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2014年6月4日水曜日

「乳房の味」




脳梗塞で倒れた父親は全身麻痺なのだが、男の機能は薬の副作用で日々高揚する。
死ぬ程の唸り声を鎮めるために、母親と娘は日々交代で身を捧げる。
貧困を極める狭い家、やり場のない性の声が小部屋に充満する。

子は親を選ぶことは出来ない。
与えられた運命と宿命に従って生きなければならない。

函館といえば夜景で有名だが、この函館を舞台にした映画「そこのみにて光輝く」には闇しかない。救いようのない人間は、光なき深海でかろうじて生きているかもしれない生き物を探す様に、闇色の息をする。

ずっしり重いローキーな映像が観る者の心を暗く沈めて行く。
仮釈放中で無職の弟、父親の薬代と無力化した母親と弟の生活費を稼ぐために体を売る娘。この娘を小柄だが肉感的な池脇千鶴が好演する。
暗闇の中で大きく盛り上がった乳房、起立する乳首にすがりつき、赤子のように吸い付く男は綾野剛だ。自分の不用意なひと言で仲間を殺してしまい、自らの生き場を失った男にとって、その乳房は母の味なのだろうか。

この映画には「神」の存在は無い。
否、もしかしたら娘はマリアであり、男はその子イエスであったかもしれない。
迷い子を救う愛の味。

ラストシーン、波打ち際に立つ男と女に朝陽(夕陽かもしれない)があたる、だがその光は薄ぼんやりとして力は無い。確かに光は男と女にだけ射し込んでいる。

原作は佐藤泰志、監督は呉美保、プロデューサーは私がリスペクトする星野秀樹さんだ。弟役の管田将暉、また善良な社長だが実は肩に刺青を入れた倒錯者に高橋和也。
それぞれ出色の演技であった。モントリオール映画祭のノミネート作品、ぜひ受賞してもらいたい。その時は星野秀樹さんと乾杯だ。

「♪こうとしか生きようのない人生がある」確か小椋佳作詞の曲があった。
堀内孝雄が唄っていた。乾杯の時にこれを聞きたいな、ふとそう思った。
私もこうとしか生きようがない人生だったからだ。

テアトル新宿を出た後、新宿駅へ向かって歩きながら何故か十代の頃の自分を思い出した。マリア様の乳房の味を思い出していた。

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