ページ

2020年2月7日金曜日

第19話「私は報告」

私は「報告」である。この度私が報告することを読んで、そうか、どうりで休店していた。そうだったのか、よしすぐに御見舞に行こうと思ってくれたら、私報告はウレシイ。東京銀座マガジンハウスのすぐ側に、「舟よし」という小料理店がある(現在休店中)この店のオヤジの名が“須藤武吉”(たけよし)というので店名に“よし”がついた。地下一階カウンターに5、6人が座れる。その前にはフツフツのおでんがある。小上がりには小さなテーブルがあり、8人位は座れる。今は雑誌不況だが、かつてはマガジンハウス全盛であった。舟よしは午後八時頃から始まって午前五時頃まで営んでいた。徹夜で仕事をする人間のオアシスであった。「深夜食堂」というテレビのシリーズが人気を博したが、舟よしはその原型のようであった。私報告とオヤジとは40年以上のつき合いだった。雑誌編集者たち、映画関係、近くに電通やアサツーがあったので、広告関係者も多い。イラストレーターやデザイナー、カメラマンたちも深夜から始発まで舟よしを楽しんだ。お客同士みんな仲がよかった。オヤジは長身で外人のように目鼻立ちがよかった。ただし奥さんとは別居、娘さんがいるが、いないに等しかった。夜の仕事をしている女性たちも多かった。以前は入りきれなかったが、雑誌不況、広告不況、リーマンショックなどが続き、さらに働き方改革とかで残業がなくなった。タクシーで帰る事が許されず、記者たち、遊軍記者たち、フリーのライターやエディターたちは、終電前には帰ってしまう。私報告が大声を出して行くとよろこんでくれた。ビールが好きで始めから終りまでビールを飲んでいた。その舟よしに高級エステシャンの女性が、ほぼ毎日来ていた。娘のようにオヤジの面倒を見ていた。その女性から電話が入った。すでに家賃も払えず店の中で生活していたのだが、須藤武吉こと舟よしは、店内でブッ倒れているのをお客さんによって発見され、すぐに救急車で、虎の門病院に運ばれた。すぐにエステシャンと虎の門病院に見舞いに行った。やせ細っていた。腎臓がダメで人工透析をしていた。昨夜エステシャンから電話が入り、個室に移動されかなり危ない状態となったと。もし400字のリングを読んでくれている、舟よしファンがいたら、もうあの世に旅立つであろう、オヤジを思い出してほしい。私報告は声を大にして緊急報告する。別居中の奥さんからは、正式離婚をと言われたらしい。多分、今日か明日がヤマ場だろう。詳細は私に連絡をしてくれれば、ありがたい。八十歳を過ぎた須藤武吉は、自家製の“カラスミ”づくりの名人だった。だが本人がカラスミみたいになってしまった。

IMAGE

0 件のコメント: