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2019年7月25日木曜日

「取っ払い」

吉本のお笑い芸人と、その使用責任者たち(経営者ともいう)の関係が、ビビンバ(ごちゃ混ぜ)状態になっている。当然私は芸人の側に立つ。世の中は表と裏、正義と悪(正義は少ない)嘘と真実、絶えず対極があって成り立つ。タレントさんを起用する会社の人間が、よく言う言葉がある。「たかがタレントのくせしやがって」。「タレント」とは辞書を引けば“才能”という意味だ。つまり大金を払って使用しているタレントさんを、「たかが才能のくせしがって」と言っていることになる。芸人といえば、かつて芸大や音大の楽器弾きは、コマーシャルの音楽録りで生活をしていた。ピアノ、ギター、サックス、トランペット、トロンボーン、ドラム、ハーモニカ、フルート、クラリネットなど作曲家の要望で音楽録りのスタジオに来る。自分のパートが終わると、仕切り屋が茶封筒に入ったバイト代を渡す。業界では「取っ払い」と言って、請求書も領収書もない。シーズンオフ、プロゴルファーがゴルフ好きの会社社長やお金持ちの人間とラウンドすると、「今日はありがとう、楽しかった。これはレッスン料だ」と、取っ払いでギャラが支払われる。将棋や囲碁も同じである。有名棋士と一局差したがる。お相撲さんなんかは、基本的に「ごっつあん」であり、そもそも自分で払うという習慣がない。夜の世界では、その筋と一緒の時間を過ごす(男も女もあり)。銀座、赤坂、六本木、西麻布、新橋、柳橋、錦糸町、どこへ行っても、仲良くVIPルームにいて、「ごっつあん」である。テレビに出て名を出しては講習料を高くする。バカ弁護士とか、バカ評論家、バカ小説家、バカ学者も同じで、取っ払いである。中にはちゃんとした学者さんもいるが、そんな人は稀有である。ある学者さんを私は心から尊敬する。芸能人は自分を大きく見せるために、反社会の人間と、よく記念写真を撮る。何かのときに「オレには、この人がついているんだ」と使う(ケツ持ちという)。あるいは「アタシにはこの人がついてんのよ」と。興行と芸能とマスコミの世界は、反社会と手を切ることはできない。新聞、雑誌、TV局も、警察も、ネタ元はほとんど反社会勢力か、その周辺の人間だ。吉本の芸人にかぎらずそうしないと、成績は上がらず生きていけないのだ。ゴシップ雑誌はネタを高く買う。もちろん取っ払いだ。東京→軽井沢→名古屋→飛騨高山→名古屋→東京→名古屋→東京と、この一週間旅を打ってきた。芸を売るために。生きていくために。昨日深夜、2本の映画を見た。1本は「ある女流作家の罪と罰」。伝記物を書いて、ベストセラー作家になった51歳の女性は、すっかり売れなくなり、有名作家の手紙を偽装し、収集家のお客を持っている書店に売って、滞納した家賃や、猫の治療代や生活費を稼ぐ。そしてFBIに捕まる。実話であった。もう1本は「フロントランナー」。次期アメリカ大統領の第一番手(フロントランナー)であった。若き上院議員が、一人の女性を愛してしまい、それをマスコミにスクープされる。妻子のいる大統領候補にとって致命的スキャンダルであり、撤退をする。だが、二人の愛は本物であって、老人となった現在も二人は結婚生活を続けている。もちろん妻子とは別れて。これも実話である。芸人に追い込みをかけてはダメ。社会的信用を失った吉本は、すでに解体と同じである。

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