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2013年9月13日金曜日

「磯辺の香り」




ギリシャから始まった欧州の金融危機そして今中国のバブルが弾け始めた。
これらに共通しているオリンピックを開催した後に財政が悪化した事だ。
オリンピックは人々に感動を与えるが、開催国には借金の山を残す。

日本が現在国民一人あたり約800万円、先進国でダントツの1000兆円の借金を抱え始めたのは東京オリンピックの時、国債を発行してからといわれている。
エネルギー資源輸入で持っている国が円安で悲鳴を上げ始めた。
ガソリン代はうなぎ登りだ。生活の源となっている物が全て値上げとなってきた。
自国の通貨が安くなって喜ぶ国は日本でしかない。

オリンピックより震災復興の方が先だろうというメッセージを送ると非国民といわれるらしい。これから消費税が上がり続け、中国のシャドーバンキングが崩壊すると世界同時不況となる。 

2020年度東京オリンピックは余程計画的に進めなければ、いよいよこの国は借金のヒマラヤ山脈となってしまう。
10代、20代の若者たちはその事が分かっているのか思いの外盛り上がっていない。
俺たちが借金を背負うのは嫌だからと云う。
盛り上がっているのは東京オリンピックを知っている年代だ。


912日(木)7—1015分迄、オリンピック招致にはこの大手広告代理店の力が大きいといわれる代理店の人と、あるNPOの代理理事の若者、それと人生を密教曼陀羅に捧げる長年の知人と様々なテーマの話をした。
更に元大手広告代理店の友人が加わり会話の内容はグングンと濃い味わいとなった。
私は雑学の一夜漬け人間だから中身のある人たちとの話は何より勉強になる。

鮒忠という会社の対面にある居酒屋は歴史的一日だと主人と女性店員(二人しかいない)は云った。何故なら40人位は入る店が私たち一行が帰店するまでお客さんが一人も来なかったからだ。どこが景気よくなったのかであった。
残暑なのにビールの売上は大幅減。乾杯をする事があんまり無いからだろうか。

先日久々に夜の銀座に出た。オリンピックが決まったのに銀座はガラガラという。
タクシーは空車の列。並木通りにはキャバクラの客引きが沢山出ている。
 磯辺焼きの屋台にお客の姿は無い。バラの花を売るオバサンも売れない姿。

私と友人は銀座で人と打ち合わせをするため歩いていたのだが、花の都大東京のシンボル銀座は変わり始めていた。赤坂が新宿歌舞伎町みたいになった様に、大好きな銀座が統制不能となってきた様だ。

中国人か韓国人が「オッキャクサン、カワイイコイルヨ、チョットナカニハイッテクレルダケデイイカラ」と擦り寄って来る。バカヤロー誰に声かけてんだと思うが、私たち二人は大人なので無視をした。
銀座でもバンバンお客が入っている店は沢山あるらしい。

オレオレ詐欺や株でひと儲けした人間やゲームメーカーやIT成金がドンペリをバカスカ開けていると誰かに聞いた。磯辺焼きのいい香りが未だ残っている。
磯辺焼きにも消費税はかかるのでしょうか(?)

2013年9月12日木曜日

「サソリと肉まん」


イメージです


過去の悪夢から逃れられない男と、未来への多大な夢ばかり見ている女性がある処で巡り会う。そこではある人間から一対一でこんな質問が次々と放たれる。

過去の失敗を苦にするか。人の成功が羨ましいか。物事を考えて行動するか。人生が辛いか。バス停にじっと止まって待っていられるか。人に命令されるのが嫌いか。突飛な行動をするか。公平でいられるか。人を妬むか。科学的思考をするか。他人に興味があるか。自分の印象が気になるか。他人に対して誠実か。直ぐに気分が変わるか。君はつまらない人間か。神は君を救えると思うか。

瞬きをせずさあ応えろ、さあ応えろ、瞬きをしたら初めからやり直しだ。
ある処とはカルト教団だ。質問をするのは教祖だ。

毎日毎日同じ質問を浴びせられる内に二人の男女は洗脳されて行く。
水を失った大地、雑草すら一本もない。目的地は何処か分からない。
ただ男と女は洗脳から逃れるために歩き続ける。疲れ切った二人は互いに向かい合う。

そしてこう言う。
瞬きをしないで質問に応えろと。男は言う。
何のために生きるのか、何のために生きるのかを繰り返す。
女は言う。明日はあると思うか、明日はあると思うか。
男は言う。愛は喜びか、愛は喜びか。
女は言う。愛は苦しみか、愛は苦しみか。

乾いた大地はやがて大きな雲により光を失って行く。
グッタリとした二人を赤いサソリが一匹、二匹、三匹と取り囲む。天を仰ぐ二人の目は瞬きを失い開いたままだ。ある映画を観た時、こんな短編映画を作りたいなと思った。

とその時はいつまでも映画を作りたい、なんて言ってんじゃないわよという声が聞こえた気がした。いいじゃねえか、紙の上に書いているだけなんだからと言い返そうと思ったが、口の中には沢山の夢が詰まっているので止めた。

九月十日夜乃村工藝社のエース、一級建築士の鈴木恵千代さんと若手のエース鈴木敦さん、それとIT会社の社長と世界一小さい大きな夢物語のプランを練り上げた。
これが形になったら日本中の若き才能はこの世界一小さな館を目指して参加して来る筈だ。

一級建築士の頭の中はアイデアの宇宙だった。
IT会社の社長の頭の中は物理化学が1だった私には理解不能であった。
凄すぎる。

心地いい疲れをおみやげに持ち、列車に揺られて帰った。
サークルKでアツアツの肉まんを一つ買って家に入り、それにブルドックソースとマスタードをつけながらDVDをセットして映画を見始めたのであった。
カルト教団は恐い。本当に不気味だ。人間の心は弱い。
だから映画の題名は記さない。観た人が洗脳されそうなので。夜と朝の間が私の学校だ。

2013年9月11日水曜日

「ヒロシマモンに学べ」




ハリウッドの戦争映画の傑作に「パットン大戦車軍団」というのがある。
三時間近い作品だ。ジョージ・C・スコットが抜群の演技を展開する。

映画の始まりは大星条旗をバックに第二次世界大戦の英雄パットン将軍が長く激しい大演説をする。要約すると、オイテメエラよく聞け(部下に向かって)アメリカ位戦争が好きな国はネェーてんだ、テメーラいいか気合を入れてドイツ野郎をボッコボコにするんだ。

この将軍は暴言、放言、失言(私も同じだな)を繰り返す。
パットンVSロンメルは宿命の相手として大好きな戦争をドッカンバッコンやり続ける。
部下に対してもパワハラをバッカバカにしては謹慎させられる。
この将軍は交通事故であの世に逝った。

カスター将軍というインデイアンの憎き相手がいた。
アメリカ建国史の中で原住民をバッカバカに殺した有名な将軍だ。
この将軍の最後はインデイアンに囲まれてズッタズタにされ、頭の皮を剥がされあの世に逝った。悪魔よイラクから出て行け!と民衆は叫ぶ。

ブッシュ大統領、イラクは地獄ですと報告がバッカバカ届いてイラク戦争は終わった。コソボ、ソマリア、カンボジア、ベトナム、アフガン、戦争こそビジネスの国アメリカは世界の警察だぞとやりたい放題、失敗し放題でよその国に介入をして来た。

ジョージ・C・スコット主演の名作映画に「博士の異常な愛」というスタンリー・キューブリックの代表作がある。アメリカ政府とアメリカ軍への風刺が面白い。
核戦争をバッカバカやろうぜ、ソ連野郎皆殺しだぜみたいに葉巻をバンバカ喫いながら大統領や並み閣僚をけしかける。
博士はソ連から亡命して来た核の開発者、ジョージ・C・スコットは将軍だ。
核爆弾が発射される寸前なのに秘書の女性に電話で語る。
「すぐ帰るから寝て待っていてね」と。
博士は難解な数式みたいなのを電動椅子に座りながら、ケッケケッケ、核は楽しい、核は嬉しいみたいに狂っている。

そんな戦争大好きな国アメリアのオバマ大統領がプーチン・ソ連の提案、シリアには攻撃させねえぞ、化学兵器を差し出させようぜに屈した。
上院、下院、国民が戦争にNO!大統領にNO!を突きつけたアメリカ史上初の大事件だ。
世界の警察なんていう思い上がりがジ・エンドになったのだ。

アメリカ国民は強い大統領を求めてきたが、高い月謝を払ってやっとこさその愚かさに気がついたのだ。オバマ大統領はレームダッグとなった。
その八つ当たりが日本国に来る事は間違いない。
超現実主義者のオバマ大統領は、名を失った分、実をとりに来るだろう。
英国のキャメロン首相、フランスのオランド大統領、大国三国のリーダーはリーダーシップを失った。

パットン将軍は謹慎されると、頼むから俺に戦争をさせてくれ、俺から戦争を取ったら何も残らねえとわめき散らした。
ロシア・中国VSアメリカ・英・仏の関係は抜き差しならなくなって来た。今度の土日は「戦争と平和」を借りて来て観ようと思っている。それとジョン・ウェインの「第七騎兵隊」それと深作欣二の「仁義なき戦い」シリーズだ。
「ヒロシマのヤクザいうたらよ、ヨソの者を一歩も入れんのじゃけん。いつでも来いや」とヤクザ大国、山口組に言い放す。さて、我が日本国の前途は(?)

2013年9月10日火曜日

「お多幸?」


お多幸のおでん※ぐるなびより


私は運命論者である。
人は生まれて来る時、親も兄弟も選べない。
オギャーと世に出た瞬間から運命線の上を走り始める。

ツキが回って来たか、運気が上がって来たか、その逆にツキは落ちたか、運気は下がったか、それを感じる時はほんの少しの出来事にある。

今ハッキリといえるのは安倍晋三首相という人。
猪瀬都知事という人の運気はこれ以上は上がらないと断定できる。
二人共ツキにツイてきた。
安倍晋三首相はライバルの病気と党長老の不人気というツキ、また尖閣諸島問題というツキによって全く諦めていた総理大臣になった。
猪瀬都知事は石原慎太郎前都知事の思いもよらぬ辞任によって都知事の椅子が転がり込んだ。

二人共先ずは石原慎太郎前都知事に、その執念のお陰です、ありがとうございました。を何百回も云わねばならないだろう。またロビー活動(裏工作)とは何かを教えられた事に感謝御礼を何百回も云わねばならないだろう。

私は別に誰の味方でもない。
井戸を探した人、井戸を堀った人の恩を忘れるべからずという筋論を言っている。
運気の流れを見ているのだ。
二人のツキは落ちたを確信したのは、オリンピック招致が日本に決まった翌日が新聞の休刊日だったという事だ。

ビッグニュースの筈が朝刊が無かった。
シリア問題とデモでロビー活動が出来なかったトルコ。
財政悪化、失業率上昇でロビー活動が手遅れになったスペイン。
何もかもツキにツキまくった二人に、新聞休刊日というツイてない事が起きた。

私はこういう事で運命の流れを読んで来た。
一流のバクチ打ちはツキは必ずとって置くものだ。
シロウトはツキを喜んで使い果たす。二人が招致決定となった初めてのインタビューで、こう言えば運気を保てたかもしれない。

「先ず初めに石原前都知事に心より御礼を申し上げたい。また本日ここまでいいプレゼンテーションを作り上げてくれたスタッフに心より御礼申し上げたい。貴重多大なアドバイスを頂いた外国のコンサルタントの方々に心より御礼を申し上げたい(ギャラは高かったけど)。私たちプレゼンターはそのお陰で思う存分のいいプレゼンテーションが出来ました。私の力など微々たるものです」と。
運命の暗転はホンの少しの出来事の中にある事を重ねて記す。

秋の陽はつるべ落とし、二人の運命もつるべ落としとなって行く。
人間ツキにツイている時ほど怖しい事は無い。あ〜、なんて運が無いんだ、なんてツイてないんだと思っている人が居たら、ホンの少しの出来事を見落としてはならない。
欠けない満月はないし、欠けたままの月はない。

役人たちが無理やり作ったGDP速報値が予定通り出た。
アベノミクスの助言者、浜田宏一参与は増税は今しばらく見送るべし、官邸は財務省の言うとおり増税すべし。すでに自民党内政変が起き始めている。

九月十日午前四時四十八分二十六秒。
一杯飲んでお休みなさいだ。
それにしても銀座で「お多幸」のおでんを食べた後とある処で、正しい堅気とは、正しいヤクザ者とはの話は盛り上がったな。正しい堅気の代表であるべき日本国の総理大臣がオリンピックのプレゼンテーションで、汚染水は私が保証しますと大見得と切った。
汚染水は、だだ漏れとなっている。ウソをつくと針を千本飲まされるのだよ。
ドロボーの始まりなんだよ。日本国のご多幸を祈る(?)

2013年9月9日月曜日

「ニッポンと二本」


イメージです 


世界大運動会が東京に決まった。
日本中がお祭り騒ぎの中、一人冷静に仕事をしている人がいる。
この人は例え目の前でいかなる大惨事が起きようと、天変地異が起きその身にいかなる危険が迫ろうと全く動じない。
その人にとってオリンピックは世界大運動会位の事。

その人の仕事はNHKの天気予報士、その人の名は渡辺博栄さんだ。
私の憧れの人だ。移り気な天気予報と女心はあまり当たらないといわれる。
但し外れたからといって叱られたり、給与を減らされたり、左遷されたりはしない。
何しろ相手はお天気だからだ。

渡辺さん(こう言わせて頂きます)は、無表情、無感情、声は低く心なしか暗い。
青白く、少しネズミ顔にメガネをかけ、やや猫背気味だ。
口をおちょぼにして鼻にかかった声で明日は風が強いでしょう、雨が多いでしょう、所々晴れ間があり、場所によっては曇または晴れ、または小雨から大雨でしょう等と極めて事務的に、且つプロフェッショナルとして淡々と仕事をやり遂げるのだ。

オリンピック開催国が決まった日、十二時からのニュース前の天気予報は見る事ができなかった。もし渡辺さんだったらきっと暴れ馬の様に大騒ぎする日本国民を静かになだめてくれたはずだ。週に一度か二度しか渡辺さんにお目にかかれないが、見る度にため息が出るのだ。

ガタガタ、ガヤガヤ、ムカムカ、いい年をして感情を抑えられない未熟者の私にとって正に雲の上の人なのだ。剣術でいえば渡辺さんは無刀流の達人だ。

友人のスポーツライターと電話で日本に決まった事を驚きあった。
私の内なる予想ではイスタンブールであった。
予報と予想は外れるもんだと決まっている。

世に「冷静力講座」というのがあれば、遅ればせながらそれを学びたいと思っている。
勿論講師は渡辺博栄先生にお願いしたい。

当分猪瀬知事のドヤ顔とふんぞり返り、威張った姿を見なければならないと思うと気が重くなるのだ。七年後この国がどうなっているのか、渡辺さんに予想否予報をして頂きたい。警報が出るとしたら何に気をつけねばならないのか。

世界一の借金国日本には新たに建設国債大発行という重大な暗雲がのしかかり、国民は重税に苦しみ、インフレ前線とデフレ前線が交わり景気は長期停滞するでしょう。
放射能汚染水はいよいよ東京湾に達して来るでしょう。
東京は万全でなく「不万全警報」が発令されるでしょう。

例えばこんな事にならない事を心より願いたい。
何はともあれ子どもたちにスポーツの祭典を見せられる事は何よりの事だ。
スポーツにはホットドッグと小岩井コーヒー牛乳と私の法律で決まっているのでそれで祝った。がんばれニッポンと二本食べた。

2013年9月6日金曜日

「高山ラーメン」


高山ラーメン ※イメージです


ドカン、ボカン、バリバリ、ガァガァーン。
ドヒャー、バサー、ドッカン、バリバリ、グワァーンと雷鳴がブルドックの様に唸りをあげている。ガラスに雨が激しく打つ。

青白い閃光がガラスの向こうにピッカ、ピッカ走る(美しい)。
猛烈、猛然たる雨だ。

九月九日午前五時、そろそろ寝なければと思ったが眠気はない。
新聞配達の人はそんな中でもキチンと配達してくれる。
玄関の扉からポストまでわずか2メートル程だがビニール傘をさして朝刊を取る。
何だこの雨はと驚いた。

お気に入のグラスに氷をたっぷり入れそれにJIM BEAM BOURBONを半分注ぎWILL KINSON(炭酸水)を注ぐ、シュワシュワーとグラスの中が大騒ぎとなる。
氷とウィスキーと炭酸水が早朝のご対面で笑顔満面なのだ。

バカラグラスはこんなシーンには絶対的入れ物だ。
右手でガチッと握るとズシッと来る、両の目でグラスを見下ろせば泡が大声ではしゃいでいる。ハイボールを作る時、マドラーで掻き回すのが決まりというが私は掻き回さない。
レット・イット・ビーなすがままの状態でグビ、グイと飲むと口の中、ノド越し、食道から胃袋へと貫通しながらハイボールが出来上がって行くのだ。
その経過を味わうには掻き回さない方がいいと思っている。
エドガー・アラン・ポーの短編を二編読み、「もうひとりのシェイクスピア」というDVD映画を観た。

頭に浮かんだ企画を書き続けた後、溜まっていた一週間分の新聞の切り抜きを整理する。飛騨高山にいる左官職人の天才&奇才(アーティスト)挾土秀平さんが11月にニューヨークでアート展を開催するという記事があった。
先日の昼頃電話したら東京に向かう新幹線の中であった。
野太い声が列車の騒音の中から聞こえた。一度ゆっくりお会いしたいですねと話をした。

左官の仕事を現代アートの最高峰にした男の中の男だ。
絶えず前進、挑戦、苦悩、苦闘、創造と破壊を繰り返す人間機関車だ。
身の丈は180センチを越える。大きく鋭い目、格闘家の様な体と鉄のグローブの様な両手。気の弱い人はその前に立っただけでブルってしまうだろう。
また素晴らしい詩人でもあり写真家の如きでもある。
大学ノートに挾土秀平さんの切り抜きを貼った。

ピカッ、ピカッ、バリバリ、ザァーザァー降りはより激しくなった。
時計の秒針は六時三十二分十八秒をカチッと通過した。
女子アナのオシリを触ったとかでセクハラだなんていわれた「みのもんた」が宿酔い気分で現れていた。この人もまた、天才といえる。
とにかくその超人的元気の表現に感心する。

よし、七時になったら横になろう、とりあえず二時間眠ればいいか、と思いハイボールをもう一杯手にした。挾土秀平さんとまた仕事がしたいな、誰かニューヨークに行かせてあげたいな。飛騨高山のラーメン(最高に旨い)食べたいなぁーと思った。

2013年9月5日木曜日

「冷酒と鮎」


イメージです


人間はなんでスポーツをするのか。
その起源を考えると、それは空腹を満たすため、食料を得るためだからではないだろうか。人類誕生と共にそれは生まれた筈だ。

遠くに何か食えそうな物がある、それ行けとばかり先を争ったのが走りの始まり。
食べ物の行く手に壁があった、走ってそれを越えれば走り高跳び、高い壁を棒を使って跳んだのが棒高跳び。

あっ、あそこに食べ物が、側にあった丸い石で投げたのが砲丸投げ。
丸い平たい石で投げたのが円盤投げ。

よし仕留めたぞとそこに行ったら他の人間がいた。
それは俺のだ、何いってやがんだと殴りあったのがボクシング。
取っ組み合ったのがレスリング。
草原や川の向こうに食べ物が、それを目指して棒を投げたのが槍投げ。
俺がとったぞと食べ物を持って逃げたそれを追っかけたのがラグビー。
取られてたまるかと足で蹴ったのがサッカー。
水に浮いている食べ物をとりに行ったのが水泳。
高い木の上にある食べ物をジャンプして取ったのがバスケット。
石の塊をより遠くへと思い木の蔦かなんかで縛ってぶん投げたのがハンマー投げ、等々となったのではなかろうか。

これが寒い処だと、木の枝をストックにし、平たい長い木に乗ったのがスキーとなり、短く太い木に乗ったのがスケートとなる。
コラー逃げるなとスッテンコロリをした筈だ。 
L字形の木で逃げる食べ物を追っかけたが捕まえられない、側にあった氷の塊をコノヤローと打ったのがホッケーでは。
波の向こうに食べ物がある、大きな板に捕まり乗って行ったのがサーフィン。
太い木にまたがって木で漕いだのがカヌー。
高い所から水の中に見える食べ物を、腹減ってんだと目指したのが高飛び込み等々と推理した。

「人間は何でスポーツをするのか」というドキュメントを観た。
実に面白かったのだが、食べ物を追っていたのがスポーツの始まりだという論が無かったのでやや不満だった。

人類はアフリカに育ち、やがて皆空腹となり旅に出る事となった(グレートジャーニーだ)。ヨーロッパ(北欧も)を生んだ人類、中東を生んだ人類。
アジアを生んだ人類。ヨーロッパから北米へ南米へ移った人類。
一人で食べ物を追っていたのが一人、二人、三人、そして団体となるスポーツを生んだ筈だ。それはやがて掟やルールを生んだ。それを破る者同士は戦となったのだ。

「より速く、より高く、より遠くへ」それは進化を遂げ、より美しく、より激しく、より限界へとなって来た。それは人類が分泌するアドレナリンの歴史ともいえるだろう。
「参加する事に意識がある」というオリンピック憲章は金を儲ける事に意義あるに変化を遂げ商業オリンピックとなった。

九月二日スポーツライターの友人と蕎麦屋さんでオリンピックは日本に来るや否やを話した。友人の見立てでは日本には100%来ない。
放射能問題が決め手である事と、安倍晋三総理が右翼的な事で中国、韓国、米国系、そして票数の多いアフリカの票が中国の影響力で他に行くとの事であった。

友人はズバリ、スペインだろうと。
商業オリンピックを作り上げた、IOCのボスであった前会長サマランチとその息子の力、それにスペイン王室が動く、IOCのメンバーは王族貴族に味方するからだと。
石原慎太郎知事の方がIOCには受けが良かった。猪瀬都知事はIOCには不人気。
出れば出るほど票は減ってしまうだろうといった(何しろ英語が酷い)。

下村博文文科相は今のままでは旗色が悪いと、皇族をぜひにと申し出た。
天皇家は政治的利用されるのを嫌がっているのだがいつものゴリ押しだ。
私も日本には来る事はないと思っているし必要もない。
今は何より震災復興に予算を使うべしだと思っている。スポーツ観戦は何より好きだが。

結論はもうすぐ出る。
IOCへのプレゼンテーションは金儲けへのアドレナリンを出しつくした国が勝つのだろう。鮎の塩焼き、ホタルイカの干物、冷奴と冷酒を飲みながら語り合った。

2013年9月4日水曜日

「ご婦人の行方」




凶暴な暴力団の組長がいちばん真っ当で、その終わりが何とも悲しく切ない映画を見た。題名は「悪いやつら」韓国映画であるが、まる事日本にも当てはまるだろう。
否、世界中のどの国にも当てはまる筈だ。

早い話、暴力団を法によって取り締まる側、特に検事たちがいちばんの悪だとしたら世の中はどうなってしまうのか。
どの国でも官僚という人間は縦に横に斜めに円にと、太く強いラインによって繋がっている。それはまるで織物の様であり、蜘蛛の巣の様であり、人間の細胞の様でもある。

悪と悪と悪と悪は、血縁であったり、学校の同期であったり、先輩後輩であったり、同郷であったりと結束の黒い絵柄を作り出す。

公務員という役人は大中小、松竹梅、上中下、お互いの利益を求めて様々なランクで取引をしているのだ。仁義を重んじる若い暴力団組長はその悪の前では無力な存在だ。
官僚たちにとって政界も、経済界も、思想界も、ジャーナリズム界も、教育界もつまるところ◯☓界、◯△界、□◯界、「界」と名のつくところは全て問題外なのだ。

「官界」こそが全てなのだ。
あんたらは金儲けが仕事だろうが、「俺たち極道は抗争が仕事なんだ、コケにされて黙っちゃいられないんだよ」と静かに怒っても悪いやつらにとっては片腰痛いという事になる。消費税をあげて誰がいちばん喜ぶかは明白だ。
それは「財務省」だけ。天下り先が見えない糸で繋がって行くだけなのだ。
後はそのおこぼれに群がる小判鮫たちだ。官僚たちは自分たちの出世のためなら戦争だっておっぱじめるのは朝飯前の事なのだ。

これはあくまで映画を観た感想だ。
心あるお役人、志あるお役人、正義感に満ちたお役人も悪いやつらと同数以上いると思っている。悪知恵にたけた人間に簡単に騙されてしまう武闘派の「親分」がかわいそうと、映画館のロビーでご婦人の二人連れがつぶやいていた。
更に検事たちがいちばん悪なんて韓国って怖いわね、信じられないわとも。
この種の映画が日本で作れなくなったのは何故だろうか。
映画「界」もはやり問題外になってしまったのか。
黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」なんていう名作があったのは遠い昔の話なのか。

新宿伊勢丹斜め前、シネマート新宿で絶賛上映中。
ちなみにご婦人お二人は、映画館の通り向かいの「富士そば」という立ち食いそば屋さんに入って行きました。

2013年9月3日火曜日

「カレーラーメン」




先週見たNHKのプロフェッショナルという番組中の宮崎駿監督は、落ち着かず苛立っていた。休日一人机に向かう、煙草を喫いつづけ、足は貧乏ゆすりを激しくしていた。
あーダメだ、これじゃダメだといっては消しゴムで下絵を消す。

3.11が起きた時会社は3日休んだ、その後スタッフに向かって怒鳴った。
「なんで休んだのだ、アニメの生産現場から離れるな」と。
その後スタッフにパンを配っていた。またある日は、スタッフが体調を崩して休んだのだろうか、それに対して体がぶっ壊れても自分の担当している絵は描きあげてもらわないと困ると。

わずか数秒弱の上映シーンに一年以上かける。
群衆が混乱する絵をアニメで作り上げそれを試写した。
仕上がりが満足であったのか、それを担当した一人のスタッフに上機嫌で上手く行った、上手く行ったといっては声をかけた。

アニメは気の遠くなる作業の積み重ねだ。
自分は人より少しばかり先を行っていたと思ったが時代のほうが先を行っている。
この言葉には日本という国からファンタジーやロマンや少年少女の淡い想いや、大人たちの包容力が無くなってしまった事への切ない気持ちが込められているのだろう。

宮崎作品には少女が主人公である事が多い。
きっとロマンチックな想い出があるからだろうか。
現在上映中の「風立ちぬ」の少女は(?)堀辰雄の「菜穂子」から名づけた名前だ。
文学少女などという言葉はすでに無きに等しい。
携帯を持ち、スマホやラインなどで交信しあう少女たちは最早宮崎駿監督のイメージする少女とはあまりに掛け離れてしまったのだ。

中原中也的に言えば、「汚れちまった悲しみに・・・」だろうか。
寺山修司風に言えば、「少女という絶対的純粋が黒い雲となって時代を嘲笑しているのだ・・・」と。

TVでは十五歳の少女が殺された事件をこれでもか、これでもかと、偽善的同情報道に作り上げ流出する。娘を殺された肉親に今の気持ちはなんてバカな質問をする。

宮崎駿監督の引退会見は六日に行うそうだ。
何年先か何十年先に日本という国が大人たちの愚策愚行で見るも無惨になった時、ああ、あの時、時代が私より先に行ってしまっている、と引退を決めた真意を知るだろう。

私といえば情けなくも正体がわからないほど「汚れちまった悲しみに、今日も・・・」なのである。「風立ちぬ」が出来上がった後のある日、宮崎駿監督は一人でカレーラーメンを作って食べていた。こうしているとやっと正常な心ある日常に戻って行く気がすると。

2013年9月2日月曜日

「進歩しないもの」




九月二日(月)午前二時を過ぎた頃、私は元山口組系組長の「鎮魂」という新刊本を読んでいた。

人間と人間の間を壊すものはやはり、そのひと言や、その金や、そのやり方や、その人事であった。表の社会も裏社会も組織とは人事である事が書かれていて興味深かった(宝島社刊)。

九月一日(日)は茅ケ崎はサザンオールスターズ一色で朝からギューギューであった。
暑い、あまりに暑いので借りてきていた映画を見る事にした。
二本とも題名は同じである。「許されざる者」だ。
過去に見ていたのだが、李相日監督、渡辺謙主演で同名の映画を日本的にアレンジして製作中というので借りていた。

一本目の「許されざる者」は、ジョン・ヒューストン監督、バート・ランカスターとオードリ・ヘップバーン主演であった。時は大西部開拓史の頃。
牛追いのカウボーイ家族が小さな町の外に居た。長兄がバート・ランカスター、次男、三男、末っ娘がオードリ・ヘップバーンであった。
物語の核は末っ娘が実はインディアンの娘であったのだ。
過去の戦いの時にインディアンが逃げる時赤ん坊を置き忘れてたのだ。
その家族の父と母は同じ兄妹として優しく育てるのだが、町の有力者の息子がその娘に求婚する。インディアンの族長がその娘を俺の妹だから返せと攻めて来るのだ。
封建的な町民たちはインディアンの血は許し難き、結婚なんてとんでもないのだ。
そして猛烈な攻防戦が始まる。さて、その結末は。

二本目の「許されざる者」はアカデミー受賞作である。
敬愛してやまないクリント・イーストウッド製作主演、そして監督だ。このオッサンは本当に凄い。七十歳を超えてから名作を次々に作っている。
近代映画史上NO.1の映画屋だろう。
物語は、小さな男の子を二人持つ男、元々札付きのワルであった。
西部劇でいうところの賞金稼ぎだ。足を洗って町外れの小さな木小屋に住み養豚場をしている。堅気になったのは良き妻のおかげであった。
しかしその妻に先立たれてしまった。子どものために金が欲しい、だが体は老いていう事を効かない。

そんな時町の娼婦宿で二人の牧童が一人の娼婦を切り刻むという事件が起きる。娼婦たちは体を張って稼いだ金を出し合って1000ドルの賞金を作る。町を仕切っているのが封建制の塊の様な保安官だ(ジーン・ハックマン)。
この町では黒人、移民、そして「よそ者」は居てはならない存在なのだ。
そして物語はある結末に向かう。

元山口組系の伝説の親分の本(現在は引退して実業家)に出て来る話も「許されざる者」に出てくる話も、人間の欲と得、本筋の人間とよそ者との確執、それと男としての意地とプライドだ。その時男はどんな行動をするのか、である。

またアメリカという国が未だに西部開拓史と同じである事を知る。
町を守る(国を守る)ためには、よそ者(外国)は敵。
インディアン、黒人、移民は許されざる者なのだ。
その者たちに待っているのはリンチ、拷問、縛り首、そして射殺だ。さて封建社会では許されざる者であった黒人の大統領、バラク・オバマは国際社会の許されざる者、シリアのアサドという無法者にどんな賞金をかけ、どんな落とし前をつけるのであろうか。
国際社会からの絶縁か破門か、あるいはフセインやカダフィか。
ノーベル平和賞受賞者の決断は。
当然我が国の首相は全て場面が読めていない外交オンチだ。
文明は著しく進歩をしているが、人間の心は進歩できない。