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2015年3月5日木曜日

「天気は晴朗なれど」




「ホンジツテンキセイローナレドナミタカシ コウコクノコウハイコノイッセンニアリ カクジイッソウ フンレイ ドリョクセヨ」
こんな一本の電信から日本海海戦ははじまったとか。

私といえば、ホンジツテンキセイローナレドアタマイタシ キモチワルシ  カゼトカフンが合体となって私に攻撃を仕掛けている。

太田胃酸いい〜クスリですを飲む、昨日美味しいものを食べ過ぎたようである。
あまりにも楽しき夜を過ごしたせいかもしれない。
クシャミとグシャミの連発で鼻がパンパンとなりイテエなのだ。

フンレイドリョクするには何をすべきかと思い、布団の中で「辰巳芳子」さんの著作、「食に生きて」を読む。

この本をご恵送して下さったのが、私の大尊敬する稀代の名文家、「佐藤隆介」先生だ。構成とあったが文章はまぎれもなく佐藤先生のものだ。
本年で九十歳となる料理家辰巳芳子さんから聞き取ったものであろう。

池波正太郎氏の高弟第一、その名文は例えていうなら、奥入瀬を流れる清流であろうか、一言一句に無駄はない、修飾語は一切なし、ただ漢字とひらがなとカタカナが絶妙の句読点によってその流れを見事にする。新潮社から販売中、ぜひ読んでいただきたいと思うのです。私も書く字奮励努力の体制にその身を起すとする。

2015年3月4日水曜日

「闘魚『ランブルフィッシュ』」




日本中に夜の街がある。
この街の中で浮き沈む「マチ」がいる。
「タニマチ」という人たちだ。

有名人、著名人、芸能人やスポーツ界の人々にお金をつぎ込んで沈んで行ってしまう人々だ。自分を大きく見せたい、自分を価値ある人間として見せつけたい。
バブル全盛期の頃、私はタニマチをゴマンと見て来た。
膨らんだ風船は必ずパンと破れる。

昨日までのタニマチはタチマチ借金の追い込みにかけられる。
夜の街ではそんなことを飛んだとか、沈んだとか、溶けたという。
金の切れ目が縁の切れ目で、金のないタニマチは街に存在できない。
人は自分のどこについて来ているのか判断しなければ深手を追う。
自分の金について来ているのでは(?)と正しく疑うことが何より大切なのだ。
♪〜今日もこうして飲めるのはみんな◯☓さんのおかげです 今夜も◯☓さんありがとう…。ヨ~オ、あんたが社長、あんたが会長、あんたが大将なんて持ち上げられてついつい気分が良くなってしまう。

その夜、私は友人とある会員制のBARで飲んでいた。
夜十二時近い、閉店まであと少し、十一時半で1女性は帰ってしまう。
この頃お客さんもケチンボでタクシー代のチップもくれない。
だから電車に間に合う時間に帰る。一人、二人、三人と帰って行った。

と、そこに大相撲の元横綱がタニマチ三人に連れられて入って来た。
かなり酔っていた。ウィー、ヒクッ、ヒクッ、ウィーとでっかい体をピクピクさせた。
なんだおりゃ〜女はいねえのか、これから飲み直しだ、呼び返せ、これから店は貸し切りだと大声を出した。

タニマチは私のことをよく知っていたので、目と手でスマン、スマン、スンマセンとシグナルを送った。
元横綱は飛び切り酒癖が悪いというのを知っていた。
また、タニマチが借金の追い込みにあっているのも知っていた。
レジャー施設のオーナーと、不動産業の社長、保険会社の役員であった。
元横綱はふんぞり返り、でっかい体に着ていたでっかい背広を脱いでウィスキーをがぶ飲みし、でっかい声で騒いでいた。

残っていたのは私と友人、なじみの客のお医者さんの三人だった。
でっかい“スモウトリ”に静かにしろと友人は言った。
大きな声でなく、小さくでもなかった。バーテンダーとママさんがオロオロ、オロロンとした。元横綱がバカヤロー白鵬なんかオレとやったらイチコロだグアファファと笑った。勿論、当然元横綱の方が強いとタニマチがいった。
友人がウルセイからカラオケを唄うといった。
元横綱は静かになりもの凄いイビキをかき始めた。

昼間は水の抜けたプールのような街は、夜ネオンに灯がつき始めると、水を得た魚のように活き活きと動き出す。赤、青、黄色のドレスの女性たちはメールを送り、携帯をかけながら速足で歩く、高価な着物を来た女性が素足でベンツやBMWを運転し駐車場に消える(プロの女性は酒は飲んだフリ)。夜の街は極彩色の熱帯魚が泳ぐプールとなる。一夜の内に何人ものタニマチがこのプールの中で溺れて沈む。
♪〜夜がまた来る 思い出連れて 
俺を泣かせに 足音もなく…私はこの歌が好きである。闘う魚を、あるアジアの国では「ランブルフィッシュ」という。F・フォードコッポラ監督の映画の題名でその名を知った。主演は若かりし頃の“美しいミッキーローク”だった。最高にいい映画だ。週末にぜひおすすめです。

2015年3月3日火曜日

「冷たいんだからぁ〜」




会社を数兆円に育てようと大人げない小人物がいる。
イトーヨーカドーやセブン-イレブン、大手百貨店(名誉のため、あえて名を伏す)や世界的某有名ブランド(名誉のため、あえて名を伏す)など傘下にしているセブン&アイホールディングスの総帥「鈴木敏文」氏だ。

「選択」3月号の記事によると、ローソンの会長からサントリーホールディングスの社長に就任した「新浪剛史」氏があいさつ回りに行ったところそれを拒み、ヒンシュクを買った。いくらライバルのローソン会長だったからといってそりゃーねえだろうという訳だ。

結局サントリーホールディングスの佐治信忠会長が出向いたとか。
更にセブンからサントリーの商品を減らしているとか。
「尊敬されないリーディングカンパニー」(セブン関係者)唯我独尊のドンに、これは私の想像だが、心ある社員はこう思っているだろう。

人望、人徳なし、だから経済界でもツマハジキ、元々コンプレックスの塊なので自分の気に入らないことには聞く耳も、見る目も持たない。
そう遠くないうちにあの世に行けば歴史に名を残すことは全くないだろう。
ただ大人げない人間がいたことは語り継がれるだろうよと。
あまりに子供じみている(鈴木会長)と写真のキャプションにあった。

妖怪伊藤英俊氏(イトーヨーカドー創業者)と鈴木敏文氏がいなくなったら、ここぞとばかりお家騒動が起き崩壊して行くだろうと私は確信する。
「いや〜新浪さん、この度は就任おめでとうございます、といって頭を深々と下げる器量があったら」と私には関係のないことですが、ふと思うのです。

今流行の“クマムシ”の唄う、♪〜だってあったかいんだから〜ではないのです。
♪〜寒い日に社長就任の挨拶に行ったらすねて出て来ない、子供みたいで冷たいんだからぁ〜…なのです。

2015年3月2日月曜日

「離婚と転校」




幼い子どもにとっていちばん嬉しい風景は、お父さんとお母さんが仲良いこと。
逆に嫌いなことは、お父さんがお母さんに対しガミガミ怒ったり、イライラして八つ当たりする、お母さんがお父さんに対しクドクド問いつめたり、イライラして八つ当たりばかりすること。

子どもが不良になるには大きく分けて二通りある。
一つは何不自由ないお金持ち、でも本当の愛がない家で育ったこと。
心が満たされない悲しい子。
一つは貧乏で何も買ってもらえず空腹なこと。
一つは金ばかりモノばかりの思い出しかない。
一つは勿論その逆だ。

三つ子の魂百までという。離婚すると一番に傷つくのは「幼い子ども」だ。
私は父を早くに亡くした。片親だからとずい分嫌な思いをした。
が、私には愛情あふれる母親がいた。朝から夜遅くまで働きづくめだったが、明るく優しい、いつも笑顔の母親がいた。それ故マットウ(?)になれた。

親から愛はもらえず金ばかり持っている子と、親が離婚したり死別して金を持たない子は、必然的に引き合い近づき始める。そして群れをつくり出す。
お金持ちの子は根性がない分お金を持って来て仲間の関心を得る。
群れの中でいつしか役割分担が決まっていく。喧嘩を担当してモメごとを収める子、その力に従う子、アレコレ情報を持って来る子。
みんな家にいるより仲間といることを再優先とする。

十歳以上にもなると考えもしっかりして来て、お父さんとお母さんの関係悪化も理解することができる。十歳以下のお子さんがいる人にはお願いしたい(特に五歳以下)。
どんなに辛く、悔しく、悲しく、淋しくとも離婚は思いとどまってください。
離婚と転校は子どもにとって不良への一歩となります。

“ニーチェ”曰く「夫婦生活とは長い会話である」長い夫婦生活の中で子どもが不良になっても決して愛を失わないで下さい。夫婦が話し合い愛情があれば、きっとマットウになります。不良少年の一人ひとりは実に素直でかわいいものです(キ印→アタマがイカレた奴以外は)。愛情に飢えているのです。決してハレものに触れるようにしないで下さい。

本当の不良は自分は成るように成ると覚悟を決めています。
だから何をいっても聞く耳を持ちません、でもやはり愛情にはみんな飢えています。

私の統計ではお金持ち同士の離婚の方が圧倒的に多いのです。
それにはちゃんとした理由があるのです。
毎日の生活の中で何気ない会話の中で鋭く対立しているのです。
スパッと竹を切ったように。

2015年2月27日金曜日

「渡る世間に…」




東海道線は字と字が列車によって向かい合う。
四人掛けだ。狭い、足と足、体と体が触れ合う。

私の隣の老人は、スポーツ新聞の競輪予想面をシワクチャにして見ている(平塚か小田原競輪なのだろう)。
左斜め前の太ったオバサンは短足のせいか履いていた赤いスリッポンのカカトの部分に、脱いだ足をつま先を立ててチョコンとのせている。砂糖をパラパラと落としながら大きいメロンパンを食べている。
誰かに似ているなあーとじっと顔を見たら、橋田壽賀子さんにソックリだった(本人かもしれない)。
私の目の前(つまりトイメン)は三十代中頃のビジネスマン風、ずーっと下を見てスマホをいじっている。無我夢中だから列車が脱線しようが衝突しようが上を見ることはないだろう。 資料がごっそり入った黒いカバンは閉まらずパックリ口を開けている。

私といえばその三人をじっくりと観察させてもらっている。
列車は辻堂→藤沢→大船と進み横浜に向かって行った。
と、その時オバサンが突然スイマセンちょっとおトイレに行かせて下さいといって、半分残ったメロンパンをハンカチで包んだ。

いい感じで一定の秩序を保っていたのだがこれを機会に崩壊した。
オバサンの体は想像を超えて太く、でかく、高かった。競輪の予想面を見ていた老人は、あーあ今日はとことんついてねえや、みたいな顔をして立ち上がった。
ビジネスマン風の男が持っていたスマホを落とした。画面には将棋が写っていた。
きっと詰め将棋をやっていたのだろう。やはりずっと下を見ていた。


私といえばそんな光景を観察しながら立ち上がってオバサンが通りやすくしてあげた。
トイレから戻って来たらまた、おなじ事を繰り返すのだろう。
列車が横浜を通りすぎ川崎に向かってもオバサンは戻って来なかった。
人間は不思議だなと思った。

横浜でお客さんがたくさん降りたので、字と字に座る必然は何もなかったのだが、三人はオバサンが戻って来るのをじっと待っていた。
渡る世間に鬼はいないのを証明したかったのかもしれない。

2015年2月26日木曜日

「二人の社長」




クリント・イーストウッドの最新作「アメリカン・スナイパー」を観た。
戦争の実況中継のようであった。何しろ実弾を使っているので迫力がもの凄い。ぜひ観てほしい反戦映画だ。
イラク戦争からイスラム国(?)が生まれた。

映画の中で気になるシーンが何度もあった。
テロリストたちが使用している車がほとんどTOYOTAであることだ。
アジアからユーラシアそして中東、テロリストたちはTOYOTAの上から銃撃をする。TOYOTAはまるで日本を代表する“軍需産業”だと思った。

大手広告代理店でTOYOTAのレクサスを七年担当した友人が名古屋での勤務を終えて帰って来てこういった。TOYOTAは「鬱製造会社」だと。
豊田家以外の人間はロボット位にしか思っていない。
働かせるだけ働かせ、心身がイカレたらはい次の人。まるで経営に愛がないと。
他より給料もいい、技術も高い、が人間的でないのだと。系列から絞るだけ絞る。
乾いたタオルをまだ絞るというほど徹底して無駄な金は使わない。
系列会社を渋り上げる。二兆円以上という途方もない純利益を出しても内部保留にする。

映画を観ていてその話を思い出した。
テロリストを乗せているTOYOTAの企業姿勢とは何であろうかと思った。
確かに車の性能はいいらしい(私は免許を持っていないから分からない)。
私の娘も息子もTOYOTA車に乗っている。
TOYOTAの社長の顔は無機質で感情が見えない、まるでロボットのようだ。

その逆に感情がまる見える、野心と野望がコンプレックスで固められ、俗物の極みのような顔をした人間がいる。幻冬舎の見城徹という社長だ。
金はしこたま手に入れた。だが世のため、人のために使う器量も度量もない。
権力に擦り寄って下世話に磨きをかけている。政界や芸能界は出版界ほど甘くはない。きっと哀れな末路をたどるだろう。利用されるだけ利用される。「やしきたかじん」の罰が下る。

テロリストのブランドとなったTOYOTAにはどんな神の罰が待っているのだろう。
(文中敬称略)

2015年2月25日水曜日

「フルチンの男たち」




箱根に「天山」という日帰りの温泉がある。
 大型のベンツが湘南地区で唯一駐車場のない私の家の前に停まった。
バスタオル一枚、タオル一枚を持ってくるよういわれていたので、スポーツシューズを入れる袋に入れて大型ベンツに乗った。

グィーン、ベンツは早い。
途中平塚で車線拡張工事にあったが11時ピッタリに箱根の駅に着いた。
もう一人の友人が待っていた。

「天山」には車で直ぐだった。風呂の数が多い、広い、大きい、渋い、ものすごく熱い、ちょっと熱い、とても熱い、ぬるい、水風呂、サウナなど何種類もの風呂が内に外に、露天風呂にと種類を変えてある。1300円ポッキリで一日楽しめるのだ。
しゃれた料理店あり、鉄板焼きあり、レストランなどもしっかりとあった。

「天山」の湯船に入っている人のおしりは、煮込みすぎたハンペンのようにフニャフニャ、体に筋肉はなくブヨンブヨン。
時々元気のいい若い人も入ってくるのだがイマイチなじまない。

一度出てカフェテラスで冷たい飲み物を飲んだ、で、2度目に行くとヨットマンの友人がグッタリ腰を抜かしたご老人(75才位)をしっかり抱きかかえている。
誰か呼んで、誰か呼んでといっている。
フルチンの男がフルチンの男を抱いて、フルチンの男たちがどーしたのと集って来た(非常ベルはない)。やがて大きな女性と半テンを着た男が来た。
二人はのんびりだらりとして、ズボンを濡れないようにたくし上げていたのでヨットマンの友人が怒った。早くしろ、濡れたっていいじゃないかと。

で、友人と私、天山の男、フルチンの男たちとで引きずるように湯から出し、車椅子に乗せて畳の上に横にした。原因はよく分からないが体の上の方は火傷し、腰は完全に抜けオチンチンはボニョーン、ダラーンとなっていた。
露天風呂の中でも深いところなので、ヨットマンの友人がそこに入りに行かなかったら間違いなく溺れ死んでいただろう。他に誰もいなかったし、声がまったく出ていない。
全身脱力となった人間はベロベロの酔っ払いと同じでとにかく重い。

それにしてもオチンポはなんてマンガチックな形をしているのだろう。
ダラダラ、ベロンボロンとぶら下がっている個性豊かなものを何本も見てしまった。
「天山」はプライドが高いようだが、サービスと危機管理には大いに問題がある。救急車は何故だか呼びたくないようであった。
もう一人の友人はカラスの行水ですでに出てしまっていた。

2015年2月24日火曜日

「先生の義務」




バカヤロー学校は何をやっていたんだ。
バカヤロー担任の教師は何をやっていたんだ。

 川崎市の河川敷で少年が素裸にされカッターナイフで切り刻まれた。
島根の離島から転校して来た、明るく、バスケット好きだったという13才の少年。

不良たちに殴られ顔面アザだらけになっていたというのに、学校を全欠していたというのに。家庭訪問はしていなかったのか。

校長は「先生自身も残念で悲しく、悔しい気持ちでいっぱいです。みなさんも同じ気持ちかと思います」と語ったとか。
担任は女性であった。ならば同僚の男の教師は何の相談相手にもならなかったのか。

バカヤローたちは義務から逃れ、責任から逃れ、学校の保身、自らの保身しか考えない。いつでも生徒を見殺しにするんだ。

少年の頃私は嫌というほど教師に裏切られ、傷つけられ、そして放校された。
教師が守ってやらないで誰が生徒を守ってやるんだ。不良が恐くて教師ができるか。
殺された少年は5人きょうだいの次男だという。
不良の中にちゃんとした番長がいたらこんな酷いことはさせなかっただろう。
少年が通っていた中学校の校名は私が読んだ新聞に載っていない、ただ私立中学としか書いてなかった。
涙ぐんで話す担任の女性教師の話に生徒“数人”も泣いていたと記事に書いてあった。

島根の離島・西ノ島にいたらきっと青い海で友だちたちと遊んでいただろう。
私が結婚する時にお仲人を頼んだのは中学時代の担任だった女性の教師です。
妊娠後期だったのに勉強のできない私に放課後勉強を教えてくれました。
私立には月謝が高くていけません、先生のおかげで都立高校にすべり込めたのです。

少しボケたけど今でも元気です。飛び切り陽気なご主人も教師だった人です。
先生から受けた恩は生ある限り忘れないのです。

殺された少年が責任感のあるいい教師たちと出会っていたらと思うとやりきれないのです。親は勿論のことだが、義務教育中は生徒を守る義務が学校と教師にもあるのです。
少年の大好きだったバスケットボールは憎しみを込めてあの世に転がっていくだろう。(合掌)

2015年2月23日月曜日

「ヒマとマヒ」




昨日とても嬉しい郵便物が届いた。
大きな封筒の中を開けると、拙書を送ったことへの御礼と共に、「映画人生“再起動”の心意気」が書いてあった。朝日新聞の別刷「定年時代」にであった。

送ってくれた友人の名は「増田久雄(67)」さんだ。
私の周辺では“チャーボー”と呼ばれ愛されている。
石原裕次郎さんに誘われて映画の道に入った。早稲田大学入学時代から石原プロで企画制作に携わった。そして自ら「プルミエインターナショナル」という会社を立ち上げた。

独立プロは10年続けば凄いという日本の映画界の中で40年にわたって作品を生み出している。三谷幸喜の映画監督初作品「ラヂオの時間」や矢沢永吉の30年を追った音楽ドキュメンタリー「E.YAZAWA ROCK」も世に送り出した。
「竜二」という映画で伝説の映画人となった故「金子正次」の遺した「チ・ン・ピ・ラ」というシナリオを川島透監督で作り大ヒットさせた。
主演柴田恭兵、ジョニー大倉であった。

今では当たり前のテレビ局とタイアップした初の作品だった。
私は増田久雄さんと川島透がどうしても映画化したいといって来たので、金子正次は自分で制作費を出してやっと「竜二」を作品化、そして封切りの日に胃癌で死んだ。
35才の若さで。そのことに強く胸を打たれたので制作費の四分の一を制作協力として出した「チ・ン・ピ・ラ」は大ヒットしたので出したものは返って来た。

増田久雄さんとはそれ以来の仲であった。
ヨットマンの友人の仲間でもあった。
とにかく永遠の映画青年で故石原裕次郎さんや仲間に愛された。

「再起動」はパソコン用語で“リブート”というらしい。
増田久雄さんは昨年12/1625、東京芸術劇場シアターイーストで五周年記念として「クランク・イン」を上演した。主演は別所哲也さんと新妻聖子さんであった。
別所哲也さんは日本の短編映画を育ててくれる貴重な映画人だ60才から益々活躍する増田久雄さんは、青春時代に聞いた映画音楽を聞いて、青春時代の感動を取り戻し、明日への活力を生んでもらうキッカケになればと語っていた。

上質な名作映画、その音楽の魅力、生の歌声と演奏と映像。
第六回もきっと今年中に上演するだろうから、ぜひ青春時代を思い出しに行って下さい。才人増田久雄さんは60才から、大・再起動をしている。

ヒマだ、ヒマ、ヒマ今日は何すんべえかな〜などといって定年後をブラブラ過ごしている方がいたとしたら、ぜひ再起動のプランを考え行動して下さい。
ゲームでゴルフしたり、釣りをしたり、囲碁や将棋やサッカーや野球をしてませんか。
再起動ですよ、再起動。人間は“動物”です、動く物なのです。
静物になっていませんか。

えっ、夕方家の回りを散歩してるってか、えっ、買い物の手伝いをしてるってか、えっ、ヒマつぶしをどうするか毎日考えているってか。“ヒマ”に“マヒ”しているのだろう。(文中敬称略)

2015年2月20日金曜日

「小谷中清さん」




昨日は新橋→西日暮里(京浜東北線)→馬橋(千代田線)約一時間半。
鉄のアーティスト小谷中清さんが軽トラックで迎えに来てくれた。
そこから小谷中さんのアトリエまで約40分。

アトリエは千葉県柏市の畑の中にあった。
180坪を知人と二分割にして借りているとか。借賃はビックリするほど安い。
ビニールの屋根、倉庫のようなアトリエの中は、まるで廃品回収業の人が集めて来たような鉄、鉄、鉄の山、勿論アトリエの外も鉄、鉄、鉄。
何しろ鉄のアーティストだからそれで当たり前だった。

冬は仕事中に寒風にさらされ鼻水がポタポタ落ちるとか。
鉄の山の中にどーんと「祈りの塔」が立っていた。浅葉克己さんのトンパ文字「祈」をシンボルマークにして小谷中清さんに鉄のアートをお願いした。
 その最終チェックと追加のアイデアを確認した。約4メートルの塔は行き場を探してアチコチに行った。そしてやっと岩手県に行き先が決まった。
三月中に大型トラックで運び設営する。四月十二日にはイベントが予定されている。

3.11東日本大震災は急速に風化されている。
「祈りの塔」は、風化をさせてはならないとの願いを込めて作った。
NPOの人たちが協力してくれた。常堅寺の後藤泰彦住職をはじめみなさんがご協力してくれた。詳細はいずれご紹介する。

小谷中清さんは二年前愛妻を亡くされた。アトリエからご自宅に行った。
鉄で作った台に大きく厚い一枚板が取り付けられ、笑顔の遺影と小谷中清さんのアートで作ったモダンな祭壇があった。ローソクに火をつけお線香を立てた。

初めてご自宅に伺った時は暑い日であった。
千葉名産の冷えた梨と冷たい麦茶をだしてくれたのを思い出し合掌した。
小谷中清さんがコーヒーとヨーグルトのようなものに、アトリエのある畑で取れたブルーベリーを沢山のせて出してくれた。奥さんがいろんなレシピを書き残してくれたのに従って作ったという、ヨーグルトみたいで甘酸っぱい味だった。
とてもコーヒーと合って美味しかった。

小谷中清さんにいよいよだねといった。直ぐに帰るつもりが話が弾んだ。
軽トラックで馬橋駅まで送ってもらった。

夜、家に帰り朝日新聞の夕刊を見ていると、一面に大きく「NPOに『出張』します」の見出しがあった。
 その記事の中に今、一緒に進めているNPOの名があった。
「チャンス・フォー・チルドレン」貧困で教育向上にすすめない子どもたちを支援する公益社団法人だ。私は代表理事の今井悠介さんに電話を入れた。
今井悠介さんの声は弾んでいた。
私たちの考えがきっと新しい文化を生むと確信している。
三菱UFJリサーチ&コンサルティングが支援に動き始めたと記事にあった。


愚妻が鉄鍋でたらちりを作っていた。
早く食べないと煮立ってしまうわよといった。冷えたビールをグラスに注いだ。
ヒヨドリに餌をやっていると、セメントみたいなフンをして取れなくなるってよといった。大丈夫だよ、リンゴのフンになるからといった。
久し振りの長い会話だった。

2015年2月19日木曜日

「紅しょうがはタダ」




並ばない、守らない、譲らない、道路にツバを吐く、モノを捨てる、喚く、騒ぐ、殺到する。

銀座四丁目交差点、中央通り、昭和通り、有楽町近辺には大型バスがズラリと勢揃い、そこから続々と中国人観光客が降りて来る。
そして群れをなし四方八方に買い物を漁りに来る。 
10万、20万は当たり前、100万、200万、500万と現金で買い漁りに回る。
自分の国の品物は偽物ばかり、日本のトップブランド、海外のスーパーブランドをバッカ、バッカに買うのだ。消費低迷日本の救世主なのだ。
格安ホテルに泊まり、バスで移動する、銀座→秋葉原→浅草へと。

私の知っている中国人の人は日本に長く滞在しているので実にいいマナーを持っている。あくまで想像だが、「陳さん何買ったの、ガス炊飯器とパソコンとロレックス買ったよ、胡さんは何買ったの、シャネルのバッグとエルメスのスカーフとヴィトンのサイフ買ったよ。除さんは何買ったの、マンション2つ、一億八千万円で買ったあるよ」こんな会話が交わされているのだろう。

強烈な権力闘争をしている共産党国家の国民とは(?)私は非常に混乱する。
銀座和光のウィンドウの前にペタリと座り込んで木村屋のアンパンを食べている中国人親子たちは幸せそうである。

だが彼等にルールは無きに等しい。何しろ好き勝手なのだ。
思えば我々日本文化は全て中国から学んだのだ。実に複雑な気持ちになる。

あ、危ない、信号が青になっていないのに何人も飛び出した。
店頭で焼きたてのワッフルを売る店には並ばない人たちが集っていた。
デパートのエスカレーターには譲らない人が重なるようにいた。
ガムをクチャクチャ、飴をペロペロ。

いらっしゃいませ、デパートの女性店員は規則通りに頭を下げ続ける。
心の中では☓△☓□☓だろう(?)銀座はしばらく春節に沸く。
“共産資本主義”中国は日本を買い漁って行く。

何故か中華料理店には殆ど入らず、ラーメン屋の前は素通りだ(当たり前だな)、吉野家の牛丼は満員で外まで中国人だらけだった。
珍さんは特盛りをたのむことよといい、紅しょうがを全部のせて食べてしまったはずだ(?)紅しょうがはタダだから。一人二人凄いのがいた。
この寒いのにTシャツだけであった。勿論中国人が重労働して作ったユニクロだろう。
本屋の前を通ったらユニクロの柳井正社長の顔があって“ブラック企業ではない”という記事が載っている雑誌の広告があった。


2015年2月18日水曜日

「酔心」




ネバーギブアップ→諦めない男たちに私は感動する。
また男として、プロとして、夫として、父親として家庭を守る男に落涙する。
実に誇り高く美しい姿だ。

背番221プロ野球打撃投手「藤井秀悟」(37)は昨年限りで現役引退した。
ヤクルト時代に最多勝、最優秀投手、ベストナインにも選ばれた、日本ハム、巨人軍でも活躍した。最後の球団はDeNAであった。
そして現在巨人軍の打撃投手(バッティングピッチャー)である。

試合用の選手ではなく、練習用の選手である。打者が打ちやすいように投げ続ける。
背番221が何を意味するかは私には分からない。
一流のプロだった男が誇りとプライドを捨て黙々と投げる。だが誇りに満ちている。

巨人軍の用具係に「入来祐作」という元エース級のピッチャーだった男がいる。
一度は大リーグにも挑戦した。今は汚れたボールを磨き、バットやグローブやユニホームなど野球に関する用具の世話をする。プライドも誇りも一つ一つの用具に与え続ける。

大相撲に「栃ノ心」という前頭の男がいる。怪我に泣き十両から幕下まで落ちた。
外国人(グルジア)であるが日本人の何倍も日本の国技を愛する。
幕下になると給料は出ない。十両とは天と地ほどの差がある。

だが栃ノ心は引退をせず黙々と稽古に励み怪我と戦い、自己と戦い十両にあがり、全勝優勝を重ねついに前頭の上位に復帰し大関、横綱と戦っている。
体はボロボロだが男の意地はピカピカなのだ。

「やせ蛙まけるな一茶これにあり」と「小林一茶」は詠んだ。
一度地獄を見た男たちが生きる姿ほど美しいものはない。その顔、その目、その汗、その泥、その傷、全てがプライドと誇りに満ちている。

私は、小作人であり続けたい。バカであり続けたい。
藤井秀悟投手の夢は、もし東京五輪で野球が復活したら「オリンピックの打撃投手に選ばれたい」であった。挫折もせず、敗北感も味あわず、身の丈以上のプライドを持っている人間に負ける訳にはいかない。

昨日私が心身を痛めている時に熱心に指圧をし続けてくれた先生が仕事場に来てくれた。バブルが弾けた時、弟夫婦が経営する料理屋の連帯保証人になっていて一家一族夜逃げして万歳した。
かれこれ30年近い付き合いだ。私と同じ年、先生もいろいろあったなとソファーに横になって話した。先生は久し振りにと私のツボを次々に押した。
痛、痛、痛えよぉ〜先生と、のたうち回った。いろいろあったね、相変わらずアチコチ、ゴチゴチだねといって先生は笑った。

その後先生と一杯飲んだ。まずお新香五点盛りをつま味にした。
酒は広島の銘酒「酔心」であった。弟夫婦は生活保護を受けている、そして弟は糖尿病が悪化し、人工透析を続けている、奥さんも病身だといった。
日本画が上手だった。おかみさんは九十二歳になった。

先生は後期高齢者がもらえるという無料のバスの話をした。
いや1000円で乗り放題だったかもしれない。世の中の90%はやせ蛙なのだ。
チクショー負けてたまるか。

2015年2月17日火曜日

「怪物に乾杯、つまみはから揚げ」





「ジャージーボーイズ」というハリウッド映画が昨年日本で上映された外国映画のNo1となった。
残念ながら映画館には行けなかった。
2月11日そのDVDを買ってもらっていたのでそれを見た。
監督は八十四歳になる巨匠「クリント・イーストウッド」だ。
この人は怪物である。
年を重ねるごとに作品が若々しくなる。
ジャージーボーイズは友人たちが揃って絶賛していた。
ニュージャージーで育った4人の若者が60年代を代表するヒット曲を連発し成功するも、グループはお決まりの様に仲間割れして行く青春映画だ。
全米No1になった「シェリー」「恋はやせがまん」「恋のハリキリ・ボーイ」「悲しき朝焼け」「悲しきラグドール」「バイ・バイ・ベビー・グッドバイ」など4人グループ“フォー・シーズンズ”が唄う。
ミュージカルをクリント・イーストウッドが映画化した。
リードボーカルの声は裏声とヨーデルが重なった様な不思議な高温の声で、私は少年時代友人みんなとノドを引き絞って真似をした。

クリント・イーストウッドは早撮りで有名な監督。
2月21日からは「アメリカンスナイパー」というアカデミー賞の候補作も上映が始まる。
監督と製作を一人でやって成功したのはこの人とオーソン・ウェルズしかいない。
3,790円で2時間30分何度も何度も楽しめる。
何かに向かっている人は老いる事はない。
夢を追っている人はいつも青春時代だ。
クリント・イーストウッドはそう教えてくれる。

♪シェリー シェリーベイビー シェーリー
と気分よく口ずさみながら昨日夕刊を読んでいると「とりのから揚げ」の事を中国語の発音では「ジャージー」ということを知った。
中国では「ジャージー・ボーイズ」は「とりのから揚げ少年」となってしまうのだ。何だかガックリとした。
週末に又、見る事にする。

60年代は音楽の宝庫であった。
ペラペラのソノシートで聴いた「悲しき街角」「悲しき雨音」であった。
少年の恋は悲しいのだった。
クリント・イーストウッドは何度も結婚し、何度も離婚し、何度も自分を生まれ変わらせてきた。
彼はきっと100歳になっても青春の真ん中にいるだろう。

怪物に乾杯だ!つまみは勿論とりのから揚げだ。

2015年2月16日月曜日

「朝です」




このブログを書いているのは、二月十六日(月)午前五時十七分五十一秒だ。

テレビではニュースが流れている。
テロあり、殺人あり、鍋焼きうどんに針混入あり、安倍内閣の支持率が50%を越えたとか、北アルプスで遭難、山スキーをしていたとか。やったらダメですというのをやってしまう山スキーヤーのなんと多いことか。札幌のカニ屋で落下物がありケガ人が出たとか。森三中の大島さんが妊娠六ヶ月とか。

七時間原稿用紙に向っていたら愛用のボールペンの芯が残りわずかになってしまった。
バレンタインデーにいただいた「あげもち」と「チョコレート」で一杯飲んで眠るとする。

いつものグラスに日本酒を注ぎ入れた。どこか旅に行きてえなと思った。
沖縄の友のホテルに行こうと予定している。フォールーム。四部屋しかないがアジアンテーストのステキなホテルだ。おっとその前に友人が元箱根の日帰り温泉に行こうと誘ってくれている。

五時三十三分〇三秒、ウクライナ東部で停戦発効、その後も双方で攻撃中。小田急線経堂駅側ビルで火災、周囲騒然。
ヤバイこんなこと書き続けていたら眠れなくなってしまう。クーラー設置で何故住民投票(?)。
それではおやすみなさい。十時には起きますので。
小学五年生を殺した男が、日常的にバカにされたから殺したと供述をしたとか。

小さな庭にヒヨドリが来るようになった。
昨日、梅の花がポツンポツンと五つ咲いた。

2015年2月13日金曜日

「一羽でもニワトリ」




我が子を育てるように酪農家や養鶏業の人々は、牛、豚、鶏を育てる。
オイお前食欲はあるか、少し元気がないぞ、オイお前風邪でも引いたんじゃないか鳴き声が枯れてるぞ、オイお前腹の調子でも悪いんじゃないか便がゆるいぞ。

牛はモーモーと応え、豚はブーブーと応え、鶏はコッココッコと応える。
子牛から大人の牛へ、子豚から大人の豚へ、ヒヨコから大人の鶏へ。
それはそれは丹精を込めて育てる。なんて人間はやさしいんだと思う映像のあとに。

牛肉がグツグツと音を立てて白滝や春菊やネギやお麩と共に鉄鍋の中で「スキヤキ」となっていく。鉄板の上でステーキとなっていく(まるで火炙りのごとく)。
豚肉は切られ、包丁で傷を入れられ、衣をつけられ熱油の中にジューと入れられ「トンカツ」となっていく(火炙りのごとく)。
鶏は逆さ吊りにされ、毛をむしられ首を切り落とされ切り刻まれた。その上串刺しにされ炭火で焼かれ「ヤキトリ」となっていく(まるで火炙りのよう)。

心暖まる酪農家の人たち、養鶏業の人たちの映像と、火炙りになり人間たちの口に入る“料理”の映像を見るとガクッ、ガクッ、ガクンときて目の前の肉類を食べたくなかった。
筋肉隆々、ゴハンをモリモリ食べていた牛たちが四角いダンボールの箱に入って出荷されていく。
若い女性たちがステーキを食べて、キャーこれおいしい“本当の牛肉”みたい(?)とハシャギまくった。

「六道輪廻」生き物を食べた者は一度地獄へ落とされ(畜生に)生まれ変えられると「僧源信」は「往生要集」に書き残している。
それから逃れるには、生き物を食べた以上の善行を重ねるしかない。

こら!そこのオヤジ、ヤキトリ何本食ってんだよ、未だ、皮、ボンジリ、レバー、つくね、シロ、ハツ、タン、カシラ、セセリしか食べてないだと、地獄へ行くぞ、今度生まれて来るときは養鶏場の中のニワトリだぞ。一羽でもニワトリとはこれ如何にだな。

2015年2月12日木曜日

「鼾」




小説の神様といわれた「志賀直哉」の小説に「剃刀『カミソリ』」というのがある。
剃刀を使わせたら名人といわれた床屋さんの主人がいた。女房と若い者が一人いた。

その日主人は風邪を引き熱を出していた。
一人の男の客が来た。髭を剃ってくれという。
女房はあんた今日は体の具合が悪いのだから若い者にまかせなさいなといった。
主人は大丈夫だ俺がやるといった。客の男に温かな布を当て髭を剃り易くする。
温めている間、愛用の剃刀を細長い革の上で返し返しをしながら切り味をよくしていく。

主人は客の髭を剃り始める、いつしか客の男は大きな鼾(イビキ)をかき始める。
職人気質の高い店の主人は心が乱れる。熱が出て体の調子が悪いのに、俺が剃ってやっているのに鼾なんかかきやがって。
そうとは知らぬ客の男は高鼾だ、そして店の主人のイライラは頂点に達し、剃刀で客の男の喉笛をスパッと切ってしまう。
とまあ大筋こんな小説であったと記憶している。

あるとき、私が敬愛する監督にこの小説を短編映画化したいですね、と話した。
監督はぜひやりましょうといってくれたが、それは実現できなかった。

昨日午後四時半頃、私は床屋さんで大鼾をかいていた。
早朝まで起きていて二時間半ほど寝て起きた。朝八時半に連絡をしなければならないことがあった。二度寝をしようとしたがそのまま起きた。
休日であったが、平塚からハリ・灸の達人が十時に来てくれるといってくれたからだ。
頭を刈ってくれたのは店のご主人であった。起きてシャワーで洗ったので、頭は洗わないでよかった。

途中記憶がなくて目を覚ますと、ご主人のお母さんが剃刀を当ててくれていた。
自分で鼾をかいていたことを感じていた。
何か夢を見た気がしたがどんな夢であったかは分からない。
私は、お母さんにいや〜夢を見ちゃった、ずい分鼾をかいたでしょといった。
時計の針は五時に近づいていた。
お母さんが大きなマッサージ器を使ってくれようとしたが、いいです、いいですよといって断った。

千円札を四枚出してお釣りをもらった。
家に帰りながら「志賀直哉」の小説を思い出していた。
小説の神様もきっと床屋さんに行って大きな鼾をかいたのだろうと思った。

2015年2月10日火曜日

「初恋の結果は」




そういえばこの頃笑ってないな。
腹を抱えて大声出して笑っていない。
バラエティ番組を見て笑うのは、笑わせられているのだ。
この国にお笑い芸人たちがいなかったら、すこぶる暗い日々となるだろう。

ただ度を越した番組や、死に直面するような番組も多い。
深夜になるともうやりたい放題無法状態である。
作る方も作られる方もSMのような関係となっている。

私は江頭250とか出川哲朗とか上島竜兵とか坂田利夫の大ファンである。
笑うことが欲しくなった時は、彼等の出演しそうな番組を探してそれを見る。
それほど多くはないがその余りのバカバカしさに救われるのだ。

お笑いの人たちは「明石家さんま」を除いて、殆どの人が番組外では無口である。
冷静であり寡黙に徹するという。そして、もし売れなくなったらどうしようと不安神経症的になる。落語家は高座を終えると人を笑わすようなことは話さない。
金にならない笑いは取らないのだ。


7日の土曜日BSジャパンで「フーテンの寅」の初期の作品を見た。
マドンナは「長山藍子」であり、おじちゃんは「森川信」だった。
おばちゃんの「三崎千恵子」やタコ社長の「太宰久雄」は若かった。
「佐藤蛾次郎」も若かった。

純情な寅さんはいつも失恋する。
恋する寅さんを見ておじちゃんは、“バカだね〜”と溜息をもらす。
妹のさくら「倍賞千恵子」はどこまでもお兄ちゃんの寅さんにやさしい。
小さな会社に勤める労働者の「前田吟」は汗にまみれ黙々と働く。
“労働者諸君!今日もお仕事おつかれさん!”と寅さんは声をかける。

この映画のシーンには多くの笑いがある。
大きな幸福を望まない人々が日々の生活の中で手にする上質の笑いがある。
労働と笑いは親しい関係でなければならないことを教えてくれる。

ある調査によると、初恋は4人に3人が実らずほろ苦い思い出になったという。
初恋の相手は「同級生」が最多で80.9%、幼なじみが7.4%、学校の先輩が5.4%であった。初恋の年齢は612歳が55.6%、9割以上が15歳までに初恋を経験していると回答していた。

寅さんは初恋ばかりして、失恋ばかりする少年であった。
フーテンの寅さんを演じた「渥美清」さんは、「躁と鬱」を繰り返す難しい人であったという。山田洋次監督はその調子をよく見ながら、今日はやめとこうとか、今日は回すといったと何かで読んだ。

ヨーイスタート、カチンコが鳴った瞬間に、渥美清さんは寅さんになり、満員のお客さんを笑わせた。プロの芸人としてヨーイスタート、さあ日本人よ笑いを思い出そう。
皆さん毎日寒いけど笑顔で行きましょう。労働の後の休日を楽しんで下さい。
そういえばスマイルバッヂはどこにいったのだろうか。(文中敬称略)