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2015年12月24日木曜日

「今年の終わりに」




去る年あれば、来る年がある。あったものが、なくなる。
そこにいた人が、そこにいなくなっている。世の常とはいえ無常感を持つ。
年の終わりは慌ただしく過ぎて行く。

我が家の側のファミレスデニーズは更地になり、ココスが回転寿司に変わり、小僧寿しは格安クリーニング屋さんに。イタリアンレストラン、マルデナポリは年末で閉店となる。人一倍健康に気をつけていた人があっという間に亡くなり、丸太ん棒のような筋肉を持っていた人はか細い身体となり、闘病の果て旅立った。

青春時代最強のコンビだった男は、声が出なくなり、歩けなくなりついに車椅子となった。183センチ85キロの鍛えられた身体は20キロ以上減り、もう立つことはない。
新しい年を家族みんなで迎えられることを祈っている。

もしもし俺だ、分かるかと言っても息遣いしか聞こえない。365日ずっと一緒だった。
無敗のコンビだった。ベラボーに強かった。
クリスマスも、正月も私の家にいた。高校一年の時に知り合ってからずっと一緒だった。草野球のチームも一緒だった。喧嘩して留置されるのも一緒だった。
デパートの配達のバイトも、日本通運の引越しのバイトも、小さな電気部品の工場のバイトも一緒だった。
パチンコの台があんまり出ないと、体当りしてガタガタにさせ店の用心棒に連れだされたが、パチンコ屋の横の路地でぶっ倒れたのは用心棒の方だった。

気が優しいのでみんなから◯ちゃん、◯ちゃんと愛された。
私のいうことには絶対に従ってくれた。オー分かったよ、が口癖だった。
去ってほしくない。ダメージがあまりに大きい。
知識の先生、大磯の大親友を失ったダメージからも未だ立ち直っていない。


資生堂の「花椿」という有名な企業文化誌が年内で終わる。
1937年から続いた上質のPR誌だ。デザインやコピー、写真、ファッション、イラストレーション、エディトリアルなどを目指す人々の憧れのPR誌だった。
時代の流れとはいえ、活字文化は引き潮のごとく去って行く。

随分と仕事をさせてもらった東芝が酷いことになり12000人以上がリストラとか、三洋電機は消え、すごくいい会社だったビクターもケンウッドに吸収された。
私を育ててくれたキリンホールディングスが上場以来の赤字となった。
品質本位、決して他と争わず王道を行く。
そういっていたガリバーキリンが慣れないMAをやって損失を出した。
かつて、どういうわけかキリンといわれていたのに、どういうわけなのキリンとなってしまった。
盛者は必衰し、猛き者はついには滅びるのが世の常だが、悔しくて、悲しくて身が震える。

我が日本国もローマ帝国のようになってきた。
ローマ帝国はパンとサーカスによって滅びたと教えられた。
つまりはポピュリズムとバラマキだ。まったく今の日本だ。
選挙目当ての人気取りとバラマキだ。
シーザーは元老院によって追い込まれ、腹心ブルータスの裏切りによって命を落とした。今の日本、さしずめ元老院は官邸のいじめにあった老政治家たちと財務省、ブルータスは今や権力第一といっても過言でない菅義偉官房長官か。
お神輿を担いでいた者が、ふと勘違いをして自分がお神輿に乗ると思った時、事は起きる。歴史とは繰り返しだ。それにしても野党民主党のその存在のあまりの軽さよだ。

今年のブログはこれにて終了となります。
来年はきっと同日選挙、橋下徹氏が再び絶叫するでしょう。
だが心ある人間はいつまでも羊のままではいない。若者たちにも期待したい。
新年110日頃から再開する。みなさんどうか良いお年を迎えて下さい。
おっとその前にメリークリスマス。神よ、いつも沈黙ばかりしないで下さい。
世界中の弱者はあなたを信じて待っているのですから。

小さな庭にある寒椿がやっと一つ二つと咲き始めた。
蠟梅の木に黄色い蕾がしっかりとついている。来年は多く咲きそうだ。
千両の赤い実を食べに鳥たちが来ている。

2015年12月22日火曜日

「メリークリスマスは」




メリークリスマスの前に、ある調査を読んだ。
23才から39才までの未婚男女各300人に「今年のクリスマスの過ごし方」について。
▶男子/ひとりきりで42.7%、彼女と28%、家族と17.3%、親兄弟と3.7%、異性を含む友人と2.7
▶女性/彼氏と29.7%、ひとりきりで26.7%、家族と26.3%、親兄弟と5%、同性の友人と4.3%。
これを読むと男性のひとりきりが約43%と悲しい数字だ。
女性の方も彼氏とは約30%だ。
恋愛なんかめんどくさいとか、お金がかかるとか、興味がないからという。

ある年なんとなしに読んだ本にこんなエピソードが書いてあった。
評論の神様といわれた、故小林秀雄をメインゲストとして芥川賞受賞者、直木賞受賞者による一泊の忘年会があった。
小林秀雄大先生は、一人ひとりを呼びつけて、お前のはなっとらんとか、君は堕落しているとか、オメエのは文学じゃねえとか叱りつける。
中には悔しくてオイオイ泣く作家もいたらしい。

ある経済部門専門作家が呼ばれた。その作家は私と同じ茅ヶ崎に住んでいた。
実直で真面目、堅物で愛妻家であった。書けばベストセラーという人気作家であった。◯△君、君のは文学とはいえない。文学とは女を書くことなんだよ、君のは経済紙の記事みたいなもんだよ。なんて言ったらしい(正確には覚えていない)。
私は亡きその作家の大ファンであり、時々列車の中で見かけると胸が高鳴った。

で、何がいいたいかというと、人生とは男と女のドラマなんだ。
せっかくこの世に生を受け、たった一度の人生で恋愛をしないなんてことは文学的でないし、映画的でない。メリークリスマスをいい若いモンがひとりぼっちなんて。
彼氏とはわずか30%だなんて。
一生懸命働いた金で何をプレゼントするか、それを考えるだけでもトキメクではないか。えっ、そんなのめんどくさいだと、そんなお金があったら貯金箱に入れるだと。

確か一昨年の1225日だったと思う。
腹が減って街を歩いていたら、牛丼の吉野家に強烈に吸い込まれた。
年に一度か二度全身が牛丼を欲することがある。
アツアツの牛丼に赤い紅しょうがをこれでもかとのせて食べる、この快感快食を身体が記憶しているのだ。
その時、私の斜め前に100人の内100人が美人だというはずの美人が牛丼を食べていた。256才だろうか、一流会社の有能な秘書さんみたいであった。
夜八時頃、なんで25日に一人で牛丼を銀座中央通り、松屋の前でと思った。

世の男たちよ、ダメもとでいいから誘ってみなさい。
実は美人ほど彼氏がいないというデータもあるらしい。みんな遠慮するからなんだと。
メリークリスマス、デートは吉野家で特盛りか牛すき膳、つゆだく、どっさり紅しょうが、しんなりした白菜の漬物、名ばかりの味噌汁かたっぷり煮込まれたけんちん汁。
これできっと大成功だ。

クリスマスといえば山下達郎だ
♪〜きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ Silent night, Holy night…吉野家じゃやっぱり君は来ないかも、でも私はいるかもしれない。

2015年12月21日月曜日

「ハーシーズのチョコレート」




あーあ、“すっからかん”だという状態を(おけら)という。
また今日は“ハイナシ”になった(無一文)ともいう。

先日亡くなった作家野坂昭如さんは「黒の舟唄」というヒット曲を唄った。
♪〜男と女のあいだには ふかくて黒い河がある それでもやっぱり逢いたくて エンヤコラ今夜も舟を出す…。そうです、男と女には永遠に近づけない距離がある。
それを知らず異常接近を図ると、男と女は水没する。

人間と競走馬との関係となると、男と女より遠い距離がある。
私は競馬中継を見るのは大好きだが、馬券は買わない。
今年のG1レースも次の日曜日の「有馬記念」だけとなった。
このレースはファン投票で選ばれたレース。千葉の中山競馬場で。
年末ジャンボ宝くじに夢をかけ、有馬記念に一発逆転をかける人々にとって正にドリームレースだ。
馬主とか、お金持ちの人々は自分の愛馬や好きな馬に一票を投じて競馬を楽しむ。
が、そうでない人々は、どんより、まったり、ひんやりしながら黙々と新聞片手に予想をする。モクモクと煙草の煙を出しながら、缶ビールやワンカップを片手に。

人間が願うように馬は走りません。ダミ声の予想屋さんは馬券を買いません。
人のこころ馬知らずだが、当たる人も沢山いる。
おけらやハイナシになった人たちはトボトボとガックリ肩を落として歩くのです。
JR下総中山駅と中山競馬場までの約2キロを通称「おけら街道」という。
負けた悔しさやかすりもしなかった予想紙への怒り(競馬評論家も)、を背中にしょって重い足取りで歩く。そこに人生の縮図がある。

今年一年世の中のレースといえば、八百長の連続、ウソばかりであった。
景気は低迷、大企業は不正ばかり、異常な犯罪が続発、警察官、公務員の不祥事、教育者たちのハレンチ行為の連続、格差拡大はついに山口組の分裂まで引き起こした。
人間と人間の間には、深くて遠い海があるのだ。

ともあれエンヤコラ 今夜も生きている。人間生きてる限りは、死んでない。
人生というレースを進まなければならない。
“おけら”や“ハイナシ”にならないためには、やはり知恵を出し汗をかいて働くしかない。
今年も残りわずか、ゴール間近だ。落馬をしないように気を引き締めよだ。
最もハズレ馬券のような人生もまたいいもんだ。
エリート街道を走っていた人間が何人も落馬している。

昨日野坂昭如さんの葬儀があった。
戦争は一日で始まる、そんな民主主義の危機を語っていた。
ウソ2万パーセントの橋下徹と嘘八百の安倍総理が3時間近く会食をした。
この国は、憲法改正というレースに向かってヒタ走っている。
但し、この憲法改正という馬には、実は獅子身中の虫となりつつある者が手綱を握っている。この人間が落馬する日が必ず来る。
自分こそが名馬と勘違いをする策士は策に溺れる、コレは歴史の常なのだ。

愚連隊の大スター、安藤昇さんが亡くなった。かつて渋谷はこの人の街だった。
プロ野球でいえば長嶋茂雄、プロレスでいえば力道山だった。
ヤクザ者が憧れたヤクザのようなヤクザでない愚連隊であった。
畳の上で死ねたのは、その人間的魅力といえるだろう。
八十九歳、特上の男の人生であった。あの世で久々に伝説の花形敬さんと会うのだろう。渋谷のハッピーバレーでもらった、ハーシーズのチョコレートの味は忘れない。

2015年12月18日金曜日

「井上英子編集長」



日本文化を伝えていくのは誰か、それは名人、達人、狂人たちだが、出版人という根気の塊のような人がいる。
丹念を極める取材と資料の読み込みは、難解な裁判に挑む法律家以上ともいえる。
この国にある伝統文化をなんとしても書き残す、満々たる気骨がなければ成し得ない
高級車に乗り、高級ワインを飲み、高級料理を食べながら作家を口説き、女性を口説くのとは違う。ひたすら歩く、ひたすら聴く、そして書く。
地酒をチビチビしながら、漬物をつまみに名人、達人、狂人の神髄に迫る。


私が仙台で会った地元の出版社名は「笹氣出版」という。
「雄勝硯」に命をかけている硯職人、遠藤盛行・弘行父子の本(会いに行った)をはじめ陶芸、漆、和紙、錺金具(かざりかなぐ)、刀鍛冶、刷匠の本など名本を残す。
忘れてはいけない人がいる、心にとどめておきたい言葉がある。
笹氣出版「文化伝承叢書」既刊のご案内にそう書かれている。

15日夜6時過ぎ、井上英子編集長が仙台のおでんはここが一番よと「おでん三吉」というお店で会った。この店について書くのはこのブログの目的ではない。
一度行くべし、信じられない味が信じられない値段で食すことができる。
東京から新幹線で約90分で行ける。但し6時で既に広く大きい一階は超満員、二階は予約しないときっとダメだろう。

井上英子編集長は秋田出身である店主の一代記を本にしたとか、それ故すこぶる顔が利いていた。三吉を出た後ここが仙台牛タンの発祥の店よと「太助」という店ののれんをくぐって入った。
午後9時をちょっと過ぎたばかりだったが、残念なことに終わりであった。
ご主人が出てきてくれて名刺を交換した。

仙台の夜は活気に溢れていた。
定禅寺通りには美しいイルミネーションが輝いていた。
井上英子編集長は街のボスみたいであった。
次の日、その次の日、仙台の活気とは全く別の世界を見る。
仙台が光なら、雄勝、女川、鮎川、松島、塩釜と続く震災地は影であった。

先日「アナザースカイ」というテレビ番組に、幻冬舎の見城徹氏が出ていた。
不動産屋にもなっている。次の金儲けのためだといっていた。
どんなに出版不況でも本は出し続けるとか、会社の中に5着のスーツがありそれを自慢気に出して見せた。裏地は全てアロハ模様だった。
アロハ好きの私は吐き気を感じた。
悪魔といわれたロックフェラーが死ぬ間際に、ナチスドイツを支援した自動車王フォードにこういったという、「いずれ天国で会おう」フォードはこう応えたという、「あなたが天国に行けるならばね」と。
戦争を生み、冨を築いた二人の大富豪はきっと地獄で再会したはずである。
スポーツジムで走っていた見城徹氏の向かう先は果たして天国か、それとも地獄か。