11月27日(土)毎年夏に行われている江の島の花火大会がこの日行われた。
何故か?諸説ある。
APECの警備対策のためとか、不景気で大量の打ち上げの数が必要な夏は行えないとか、夏は若者達が集まりすぎて事件が起き過ぎるとか、冬の花火も夜空は澄み粋でいいではないか等々である。
※写真をお借りしました。 |
六時から打ち上げ開始、家の物干し場から良く見えた。例年の半分位で終わった。
冬の花火はモノクロームの世界に多彩に色をちりばめた様で美しいがとても儚いしなんとなく切ない。夏の体感温度の中ならビールを飲みながらだが寒気の中ではぬるめの酒を手に花火の音と色を楽しむ。
冬の花火には何か血の香りと血の色を感じた、どこかで同じ気分になった事を思い出していた。そうだ乃木神社だ。先日大学で建築を学ぶ全国の生徒たちの日本一決定戦で選ばれた作品展を乃木坂に見に行った。
待ち合わせより少し早く乃木坂に着いたので何となく乃木神社に一人で立ち寄った。
そこは一歩入るとタイムトリップした様に軍国の香りがする。
日露戦争で有名な二百三高地で戦死した数万の血の色がどんよりした空気の中に見えて来る。
乃木大将夫婦が住んでいた住居は小さく狭い。夫婦で殉死した部屋などは子供部屋の広さだ。ガラス越しに血の形をした軍人が見えて来る。それは冬の空に打ち上がっては散って行く赤い花火の様である。この住居に老夫婦が住んでいたら生きている事に何の意味も感じないだろう。軍人は戦場が住居なのだから。
江ノ島神社 |
児玉神社 |
児玉は二百三高地をいとも簡単に陥落させ戦場を去った。
乃木希典は愚将といわれ続けたが天皇崩御と共に夫婦で殉死し軍神となった。明治の大砲の音に似た音を出し彩やかに上っては散る花火に江の島と乃木坂が繋がっていた。
冬の花火には何か哀切さを感じた。
一方日本一決定戦に勝ち残った学生達の作品は驚嘆すべき才能の花火であった。
第一位、二位、三位、そして特別賞数点。藝大建築科を首席で出た一人の女子学生の作品が展示されていた。
広島の軍港のドッグだった場所を再生し都市を作るという素晴らしい作品であった。他の若者たちの誇らしげな凄い作品も見てつくづく若い才能を羨ましいと思った。
三メートル近い模型は精巧を極めていた。信じられない繊細さだ。
少年の頃私の通信簿で図画工作は確か一か二であった。
一本の通りを向かい合わせにして日露戦争という破壊とこれからを創造して行く若き建築家たちの空気は青空の下、全く違って見えた。
冬はやっぱり鍋ですね |
冬の花火を見終わった後、今年初めて大好きなたらちり鍋を食べた。
風邪をこじらせ声がよく出ないのでそっと静かに。
そう言えば何年か前に神楽坂のたらちり鍋の美味しい店にミシュラン関係の日本人料理批評家とフランス人の男が三人で居た事がある。食べながらこれ最高に美味しーい、トレビアン、本当は星三つと言っていたとか(フランス語が分からない)。
しかし当然ミシュランの星などは一つもなかった、そんなもんなのである。
ガラガラなのに絶賛上映中とか大ヒット中という映画と同じ批評家は全く当てにならないのだ。