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2013年10月30日水曜日

「脈絡なしの中で」




フレデリック・ショパン作曲、バラード第1番ト短調作品23
なんていっても実は私は何の事か分からない、が今毎日この曲を聴いて入眠手続きをする。

何かいい曲がないかと思っていた時、イギリス制作のドキュメントフィルムで知った。
あらゆるジャンルの音楽を私は聴いて来た。音楽はアイデアの源泉だからだ。

ファンキーなモダンジャズの後に演歌、その後にリズムアンドブルース、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、イーグルス。
その後に童謡、その後にウエスタン、その後にプレスリー、ビートルズ、その後にサーマン・マンソンの気狂いロック、その後に石原裕次郎、高倉健、その後にシャンソン、その後に小林旭、美空ひばり、藤圭子、その後にディキシーランド・ジャズ、その後に村田英雄の人生劇場、三橋美智也の哀愁列車、鳥羽一郎の兄弟船、その後にハワイアン、その後に学校唱歌、その後に大好きなトム・ウェイツやジョニー・キャッシュやライ・クーダー、カルロス・サンタナのギターやニニ・ロッソのトランペット等々脈絡なく一日中聴きまくって来た。

中学時代音楽は2であった。
何故1でないかというと、未だ26歳だった女の先生と仲良しだったからだろう。

さてショパンの曲は1835年に作曲された。
ショパンはその時20代半ばだったという。ショパンは7歳にして作曲をしたというから9歳で作曲したモーツァルトより天才だった。

 1930年代祖国ポーランドは分割されていた。オーストリア、ハンガリー帝国、ロシア帝国、プロセイン王国によって。ショパンは逆境にある祖国への熱い思いを抱きこの曲を生んだのだという。39歳でパリで亡くなるまで作曲、演奏活動をした。

バラード第1番ト短調が東日本大震災のあの津波の映像に合わせ、イギリスのピアニスト、スティーブン・ハフの超絶的演奏とシンクロナイズした時、私は目にいっぱいの涙が浮かんだ。わずか9分間の中に戦いと平和、絶望と希望、格闘と静寂、諦念と熱情。
そして十本の指でバンと終わる。

今、心が疲れている、病んでいる、愛に飢えている、孤独に耐えている。
生とは、死とはを考えている。そんな人に是非この曲をおすすめしたい。
泣いて、泣いて、涙をふいてグラスの中を見つめると、生きる勇気が沸いて来る。

鉛色の海、鉛色の空、鉛色の風、無彩色の東北の海に流れるショパンのバラード第1番ト短調、今年最大の収穫の曲であった。人間の感情が全て音符になるなんて。
音符が全て涙のしずくになるなんて。

午前四時七分二十八秒、私はもう一度聴き始めた。
少し濃い目のウイスキーオンザロックを手にしている。東北に行かねばならない。
 3.11を風化させてはならない。私にはやり残している宿題がある。

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