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2020年2月27日木曜日

第28話「私は花粉」

私は「花粉」である。私花粉は人間から集中力、注意力、会話力、思考力、判断力、記憶力などを奪う。私花粉がバッチリ入り込んだ時、花粉症となる。私花粉にとって人間をくしゃみ地獄、鼻水地獄、目しょぼしょぼ地獄にすることぐらい、楽しいことはない。大男が目を真っ赤にして泣いている。美人がボタボタ鼻水をたらしている。目からウロコではなく、目からマスカラが流れ落ちている。時あたかも新型コロナウイルスで、世界はパンデミック状態にいよいよなった。日本政府の打つ手は、後手、後手である。島国日本の最大の弱点は、危機管理能力が無いことだ。東日本大震災の時民主党政権を徹底的に批判したが、ブーメランのごとく今自民党政権に襲いかかっている。やることなすこと後手ばかり、何故か国のリーダーたちは、現場に出ない。役人の報告だけを聞いて指示を出す。重要会議を欠席して、地元の新年会に出ていた小泉進次郎や大臣たち。これはもう語るに落ちるしかないと言うしかない。決死の覚悟というが、一国のリーダーたちには、この覚悟がなければならない。へらへら笑ってんじゃないぞと言いたい麻生財務相。チャラチャラ隣に話しかけて笑っている茂木外相、いつも寝てんだか起きてんのか分からない河野防衛相、検事総長への人事を、書類でなく口頭で決裁したという。法治国家としてありえない森法務大臣、我々はアマゾンの原住民ではない。もっとも原住民の方が、リーダーシップの在り方がしっかりしている。私花粉はあきれてものが言えない。厚労大臣の加藤勝信は次の次の総理大臣候補と言われているようだが、顔が笑っている。本気度がない。いま、そこに起きている大事が分かっていない。閣僚みんなクルーズ船の中に入れよと言いたい。官房長官・菅義偉なんかは、すっかり「花見の会」の対応で疲れてしまっている。大実力者だから陣頭に立ってほしい。私花粉はもう目を開けることも、息もできない位になっている。浅田真央ちゃんがフラメンコを踊っている、CMの商品「ナザール」を買って、鼻からプチュプチューと入れたが、あっという間に出なくなった。1680円は高過ぎる量だ。地球温暖化による異常気象、大災害、大火事、大雨による大洪水。南極の温度が18度とか。大自然が人類が生んだ文明社会に対して、最後の通告を始めたような気がする。すでにSFの世界にいるのかも知れない。私花粉はティッシュの箱を持ち歩きながら、ブツブツ言っているのだ。検事総長が権力者の番人になっては、誰もチェックができない。森法務大臣は弁護士である。法律をしっかり学んだのか疑問を感じる。私花粉は人を見ると鼻水が落ちるので、逆さまになったりしている。400字のリングを書くのも大変で、タオルで鼻を押さえている。目は涙でしょぼしょぼだ。集中力を欠いていて。昼喫茶レストランで珈琲を飲みながら、大阪から来てくれた後輩と話をした。そしてサイフを椅子に置いたまま出て行ってしまった。夜仲間と食事をして、いざ勘定となった時、サイフがない、ヤッバーイ、いろいろ思い出しながら、もしかしてあの喫茶レストランの椅子の上ではと思い、駆けつけるともうすぐ閉店、かわいい顔なじみの女性が、ニコッと笑ってサイフを見せてくれた。ヨカッタア~。私花粉はナザール以外の薬を見つけなければならない。今日はケーキを買って喫茶レストランに御礼に行く。又、長いお世話になった歯医者さんが、閉鎖となるのでごあいさつに、とてもお世話になった女性デザイナーの方が、転職するので御礼を言いに行く。春は別れの季節である。私花粉は一人では何もできないのだ。電通は5000人の社員が自宅にてテレワークとか、何か大きな分岐点に立っている。
                                (文中敬称略) 



2020年2月25日火曜日

第27話「私は原寸」

私は「原寸」である。即ちありのままの姿であり、形である。先週一週間はハードウィークであった。若い頃ならどうという事はないが、回復力が弱くなった。苦痛は私原寸の親友であり、私原寸を負けてたまるか。と、奮い立たせる源である。人生は苦痛の中に一条の光を見つける旅でもある。23日日曜日午後二時~三時フジテレビの長寿のドキュメンタリー番組を見て、一組の夫婦の原寸の愛に感動した。それは吉本興業の芸人、宮川大助・花子の原寸の愛だった。二人は漫才界を代表する芸人であり、数々の賞を受賞している。大助の妻花子にはアチコチに癌がある。激痛との闘いである。ふっくらとしていた体はやせ細り、足はポキッと折れそうになっている。長い間ファンでいてくれた方々に、しっかりと癌との闘いを舞台から伝えたいと願う。それは二十代からコンビを組んで来た、夫大助への感謝の証でもあった。もう二度と舞台で人々を笑わせることができないことへの原寸の覚悟だった。癌の闘病は筆舌を尽くすが、このドキュメントは、花子が紙オムツをし、そのことによって、お尻に残酷なオムツかぶれをしているところまで描写する。大助はそこを娘と共に、やさしく、やさしく手当する。毎日一時間かけて見舞いに来る。笑いを忘れた、お笑い芸人の妻を笑わせようと、日々間仕切りのカーテンを開けて大きな笑顔を見せる。抗癌剤の影響で食欲もなく、味も分からない花子に、いろんな食べ物を持って来る。花子はそのやさしさがうれしい。癌のできやすい体だったのか、花子は長い間いろんな癌と闘いながら、舞台に立っていた。夫大助も七十歳に近くなり、病いに襲われる。大助・花子の名コンビの笑いの中には病魔が数多く潜んでいたのだ。花子は昨年奇跡的に舞台まで運ばれる。メークアップもする。そして車椅子に乗った花子は、結婚とは誰とするかではなく、この世の最後に誰といたいかだと言う。(正確ではないが)私はここにいる夫、大ちゃんでよかったと。紫綬褒章を受けた時と同じ笑顔で。そのドキュメンタリーを見た日、三本の映画を見た。その中の一本は、トム・クルーズと、ニコール・キッドマンが三十代位の夫婦役を演じ、二人を大スターにした記念的作品である。監督は大天才にして大鬼才、スタンリー・キューブリックだ。約2時間40分。医者の夫トム・クルーズ。その妻ニコール・キッドマン、二人の間には一人娘がいる。この映画はあるアメリカ人夫婦の原寸を描いている。オールヌード の、若々しいニコール・キッドマンは、息を飲むほど美しい。スタンリー・キューブリックの映画だから、フツーの作品ではない。徹底的に男と女にはSEXしかない世界を見せる。宗教的乱交パーティ、行きずりのSEX、老人たちの異常な性、上流社会の性乱、ドラッグによる快楽希求。アメリカ人はやたらにパーティをする、私原寸が思うには、アメリカは移民国家、多民族国家、互いに敵対心はないよと確め合うために、毎週末パーティに出て心も体も交流させるのではと。パーティ、麻薬、酒、そしてSEXの交換。アメリカの原寸をスタンリー・キューブリックは名作にした。夫婦とは何か(?)、宮川大助・花子師匠に感動し、スタンリー・キューブリックの作品「アイズ ワイド シャット」で、アメリカの病巣を見た。私原寸はきっと新型コロナウイルスによって世界人口は増えると思った。ずっと家の中に閉じ込められた男と女は、大いにSEXに励むだろう。人間は戦争という恐怖の中で、自分たちの種を残すために必死に励んだ。これは動物的本能の原寸なのだ。恐怖と快楽は、コインの表と裏。クリスマスの乱交パーティで、何人もの男に犯される姿を見た夫に対し、娘のプレゼントを買いながら妻は言う。私たちには今すぐやらなければならないことがあると。夫はそれは何(?)という表情になる。妻は言う、ファック”。で終った。


2020年2月21日金曜日

第26話「私は感情」

私は「感情」である。感情は人間が生きている証である。耳から聞くと同じ言葉に聞こえるのがある。勘定である。感情と勘定は時に親類、親子、兄弟、友人を失うことに関係する。貸した金を返さない時だ。金とは悪魔である。極めつけの性悪女の如くである。人を不幸のどん底に落とす。資本主義も社会主義も共産主義も、結局のところ、金の奪い合い、即ち権力の奪い合いである。今の世の中は金で感情を買う時代、あるいは感情を売る時代だ。一人の権力者に国の機能が全てが奪われている。感情を売り飛ばしている、内閣の全閣僚は、自らの勘定合わせのために、下僕と化している。性悪女に尽くすだけ尽くして金が無くなったら、ハイそれまでよとなるように。使い捨てのライター、チルチル・ミチルである。裸の王様は自らの姿は見えない。私感情は江戸末期の幕閣の方が何十倍も優れていたし、誇りとプライドを持っていたと感心する。赤誠という感情があったが、今はドス黒い黒誠である。権力の座から落ちたら、自らの数々の悪事が暴かれるのを恐れ、司法権にまで手を出している。法治国家ではなく、独裁国である。私感情は、自らの感情を持たない閣僚のチンプンカンプンの言葉を聞くと、笑うしかない。全く勘定の合わない面々だ。高い税金を払っているのに。中には東大を出ているのもいるが、きっと恥とはを学んでこなかったのだろう。我が家に来る、小・中・高校生たちまでが、ウソつき、ウソつき、ウソつきと言う。正に一将功成って、万骨枯るである。私感情は、小悪人の籠池夫婦に、妙な愛情を感じてしまう。ANAインターコンチネンタルホテルの勘定についてまで呼び出し脅す(?)。クルーズ船に乗って、悲惨な状況を伝えた大学教授に圧力をかけ(?)、動画削除させる。私感情は反骨のジャーナリズムのない国にいることに、肌寒い思いがある。私感情はいま反骨の老政治家の本を、プロデュースしている。27日にご本人の撮影だ。人間には義憤という感情がある。義侠心というのもある。弱気を助け、強気をくじく。そんな人間の登場を待つ。記者会見でそれは当たりません、それは当たりませんと言う人は、すっかり生気を失い、疲労が積み重なっているのが、アリアリと見える。内心はやってられねえ、と思っているのだろうと思う。私感情はそう遠くない内に政権与党が割れると思うのだ。何故なら、みんないまのままでは勘定に合わないからだ。大乱に備えよと言いたい。キングメーカーなんていう時代はもう来ない。アメリカのトランプ大統領は余程気が小さい商売人なのか、キャンキャン吠える。腹心たちをバッタバタと首にする。私感情は思う。あの多民族国家は実にドラマチックなことを起こす。シットとファックユー、ジャステイスが好きな国。司法権だけは守る国である。そこに手を突っ込んだ。日、米両国とも、権力者は恐怖心でいっぱい、いっぱいなのだ。金を返せ(税金ばかり払っている)閣僚たちよと言いたい。それにしても反骨のジャーナリストがいない。むかしは、宮武外骨なんていう凄い人がいたのだが。ANAインターコンチネンタルホテルが、実はと言って明細書を出したら、ジ・エンド、終りなのだが。超一流のホテルの領収書に「上様」はない。                             (文中敬称略)

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2020年2月19日水曜日

第25話「私は出張」

私は「出張」である。(月)(火)と名古屋に私出張は、出張して来た。足掛け三年にわたって仕事をさせていただいている会社の少し遅めの新年会に出て、次の日は朝から映像フィルム作成のためのロケハンをして回った。名古屋は粉雪が舞って寒かった。ウェブデザインの相棒と一緒であった。この相棒は私出張にとって最高の才能である。アカデミー賞を受賞した映画「パラサイト」の主演、ソン・ガンホにウリ二つである。私出張のあらゆるオーダーに対して、常に冷静に取り組んでくれて、オーダー以上のものを出してくれる。大学では哲学を学び、ソクラテス、アリストテレス、カント、プラトン、ニーチェらを原書で読んだ。結果哲学ではメシは食べて行けないと、急施回してウェブデザイナーとなった。私出張はとにかく乱雑に難しいオーダーを出す。常に誰もやらなかったことに挑戦する。和製ソン・ガンホさんは常にニコニコしている。名古屋は夏暑く、冬は寒い。(火)4時には渋谷で大切な打合わせがあるので、午後一時までにはロケハンを終えなければならない。オーバーコートは着ておらず、新年会には偉い人たち11人が出席するのでスーツを着ていた。代理店の人がクルマでアチコチ回ってくれた。おかげで早朝からのスケジュールをこなすことができた。で、名古屋駅で急いで昼メシをしようとなった。私出張は(一)ひつまぶし、(二)山本屋の煮込うどん、(三)駅のホームのきしめんを考えていた。私出張の楽しみは食べることである。旨い店に当たればうれしいの一語。旨くないと残念でしたとなる。その昔出張といえば勤め人にとって、息ぬきでもあった。仕事が無事終りさあ~夜だ、評判のあの店に行ってみよとなりその土地の食を知ることができた。今は交通機関が発達して、かなり遠方でも日帰りが可能になり、出張気分にひたることはできない。(一)をあきらめ、(二)は見つからず、(三)はちょっとサビシイと思いキョロキョロしていたら、名物カレーそばという大きなポスターが目に入った。体はかじかんでいたので、アヂアヂのカレーそば(フツーはうどん)にしよとなった。頼んだらすぐに出て来た。駅中などでの列車に遅らせまいとの心配りだ。カレーはアヂイから時間がかかるなと思ったが、カレーそばはかなりヌルイ。何故か白菜ともやしが入っている。Why何故かと思った、ズルズルすするがカレーの危険度はない。アヂアヂでないから皆エプロンをかけてない。白菜ともやしの水分でカレーの温度が下がっている。やはり列車に送らせまいとの心配りだろうか(?) 私出張は実のところガックリしたが、和製ソン・ガンホさんは、何か食べたことないカレーそばですが、白菜ともやしが入り混じって旨いですねと言っては、ズルズルと箸を進めた。郷に入らば、郷に従えと言う。私出張は力なくすすった。駅のホームに立つと立食いきしめんの店から湯気がでている。やっぱり(三)のきしめんでよかったのではと思った。お土産に「赤福」を買うかと思ったが、鞄が重かったのでパスした。その日伊勢名物赤福の会長が退任したとニュースで知った。一度賞味期限のウソの責任をとって退任したが、いつの間にか返り咲いていた。今回は赤福の名で焼酎を売った責任らしい。お伊勢さんもきっとあきれ返ったはずだ。名古屋で新年会をした会社の人たちは、いい人たちばかりの会社である。私出張はカレーはやっぱりカレーうどんでないと駄目だと思いつつ列車の中で少し眠った。



2020年2月18日火曜日

第24話「私は日曜」

私は「日曜」である。ずっとずっと昔に「日曜はいやよ」なんていう外国曲があった。ネバー・オン・サンデーである。きっと若い恋人同士が、休むことなく一緒にいたい、という想いだったのだ。男と女は一度火がつくと、オーストラリアの大火災のようにカンタンには消化できない。家庭の外で恋火をつけているヒトは火宅の人と言われる。檀一雄の小説の題にもなっている。文士たちは言う、男子たる者この世に生を受けて、恋愛を数多く出来ないようじゃダメだと。私日曜は思う。そもそも結婚なんてものは、偶然の産物でしかない。一年365日同じ人間と暮らすことは、冷めたスープをずっと飲んでいるようなものだと、お互いに達観したら長続きをする。バブル女子といわれる五十歳前後の主婦の50~60%には、若い恋人がいるとバブル女子、セレブ女子たちから聞いた。若い恋人はアクセサリーのようなものであるらしい。ヒラヒラをくぐったら、もう週刊文春か、フライデー。ヒラヒラとはモーテルに自動車を入れる時にそこにある、ビニールのすだれだ。何故、浮気(不倫・不貞ともいう)をするか、そこに男あり、そこに女がいるからだとなる。男も女も恋愛を感じなくなると、男は色気を失い、女は美しい輝きを失う。恋多き作家と言われた故宇野千代さんは、九十歳位の時のインタビューでこう言った。今日の私は可愛い(?)と。私日曜は最近いろんな芸能人の浮気(不倫騒動)を知ると、少々げんなりする。週刊文春はもう一年半以上買ってない。いまや文春砲という位、有名人、著名人にスクープを恐られている。東京新聞にかつてその文春砲の仕掛人、元編集長のコラムが連載されていた。まるで犯人を追う刑事のように、警察犬のように、つけ狙い、つけ回り、嗅ぎまくる。それらは読者をよろこばすかわりに、人の不幸、家庭の不幸、子どもたちを不幸の底に落とす。男子一生の仕事かと言えばそうではない気がするし、悪徳政財界や官僚退治であれば、よくやったとも思う。モテる男がモテたら仕方ない。仕方ない同士が仕方なくなったら仕方ない。私日曜は少年の野球を応援しに海岸近くのグラウンドによく行く。その途中にベイ・シティ・ホテルというのがあり、大きなビニールのヒラヒラがある。日曜の午後そこにクルマが消えて行く。中には本当の夫婦も多いとか、家にはいつも子どもたちがいる。ゆっくり二人だけになれないからだ。森田芳光監督の名作「家族ゲーム」では、夫婦の会話は外に置いてある車の中であった。受験勉強中の子がいるからだ。テメーラ、コソコソ写真撮ってんじゃネエ、バーロとカメラを取り上げ、道路に投げ捨てたのは、名優ショーン・ペンだった。最近芸能人の結婚ブームは、文春砲とかフライデーを気にするより、とにかく結婚しよう、そうすれば堂々と二人で外に出れる。なあ、そうしよう、そうしようの結果だと思う。私日曜は、雨の日曜日、つれづれなるままに、テレビを見ながら書いている。明治の元勲の中で、もっとも女性を好んだのは伊藤博文であったのは、歴史的に有名である。下半身の事は、武士の情けと言われている。女性であれば風情だろうか。雨の下椿の花が咲いては落ちている。
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2020年2月17日月曜日

第23話「私は呼名」

私は「呼名」である。人の名や物の名自然現象の名、花々の名、動物の名等々、そして職業の呼名(よびな)である。新型コロナウィルスの感染源を追っているニュース報道を見聞きしていて、ふと思った。ニュースキャスターや専門家たちが、タクシーの運転手さんの事を、タクシーの運転手と表現する。はじめは違和感がなかったが、何度も聞いていると、タクシーの運転手と呼びつけることに気分が悪いニュアンスを感じた。正しくは感染したタクシーの運転手の方とか運転手さんと言うべきではないだろうか。医師とか教授、博士、弁護士、公認会計士、航海士、建築士等々は、その言葉で社会的地位が分かる。が、塗装工とか建築作業員、警備員、配線工、清掃員とかと呼びつけにされると、何か嫌な気分になる。やはり塗装工の方とか、清掃員の方とかと言うべきではないだろうか。みんなそれぞれ自分の仕事に誇りを持っている。私呼名がいる業界は、広告屋と言われていた。保険のおばさんは、保険屋と言われた。大きな家の玄関には。広告、セールスお断りの貼り紙があった。今ではアドマンとして地位を得ている。私呼名が大変お世話になっている不動産業は不動産屋と言われた。例えば文学で見て、広告家とか、保険士とか、不動産家と見ればどうだろう。エロ・グロ小説を書いていても、小説家と書けば、文化人的になる。小説屋だと、文学の知的ニュアンスは消える。私呼名が、タクシー運転手さんの子どもだとしたら、テレビのニュースで、運転手、運転手と呼びつけされたら、テレビに皿を投げつけるだろう。日本語は極めて職業を格差的にすることを、改めて感じたのだ。検察官、警官、監察官、長官など、がつくと、どんな悪徳人物でも社会的地位を感じる。金融業とかヤクザ稼業とか、業がつくと怪しくなる。農業、林業、漁業だけは別格だ。知人にAV(アダルトビデオ)業でしこたま稼いだ奴がいた。しかし天罪が襲った。金のある黄金の日々が忘れられず散財をした後、借金地獄となり、自死をした。肉体は肉片化して飛び散った。片足だけが見つからなかったが、半年後位にある家の物干しをする場所の下に食い込んであった。落ちた洗濯物を探していたおばさんが、ギャーと大声を出して腰を抜かした。の使い分けで決して変えてほしくないのが、映画屋だ。これが映画家になったら、ゴメンなのだ。私呼名は場末の芸者と自からを言っている。仕事というお座敷に上がったら、精一杯、芸を売るのだ。少年の頃クズ屋さんという職業があった。私呼名の友人の家だった。いろんなものがあり楽しかった。電線などを払い集めていくと、10円をくれた。コロッケが三個買えた。やがてクズ屋さんは差別的だとなり、廃品回収業になった。こんな話がある。ある街に二人のヤクザ者がいた。一人は一人のことをいつもは、×さんと呼んでいた。ある夜、酒場で二人は出会った。さんづけで呼んでいた男は女性と一緒で酒に酔っていた。そこへ先輩格である男が舎弟たちを連れて入って来た。いつもはさんで読んでいた男が、女性の前でイキガッテ、オ~×君と言った。さんに変わってしまった。その夜、その男は左腕を斬り落とされた。こんな話を幾度も見た。呼び方、呼び名には十分気をつけねばならない。私呼名は、神社の境内での出来事を思い出した。斬り落とした男は、その後、某私立大学の伝説の応援団長となった。空手をやっていてその応援の姿が見事で、各大学の応援団員が見本として見に来ていた。私呼名は先輩と言っていた。私呼名がお世話になっている。タクシーの運転手さん、新型コロナウィルスに気をつけてください。

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2020年2月14日金曜日

第22話「私は例規」

私は「例規」である。先例となっている規則、先例となっている掟、とでも言うものだ。新型コロナウィルスはいよいよ日本に入り拡散しはじめた。テレビではいろんな大学の医学部教授とか、感染の専門家とか、疫学の専門医とかが、各テレビ局に呼ばれて、次々と予想を外している。私例規は思い出す、あの東日本大震災の時、原子力問題とか原発問題とかに詳しいという、学者たち第一人者がメルトダウンはしない、考えられない、心配ないと言っていた。がメルトダウンをすると第一人者たちは、次々とテレビから姿を消した。今回もインフルエンザみたいなものとか、死亡率は少ないとか、日本は水際対策をすれば大丈夫と、はじめは言っていた。私例規は厚労省がパニックを起こすような事は言うな、そんな有言、無言の圧力を今回もやっているなと思う。国や役所に憶えめでたくないとなると、この先立場が悪くなると忖度をしてしまう。東日本大震災の時、東京電力や役所の人間の対応が、遅く、鈍く、不正確、アヤフヤなので、イラ菅こと当時の総理大臣菅直人は、オレはこの目で現地へ行くと怒って、ヘリコプターを飛ばして現地を視た。これが大ヒンシュクを買って、民主党政権崩壊と向った。私例規は今思えば、菅直人の行動は大正解ならずとも、正解であった気がする。東京電力の福島原発の故所長ですら、現地の事が分からないので、遠くからガタガタ指示を出すなと、何度も怒った。日露戦争の203高地の激戦の時、乃木希典以下指令部の命令は、ただひたすら高地を目指して這い上がり突撃せよであった。高地から見下をす露軍は、日本軍兵士を新型の機関銃で狙い撃ちした。日本軍は愚策の連続だった。報告を受けた大山巌将軍は、乃木たちではダメだと、児玉源太郎中将を急いで派遣した。当時児玉源太郎は陸軍の至宝と言われていた。150センチ位の身長しかない児玉源太郎だが、着想が大きかった。現地に行くと指令部が戦況がよく見えないような所に設営されていた。バカヤロー共こんな遠くにいて指揮がとれるのかと、指令部を前へ前へと設営した。高地から狙い撃ちになっているなら、その高地に砲撃を加え一気に203高地を陥落させた。もっともこれに味をしめて、日本国は富国強兵をさらに進め、軍国主義全盛へと向かわせ、第二次世界大戦の大敗北となる。話が外れたが、私例規はあの原発事故と、その後の対応への大批判を思い出す。新型コロナウィルスはすでに和歌山、神奈川、東京、千葉と拡散している。日本中に拡散するのを防ぐために、日本の責任者たちは、感染を恐れずに陣頭指揮を執らねばならない。勿論超党派である。しかし国会においては与野党相変わらずの姿である。優秀な医師の方に集まってもらい緊急対応を学閥、門閥なく力を合わせ、手を打たねばならない。テレビには次々と顔触れを変えた専門家たちが、ハッキリと物言わず、お茶を濁している。私例規は二人の優秀な医師をすすめる。一人は茅ヶ崎の町田二先生、もう一人はやはり茅ヶ崎の大野俊幸先生だ。お二人共に見立ては早く、処置、処方、傾向への対応策を持っている。誰に遠慮なく今すぐやるべき事を、指示してくれるだろう。菅直人総理は現地へ飛んだ。安倍晋三総理は、いつどこの現地に行くのだろうか。いつも大挙して駆けつける、野党の面々は、いつどこへ行くのだろうか。私例規は先例などにとらわれずに、さらなる拡散を防ぐ対応策を打ってほしいと願うのだ「着眼大局、着手小局」と言う。大発想、大着想、そしてキメ細かな手を打つのが、国民から選ばれた人たちの仕事なのだ。官僚の書いた原稿を棒読みしていては、国会議員という大役はつとまらない。何事も先例主義が官僚なので心配だ。臨機応変をしなければならない。隠し事はあってはならない。私例規は良い事のために破ってほしい。




2020年2月13日木曜日

第21話「私は葉書」

私は「葉書」である。大手出版社の編集人の方が、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演された時、葉書は心の握手なんですと言った。有力編集人ともなると、毎日毎晩、天才、奇人、変人や狂人に近い小説家大先生と付き合う。朝まで生テレビのように正に朝まで飲み、食い、交論、談論をし、悪口雑言を聞きなだめたり助言したりする。小説家という先生方は自分の作品についての評価、評論をことの他気にする。編集人は夜が明け帰宅すると、前夜会った先生方に、一枚一枚心のこもった葉書を書き、ポストに投函する。ここまでやって編集人の一日は終る。大先生たちも、中先生も、小先生もこの一枚の葉書で、よしまた頼まれたら書いてやろう、となる。これがメールとかFAXとかではイケナイ。葉書は封筒に入った手紙と違って、手にした人はその文章が読める。仮りに大先生から返信の葉書が届くととそれはお宝物の葉書となる。かつての文士は葉書の名手であった。私葉書は味のある文章、味のある絵付、凄みのある一言なんかを書いていただくと、とてもいい気持ちになる。郵便屋さんが私葉書に配達してくれることに感謝するのだ。私葉書に思い出深い一枚の葉書がある。それは先日亡くなった野村克也3冠王&名監督から届いたものであった。ある仕事に出演していただいた。父と子が本音を言うものであった。その仕事では、何組も出演していただいた。撮影した数日後、万年筆で書かれた達筆な文章による礼状だった。私葉書は大変感激をした。私葉書のような仕事をしていると、いろんな人とお仕事をするが、見事な葉書一枚と言うと、野村克也さんを思い出す。数年前定宿にされていた都内のホテルラウンジで奥さまと珈琲を楽しんでおられた。友人と一緒だったのだが、私葉書はご無礼はお許しくださいと、お二人の前に立ち、一枚の葉書の御礼を言った。亡くなった次の日のテレビでニュースを見たり、記事などを読むと、かつての教え子たちが、監督からごていねいな葉書をもらって励まされたとあった。皆さん口を揃えて、達筆にして名文だったと。名監督は人の心を動かす名人でもあったのだ。私葉書はこの父と子の雑誌広告シリーズなどで、業界の登竜門の新人賞を受賞できた。私葉書は亡き野村克也さんと、心の握手ができていたんだと思った。心よりご冥福をお祈りする。監督としての通算成績は、1565勝1563敗、2つだけ勝ち越し、率にするとジャスト5割であった。王や長嶋はヒマワリ、オレはひっそりと咲く月見草と言った。人を育てた人こそが大才だとも言っていた。京都丹後の峰山高からテスト生で入って、野球界に偉大な足跡をのこした。コンプレックスと反骨心がその支えだったという。私葉書は届くかどうか分からないが、今惜別の葉書を書いている。

2020年2月12日水曜日

第20話「私は募集」

私は「募集」である。1979年、アメリカ映画の名作「クレイマー、クレイマー」はロバート・ベントンが監督、第52回アカデミー賞で作品賞監督賞脚色賞をはじめ主演男優賞と助演女優賞も受賞した。主役ダスティン・ホフマンが勤務先の上司からランチを誘われる。広告代理店のクリエイターだった主人公は、上司から君はあの仕事から外れてくれと言われる。アメリカでは上司からランチに誘われるのは、辞めてくれということであった。主人公は個室女性秘書付であった。ランチ代は自分で払うと言って席を立つ。日本語的に言えば、バカヤロー、テメエに昼メシ代なんか払ってもらえるか、こんな会社こっちからやめてやる! こんなかんじだろうか。日本では昼飯を一緒にと誘うのは、より親しく、もっと親しく、ずっと親しくの思いが込められている。映画の主人公は妻と離婚へと進んでいた。妻は子どもと夫を置いて出て行った。もう一人の主人公妻を演じるのは、メリル・ストリープだ。職を探す夫は広告業界専門の募集誌を見て面接に行く。いろんな職業別に募集誌がある。夫はある会社で面接を受ける。自分の制作した作品を見せて、ここは私がレイアウトをやった。これのここは私の書いた言葉(コピーライター)だ。面接に行った会社ではパーティをやっていた。夫は長い間パーティ会場の隅の椅子に座って待たされた。給料はいままでの半分、個室なし、女性秘書なしであった。それでも生活費を稼がなければならない。ある日子どもを自分の仕事場に連れて来て、ここがパパの仕事場だと見せる。6、7才の男の子は目を輝かす。結婚大好きのアメリカは、離婚も大好きな国である。クレイマー、クレイマーとは、文句の多い妻、不満の多い妻とでも言うのだろうか。プータレル妻に夫は勝てない。一生懸命働いていたら家庭をかえりみないとされた。募集という切実さを初めて知った映画がこの作品だった。現在の日本国は募集広告大国である。ありとあらゆる媒体で人材募集の広告をしている。竹中平蔵という学者が日本をアメリカ的にしようと動く、売国的学者が理論的なことには興味のない小泉純一郎(当時の総理大臣)を籠絡した。その後も一貫してアメリカ的雇用制度を推進させている。会社は社員を話し合いもなく、いつでも辞めさせられる。能力給で成果主義。つまりはフツーの人間はいらないということだ。日本はお殿様の時代からフツーの人間を大切にして来た。いわゆる中間層だ。今これがブッ壊されて格差社会を生んだ。アメリカと同じになったのだ。その元凶が竹中平蔵という学者である。自分はしっかり人材派遣会社の会長でもある。最も今の総理大臣は、募ってはいたが、募集はしていないという。なんたることか、珍問答となっている。人材派遣の会社の手数料はベラボーに高い。私募集がいる会社などでは、とても払うことができない。例え入社してもすぐ辞められたら、ふざけんなの条件だ。その昔、ヒト入れ稼業は堅気の仕事ではなかった。私募集はイロイロ相談を受けているが、こちらもイロイロ相談をしたいのだよ。辞職願い代行業というのが出て来た。自分で辞めますと言えない(あるいは面倒)なので金を払って会社辞めますと代行してもらうのである。それもこれも憎っく気は竹中平蔵である。日本には長い間培った、日本流の良さがあるのだ。みんなで支え合い、励まし合い、助け合う。フツーの社会に誰かしてとお願いしたい。私募集はこの次の総理大臣を募っています、じゃなくて募集してます。
                               (文中敬称略) 





2020年2月7日金曜日

第19話「私は報告」

私は「報告」である。この度私が報告することを読んで、そうか、どうりで休店していた。そうだったのか、よしすぐに御見舞に行こうと思ってくれたら、私報告はウレシイ。東京銀座マガジンハウスのすぐ側に、「舟よし」という小料理店がある(現在休店中)この店のオヤジの名が“須藤武吉”(たけよし)というので店名に“よし”がついた。地下一階カウンターに5、6人が座れる。その前にはフツフツのおでんがある。小上がりには小さなテーブルがあり、8人位は座れる。今は雑誌不況だが、かつてはマガジンハウス全盛であった。舟よしは午後八時頃から始まって午前五時頃まで営んでいた。徹夜で仕事をする人間のオアシスであった。「深夜食堂」というテレビのシリーズが人気を博したが、舟よしはその原型のようであった。私報告とオヤジとは40年以上のつき合いだった。雑誌編集者たち、映画関係、近くに電通やアサツーがあったので、広告関係者も多い。イラストレーターやデザイナー、カメラマンたちも深夜から始発まで舟よしを楽しんだ。お客同士みんな仲がよかった。オヤジは長身で外人のように目鼻立ちがよかった。ただし奥さんとは別居、娘さんがいるが、いないに等しかった。夜の仕事をしている女性たちも多かった。以前は入りきれなかったが、雑誌不況、広告不況、リーマンショックなどが続き、さらに働き方改革とかで残業がなくなった。タクシーで帰る事が許されず、記者たち、遊軍記者たち、フリーのライターやエディターたちは、終電前には帰ってしまう。私報告が大声を出して行くとよろこんでくれた。ビールが好きで始めから終りまでビールを飲んでいた。その舟よしに高級エステシャンの女性が、ほぼ毎日来ていた。娘のようにオヤジの面倒を見ていた。その女性から電話が入った。すでに家賃も払えず店の中で生活していたのだが、須藤武吉こと舟よしは、店内でブッ倒れているのをお客さんによって発見され、すぐに救急車で、虎の門病院に運ばれた。すぐにエステシャンと虎の門病院に見舞いに行った。やせ細っていた。腎臓がダメで人工透析をしていた。昨夜エステシャンから電話が入り、個室に移動されかなり危ない状態となったと。もし400字のリングを読んでくれている、舟よしファンがいたら、もうあの世に旅立つであろう、オヤジを思い出してほしい。私報告は声を大にして緊急報告する。別居中の奥さんからは、正式離婚をと言われたらしい。多分、今日か明日がヤマ場だろう。詳細は私に連絡をしてくれれば、ありがたい。八十歳を過ぎた須藤武吉は、自家製の“カラスミ”づくりの名人だった。だが本人がカラスミみたいになってしまった。

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