♪〜春に春に追われし 花も散る キスひけ キスひけ キス暮れて どうせ 俺らの行く先は その名も 網走番外地。
大スター高倉健さんはこの曲を歌った映画から始まったといってもいいと思う。
映画の題名は「網走番外地」。かつて網走刑務所は無番地でも郵便が届いた。
つまり番外地であった。曲の中にあるキスとは愛し合った者同士がするものではなく、魚の鱚(きす)でもない。お酒のことである。
その世界では酒を飲んで酔っ払うことを酒(キス)グレるという。
キスひけとは酒を飲むという意味である。
昨日久々に早く家路についた。
新橋駅のいちばん品川寄り改札口に私はいた。
キオスクで新聞を買い券売機に向かった。午後6時30分頃であった。
駅は人の群れであった。券売機に近づくと、人の群れがパクッと二つに割れた。
何故か(?)そこには思い切りキスグレたおっさんがいた。六十歳位だろうか。
岸部一徳さんに似ていた。ウリャーとか、バーローとかウィーと言いながらヨタヨタし、右手に持ったワンカップの酒をゴクッ、ゴクッと飲んでいる。
左に傾くと左の人の群れが後ずさりし、右に傾くと右の人の群れが後ずさりした。
おっさんと私はかなり接近した。上着は身につけていない。
白いワイシャツのボタンは上から三つ目まで開いている。
シャツは黒いズボンからハミ出ている。目はじっとりと充血し座っている。
黒いヒモの靴の後ろを潰して履いている。
“ひと目会ったその日から 恋の花咲くこともある 見知らぬ貴女と 見知らぬ貴男に デートを取り持つ パンチDEデート!”なんて名フレーズで始まった人気番組は桂三枝(現在文枝)さんの「パンチDEデート」だった。
おっさんと私の間は約2メートル。目と目がバッチリ合った。
恋の花など咲く訳はなく、私の怒りの花が満開となった。
何故なら座った目でじーっと私を見捉えたからだ。
ワンカップはロングサイズで、1/3位が残っていた。
ズボンを見るとかなりいい素材であった。黒い靴もなかなかであった。
私は酔った人は嫌いじゃない。
おっさんは、きっとそれなりの地位がある。
しかし酒グセが悪く部下にグダグダ絡んだり、大事なお客さんや取引先にも絡んでは大迷惑をかけるのだ。気が弱く昼間は無口で大人しい。
酒の力を借りないと何も言えず、退社と共に酒をグビグビ飲んで勢いをつける。
とても人間的で正直なのだ。
やがて大トラになって一晩留置所に入れられ朝起きて、ここはどこですか、ワタシはなんでここにいるんですかと正座してご迷惑をかけましたと謝罪する。
奥さんがあなたまたやったのと、もらい下げに来る。
さて、おっさんはじーっとワタシを見ている。黒のジャケットの胸に、白い鳩のアップリケが付いているのを着ていたので人の群れの中で目を引いたのかもしれない。
白い鳩はかなり大きい。
あるデザイナーが8年位前に平和のジャケットとして限定制作したものであった。
おっさんの目は、私の目からその鳩に向かっていた。
その距離1メートルになった時、私は言ってしまった。かなり大きな声で。
こんな時間からキスグレてんじゃないよと。
おっさんはウィッと息を飲み込んで、すみませんと言った。
作家野坂昭如さんが亡くなったことを家に着いて知った。
この人は大のキスグレであった。
有名なのは大島渚さんの記念パーティの時、壇上に上がるなりモーニング姿の大島渚さんの顔に思いっ切り右のパンチを入れた。大島渚さんのメガネがずり落ち、鼻に引っかかった。かなりヨロヨロとしたがマイクで応酬、野坂昭如さんの頭を殴った。
その時大島渚さんの奥さんであった女優小山明子さんが、まったく動じることなく二人の間に分け入って、キスグレた野坂昭如さんをなだめた。
小山明子さんのその姿は出来た女房の代表と言われた。
忘年会のシーズン、あの街この街にキスグレた人が出る。
かつて私も大キスグレであった。今では二合ほどの酒でいい気持ちになってしまう。
時々昔が懐かしい。あのおっさんはどこへ向かったのだろうか。
きっといい人だったのだ。上着はどこへ忘れてしまったのだろうか。
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