なぜかその週の内三日間位頭の中が吉野家の牛丼になっていた。
突然牛丼を食べている自分が現れよし行くぞと決めて新橋南口というか一番浜松寄り改札口近所の店に入った。
時計は午前十一時四十八分二十八秒であった。
コの字形のテーブルに20人が座れる。
16人入っていた。
全員男ばかり、少し太めで目のキツイ小柄な女性が目の前に立った。
胸章に「高」と書いてあった。多分中国人か韓国人の女性であろう。
オッキャクサンナニシマスとぶっきらぼうだ。
ということは中国人だなと思った。
牛丼特盛とお漬物を、とオーダーした。
フェーイキュートントクモリと声を発した。
男たちは黙々と食べている。
豚丼の男、カレー丼をスプーンで食べる男、牛丼並盛つゆだく(つゆがいっぱい)を食べる男、牛鍋+豚汁+コールスローを食べる男、みんなひどくダークな感じだ。暗い、早い(食べるのが)、重い。オーバーコートを着ながらとか、黒い革ジャンを着たままとか、分厚い半コートを着たままとか。
なんとなく「まま族」が沈んでいるのであった。
吉野家に付き物の紅しょうがの赤色が丼ぶりの上でやけに目立った。
私といえば牛丼を無言でドンと置かれ、お漬物をポンと置かれやっぱり中国人らしいなと思い仕方なしと許してあげる(中国人にはサービス精神はない)。
早い、うまい、安いが売りの牛丼であった。
初めて食べたときは正直感動した。
が、今回はガックリ度100%であった。
肉が硬いし玉ねぎはグッタリくたびれていた。
牛肉の色は薄暗い、赤い牛肉の色が全くない。
吉野家の秘伝はつゆに赤ワインをいれるところにあったはずだが値下げ競争のために入れなくなったか少なくしたのだろう。
味にコクがない。
牛肉をサッと入れてパッと熱々のご飯に乗せていたはずなのに煮込みすぎて何もかも台無しだ。これじゃ吉野家の売上がどんどん落ちる訳だ。
頼んだ以上仕方なく食べたが紅しょうが以外はかつての吉野家ではなかった。
お漬物は白菜なのだが広々としたものでなく細々としたものだった。
(半分以上残した)なんとか四分の三を食べ終えて、あーなんだったんだこの三日間は、牛丼が夢にまで出たのにと過ぎ去った時間を悔やんだ。
徹夜、徹夜で仕事をした日々、仲間と交代で牛丼を買いに行ってみんなで食べた発泡スチロールの入れ物の中でも熱々の牛丼がエライウマカッタ。
吉野家からテイクアウトが流行し始めた時、由紀さおりの“夜明けのスキャット”や石田あゆみの“ブルーライト・ヨコハマ”が流行っていた。
四日間一睡もしなくても生きていられる若き日々であった。
オッキャクサンオツリヨアリカトサンと「高」さんはいった。
私は吉野家と別れる覚悟を決めた。愛情が深かったばかりに店の外に出た私は牛歩の様に足取りは重かった。そうか、ずっと見ていた夢はあの頃の若い時分だったのだ。
牛丼イコール徹夜イコール自分だったのだ。
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