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2019年8月19日月曜日

「早朝から、早朝まで」

久々の400字のリング。①「泣く男」②「パガニーニ」③「リスボンに誘われて」④「バーニング」⑤「ミッシング・レポート」⑥「ハンニバル」⑦「孤独なふりした世界で」⑧「七年の夜」⑨「母という名の女」⑩「それから」⑪「特捜部・カルテ64」⑫「ともしび」⑬「ダリダ」⑭「バルバラ セーヌの黒いバラ」⑮「スイス・アーミー・マン」⑯「死体が消えた夜」⑰「東京裁判」⑱「空と風と星の詩人・尹東柱の生涯」。8月10日、茅ヶ崎の花火大会は台風の影響で中止(延期もなし)。私の愛すべき後輩が今年になって、サザンビーチのまん前に東京から引っ越して来た。茅ヶ崎の花火大会はそのサザンビーチ前で打ち上げがあるから、超特等席の場所だったのに残念だった。東京からゲストを招いていたはずだ。東京へ行って、打ち合わせをすることが台風の影響でできず、長電話やたくさんのFAXで行った。パソコンやスマホが使えればどうということはないのに、実に困ったものだと思った。相手はもっともっと、困った奴、迷惑この上なしと思っているだろう。そんな中で多摩墓地へ父母の墓参り、寒川にある白峰寺というペットの墓地に行って、「ブッチ」と「アラシ」という愛犬の墓参りをした。①~⑱までの映画を5日間で見た。早朝から早朝まで。「東京裁判」だけで5時間半ほどあった。小林正樹監督はとにかく長いのが凄い。「人間の条件」は10時間弱あった(五味川純平 原作)。亡き母と徹夜の上映会で一気に見た(有楽町で)。倒産寸前だった「三一書房」は、この大ベストセラーによって生き残ったという伝説がある。新しくデジタルマスター化されたのをアマゾンで買い求めてもらった。休み中、NHKスペシャル9:00~9:45の4本が実に見応えがあった。1本は「ガタルカナル戦争」、1本は「二・二六事件」、もう1本が「昭和天皇の拝謁記」である。超極秒資料が今なぜNHKからと思ったが、改めて天皇でも口を出せなかった、軍国主義の恐ろしさを知る。そしてもう1本は「右翼・こうして民主主義を失った」。外は猛暑であった。私はひたすらリモコンを手に1日中過ごした。アズキアイス、ガリガリ君、スイカ、梨、キウイ、アタマがやけに糖分を欲した。おしりが痛くなり、マットを敷いて横になったりした。高校野球もしっかりと見た。この頃の高校生は体が大きいし、プロテインを飲んで鍛えられているらしく、やたらにパワーがある。私の故郷岡山は、2回戦で20点とられて負けた。高校生たちが神風特攻隊とダブって見えた。監督の命令は、軍隊の上官の命令と同じで絶対である。ビックリしたのは「二・二六事件」当時の若い兵隊が今も生きていたことだ。100歳を超えていてテレビのインタビューにしっかりと応えていた。昭和11年2月26日のことは、昭和天皇もいちばん気にしていたという。あの事件から軍隊の暴走が始まった。陸軍の動きを海軍が完璧に調べ上げていた。一歩間違ったら海軍が陸軍を攻撃していたのだ。故小林正樹監督は、「日本人は戦争を好む。そして指導者は逃げる」と言う。「母という名の女」という映画は「女の性」の姿を描いていて18本中NO.1だった。17歳の娘には同じ歳の彼氏がいる。職を持っていないが、娘はすでに妊娠して7ヵ月の体である。母親は心配して娘たちの面倒を見る。やがて赤ちゃんができる。子育てのイロハも、何も知らずにいる娘とその彼氏。娘は赤ちゃんの世話を母親まかせにしている。母親は赤ちゃん(孫)が我が子のようにかわいくて仕方がない。そしてある日、娘の彼氏と強引に関係を持つ。愛に飢えていたのだろうが。夫は若い女性と暮らしていて、渇いていたのだろうか。母もまだ女であった。文学的な映画であった。さて、その結果は。


2019年8月10日土曜日

「アカネテンリュウ」のように

「ズブい馬」という競馬界の言葉がある。私の仕事を支えてくれている好きな友人にその言葉を言ったら、「ズルい馬」と聞こえたらしい。違う、違う。ズブい馬とは、ディープインパクトのようなエリートの血統の馬でなし、むしろ無名の父と母から産まれる。競走馬は血統で走ると言われるほど、良血と良血をかけ合わせて「馬をつくる」。私は自分自身が無学非才、無礼者、乱暴者、多言居士である。私は20代まで競馬の馬券を買っていた、「コウジョウ」「アカネテンリュウ」という2頭だけを買っていた。アカネテンリュウが引退したのと同時に競馬をやめた(テレビ中継はよく見る。美しいから)。ズブい馬とはエリート馬を負かす、誉め言葉でもある。先行(前に行かず、ずっと後方待機)はせず、もう全然ダメだと4コーナーを回り直線に入った頃、馬群の後方から騎手にバチン、バチン、ムチを入れられながら怒涛のように追い込んで、10頭、15頭をゴボウ抜きして勝つ。ズブい馬とは実力があるのだが、気分がノラないと走らない。普段はバックレている。私はポテンシャルはないが気分がノッて来ると、火事場の馬鹿力が出て、ゴボウ抜きをすることがある。「コウジョウ」や「アカネテンリュウ」は、雨の重馬場、ドロドロになると、ガ然ヤル気を出す。私の古い友人で大手広告代理店の取締役制作局長の方がいたが、この人は仕事がモメてモメて、モメルほど力を発揮する。自分で自分にバチン、バチンムチを入れて、乗り切る。私はベトコンのようだと尊敬していた。「アカネテンリュウ」には超エリート馬の「スピードシンボリ」という天敵がいた。2年続けて年末の「有馬記念」という名誉あるレースで勝てず、2着であったが名勝負として歴史に名をのこした。今、私を支えてくれている友人と、オレたちは「ズブい馬」だねと話をした。チキショウ、負けてたまるか。メソメソとグチグチし、ウソとズルで自己利益追求型のエリートたちに。自分にとって、「得」か「損」かでしか物事を考えない人間。利用できる者は利用して、友人や恩人でも平気で裏切ってしまう。エリートたちと闘う。私は生ある限り、「ズブい馬」でありたいと思っている。昨日、幸いずっと取り組んでいたプレゼンテーションが、鋭い感性のトップ(プロジェクトの)からサイコーと言って決定してもらった。大成功させるために、バチンバチン自分にムチを入れる。お盆休みはほぼないが、それでも映画をしこたま見ようと思っている。400字のリングは2週間ほど休筆となる。みなさん猛暑だが、いいお盆休みをとって、日頃のストレスを解消してください。今夜は茅ヶ崎の花火大会だ。
アカネテンリュウ


2019年8月7日水曜日

「タラタラとチンタラ」

日本人からいい笑顔が消えてしまったと思っていたら、すばらしい笑顔に出会えた。岡山出身の渋野日向子選手(20)が、全英女子オープン初出場で初優勝した。午前3時頃最終18番ホールで、6メートルほどのバーディパットを壁ドン(カップの外側にドンと当てて入れる)したときは、思わず「ヤッタァー」と声を発した。強気のパットでないと壁ドンにならない。オーバーすれば負けていたかも知れない。ゴルフのパットは弱気のショートパットでは、永遠にカップインしない。岡山の菓子といえば、カバヤ食品が有名だった(私の少年の頃)。物事をダラダラやっていると、先輩たちから「チンタラ、チンタラやってじゃネエ」と叱られた。渋野選手がプレー中にお酒のつまみみたいなのを食べながら笑顔をふりまいた。そのお菓子の名が「タラタラしてんじゃね〜よ」というネーミングの商品だった(100円であった)。イカが不足しているのでタラでイカ風に作ったとか。山梨県の「よっちゃん食品工業」が製造元であった。問い合わせが殺到しているのは言うまでもない。どの世界でも同じで、女子プロの世界も嫉妬社会である。これから相当なイジメと嫉妬の嵐となるが、笑顔を絶やさずがんばってほしいと願う。女子プロ社会は「ボッコーキョーテー」(ものすごく恐ろしい。岡山の方言)なのだ。大好きな甲子園大会が昨日始まった。原爆が落とされた日だ。高校球児たちの入場式を見ているといつも思う。それは雨の神宮球場で行われた学徒出陣である。訓示をしたのが東條英機首相である。陸軍の階級は陸軍大学校での成績順位によって決められていた。東條英機は100番目ぐらいだったという。陸軍に大天才の二人の中将がいた。一人は長野出身の永田鉄山中将(軍務局長のとき相沢三郎中佐に刺殺される)。もう一人が山形出身の石原莞爾中将であった。満州国を生んだ軍人である。この二人が戦略論も戦術論も持たず、ただ“根性論”だけの東條英機を嫌った。石原莞爾は煙たがれ予備役とされた(一丁上がり)。本来ならいの一番にA級戦犯になったはずの石原莞爾は、この事によって畳の上で死ぬことができた。東條人事はラッキーだったのだ。終生東條英機をバカ者扱いしていたと言う。戦後74年、世界は戦争前夜のようになっている。渋野日向子選手の笑顔の陰で、熱闘甲子園の汗と涙の陰で、ヒタヒタと戦争の足音が聞こえる。有志連合などというおぞましい言葉が行き交っている。吉本興業の闇営業報道の洪水の陰で、100億円近い国家予算が闇の中で動き始めている(吉本興業へ)。表現の自由が愛知の芸術展中止で露骨に奪われた。日本記者クラブで渋野日向子選手に質問が飛んだ。今、何を食べたいですか(?)これからかなり嫉妬されますよ。バカ者記者たちの質問能力とセンスのなさにガク然とした。チンタラ、チンタラしてんじゃネエーよ。




2019年8月5日月曜日

「アルファ」

週末から月曜日朝まで映画ばかり見た。何しろ外は猛暑である。「沈黙、愛」「J・D・サリンジャー」「スノーマン」「アルファ」「バグダッド・スキャンダル」「モーターギャング」「インモラル・ルーム」の7本である。人から受けた恩をちゃんと返せずに来ている私にとって、この1本は泣けるほどよかった(「アルファ」)。「アルファ」は奇跡的な映画であった。どうやってこんなすばらしい映像が撮れたのだろうか。物語は2万年前のヨーロッパとスーパーが出て始まる。極寒の山地に住む一族の長には一人の息子がいる。男たちは食料を求めて狩猟の旅に出る。息子の名は「ケダ」。彼は父と違ってやさしい。それゆえ、父はケダが心配だ。火を起こすこともできず、鋭い矢じりも作れない。この旅で一族の長の息子としての証明をしなければならない。男たちは広大な雪山の中を進む。目指すのは、野牛の群れであり、その野牛を崖まで追い込んで、墜落させて大量死させる。一種の追い込み猟である。空には大鷲の大群、大地には狼の大群が男たちの命と、野牛の死を追う。超絶的雪山の中の映像、猛吹雪、雪崩れがつづく。ついに男たちは野牛の群れを発見して、崖まで追い込む。そして野牛たちは墜落する。と、同時にケダも落下して数十メートル下の岩のところで動かなくなる。父は息子に大きな声をかけつづける。が、一族の者たちから、もう死んでいると告げられ、早く崖下に行って獲物を運ぶことになる。崖下には一頭の傷ついた狼もいた。男たちは岩を積んでケダに別れを告げて去って行く。日が経ち、ケダは息を吹き返す。死んではいなかった。ケダは大雨で瀧のようになった崖下に飛び下りて河岸にたどりつく。そこに傷ついた狼がいた。ケダは自分の傷を手当てしながら、狼の傷を治そうとする。牙をむく狼、ケダはあきらめずに狼の傷を治す。この狼は大地の群れのリーダーだった。狼は遠吠えで自分の仲間たちに指令を送る。父がケダにいつも教えていた、一族の長になる者の心得は、勇気ある者たれ、仲間のために命をかけると。狼のリーダーはそんなものがなっているのだ。一声で群れを動かす。この狼とケダはまるで愛犬家とその愛犬のような仲となっていく。狼がまるで賢いシェパードのように演技する。泣けるほどケダにつくす。どうやって撮影したのだろうか。息を飲むほど美しい雪の山脈。嵐のような雪、大地ではリカオンの群れが命を狙って追って来る。ケダは狼に「アルファ」と名づけていた。アルファは狼の仲間たちに、俺は大丈夫だ。あるやさしい男に命を助けられた。その恩を返す旅をしている。みんなで手伝ってくれ、そんな思いを込めて、岩穴の外から大地に向かって遠吠えをする。ケダとアルファは集落を目指して行く。と、まあこういう物語なのだが、狼という動物と、人間という動物が、恩と情によって結ばれることを教える。すっかり現代人が忘れてしまった大切なことを、見終わったあと学んだ。この途方もない映画をつくった人たちと、狼に拍手を送った。ぜひ、おススメの一作である。愛犬家が見たら、きっと大泣きするだろう。


2019年8月2日金曜日

「ペンとパン」

朝日新聞の人は自分たちを評してこう言う。「たかが朝日。されど朝日」。かつて新聞界の高級紙と言われた。インテリは朝日。ノンポリは毎日。大衆は読売。右翼は産経と言われた。無教養な私はずっと朝日を購読していたが、数年前から宅配を止めて駅売りで読むことにした。朝日の「天声人語」の名文に憧れていたのだが、すっかり駄文になってしまい、ワンパターンの書き方にダメ出しを出して止めた。また、夕刊の「素粒子」という名物読み物の酷さにアタマに来た。わずか150字ぐらいだが、これを書くのが朝日新聞記者の夢でもある。150字ぐらいで年収ん千万。昼頃出社してこれを書き終えると、会社のクルマで、高級レストランで美人とランチ。その後、銀座やどこぞへと消えるのだとか。朝日出身の記者の出版本に書いてあった。丸谷才一著の「女ざかり」では、朝日の天声人語みたいのを書く手法が書いてあった。映画では吉永小百合さんが主役を演じた。社内抗争ばかり、創業者とのバトルばかり、出世争いばかりしているうちに、ジャーナリズムとしての誇りも、プライドも使命感も大いに失ってしまった。残念無念でならない。国家権力のイジメに対する力も失った。そして誤報が続いた。ロイター・ジャーナリズム研究所は19年1月から2月にかけて、日本を含む世界38ヵ国・地域でどのようにニュースが読まれているかをインターネットで調査した。7万5千人あまりの回答、日本では2017人が回答した。15の代表的メディアブランドについて「信頼できるかどうか」を10点満点で答えてもらった。そのブランドを知っている中で、NHKが6.32点でトップ。次いで日経新聞が6.09点、日本テレビ5.95点、地方紙5.94点、朝日は5.39点で11位。6位の読売や産経8位、毎日の10位よりも下位に沈んだ。他の調査でも同様。ブランド信頼度が2年連続最下位であった(FACTA8月号70ページ)。これが何によるかは朝日の言い分も、いろいろあるだろう。が、いつまでもオレ様は朝日だと言っている場合ではない。朝・毎・読は30万部から20万部近くが毎年減紙している。地方紙の時代なのだ。もちろん、その地方紙も少子高齢化、新聞配達所の減少、新聞を読まない若者世代の影響で減紙が進んでいる。我々が生きる広告界でも新聞を読まない人間が多くなっている。新聞記者が一つのテーマに対して、体を張っていい記事を書いていけば、きっと読者は増えるはずだ。現在、日本の報道自由度は、国際機関からも強く指摘されるほど不自由な国となっている。ペンは銃よりも強い。こんな言葉は死語となっている。かつて「堺利彦」というジャーナリストがいた。自分の会社の名を「売文社」と名乗った。会社のシンボルマークは“パンにペンが刺さっていた”。ペンはパン(お金)より強いはずだから。



2019年7月31日水曜日

「タマシギ」と「一妻多夫制」

男は言う。「何でオレはお前みたいなオンナと結婚してしまったのだろうか、この広い世界の中で」。女性は言う。「何でよりによってアナタみたいなオトコと結婚したんだろうか。人生最大の失敗だわ」。男は言う。「一夫多妻制だったらよかったのにな。とりあえず別れないでやれるかも」。女性は言う。「一妻多夫制だったらとりあえず別れないであげられたかも」。この鳥の特性を知ったら、ついこんな会話が浮かんだ。鳥の名前は「タマシギ(玉鷸)」という。「一妻多夫の鳥」だ。全長24センチくらい、雌は美しい茶褐色。雄は地味な灰褐色。雌は産卵すると別れ雄を探して移動する。抱卵と子育ては雄だけが行う。留鳥または漂鳥として水田や休耕田に暮らす! タマシギ科。「コオー、コオー」と鳴くのは雌で、雄にラブコールをするらしい。求愛ディスプレイも雌が行うという。(東京新聞・探鳥 より抜粋)。この頃、男がかなり弱虫になっていると聞く。決して女性が強くなっているわけではない。女性はもともと男より強い。妻に先立たれた男は、すっかりしょげてしまい、青菜に塩みたいになってしまう。その逆に夫が先立ってくれた女性は、元気ハツラツオロナミンCみたいになる。女性とは男と別の生き物であるから、決して敵にしてはいけない。間違っても一夫多妻制だったら良かったのに、などと言うなかれだ。タマシギみたいな女性が、「コオー、コオー」と呼びかけても、強い意志を持って対応しなければならないのだ。結婚しない若者が多い時代となった。熟年離婚も多い時代となった。圧倒的に男が女性に捨てられるケースのほうが多いはずだ。若者はそんな大人たちを見て、幻滅しているのかもしれない。ある哲人はこう言った。女性は初めは処女の如く、その後は脱兎の如く。近づくときはウブでかわいく。逃げ出すときは、ウサギちゃんのように素早くハネて行く。今、訳あって結婚したいという若者と、訳あって熟年離婚したいという後輩が、私のところに相談に来ている。あんなに仲良かったのに、こんなに憎しみあっている。あんなにタイプじゃないと言っていたのに、手を握り合って歩いて来た。「何がジェーンに起こったか」。そんな映画のタイトルを思い出した。「歴史は夜作られる」。こんなタイトルの映画もあった。


2019年7月30日火曜日

「寝苦しき夜」

いきなり猛暑となり、私は睡眠難民となっている。いつも寝ている場所は、四畳間ぐらいである。一台のクーラーがあるのだが、かなりクーラーは高齢化して、湿度調整が不調となる。冷房27度か28度にすると、突然うなり声をあげて24度ぐらいまで下がる。何だこりゃと一度切る。と部屋の中はムシムシ状態となる。それじゃドライにするかと、ドライ+1、ドライ2とかを設定すると、やはり奇妙な音を発して、ドライ−1、2ぐらいになる。これがまた寒い。チキショウどうなってんだと思い、ついに枕を持って部屋を出て、家の中のスキ間を探すのだ。クーラーはもう30年以上使い、2度の転居を経験している。最新型の人工知能AIなどは装備していない。先夜はポタポタと水滴が落ちて、下に置いてあった水彩画の額縁の中に入り、絵をダメにしてしまった。時代おくれのイカレたクーラーは、まったく私自身のようであるなと思っている。ダイキンを呼んで相談したら、「もう限界です」と言われた。今度水滴がボタボタ状態になったら、最後の1台もオシマイとのことであった。オリンピック・パラリンピックを開催する国の国会内が、障害者の方々に対しての方策を、まったく考えていなかったことが分かった。エスカレーター、エレベーター、トイレ(多目的)サポート対策、何もかもが、健常者であることを前提としている。慣例第一主義の国会は男子優先であった。市川房枝さんが議員になった頃は、女子トイレがなかった。土井たか子さんが議長になった頃は、トイレが遠く走って行ったという。テレビの報道番組は急に人権的、ヒューマニストになり、特集を組んでしたり顔で、障害者の方々に同情の言葉と、国の怠慢を言う。国会内の支配者である国会議員は見た目は健常者であるが、脳内や性格が健常であるかは、大いに疑問である。「N国」や「れいわ新選組」が生まれた。今、「吉本から芸人を守る党」とか「ウナギの稚魚を守る党」とか「おかあちゃんから夫を守る党」などなどが声を大にしたら、一議席200万票はとれるだろう。SNSの時代は多党化の時代となる。「不眠解消党」が生まれたら、私は一票を投じてしまうかも知れない。

2019年7月27日土曜日

「大先生と大先輩」

昨日金曜日、かねてより約束をしていたことを果たし、“ほっと”した。旅打ちばかりしていたので、少々体もへばっていたのだが、チリが生んだノーベル賞受賞の詩人「パブロ・ネルーダ」のアンデス越えの逃亡劇の映画「ネルーダ」を木曜日深夜に見て、少々へばったなどと言っていられないと思った。詩人は革命家であり、エロ大好きであり、享楽主義者でもあった。つまり極めてフツーの人間的要素をその怪異な顔と姿の中に持っていた。午後12時〜2時。伝説の大先生親子と、靖国通り近く曙橋の名店「魚亭かみや」で、約束していた、鮎づくしを食した。店の主人は和の名人「神谷宗佑」さんである。稚鮎(串刺し)小型の鮎(塩焼き)そしてシメに大型の(鮎飯)ものであった。先生はご指定の冷酒。息子さんと私はノンアルコールビールであった。コリャ〜ウメェと先生は胃癌+食道癌にメゲずにすべて食した。こうなりゃ来年まで生きていなきゃと言って、よろこんでくれた。その4時間後、午後6時南青山のうなぎの名店「大江戸」に行った。大尊敬の大先輩は、現在悪性リンパと肝硬変と闘っている。腹水がたまると食欲はゼロ、北里病院へ行って2泊して腹水を抜いた後は食欲がでる。何回も何回もうなぎが食いてえと言っていたのだが、何回も何回も体調が悪くなりキャンセルをしていた。ついに昨日、うなぎの夢が叶った。ストローハットに白いポロシャツ、スカイブルーの麻のジャケット、相変わらずオシャレであった。こんなにやせた姿を見せられるのは、森山良子さんと、オマエだけだからと手を震わせ両手でグラスを持って乾杯をした。二人ともノンアルコールビール。1年前にはある雑誌の取材で、ブタペストとウィーンを回り、オペラを観劇。いい紀行文を書いていた。人間の体と命の行き先は、あっという間に激変する。天はよく働く者のみに微笑む。大先生も大先輩も、日々命がけで働いてきたから、80歳を過ぎても食べたいものが食べられる。船の汽笛みたいボーッと生きるなかれ、楽を選ぶなかれ。苦海に挑めなのだ。だから死ぬ気で働く、明日は来ないぞと思い、その日すべきことは、その日にする。「俺たちに明日はない」、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの名作映画のように。


2019年7月25日木曜日

「取っ払い」

吉本のお笑い芸人と、その使用責任者たち(経営者ともいう)の関係が、ビビンバ(ごちゃ混ぜ)状態になっている。当然私は芸人の側に立つ。世の中は表と裏、正義と悪(正義は少ない)嘘と真実、絶えず対極があって成り立つ。タレントさんを起用する会社の人間が、よく言う言葉がある。「たかがタレントのくせしやがって」。「タレント」とは辞書を引けば“才能”という意味だ。つまり大金を払って使用しているタレントさんを、「たかが才能のくせしがって」と言っていることになる。芸人といえば、かつて芸大や音大の楽器弾きは、コマーシャルの音楽録りで生活をしていた。ピアノ、ギター、サックス、トランペット、トロンボーン、ドラム、ハーモニカ、フルート、クラリネットなど作曲家の要望で音楽録りのスタジオに来る。自分のパートが終わると、仕切り屋が茶封筒に入ったバイト代を渡す。業界では「取っ払い」と言って、請求書も領収書もない。シーズンオフ、プロゴルファーがゴルフ好きの会社社長やお金持ちの人間とラウンドすると、「今日はありがとう、楽しかった。これはレッスン料だ」と、取っ払いでギャラが支払われる。将棋や囲碁も同じである。有名棋士と一局差したがる。お相撲さんなんかは、基本的に「ごっつあん」であり、そもそも自分で払うという習慣がない。夜の世界では、その筋と一緒の時間を過ごす(男も女もあり)。銀座、赤坂、六本木、西麻布、新橋、柳橋、錦糸町、どこへ行っても、仲良くVIPルームにいて、「ごっつあん」である。テレビに出て名を出しては講習料を高くする。バカ弁護士とか、バカ評論家、バカ小説家、バカ学者も同じで、取っ払いである。中にはちゃんとした学者さんもいるが、そんな人は稀有である。ある学者さんを私は心から尊敬する。芸能人は自分を大きく見せるために、反社会の人間と、よく記念写真を撮る。何かのときに「オレには、この人がついているんだ」と使う(ケツ持ちという)。あるいは「アタシにはこの人がついてんのよ」と。興行と芸能とマスコミの世界は、反社会と手を切ることはできない。新聞、雑誌、TV局も、警察も、ネタ元はほとんど反社会勢力か、その周辺の人間だ。吉本の芸人にかぎらずそうしないと、成績は上がらず生きていけないのだ。ゴシップ雑誌はネタを高く買う。もちろん取っ払いだ。東京→軽井沢→名古屋→飛騨高山→名古屋→東京→名古屋→東京と、この一週間旅を打ってきた。芸を売るために。生きていくために。昨日深夜、2本の映画を見た。1本は「ある女流作家の罪と罰」。伝記物を書いて、ベストセラー作家になった51歳の女性は、すっかり売れなくなり、有名作家の手紙を偽装し、収集家のお客を持っている書店に売って、滞納した家賃や、猫の治療代や生活費を稼ぐ。そしてFBIに捕まる。実話であった。もう1本は「フロントランナー」。次期アメリカ大統領の第一番手(フロントランナー)であった。若き上院議員が、一人の女性を愛してしまい、それをマスコミにスクープされる。妻子のいる大統領候補にとって致命的スキャンダルであり、撤退をする。だが、二人の愛は本物であって、老人となった現在も二人は結婚生活を続けている。もちろん妻子とは別れて。これも実話である。芸人に追い込みをかけてはダメ。社会的信用を失った吉本は、すでに解体と同じである。

2019年7月23日火曜日

「勝者なき選挙の先」

投票率が50%に満たないという、国政選挙が終わった。自民党のあきらかな大敗北である。57議席は前々回より大幅に減らし、前回より増えていない。歴史に「もし」という言葉は嫌いだが、投票率が50%を超えていたら(フツーは当たり前)自民党は惨敗をしていた。幹事長からあろうことか安倍総理4選論が出た。この人は大策士なので、クセ球を投げた(次もオレだぞと)。自分の政権下で行なった国政選挙が投票率40%台という過半数に満たないというのは、完全に政治が見離されたということだ。「れいわ新選組」が2議席を、「NHKから国民を守る党」が1議席を、「日本維新の会」が東京で初議席、当選者は当初小池百合子にべったりとつき、そして離れ、区長選に出たりして落選して、維新にへばりついた。「立憲民主党」が躍進して、「国民民主党」は低退、「社民党」は消滅の危機を免れた。今回の選挙の結果は、既成の政党へのサヨナラの合図でもある。48.8%の投票率の国家のリーダーに、安定政治などある訳がない。4選となれば、党を割るような動きとなるだろう。令和おじさんとなった菅義偉官房長官が、すっかり次の権力者に色気を出し始めた。自分の会社の芸人をさらし者にした、吉本興業はもはや会社とは言えない。本来なら、まず社長が謝罪するのが決まりだ。投票率48.8%というのは、声なき声からの不信任であったと、謝罪すべき姿こそ国のリーダーの姿だ。あっちの政党からも、こっちからもと、自らの野望のため(アメリカからの命令)に人数合わせを語っている。情けない姿である。この選挙をしっかり総括しないと、いずれ行われるであろう衆議員選挙は、ビビンバ(ごちゃ混ぜ)状態となる。「君も政治家になろう」私はこうすすめたい。もはや死語となった日本語に「青雲の志」というのがある。私の家には少々の本しか残ってないが、石原慎太郎・盛田昭夫共著『「NO」と言える日本』というのがあった。アメリカに「NO!」を突きつけられる根性者の政治家が、きっと若者たちの中にいるはずだ。著者の一人が一度総理大臣になっていたら、この国はどうなっていただろうかと、ふと思った。若者が動けば政治は劇的に変わって行く。(文中敬称略)