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2020年2月12日水曜日

第20話「私は募集」

私は「募集」である。1979年、アメリカ映画の名作「クレイマー、クレイマー」はロバート・ベントンが監督、第52回アカデミー賞で作品賞監督賞脚色賞をはじめ主演男優賞と助演女優賞も受賞した。主役ダスティン・ホフマンが勤務先の上司からランチを誘われる。広告代理店のクリエイターだった主人公は、上司から君はあの仕事から外れてくれと言われる。アメリカでは上司からランチに誘われるのは、辞めてくれということであった。主人公は個室女性秘書付であった。ランチ代は自分で払うと言って席を立つ。日本語的に言えば、バカヤロー、テメエに昼メシ代なんか払ってもらえるか、こんな会社こっちからやめてやる! こんなかんじだろうか。日本では昼飯を一緒にと誘うのは、より親しく、もっと親しく、ずっと親しくの思いが込められている。映画の主人公は妻と離婚へと進んでいた。妻は子どもと夫を置いて出て行った。もう一人の主人公妻を演じるのは、メリル・ストリープだ。職を探す夫は広告業界専門の募集誌を見て面接に行く。いろんな職業別に募集誌がある。夫はある会社で面接を受ける。自分の制作した作品を見せて、ここは私がレイアウトをやった。これのここは私の書いた言葉(コピーライター)だ。面接に行った会社ではパーティをやっていた。夫は長い間パーティ会場の隅の椅子に座って待たされた。給料はいままでの半分、個室なし、女性秘書なしであった。それでも生活費を稼がなければならない。ある日子どもを自分の仕事場に連れて来て、ここがパパの仕事場だと見せる。6、7才の男の子は目を輝かす。結婚大好きのアメリカは、離婚も大好きな国である。クレイマー、クレイマーとは、文句の多い妻、不満の多い妻とでも言うのだろうか。プータレル妻に夫は勝てない。一生懸命働いていたら家庭をかえりみないとされた。募集という切実さを初めて知った映画がこの作品だった。現在の日本国は募集広告大国である。ありとあらゆる媒体で人材募集の広告をしている。竹中平蔵という学者が日本をアメリカ的にしようと動く、売国的学者が理論的なことには興味のない小泉純一郎(当時の総理大臣)を籠絡した。その後も一貫してアメリカ的雇用制度を推進させている。会社は社員を話し合いもなく、いつでも辞めさせられる。能力給で成果主義。つまりはフツーの人間はいらないということだ。日本はお殿様の時代からフツーの人間を大切にして来た。いわゆる中間層だ。今これがブッ壊されて格差社会を生んだ。アメリカと同じになったのだ。その元凶が竹中平蔵という学者である。自分はしっかり人材派遣会社の会長でもある。最も今の総理大臣は、募ってはいたが、募集はしていないという。なんたることか、珍問答となっている。人材派遣の会社の手数料はベラボーに高い。私募集がいる会社などでは、とても払うことができない。例え入社してもすぐ辞められたら、ふざけんなの条件だ。その昔、ヒト入れ稼業は堅気の仕事ではなかった。私募集はイロイロ相談を受けているが、こちらもイロイロ相談をしたいのだよ。辞職願い代行業というのが出て来た。自分で辞めますと言えない(あるいは面倒)なので金を払って会社辞めますと代行してもらうのである。それもこれも憎っく気は竹中平蔵である。日本には長い間培った、日本流の良さがあるのだ。みんなで支え合い、励まし合い、助け合う。フツーの社会に誰かしてとお願いしたい。私募集はこの次の総理大臣を募っています、じゃなくて募集してます。
                               (文中敬称略) 





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