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2013年9月2日月曜日

「進歩しないもの」




九月二日(月)午前二時を過ぎた頃、私は元山口組系組長の「鎮魂」という新刊本を読んでいた。

人間と人間の間を壊すものはやはり、そのひと言や、その金や、そのやり方や、その人事であった。表の社会も裏社会も組織とは人事である事が書かれていて興味深かった(宝島社刊)。

九月一日(日)は茅ケ崎はサザンオールスターズ一色で朝からギューギューであった。
暑い、あまりに暑いので借りてきていた映画を見る事にした。
二本とも題名は同じである。「許されざる者」だ。
過去に見ていたのだが、李相日監督、渡辺謙主演で同名の映画を日本的にアレンジして製作中というので借りていた。

一本目の「許されざる者」は、ジョン・ヒューストン監督、バート・ランカスターとオードリ・ヘップバーン主演であった。時は大西部開拓史の頃。
牛追いのカウボーイ家族が小さな町の外に居た。長兄がバート・ランカスター、次男、三男、末っ娘がオードリ・ヘップバーンであった。
物語の核は末っ娘が実はインディアンの娘であったのだ。
過去の戦いの時にインディアンが逃げる時赤ん坊を置き忘れてたのだ。
その家族の父と母は同じ兄妹として優しく育てるのだが、町の有力者の息子がその娘に求婚する。インディアンの族長がその娘を俺の妹だから返せと攻めて来るのだ。
封建的な町民たちはインディアンの血は許し難き、結婚なんてとんでもないのだ。
そして猛烈な攻防戦が始まる。さて、その結末は。

二本目の「許されざる者」はアカデミー受賞作である。
敬愛してやまないクリント・イーストウッド製作主演、そして監督だ。このオッサンは本当に凄い。七十歳を超えてから名作を次々に作っている。
近代映画史上NO.1の映画屋だろう。
物語は、小さな男の子を二人持つ男、元々札付きのワルであった。
西部劇でいうところの賞金稼ぎだ。足を洗って町外れの小さな木小屋に住み養豚場をしている。堅気になったのは良き妻のおかげであった。
しかしその妻に先立たれてしまった。子どものために金が欲しい、だが体は老いていう事を効かない。

そんな時町の娼婦宿で二人の牧童が一人の娼婦を切り刻むという事件が起きる。娼婦たちは体を張って稼いだ金を出し合って1000ドルの賞金を作る。町を仕切っているのが封建制の塊の様な保安官だ(ジーン・ハックマン)。
この町では黒人、移民、そして「よそ者」は居てはならない存在なのだ。
そして物語はある結末に向かう。

元山口組系の伝説の親分の本(現在は引退して実業家)に出て来る話も「許されざる者」に出てくる話も、人間の欲と得、本筋の人間とよそ者との確執、それと男としての意地とプライドだ。その時男はどんな行動をするのか、である。

またアメリカという国が未だに西部開拓史と同じである事を知る。
町を守る(国を守る)ためには、よそ者(外国)は敵。
インディアン、黒人、移民は許されざる者なのだ。
その者たちに待っているのはリンチ、拷問、縛り首、そして射殺だ。さて封建社会では許されざる者であった黒人の大統領、バラク・オバマは国際社会の許されざる者、シリアのアサドという無法者にどんな賞金をかけ、どんな落とし前をつけるのであろうか。
国際社会からの絶縁か破門か、あるいはフセインやカダフィか。
ノーベル平和賞受賞者の決断は。
当然我が国の首相は全て場面が読めていない外交オンチだ。
文明は著しく進歩をしているが、人間の心は進歩できない。

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