。
「病気平癒御守」二つ、今年この御守を頂きに来た日は確か三度目だったかなあと思った。アジの干物のいいのを出している店で何故か買うかと思ったが「御守」が魚臭くなるといけないと思い止めた。人気のホットケーキ屋には人、人、人が並んでいた。