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2014年9月22日月曜日

「祈」






19日早朝東京発→仙台着、私と鉄のアーティストの小谷中清さんとプロデューサーの上原女史の三人。仙台で活躍しているカメラマンの佐藤浩規さんとデザイナーの松田明美さんが迎えに来てくれた。

目的は東日本大震災を風化させない。
不幸にして亡くなった方々の霊を悼む。この国に再びあの地獄絵が起きないことを願い祈る。そのこころを込めてつくったモニュメントの置き場所がやっと決まりそうなのだ。

浅葉克己さんがデザイン化したトンパ文字の「祈」を小谷中清さんが約4メートルの高さの鉄のモニュメントにしてくれた。仙台→上品(じょうぼん)の郷のドライブインでひと休み、仏前用の花がズラリと並んでいた。

一束買って11時過ぎにそこを出発、1230分頃雄勝町に。途中多くの子どもたちが犠牲になった大川小学校へ。北上川が無言でひっそりと流れていた。
この川が巨大な荒海になって小学校を襲ったなんて。
小学校は石のかけらのようになっていた。

雄勝硯は最高級の硯だ。だがその職人さんたちが23人に減ってしまったとか。
プレハブのような工房で雄勝硯の伝統を守る職人さんと語り合う。

近所に唯一あるおそば屋さんで昼食をとる。
店は全て流され、お母さんも流されてしまったとか。どうしてもここでおそば屋をやるんだと決めて、ご夫婦二人で建てた店だ。店の外にある木のテーブルと木の椅子に座る。
目の前はのどかな川の風景だ。

あそこにはずらっと民宿があったんですよ、ホタテを沈めておいてお客さんたちにはそれを引き上げて、その場で焼いてあげていたんです。しかし何もない。
地盤が下がって陸と川が同じ高さになっていた。
私の座っていた横に新しい電柱があった。
なんとその電柱の二倍近い津波が襲ってきたのだ。お母さんの腕を握っていたが離してしまったとご主人はいった。時速100キロ以上の速さの津波、それも20メートル以上の高さ、想像がまったくできない。

2時頃そこを出発して、約束の時間の3時を10分ほど過ぎて目的地の「観音寺」さんへ。
春には見事に咲くという「しだれ桜」と「サルスベリ」小山を切り拓いて木の階段をつくり、児童公園にするとご住職はいった。
檀家の総代の方々が5人、ニコニコ笑って迎えてくれた。
ライオンズクラブの方も来てくれていて温かく迎えてくれた。
そしてNPOの立花貴さんが長靴を履いてニコッと笑ってくれた。

まだ出来たばかりの「わだち」を歩いて登った。
ご住職がここあたりがいいのではと位置を示してくれた。目の前はこれぞ日本の原風景という美しい田畑、稲はすでに黄金色。空には雲ひとつなく青い、樹木と草の心地良い香り、陽が小山の中にいる一人ひとりに柔らかく当たった。
すでに少し赤味がかっていた。「祈」まさにこの穏やかな土地が、このままであってくれることを。来年にはきっと建てる事ができそうだ。118時間日帰りの強行軍だったが東北の方々の人間性に会えてよかった。
あの方々の安らかな日を「祈」。

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