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2013年6月10日月曜日

「ある別荘」



惜櫟荘 ※写真はエンタ魂さんより転載


本屋大賞を受けて今やベストセラー作家となった男、その名を百田尚樹という。
五十代を過ぎて放送作家から転じて小説家となった。

「海賊といわれた男」出光石油の創始者、出光佐吉の物語の様だ。
面白いと評判だが、私は読んでいない。

69日(日)TBSの人気番組「情熱大陸」に出ていた。
その中で出版社の編集長と食事をするシーンがあった。
二人は云う、「小説は売れてナンボ」だと。百田は云う、よく読まれなくてもいいんです、なんていう小説家がいるが、だったら☓☓☓☓すればいいんだよ。
編集長は云うあなたは小説の世界を変えているよと、超豪華な食事を前に、独特の語りをする。小説はビジネス、出版社も売れてナンボのビジネスと白ワインをグイと飲もうとしていた。

熱海に岩波書店の創始者であった岩波茂雄がこよなく愛した別荘「惜櫟荘」(せきれき)というのがある。別荘と土地2900平方メートル。
高名な建築家、吉田五十八(いそや)が大の建築好きであった岩波茂雄と共に生んだ途方もない別荘だ。見事としかいい様のない作庭。

数寄屋造りの建物自体は30坪程だが、一本の木から一枚の板、瓦、襖、障子、畳、一個の石に至るまで全て国宝級の造りである。
惜櫟荘には並み居る文豪や財界、政界、思想界などの大立物が集まった。

私の大好きな映画監督、ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ夫妻も何度か訪れ、そこから見える絶景を見事な水彩画として描いた。

その別荘の隣人が佐伯泰英という時代小説家だ。
売れないドキュメント作家だった佐伯泰英はある時編集者から、「官能小説とか時代小説を書かないならお終い」といわれて全く知識のない時代小説に取り組んだ。

すでに五十代を過ぎていた。
出版社はまずは単行本を出し、売れたら文庫本にする方式であったが、佐伯泰英ははじめから文庫本のみであった。

スペインの闘牛とかを書いていた作家、どうやって歴史を知らないという作家が当代一売れまくる時代小説家になったかは分からない。
特殊な才能の持ち主なのだろう(?)もの凄いペースで書きまくり、売りまくる。

佐伯泰英は云う、私の小説は小説ではありません、ただの「商品」ですと。
その佐伯泰英が幾らかけたか想像もつかない莫大なお金を使って、惜櫟荘をいったん解体し地盤を整備した上で建築当時そっくりに復元した。

日本中の名人といわれる職人たちが集められた。
吉田五十八のお弟子さんの建築家が手がけた。
かつて文豪たちがここに泊まり込み、原稿用紙に愛用のインクと万年筆で名作を書き残した。今の主はパソコンに向かっている。

岩波茂雄は泉下でどう思っているだろうか。
「商品作家」が愛すべく惜櫟荘を買い上げた事を。
百田尚樹もまた商品作家といえる。自作が売れているか、どの本が売れているかどうかを終日気にしている。今や文学青年も文学少女も死語になってしまった。

私はハーレクインロマンのごとき、文学性を求めない百田尚樹や佐伯泰英の生き様を支持できない。むしろ気の毒に思ってしまう。
出版社のパペット(操り人形)に過ぎないからだ。真の主なき惜櫟荘はすっぱりと取り壊すべきであった。文庫の父、岩波茂雄のためにも。建物は人を選ぶ。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

高尚な事をあれあこれ言って持ち主が気に食わぬいっそ壊してしまえばよかったと言う人間より、金を前借りしてでも身銭を切って行動し後世に名建築を残す人間の方が僕は好きですね。
理解してるという人間がなんの援助もせず自身のブログで悪態をつき、理解してないとここで批判される人間が独力で難事をなしたってのが実に面白いと言えます。