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2019年7月5日金曜日

「銭湯と戦闘」

(1)大阪579(2)東京561(3)青森303(4)北海道・鹿児島284(6)兵庫174(7)京都171(8)神奈川152(9)大分148(10)愛知100、以下(14)千葉54(16)埼玉47(24)群馬(37)静岡11(40)栃木9(43)茨城3 さて何の数字でしょうか? これは銭湯の多い主だった都道府県(一般公衆浴場・公営と私営)。「南こうせつ」さんの名曲“神田川”の中に若い二人が洗面器にタオルと石けんを入れて銭湯に通う姿が歌われている。石けんはカタカタ鳴っていた。銭湯は不思議な場所であった。番台をまん中に左右男湯女湯と分けられていた。老若男女が丸裸になっていく。脱いだ衣服は丸い竹籠の中に入れた。脱いだ下駄や靴は番号のついた大きな本棚みたいのに置いた。そして下足札をもらった。脱衣場には大きな姿見の鏡があり、体重計があった。冷蔵庫の中には名糖コーヒー牛乳が定番で、ブスッと刺す小さな道具が、冷蔵庫に輪ゴムでつながっていた。銭湯は四民平等で同じ値段で、同じ丸裸である。女性は髪を洗うときお湯をたくさん使用するので、余分にお金を払い、細長い板をもらった(ちゃんとお金を払ったことの印)。番台に銭湯の主人や、その息子が座っていても、なぜか女性は、「イヤダ! 見ないでよ」とか「何見てんのよ。このスケベ」とかは言わない。番台は聖地であった。私の後輩が銭湯の息子だったので、「オイ、一度オレに座らせろ」と言ったら「ダメデス、ダメデス、それだけは絶対ダメです」と拒んだ。熱い湯と少しぬるい湯があって、その境界の下は空いていた。子どもたちはもぐってそこを行ったり来たりした。銭湯は熱いプールであった。刺青の入ったお兄さんもたくさんいた。三助さんというオジサンがいて、いくらか払うと背中を洗い流した。三助さんは女湯に行っても、決して「キャー」とか「見ないでよ」とかは絶対言われない。銭湯は3時オープンで夜12時までが基本だった。どんな外国人が来ても銭湯は断らない。異文化コミュニケーションの場であった。中国人とフランス人はお風呂に入らないので有名。食にこだわり満漢全席なんて途方もない料理を生んだ(3日間かけて食べたと言う)芸術、文化の大国同士は、緯度でも同じ線上であり、両国はウマがあって中国とフランスは仲良くなった。フランス料理のフルコースを見たことがある人は知っていると思う。モノ凄く美しく、モノ凄くソースの香りがいい。一度食べたら当分食べる気を失う。永谷園のお茶漬けが恋しくなる。盛大な結婚式から帰った後、小腹がすいて、焼鮭の残りが半分あったのを思い出し、お茶漬けの中に入れる。ウメエ〜やっぱり日本の味がいい、ということになる。中国料理は基本的に火を通すので油の味がする(これがいいのだが)。現在の国際社会において中国とフランスは協調する。銭湯には富士山の絵がなくては成立しない。時々描き変える。一度その超絶的技を見たが、下書きなしで一気に描いてしまう。「世界で一番ゴッホを描いた男」という中国映画がある。中国は贋作大国であり、コンベアー式にあらゆる画家を本物以上(?)に描いて安価で売る。ゴッホ以上にゴッホを描いた中国人の凄さに驚嘆する。ゴッホになり切るために、ゴッホの歴史を訪ねてまわる。私の友人で日本テレビの社員で、ドキュメンタリー番組をつくっていたプロデューサーがいる。過日会ったとき、「何やってんだよ」と訊いたら、「いろいろやっているが、いま全国の銭湯に行っている。もうすぐすべてをまわり切る」と話をしていた。反体制の闘志であった。“戦闘だよ、銭湯”と言って笑った。同席のもう一人の友人は国会や官邸の日々の出来事を記録するカメラマンだった。いよいよ昨日、参議員選挙が告示された。報道各社のインタビューでそれぞれ決意を白いボードにマジックで書いた。全員子どもより下手な文字であった。“書は人なり”とも言う。17日間各政党同士、正々堂々と「戦闘」してもらいたい。戦いが終わったら、各党首全員、丸裸になって銭湯に入って、互いの労をたたえあってほしい。裸同士のつき合いから、いい政治は生まれる。いい週末を。


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