許されざる者 |
私は現在無宗教である。
信教は自由だから、誰が何を信じていても全てOKで付き合える。
但し“金”を信じている人は苦手だ。
BS日テレに金曜日午後八時から九時まで「ぶらぶら美術・博物館」という番組がある。
二十一日は元サントリーの名物宣伝部長だった若林覚さんが館長をしている練馬区立美術館の「舟越保武彫刻展・まなざしの向こうに」であった。
久々その夜は間に合った。若林覚さんはサントリー美術館の館長もされていた。
博覧強記の人である。実はこの展覧会のご案内をいただき招待券も同封してもらっていた。舟越保武さんのご子息が舟越桂さんというやはり高名な彫刻家である。
岩手県出身であるが練馬に在住していたことがある。
数ある作品が紹介されたがやはり心打たれたのは、かつて長崎で見た〈長崎二十六聖人殉職者記念碑〉である。
確か長崎で見た時にも聞いた話だが改めて聞いた。
解説者が二十六人のキリシタンの中に(11才だか12才だと思う)一人の少年がいた。
改宗するなら命は助けてやるといわれると、少年はこう応えたという。
「つかの間の命より、永遠の命を」と。豊臣秀吉は極めて残虐である。
キリシタンを殺してしまった。二十六人は耳などを切り取られ処刑された。
キリスト教信者とは何をどこまで信じているのだろうかと思う。
信心とはを考えさせられる。少年の言葉がグサリと胸に刺さる。
私たちはあまりに「つかの間」に生きていないだろうか。刹那的でないだろうか。
今さえよければ、明日のことなんかと。自分たちさえよければ人のことなんかと。
天災や人災に遭った人はついてないんだよと。
二十二日(土)TBS夜、世界陸上の続きで十時三十分〜情報7daysブロードキャスターを見た。ビートたけし、齋藤孝(どっかの出たがり大学教授)、毎日新聞の××委員(バカ女)この三人の言葉に耳を疑った。
サディスティックに殺された中学生男女の事件についてこういった。
ビートたけし→むかしいたうるさいオジサンみたいなのがいなくなった。
夜遅くまで遊んでいたらいけないと注意する人がいないから。
齋藤孝→中学一年生が家に帰らずテントで暮らすなんて。もっと監視の仕方を考えねばとか。
解説だか論説委員→この間まで小学生だったんですよね、夜遅くに遊ばすなんて、とかすっかり他人事であった。
つまり三人共殺人を犯した(まだ容疑者だが)であろう人間に対してひと言もコメントしなかった。現代社会における少年少女の行き場のなさを生んでいる社会を語らず、ただ中学生が夜遊びしているから悪いんだよという強い印象を受けた。
実に不快であった。
局側からまだ容疑者だから余計なコメントは避けてといわれていたのだろうがあまりに一方的であった。「つかの間」にばかり生きている社会を考えなおさねばならない。
毒を失ったビートたけしは、すっかり体制的になってしまった。
あなたがもし大事な息子や娘、大切な孫を無残に殺されたらどうしますか。
私なら必ず復讐をします。徹底的にやります。映画「許されざる者」の主人公のように。目には目を、歯には歯を。
キリスト教はイエスではないのでしょうか(?)
舟越保武展は九月六日(日)までです。永遠の命とはを見に行って下さい。
現代社会の許されざる者の第一は私たち大人だ。その犠牲者が幼子や迷える少年少女だ。つかの間でいいからそのことを考えよう。
2 件のコメント:
そのとおりですね。束の間を恟々と生きていることに恥ずかしさを覚えます。
それはさておき「復習」は「復讐」の方が適切かと。
杉山さま
いつもありがとうございます、ご指摘ありがとうございました。お恥ずかしい限りです。
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