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2014年6月30日月曜日

「あしたのジョー、の時代展」




ゴツイ、デカイ、コワイ、アバレル、スゴム。
その男の全身には暴力装置の全てが重層的に宿っていた。
夜の銀座でその男は異様な存在であった。
日本のアニメ界の元祖といっていいだろう。

宮﨑駿のアニメがメルヘンチックで、淡き少年少女の恋心であったりする清き正しい作風であるなら。
高森朝雄(梶原一騎の別名義)の生み出す主人公は、徹底的に反抗心に満ちている。
問題児であり、不良少年であり、強い者、ブルジョワジーへの嘲笑と侮辱に溢れている。高森朝雄こと梶原一騎は実は繊細で孤独で、純情で不器用だったのだろう。

梶原一騎の生んだ「あしたのジョー」は1967年〜1973年まで「週刊少年マガジン」に連載された。「ちばてつや」の作画はピカソも敵わない。リング上のゲルニカであった。
あしたのジョーは社会的メッセージを込めて、全共闘で動乱する日本社会へ送った。

それは、戦え!あしたのジョーこと「矢吹丈」は、打たれても、打たれても決して相手に屈せず、血反吐にまみれながらも不敵な笑いを浮かべて戦った。
その姿、真っ白い灰になるまでファイティンポーズをとる姿に、熱烈なシンパシィを生んだ。権力のために少年院に入れられても戦い続けた。
ジョーを想う財閥の令嬢の愛に対してもジョーは不敵であった。

金持ちのお前に何が分かるかと、それは「愛と誠」にもいえる、貧困の中に育った「誠」は、金で全てが手に入れる事が出来る「愛」に反発する。
と、まあこんな事は誰でも知っているはずだ。何しろその人気といったら「村上春樹」の数百倍だからだ。

ブランド志向のチンタラした恋愛物語に共感しているのは、ほぼモテない女とモテない男、恋愛コンプレックス人間たちだ。
私はとことんモテないが、村上春樹はゴメンだ。
悪寒が走り、気持ち悪くなるから(参考の為に嫌々読んでゴミ箱に捨てた)。

七月二十日(日)〜九月二十一日(日)まで、練馬区立美術館で「あしたのジョー、時代展」がある。
ジョーの永遠のライバル「力石徹」ちばてつやの原画100点を展示、故寺山修司、暗黒舞踏の土方巽、秋山祐徳太子やさまざまな芸術家、文化人、日本のトップアーティスト、トップクリエイターたちのあしたのジョーへの感性を知る事、見る事が出来る。
会期中は魅力的イベントが開催される。
戦う事がいかに美しい滅びの姿である事を感じるだろう。


サッカーワールドカップの戦いの時、日本の長友と遠藤たちは神聖なるピッチ上でチューインガムをクチャクチャ噛んでいた。
コレを見た時、こりゃダメだと思った。リング上でガムを噛むボクサーはいない。

疲れただの、熱かっただの、自分たちのサッカーが出来なかったの言い訳のオンパレード。あろう事か僕たちはまだ幼く未熟でした。全力で戦ってなかったのだ。

もう一回あしたのジョーを見ろと言いたい。泣き言は絶対に言わない。
一人でも多くの人に見てほしいと想う。
今の日本人に最も欠けてしまったものを見るだろう。

怪物梶原一騎とは何者だったのか。
きっと叶わぬ初恋を心底大事にしたロマンチストであったのだろう。
練馬美術館から来た案内状を見ながら乾杯をと思ったが、ハタと止めた。
力石徹はジョーと戦うために減量苦と戦った。
何日間も水一滴も飲まなかったからだ。(敬称略)

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