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2010年7月16日金曜日

人間市場 朝ダチ市


外国人は日本に来て必ず驚く事がある。
日本の飛行機は何で正確に離発着するのか、何で電車は正確に行ったり来たりするのか、何でバスは正確に、何でなんで日本人はそんなにイライラ、せかせか、一分一秒を争うのかと。

「ゆうパック」が一日二日遅配になるともう大騒ぎだ。
中高年のイラチ(関西でいうせっかち)が、もしもしいつになったら着くんだ、えー、ハッキリしろなんて電話をかけまくる。玄関に行っては戻り、行っては戻り窓を開けてはイライラする。そして又、もしもしどうなんてんだ、今日着くって言ったじゃねえか、オイどうなってんだよーなんて終いには涙声になってしまったりする。

今こういう待てない症候群の中・高年が増加しているという。
待てない時の心理は余裕がなく、切迫感にせき立てられている。余裕の価値が判らない拙速感や喪失感、抑圧感を知らずに感じやすい環境下にいる。将来への不安、お母ちゃんの恐い顔、子供達のしらけた視線、薄くなった髪の毛と財布。好きな事も出来ない、何もかも思い通りに行かない、イライラする怒りのやり場は宅配便へと向かう。

昔ならおそば屋さんやラーメン屋さんの出前だ、出た出たって言うけど来ないじゃないか、えっ、どうしたんだラーメンとギョーザと半チャーハンは、俺は腹減ってんだよ、なんて水をガブ飲みしながら部屋の中をウロウロしている。チクショウ二度とあの店に頼まねえぞなんて柱に頭を打ち付けたりして余計腹を減らす。

中・高年のイラチには更年期障害の可能性があるという記事を読んだ。
40代後半位から男性ホルモンが下降し、それにより性機能や体力の低下が始まり、ストレスによって抵抗力も落ちてくる。仕事や日常生活で待ったが出来なくなる。50代となると様々な体調不全が現れる、特に性欲の衰えは重大だ。で「朝ダチの有無」が問われる。

ペニスの血管は12ミリと体内の中で最も細く詰まるリスクが高い。ペニスの朝ダチが無くなってくると心臓や脳の血管障害へと進む可能性がある。朝ダチは健康全般のバロメーターにもなるのです。人を車に例えると、性ホルモンはエンジンオイルに相当するという。
朝ダチがなくなりイライラが激しくなったらかなり要注意です。
赤信号を待ちながら足踏みをする、エレベーターのボタンをガチャガチャ押す、電車の遅延があると直ぐ駅員を怒る、動く歩道の上でも歩いてしまう、居酒屋の呼び出しボタンを何度も押すなど、等々。

思い当たる事はありませんか、私は全部有りですね。だがしかし人に言わせると年々穏やかに、優しくなりましたねと言われている。昔の様にイライラしなくなった、待つ事が嫌でなくなった、そうか朝ダチが少なくなったせいかもしれない。最もこの歳で朝ダチしていたら恥ずかしい事か、ならば昼ダチ、夕立ちはどうであろうか。やっぱりイケナイ事かもしれない。 

あちらを立てればこちらが立たずとかく中高年は行きにくい。
年金を貰う歳になって立ちっぱなしなんて言ったら年金を取り消されるかもしれない。
そっと静かにさせねばならない。それにはすこぶる美人とか色香はんなりのいい女しかいない。
勿論熟女もいいかもしれない。

2010年7月15日木曜日

人間市場 雨市

世界中の至る所が亜熱帯になってしまった。日本も集中的にスコールの様な豪雨が降っている。かつては五月雨を集めて早し最上川なんて芭蕉さんが一句詠んでいた様に雨は風情であり、天からの恵みであった。 


雨はブルースであり、演歌であり、小説的であり、映画的であり、俳句的であり、ロマンチックな世界であった。恋人同士の相合い傘、春雨じゃ濡れて行こうの粋、路地の片隅で店が看板になった女を迎えに傘を持って立つヒモ、その姿に哀切があった。 


軒先に逃げ込み濡れた長い髪をハンカチーフで拭く美しい女性に日本画を見る様でもあった。銀座の柳をしめらす雨、バラの花を売る傘さす老女に人生の縮図を見たりした。


みなさんどれくらい雨を知っていますか?調べてみると私自身数える程しか知りませんでした。

霧雨 - 霧のように細かい雨。雨粒の大きさが0.5mm未満の雨(気象庁の定義)。

小糠雨(糠雨) - 糠のように非常に細かい雨粒が、音を立てずに静かに降るさま。

細雨 - あまり強くない雨がしとしとと降り続くさま。

小雨 - 弱い雨。あまり粒の大きくない雨が、それほど長くない時間降って止む雨。

微雨 - 急に降り出すが、あまり強くなくすぐに止み、濡れてもすぐ乾く程度の雨。

時雨 - (しぐれ)あまり強くないが降ったり止んだりする雨。

俄雨 - (にわかあめ)降りだしてすぐに止む雨。降ったり止んだり、強さの変化が激しい雨。夏に降る俄雨は夕立、狐の嫁入り、天照雨などと呼ばれる。肘かさ雨、驟雨(しゅうう)と同義。

地雨 - あまり強くない雨が広範囲に一様に降るさま。

村雨 - 降りだしてすぐに止む雨。群雨、業雨などとも書く。

村時雨 - (むらしぐれ)ひとしきり強く降っては通り過ぎて行く雨。

片時雨 - ひとところに降る村時雨。地雨性の村時雨。

横時雨 - 横殴りに降る村時雨。

涙雨 - 涙のようにほんの少しだけ降る雨。

通り雨 - 雨雲がすぐ通り過ぎてしまい、降りだしてすぐに止む雨。

風雨 - 風を伴った雨。

春雨 - (はるさめ)春に降る、あまり強くなくしとしとと降る雨。「花散らしの雨」とも呼ばれる。

菜種梅雨 - 3月から4月ごろにみられる、しとしとと降り続く雨。菜の花が咲くころの雨。

五月雨 - (さみだれ)かつては梅雨の事を指した。現在は5月に降るまとまった雨を指すこともある

走り梅雨 - 梅雨入り前の、雨続きの天候。

梅雨 - (ばいう、つゆ)5月~7月にかけて、しとしとと長く降り続く雨。

暴れ梅雨 - 梅雨の終盤に降る、まとまった激しい雨。「荒梅雨」とも言う。

送り梅雨 - 梅雨の終わりに降る、雷を伴うような雨。

帰り梅雨 - 梅雨明けと思っていたところに再びやってくる長雨

緑雨 - 新緑のころに降る雨。翠雨の一種。

麦雨 - 麦の熟する頃に降る雨。翠雨の一種。

夕立 - 夏によく見られる突然の雷雨。午後、特に夕方前後に降ることが多い。白雨(はくう)ともいう。

狐の嫁入り - 夕立の、特に日が照っているのに降る雨をさす。天照雨(さばえ)などともいう。

秋雨 - (あきさめ)秋に降る、しとしとと降る雨。

秋時雨 - 秋の終わりに降る時雨。

秋入梅 - 秋雨。秋雨の入り。

液雨 - 冬の初めの時雨。立冬から小雪のころの時雨。

寒九の雨 - 寒に入って(小寒を寒の入りという)9日目の雨。豊年の兆しとされる。

寒の雨 - (かんのあめ)寒の内(大寒から節分まで)に降る雨。

山茶花梅雨 - 11月から12月ごろにみられる、しとしとと降り続く雨。山茶花が咲くころの雨。

氷雨 - 冬に降る冷たい雨。雹や霰のことを指すこともある。

淫雨 - 梅雨のようにしとしとと長く降り続き、なかなか止まない雨。

私雨 - (わたくしあめ)限られた、ある土地だけに降る雨。転じて個人の利得の意もある。

外待雨 - (ほまちあめ)局地的な、限られた人だけを潤す雨。

翠雨 - (すいう)青葉に降りかかる雨。

甘雨 - (かんう)草木を潤す雨。翠雨の一種。

瑞雨 - (ずいう)穀物の成長を助ける雨。翠雨の一種。

慈雨 - 恵みの雨。少雨や干ばつのときに大地を潤す待望の雨。



一つ一つ実に奥深い意味があるんですね。
昨今降る雨は狂雨、殺雨、怒雨です。天が地球に対し、いい加減にしろ、しまいには殺すぞどこまで環境破壊をするんだと殺気を持ってドバーと降りまくるのです。
アチコチで観測史上初を記録しているのです。つまりは天罰です。

私が生まれた岡山ではこんな状態を「ぼっこうきょうてい」もの凄く恐いと言います。政局だ、政変だ、指立てて一番だ、アジェンダだなんて呑気に言っている場合じゃない。国会議員全員土嚢作りを手伝え、人柱になれ、民力結集の手本を示せと言いたい。破防治水、安心安全は政治の基本。毎年同じ事を繰り返している。

愉快人という始末が悪い人種がいる。天地異変や災害風景大好きという人種だ。世の中が騒ぐと愉快で愉快でたまらない。どしゃぶりの雨の中をわざわざ歩き走り、びしょ濡れになり興奮する。実は多いんです、こういう人。放火犯も同じ人種です。こういう人がいたらいっそ濁流の中に飛び込ませてください。

愚妻が乾パンとか缶詰とかローソク、電池とロープを買ってきたりしています。
何を考えているのか判らないでもないが時々ゴソゴソ不可解な行動をする。ロープはローソクはもしかしてなんてSM的発想をしてしまう。誠にもって不謹慎な人間です。どしゃ降りの雨にめちゃくちゃやられて頭に来たのかもしれません。地球に優しくなりましょう。

2010年7月14日水曜日

人間市場 那須高原市


過日、栃木県那須に遠足に行った。久々の那須である。
昨年制作した短編映画「スパゲッティナポリタン」が那須国際短編映画祭のファイナリストに選ばれ、授賞式がある為みんなで行く事にした。

東京駅から新幹線で一時間二十分位で着く。十一時から十二時までが授賞式であるため東京駅に朝八時十五分集合、八時三十六分に出発、赤坂のママさん、元ママさんと私とデスクの上原女史で行った。

映画の内容が青森弁と南部弁のやりとりでオカマとニューハーフ、青森出身の宮本大誠さんと南部出身の吹越満さんの絶妙なやりとりだ。
私たちには何を喋っているか判らない。赤坂のママさんは岩手県二戸出身で言葉が判る。この映画が大好きで恵比寿の東京都写真美術館ホールで一ヶ月上映した時八回も観に来た。故里に帰った気がする、故里で起きたいろんな嫌な出来事が忘れられると言う。

那須へ行くかと聞いたら前の日の夜中までお客さんを相手にして疲れているのに絶対行くと言って付いて来た。元ママは朝まで店をやっていた頃、店を閉店した後元ママの店にみんなで集結して夜明けまで飲み明かした。ママ達のママであった。
当然二人共着物がとても似合う赤坂でも一、二を争う美人ママであった。あの頃から二十四年、お互いに歳を取ったもんだ。見る影は少ししかないがそれなりだ。
列車の中で二人は女子学生の様にキャッキャッと大喜びであった。缶ビールをグイグイ飲んでいた。

那須塩原に着いてそこからタクシーで約三十分、御用邸があるだけあって駅からの道路が整備されている。生憎の小雨模様、左右前後緑また緑の世界。大、中、小の別荘がある。それでもこの不況のせいで随分別荘が売りに出されたり無人になったという。

目的地、南ヶ丘牧場に着く、お洒落なヒュッテ風の処が会場だ。



始まるまでオープン喫茶に私の処の社長鈴木智暢君と監督の兼重淳さんが来ていた。
若い映画人達がいっぱい来ている、町長さんも来ている、主催のスタッフ達がキビキビと動いている。ママさんたち牛乳うまーいと子供の様、水が冷たく旨い、それ故珈琲も紅茶も旨い!水は全ての基本だ。
いい土、いい水、いい牧草が有名な那須和牛を生む事が出来る。いい牛から美味しいハム、ソーセージ、チーズ、ジャム、アイスクリームが生まれる。昼はジンギスカンで決定した。



受賞式では残念ながらグランプリは貰えなかった。若い監督の作品が受賞した。オオーという声が発表とともに上がった。嬉しそうに受賞のスピーチをした若い才能が自信をつけ更にいい作品を作ってくれたら何よりである。
賞金三十万円をはにかみながら受け取っていた。一週間近い会期、アチコチの会場で出品作が上映され盛況であったらしい。

「那須七湯」のポスターが貼ってあった。那須温泉、鹿の湯、大丸温泉、北温泉、弁天温泉、高雄温泉、八幡温泉、三斗温泉、それと那須五峰のポスターも。
朝日岳、茶臼岳、鬼面山、南日山、黒尾谷岳、東京からわずか一時間二十分で素晴らしい大自然に会える、美味しい水が飲める、都会ですっかり汚れちまった心と体を今度ゆっくり洗いに来ようと思った。


毎日仕事ばかりしている人々よ、たまには自分を癒してあげようではないか。
時間は工夫すれば必ずできるものだ。お金は少しずつ貯めれば小さな旅くらいは出来る筈だ。今度とかいつかとか先送りが一番いけない。行動することだ。忙しいからは一番いけない理由だ。超一流でもの凄い忙しい人ほどしっかり旅人になっている。どこでもいい、半日でも一日でも一歩外に出ることだと思う。


外でのバイキングは大盛り上がり、牛肉と羊肉、新鮮野菜山盛りてんこ盛りであった。そろそろ岩手さ帰るべかなんて訛っていた。底抜けに楽しそうであった。
夜の赤坂では絶対に見せない顔だ。遠足はいい歳になってもいいもんだ。
お前そろそろ堅気になれって言ったらうっすら涙を流した。

2010年7月13日火曜日

人間市場 セックスレス市

世界中でいま赤ちゃんをつくる事を防止するゴム製品が売れ続けているという。
サッカーのW杯のせいらしい。興奮が新たな興奮を呼び起こすからだ。オリンピックの時等も同じ現象が起きるらしい。

特にW杯はオリンピックと違い後進国や貧しい国が参加し主役となれる、それ故W杯ベビーが爆発的に出来る。先進国はそれを防止する製品でベビー誕生を防ぐ。そこでゴム製品が売れに売れるらしい。

NHKの朝イチという番組で有働由美子がいきなり四十代のセックスレスが今深刻ですなんてやったもんだからもう朝からてんやわんやとなったらしい。こんな蒸し暑い中、そんな事してられっかなんて四十代の男・女、いやそんな中でもやっぱり愛は大切よなんて言う男・女。

とある家庭の朝、出社前といっても奥さんだけご主人は失業中、納豆なんか掻き混ぜながら、薄くなった毛髪、温水洋一の様になった頭で久々にこれからやっかなんて言う。出船入船朝の一発っていうぜ。

ゲッ冗談じゃないわ気持ち悪い、何よその納豆混ぜてる手付き、手にネバネバ付いているわよ。やめて見ないで今日は忙しいんだから。
結婚前はこんな酷い姿になるなんて夢にも思わなかったわ。今日はハローワークに行く日でしょ、いつまでも大きな会社に居たんだなんて気持ちを捨てて何処でもいいからお願いしますって言ってよ。

ヤメテヤメテ何近づいて来てんのよ。朝イチからNHKは何考えてんのかしら。マズイ、もう出掛けなくちゃ。今日は遅くなるから起きてないでよ、第3のビール飲み過ぎじゃないの下っ腹が出て、本当のビールは私が飲むから絶対飲まないでよ。
それから洗濯物干しておいてよ下着は自分で洗って自分で乾かすからいいの、余計な心配しないで。絶対触れないでよ。

エッ僕達ずーっとセックスレス。
コレでも夫婦かだって、全然夫婦じゃないわよ部屋代が勿体ないから渋々一緒に住んでいるだけ。早期退職金未だ残ってるし。一流の大学出たって二社もリストラされるなんてあなたはプライドが有り過ぎて自分の本当の所が全然見えてないのよ。

私たち失敗失敗大失敗よ。この間高校の同級生と街でバッタリ会ったけどまるで変わっていたわ。ジーンズに白い麻のシャツ、陽灼けた肌、黒のジャケット、携帯教えてと言うから教えたわよ、チョットチョット、ゴハンがボロボロ落ちてるわよ。だらしないんだから、ほらテレビでも言ってるじゃない、抱かれたくなる男が少なくなった、セックスなんて面倒臭いだけだって。あら、あなた泣いてんの?納豆食べながら四十男がゴハンボロボロ涙ポロポロなんてもうお終いにしましょ。なんて光景が想像される今日この頃です。

四十男にとって生きにくい世の中になっているのです。リストラに怯え上司の誘いを断れず、酒の席では若い社員の前でコケにされ、酒のつま味にされる。
給料は上がらず出世はままならず、頭の毛が日毎薄くなり朝が恐い、エスカレーターの下りが恐い、電車の中座っているのが恐い、女性に頭の薄さを見下ろされている気がする。
チキショーなけなしの金で買った育毛剤なんて全然効かない。個人差有りなんて米粒みたいに書いて詐欺だよ全く。

女房の奴はどんどんスーパーブランド化して行く、何が自分で働いたお金は自分のお金よだ。あなたの子供なんて絶対作りたくない、それにはセックスを絶対しないなんて言いやがる。よし今日はパチスロで絶対勝って風俗行って遊んでやる。若くていい娘を指名して発散だ!

酒の席で朝イチの特集の話が出たので即興で作ったでたらめなドラマです。
こんな夫婦がない事を心より祈っています。四十代は男盛り、女盛り、肉弾相撃ち合ってガンガン行って下さい。やればやる程男も女も磨きが掛かって魅力的になるんです。

疲れているからなんて言っていては駄目でござんすよ。やるだけやったら肩たたき合い、ハイお疲れさん明日又ね、創意工夫、良いアイデア、お互いに考えておこうね、となって下さい。四十代私にとっては遠い昔の話です。

コラッごはんがボロボロ落ちている、新聞読みながら食べない事。
朝イチはまず熱いシャワーを浴びていい香りのオーデコロンでもそっとつける事、耳の裏、首筋、脇の下。ここが一番大切ですよ。
アラッ今朝は何だかあなたいい香りなんて言ってもらえるかも。

2010年7月12日月曜日

人間市場 お弁当市


男子厨房に入らず私は台所に立って料理を作る事はない。
但しお弁当は気が向くと作ってやる。お弁当は料理ではないデザインだからだ。

朝方まで起きていると時々、よし弁当でも作るかという気になる。
和菓子が入っていた入れ物とかお赤飯をもらった時の入れ物とか果物が入っていた籠とか入れ物はアイデア次第で色々考えられる。二人しかいないので残り物が冷蔵庫の中に入っている。少し炒めたり、焼いたりする。材料もあるが決して料理ではない。

私には三人の姉がいた。とにかくうるさい姉達であったが弁当だけは最高に美しく旨かった。三人共に料理と盛り合わせ、盛り付けが抜群であった。
どこから箸を付けていいか判らない程であった。料理と掃除以外は全く自慢出来た姉ではない。中学と高校一年まで弁当を作ってくれた。

小遣い稼ぎのために弁当をよく売ったというより買わせた。
どの友人の弁当より高く値が付いた。ウインナーソーセージ、鮭の切り身三分の一、鰆の西京漬三分の一、昆布少々、京漬け少々、しじみの佃煮、明太子少々、これは角のコーナーに玉子と挽肉のそぼろ、それにシラス

黄色と白と茶色。ご飯は二段仕込み、真ん中に海苔を忘れずに。色合いに赤いプチトマト、緑色のピーマンの千切り、最後にデザートのさくらんぼ、これらを思い思いにレイアウトしていく。イメージは北海道の富良野の大地である。何しろ長年の不眠症なので時々こんな事をする。息子とか息子の嫁さん、愚妻も食べる。
天の邪鬼だし小食だがきちんと食べきっている。どうだ、旨かったろと言うと「うん、まあね」位しか言わない。可愛気のないのである、きっと悔しいのだ。

自分が作るのより勝っているので、愚妻は出かける時よく弁当を作って置いて行く。
私が弁当大好き人間だからだ。息子と嫁さんはグランパのお弁当は最高だよ、凄くキレイと言ってくれる。

デパートの食品売り場で弁当売り場に行くのが好きだ。何だか旅した気分になる。
勿論駅弁大会(京王百貨店)は大好きだ、列車に乗ってる気がするからだ。いろんな物が沢山キレイに入っているのが好きだ。カツ弁とか牛肉弁とか豚ショーガ焼きみたいな麻雀で云うとリーチのみとかリーチピンフウとかメンタンピンくらいでは承知出来ない。
国士無双みたいに十三種位入っているのがいい。食べる楽しみより探す楽しみだ。

ある日、日比谷公園を横切っていると公園のあちこちで左手にコーヒー牛乳片手にパンとか、うら若き女性が吉野家の牛丼とか大の男がプチサンドと缶コーヒーとか几帳面な中年男が膝の上にハンカチを引きジュラルミンの弁当箱を開け右側に小さな魔法瓶を置いている。天を暫く見てからふーと大きくため息をつき、マイ箸を出してやおら食べ始める。少し泣いている様に見えるのは何故だろう、気のせいかもしれない。

更に公園を出て歩いて行くと道路工事の現場近くの日陰の道に工事職人さんが座り込んで愛妻弁当、見るからにご飯の量が多い。首に白いタオル、額から玉の汗、陽に灼けた肌、タフな男の姿だ。

私の息子も職人だ、きっと炎天下やゲリラ豪雨の中どこかに身を隠し愛妻弁当を食べているだろうと思った。弁当は人生の縮図である。コンビニやスーパーが出来て以来手作り愛妻弁当は減ってしまっている。

愛妻弁当を食べている夫婦の離婚率は低い。
1500円から3000円位のランチを食べている夫婦の離婚率はランチの値段が高くなる程高くなっていくらしい。
朝マック、昼マックの行列をしている人達は肥満と不満の行列だ。

さて、私は実は料理は何でも作れる。親が働いていたので自分で作る事を覚えた。
姉たちの料理作りを見て育ったからだ。だが男が台所に立っている姿はヤメテという約束に近い事があり又、疲れてそんな気にもならないので一切しない。


堺正章のチューボーですよという番組が好きである。
料理上手盛り合わせ上手になるにはいい店を食べ歩かないと決してなれない。

2010年7月9日金曜日

人間市場 田植え市


男に色気が無くなってきたなと感じる。遊ばないからだと思う。
遊びに投資する余裕もないサラリーマンの平均小遣い六万円位、昼食代五百円、飲み代月平均31回の飲み代平均四千九百円、これでは何も出来ない。

新橋の機関車広場でインタビューされると、カアチャーンお小遣い上げて下さーい。なんて酔っ払っている。

遊び人(ヤクザではない)は、夜の粋、朝のしらふといい、昨夜した事は全て男の粋だから忘れてくれろ、朝は何事もなかった仲で別れよう。
こんな事が出来なくなった。夜は○×さんツケ溜まってんのよ、朝は全く始発まで寝かせろなんて最低ネとなったりしている。交際費はカット、タクシー代は一切出ないからだ。
朝マックとかネットカフェで仮眠している姿が切なくも悲しい。青山とかコナカとかAOKIのスーツが汗にまみれている。
家に帰ると、あなた臭いとか娘にはお父さんダサイなんて言われる。ふざけんな、俺はヘトヘトになりながらバカだアホだと言われながら働いてんだバカヤローと、決して口には出さない、出したらとんでもない反撃があるからだ。

京都の祇園に伝説の遊び人がいる。
深夜になると化粧を落としたお姉さんや舞妓はんたちがスナックに集まって来る。
そこでおと〜はんは人気者である。祇園で知らない人はいない、土地の親分も一目置く。祇園の事はこの人に頼むと全て可能となる。

何しろ一代で何代も続いた大店を祇園の遊びで潰してしまったのだから。その人と話をした時、何が一番楽しかったですかと聞くと「そうでんな、やはり田植え遊びやろかな」と言った。田植え遊びとは広い部屋に京豆腐をびっしりと置き、そこに一万円札を稲の様にこよりにし、お姉さんたちの着物をはしょらせお尻を丸出しにし、自分も一緒に田植え歌を唄いながら一本、二本と一万円の稲を植え込むのだという。

綺麗でっせ、お豆腐の白い色とお姉さんのお尻。
一万円がずらっと並んだ風景、それを見ながら一杯や、どうやったらいっとうお金を使い切れるか考えたアイデアでんな。商売が嫌で嫌で仕方なしやったんです。おと〜ちゃんこっち来て一緒に飲みよし、今晩うちとこ寝ていってよろしよ、ほなそうさせてもらうわ。なんて会話が自然に交わされている。歳は言わないが七十代であろうと思う。
少し男っぽい歌舞伎役者の佇まいであった。

田植えでは一晩に一千万、二千万を平気で使ったという無敵の遊び人であった。
祇園では芸能人は余り人気がない、ケチであり自分のお金で遊ばない。人の金で遊ぶ男は必ずモテない。

逆にモテるのは一文無しでヒモの様な男、この人は私がいないと生きていけないそんな母性本能をくすぐる男、売れない役者、売れない物書き、売れない絵描き、足を洗えないヤクザそんな男にはとことん尽くすのだ。売れっ娘は売れない男好きという事だ。
後を通っただけ、前に立っただけで体の芯にゾクッとする色気を感じる、そう言わせる為には夜の学校で月謝を払って男を磨かないとならない。飲み代を現金で払ったり、領収書下さいなんて言ってては遊び人にになれない。それじゃ帰り後はよろしくで終わりが正しいのだが。

隣の席で飲んでいる男が今日さぁー電車に乗っていたら前の席に座っている女の子の胸の谷間オッパイバレーていう奴、凄くいいのずっと見とれていたら駅を二つ乗り過ごしてしまいましたよ、なんて一生懸命場を作っている。五人連れの中で一番若い男だ。銀座の高い店に連れて来てもらってすっかりハイになっている。

銀座の女の子は今や獲物を追う獣の様になっている。
目はギラギラと輝き携帯を打ち続ける。祇園とは違う、はんなり感しんなり感が銀座にはなく遊び慣れた私は獲物を待っている処には近づかない。ただしかし若い男たちがどんどんつまんなくなっているのが心配だ。持ち金があれば豆腐にお札をたっぷり植えてこれ持ってけなんて言ってやりたいのだが。
凶作、不作である。

2010年7月8日木曜日

人間市場 寝室市

天上にへばり付いた20Wの蛍光灯が五本、そのうちの2本が寿命を迎え最後の力を振り絞ってピカッピカッと規則正しく光る。蛍光灯の両側が黒く痛んでいる。
六畳の板の間にマットレス2枚、その上にガーゼ地の敷布、タオルケットが私の寝具である。

この場所は寝室ではなく寝る場所である。
マットの周りには読みさしの本、使わなくなったルームランナー、小さな文机、指で押さないと映らない古いテレビ、アロハシャツやTシャツ類を入れた4つのケース、枕元にお気に入りのバカラのグラス、水差しデキャンタがある。足の踏み場はない。

知らない人が見れば物置である。
自然に出来た雑然、私はこうした空間が好きである。降りしきる雨音と死にかけた蛍光灯の光、ピカッピカッという小さな音のフュージョンが何ともいえない私好みの風情となっている。そこで今二人の作家が書いた宮本武蔵を読んでいる。

一冊は六十歳でデビューし現在八十歳の作家、加藤廣氏の「求天記」486頁。
もう一冊は小嵐九八郎氏の「悪武蔵」546頁だ。両作家共私は大ファンである。
「求天記」を読了し「悪武蔵」に突入している。遅読であるので中々先に進まない。





私は寝室という空間が奇妙でならない。
偶然知り合った男と女が毎日一緒に寝る。何となく不気味ではないかと思う。


過日友人の個展で久し振りに懐かしい人に会い一杯飲んだ、現在六十八歳だ。
この人は面白い人で大会社の役員であった。奥さんはミス鎌倉であった。四十二歳の厄年を目途に自らを鍛えたのだ。それは伊賀、甲賀、根来忍者も成し得なかった修行だ。

深夜家に帰るとそっとベッドルームに入り自分のベットに入る。しめしめ女房は眠っている。ベッドに潜り込もうと思った瞬間、隣のベットの中から二つの目がギョロリと睨んでいる。うへぇ〜と潜り込む。翌朝は修羅場となる、又浮気したわねと散々罵られる。

ある日ピッと閃いた、そうだ女房の前ではインポになればいいのだ。
自分がインポである事が証明出来れば浮気はしていないが正論として成立する。それからは無念無想ソープランドへ通い詰めあらゆる手法、口法、体法に対しても反応しない自在な息子を育てあげたのだ。

三年の月日、莫大な経費と精を放出した。その間奥さんは熟れた体を持て余し求めに求めた。当初は心とは裏腹に息子は反応し続けたが鍛錬の結果が出始めた。性豪のあだ名を持つその人はその間当然若い女性を抱き続けていた。そして遂に大願成就した。

あなた一体どうしたの、何をやっても一向に反応しない。インポなんだ駄目なんだ、だから浮気なんか出来る訳ないだろうという事が証明された。奥さんはガックリ方を落とし最低と言ったという。

その話を久々に聞きみんなで大笑いとなった。が、話は変わった。やっとオムツが取れたんだよ、何だかスッキリしてんだと言ってグイと一杯飲んだ。8ヶ月前に前立腺癌を手術していたのだ。もう鍛錬の必要無しだよと言って力なく笑った。

寝室は今でも一緒なのと聞くと、まさかずっと昔から別々、自分だけ狭い処で寝てるんだ。ここが又いいんだよ、物置みたいだけどねとなり、私の物置寝所論と一致し話は盛り上がった。


楽しい酒を飲み別れ際、いま若い子と遊んでいるんだと言った。
色々遊び方はあるものだよと言って駅に向かって行った。やはり性豪であった。
この人は有名である。奥さんはその後どうしたかはご想像に。

2010年7月7日水曜日

人間市場 七夕市


短冊に願い事を書いて笹竹に吊す。
七夕飾りは女性が裁縫の上達を祈る中国の風習「乞巧奠(きっこうでん)」の影響を受けているそうである。


日本に伝わったのは奈良時代、祈る対象は牽牛と織女の二星であった。
これと巫女が水辺の棚で機を織って神を迎える「棚機つ女(たなばたつめ)」の信仰が結びつき、平安時代の宮中では毎の幸や山の幸を五色の糸を通した金銀の針を供えて詩歌や管弦などの技術の上達を祈った。東京大宮八幡宮ではその様子を再現している。短冊代わりにカジノキの葉が使われている。七夕が民衆の間に広がったのは、寺子屋が増えた江戸後期、子供達が手習いの上達を願ったからではないかと思われるという。

仙台、阿佐ヶ谷、平塚が日本の三大七夕祭りという。十代の頃不良に明け暮れた時期、阿佐ヶ谷の七夕祭りは喧嘩祭りであった。あちこちの不良少年少女がたっぷりと集まってくる。それぞれが群れを作り一触即発の雰囲気がヒリヒリとアーケードの中に漂う。やがてアーケードの裏通りや近所の神社で喧嘩が始まる。

それは夜明けまで続く、勿論私はその中心であった。
ここでビシッとした結果を出さないと一緒に連れている織姫さんにも顔向けが出来ない。決して負ける事は許されないのだ。正直痛い事、痛い事。体中の全てが痛い。だがこの痛さが又たまらなく好きであった。

一発一発打たれ口が裂け、鼻血が出、歯がグラグラすると自分の中の狂気が目覚め闘志が沸き上がってくる。両手の拳はヒビが入り指は二三本骨折する。織姫に部屋に帰って氷で冷やして貰う。オキシフルで消毒してもらい、赤チンやヨードチンキを塗って貰う。両手に湿布薬を小さく切って貼り包帯で巻いて貰う。

織姫が今日は七夕、何か願い事をしたと聞かれると何もと言った。何でと言うから何もねえからだよと言った。こんな生活そろそろ駄目かもねと言うからそうかもなと言った。サントリーレッドをコップに入れうがいをする。
口の中、歯茎一本一本の歯まで沁み込み痛みを実感する。体中の打撲の跡に冷たいスプレーをかけてもらう。四畳半、簡易ベッド、小さなタンス、小さな台所、ガスコンロ一台、力なく回る扇風機、ヤカン一つ、小さな電気釜一つ、茶碗二つ、湯呑みが二つ、ただそれだけであった。

母親から長い長い手紙が来ていた。居ない間に自分で持って来ていたらしい。時々訪ねて来た。今でもその頃の手紙をとってある。七夕の頃になると阿佐ヶ谷を思い出し、荻窪のアパートの一室を思い出し、今でも曲がったままの六本の指を見つめる。あの頃のみんなどうしているだろうか、元気にしてろやと願う。

平塚は私が住んでいる街の隣街。越して来た頃はよく行ったがこの頃は行かない。
人混みが苦手になっているからだ。息子達と孫達が行って来た。お小遣いをあげたら喜んでいた。
ワンパクでもいい、おてんばでもいい、元気で丈夫に育って欲しいと心の中で願っている。幸い私の娘と息子は超真面目である。酒も何故か飲まない、人とは争わず見栄も張らず清く貧しく美しく生きている。勿論喧嘩や博打や女遊びもしない。
本当に私の子であろうかと思う程だ。きっと父親が人の何倍もいけない事をしたのでお天道様が悪い遺伝子を断ってくれたのだろう。

そんな私も人生の最終コーナーを回りゴールテープが大きく見えて来た。
どんなズタズタ感でテープに向かうだろうか、又はゴールテープまでたどり着く事は出来ないかもしれない。こんなに長生きするとは夢にも思っていなかった。

自分のラストシーンへのシナリオを今、色々考えている。歴史に残るような劇的なラストシーンにしたいと思っている。無様な姿だけはさらしたくないと思っているのだが。罪と罰がありすぎたからお天道様も大いに迷う事だろう。

人間市場 土下座市

東京の近くのある県に一人の男がいる。
この男の財力の前に政界、財界、芸能界、映画界、ヤクザ界、相場屋界、相撲界、落語界、歌舞伎界、およそ○○界、××界、△△界と名の付く世界の人間が跪き土下座し泣き崩れ、若いアイドルを貢ぎ物に差し出し金を借りる。座長公演などをやるとチケットを売らねばならない。大変な負担が座長にのしかかる。文字通り体を張らねばならない。

選挙資金、会社の不祥事のもみ消し金、買収金、悪い女に食いつかれた財界人の手切れ金、芸能界は見栄と虚飾の世界、お金は幾らあっても足りない。自分の芸の不足は体で補うしかない。

博打で大負けした者、相場で負けた者、若い衆のケツまくり内乱を治めなければならない親分、幹部。映画作りで大穴をあけてニッチモサッチモ行かなくなった男。毎日門前市を成すが如く金を借りに現れるその人間達を土下座させ見下ろす。その快感は見てくれの悪い小太りの小男にとって何事にも代え難き快感である。

私の長い友人がいる。画家である。その友人の娘がある大きな劇団に入った。
政治家とつながりが強い事で有名な劇団である。娘さんは待望の劇団員になれた、すこぶる美人で可愛い娘さんである。

ある日座長の男に一緒に付いて来る様にと言われお供をした。都内のホテル、大きなスイートルームである。そこに小男は現れた。座長はいきなり土下座し、お申し込みの件何卒、何卒と頭を床に擦り付けた。娘は何事かと思った。普段は鬼より恐い人だし、又心より尊敬もしていた。劇団員数百人を率いる人である。

何やら泣きわめき続けているではないか。十九歳の娘も勝手が分からずつい一緒に土下座していた。お〜君はいいんだよ君は、手をあげなさいと抱き上げられた。
小男の腕が娘の胸に当たった。気持ち悪いと思った。やがて二人は隣の部屋に行った。娘は椅子に座らされていた。座長が来て僕は先に行くから君は少し残って先生のお話の相手をする様にと言われた。

えっ、私嫌です一緒に帰りますと言った。小男がいいじゃないかルームサービスで美味しいワインと美味しい物を食べようと言った。いいです嫌ですと言った。バチン、座長は娘の頬を叩いた。特別気の強い娘は受話器に手を付けた。後から又叩かれた。
嫌です、何ですか気持ち悪いといって大暴れした。その後どうなったか、小太り小男は警察に訴えられた。座長は元大臣にとりなしを頼んだ。

当然娘さんは劇団を辞めた。
その父親は私の処にこの話を持って来た。娘はすっかり人間不信となり落ち込んでしまった。許せない、警察に訴えたがとんでもない大物とかで腰が引けて何も出来ない。一部のマスコミが騒いだが一気に押さえ込まれてしまった。娘の友達の話だと何人も被害に遭っている、でも大きな役をもらうためだから仕方ないと割り切っている娘が多いという。

どうしたらいいだろうかと言っても私は必殺仕掛人じゃないしなと言った。
石が浮かんで木の葉が沈むだな。テレビに横綱白鵬はじめ関取ずらり。武蔵川理事長以下理事ずらり、そして最敬礼のお辞儀、誠にすみませんでした。

その頭を下げている中にあの小太り小男に土下座して金を借り続けている者を知っている。何が国技だと思いながら私の親友の娘さんの忌まわしい過去を思い出した。

博打と女は一度はまったら余程の強い意志がないと抜けられない。
私は見事に抜けた。鉄の意志で。酒だけは止める気がない。心はかさねても体はかさねない、特定以外は。汚い生き方はしたくない。決して屈しない。人生は意志との戦いだ。


2010年7月5日月曜日

人間市場 ヘビー級市

七月二日午後四時、二人の女性が来社された。
一人は今年の二月六十二歳で急死した親友の愛した女性。一人は親友のデスクをずっとしていた女性。彼女たちは過日沖縄の海に親友の遺骨を散骨して来たのだ。その報告に来てくれた。青い海に白い影、まるでジュゴンが泳いでいる様であった。





一年に一度彼女と二人でバリ島に行くのが楽しみな男であった。何故妻がいるのに妻がしないのか。夫婦仲は難しいものである。男は神奈川の辻堂に住まいが有り、東京までキャデラックかハーレーで通っていた。子供は男三人、二人は双生児である。花火職人、料理人、庭師であるという。既に三十代中頃だ。

毎日ハードな仕事、ストレスを溜める仕事をする男にとって妻が待つ家はいつか安らぎの場所でなかった。酒も飲まず煙草も吸わず仕事をしている時が一番イキイキしていた。私とは二十代の時からの付き合いでお互いに仕事を頼んだり頼まれたりしていた。

親友が亡くなった後、妻は通夜にも告別式にも来ない。そちらで勝手にやって下さいと言って来た。又お墓もありませんから、どこかに散骨でもして下さいと言うではないか。一体どういう夫婦だったのかと思った。

夫婦とは元々赤の他人と云うがそれにしても血も涙もない。
私の目の前に居る女性は散骨の写真をアルバムにして今なお精神的に立ち直れず少々鬱状態であり、何度もすみませんと言いながら涙を拭った。
聞けば全ての遺品は処理したが小さな引き出しの中に私が出し続けた手紙と葉書をしまってあったと言うとても大切にしていましたと言われ私の目頭は熱くなった。


わずか半年前までは身長180㎝、体重76㎏の男が大きな声で自慢のアイデアを私のところのスタッフに熱く語っていた。僕は時々自分は本当に天才じゃないかと思うんですよと本気とも冗談ともつかぬ口調で語っていた。

私は「よろず相談室」を開設しているので様々な相談が来る。
今気が重いのは70代夫婦の離婚話だ。先週の深夜奥さんから電話、今夜は出張でいないからと約一時間半その内容の重い事。近々お会いする事にした。早く会って下さい、そうでないと私が何かされるか私が何かするかもしれないと言う、物騒な内容だ。次の日それとなくご主人に奥様はお元気ですかと聞くとあの鬼婆と言った。息子さんが私の処に居た事があり私達夫婦が仲人をした。息子は香港にいるのだがこの間離婚した。人生とは一つの歯車が壊れると一気に崩壊を始める。

一人の女性は中堅の画家である。デパートで年六回個展をする。相手の男は私の後輩、先日胃癌の全摘出手術をした。長年の老人介護のストレスと疲れが原因だと本人は言う。彼女は夫婦別れし画業に専念したいと言う、そこにはもう愛のカケラもない。

この歳になって受ける別れ話はヘビー級の内容が多い。
年金、仕事減、介護、老人ホーム、葬式お墓、保険、借金、保証人、裁判等々の言葉がワンツーパンチの様に浴びせられる。
共通しているのは男はオタオタし女は矢でも鉄砲でも持って来いという開き直りがあり男はグダグダ未練がましい姿だ。こんな相談を後二つ三つ受けている。若い愛人を作り金目な物をみんな持って逃げた。かつての良妻賢母、一度の火遊びが眠っていた女の本能に火を付けてしまった。

その逆もいる。石垣直角マジメ一筋で無事定年を迎え、ほっとひと遊びしたのがこの世の終わり。男は未だ行方不明。退職金をソックリ持って早数ヶ月娘さんに時々メールが入るとか。お父さんは今とても幸福だなんて。探して下さいと言うから嫌ですよと断った。


尾崎士郎は人生は劇場だと云ったがまさに一寸先は闇の世界だ。絵に描いた様な幸福な世界はこの世にはない。トンネルを抜けるともっと長いトンネルだった。夢から覚めるとそこは悪夢だった。心を鍛えておきましょう。