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2020年2月25日火曜日

第27話「私は原寸」

私は「原寸」である。即ちありのままの姿であり、形である。先週一週間はハードウィークであった。若い頃ならどうという事はないが、回復力が弱くなった。苦痛は私原寸の親友であり、私原寸を負けてたまるか。と、奮い立たせる源である。人生は苦痛の中に一条の光を見つける旅でもある。23日日曜日午後二時~三時フジテレビの長寿のドキュメンタリー番組を見て、一組の夫婦の原寸の愛に感動した。それは吉本興業の芸人、宮川大助・花子の原寸の愛だった。二人は漫才界を代表する芸人であり、数々の賞を受賞している。大助の妻花子にはアチコチに癌がある。激痛との闘いである。ふっくらとしていた体はやせ細り、足はポキッと折れそうになっている。長い間ファンでいてくれた方々に、しっかりと癌との闘いを舞台から伝えたいと願う。それは二十代からコンビを組んで来た、夫大助への感謝の証でもあった。もう二度と舞台で人々を笑わせることができないことへの原寸の覚悟だった。癌の闘病は筆舌を尽くすが、このドキュメントは、花子が紙オムツをし、そのことによって、お尻に残酷なオムツかぶれをしているところまで描写する。大助はそこを娘と共に、やさしく、やさしく手当する。毎日一時間かけて見舞いに来る。笑いを忘れた、お笑い芸人の妻を笑わせようと、日々間仕切りのカーテンを開けて大きな笑顔を見せる。抗癌剤の影響で食欲もなく、味も分からない花子に、いろんな食べ物を持って来る。花子はそのやさしさがうれしい。癌のできやすい体だったのか、花子は長い間いろんな癌と闘いながら、舞台に立っていた。夫大助も七十歳に近くなり、病いに襲われる。大助・花子の名コンビの笑いの中には病魔が数多く潜んでいたのだ。花子は昨年奇跡的に舞台まで運ばれる。メークアップもする。そして車椅子に乗った花子は、結婚とは誰とするかではなく、この世の最後に誰といたいかだと言う。(正確ではないが)私はここにいる夫、大ちゃんでよかったと。紫綬褒章を受けた時と同じ笑顔で。そのドキュメンタリーを見た日、三本の映画を見た。その中の一本は、トム・クルーズと、ニコール・キッドマンが三十代位の夫婦役を演じ、二人を大スターにした記念的作品である。監督は大天才にして大鬼才、スタンリー・キューブリックだ。約2時間40分。医者の夫トム・クルーズ。その妻ニコール・キッドマン、二人の間には一人娘がいる。この映画はあるアメリカ人夫婦の原寸を描いている。オールヌード の、若々しいニコール・キッドマンは、息を飲むほど美しい。スタンリー・キューブリックの映画だから、フツーの作品ではない。徹底的に男と女にはSEXしかない世界を見せる。宗教的乱交パーティ、行きずりのSEX、老人たちの異常な性、上流社会の性乱、ドラッグによる快楽希求。アメリカ人はやたらにパーティをする、私原寸が思うには、アメリカは移民国家、多民族国家、互いに敵対心はないよと確め合うために、毎週末パーティに出て心も体も交流させるのではと。パーティ、麻薬、酒、そしてSEXの交換。アメリカの原寸をスタンリー・キューブリックは名作にした。夫婦とは何か(?)、宮川大助・花子師匠に感動し、スタンリー・キューブリックの作品「アイズ ワイド シャット」で、アメリカの病巣を見た。私原寸はきっと新型コロナウイルスによって世界人口は増えると思った。ずっと家の中に閉じ込められた男と女は、大いにSEXに励むだろう。人間は戦争という恐怖の中で、自分たちの種を残すために必死に励んだ。これは動物的本能の原寸なのだ。恐怖と快楽は、コインの表と裏。クリスマスの乱交パーティで、何人もの男に犯される姿を見た夫に対し、娘のプレゼントを買いながら妻は言う。私たちには今すぐやらなければならないことがあると。夫はそれは何(?)という表情になる。妻は言う、ファック”。で終った。


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