日曜日劇場にて。
「三度目の殺人」是枝裕和監督作を観た。
その夜レンタルDVDで貫井徳郎原作「愚行録」を見た。
石川慶監督であった。
頭の中の暗闇を映画を見て少しスッキリさせるかと思ったのだが、二作品とも人間誰しもが持つ、日常的狂気、慢性的殺意、宿命的残酷、運命的凶暴を重暗く静かに、底光りする光源の中で描かれていた。
過去に一度目の殺人、そして二度目の殺人は、日常的狂気と慢性的殺意から生まれた。
つまり先天的殺人者である。
殺人者本人もそれが何から起きているか分からない。
国選弁護人となった野心家の弁護士も、空気の器のような犯人が理解できない。
今我々の周辺にはこのような人間が多い。
なんとなく殺した。
人を殺してみたかった。
理由はこの世の空気だろう。
是枝監督は答えは出さない。
観る側に真実はこの世にあるのか、あればいかなる形をしているかを問いかける。
三度目の殺人、それは死刑判決を受けた犯人が死刑によって殺される殺人である。(三度目の殺人)
幼稚舎から小・中・高・大学と進んだ学校の学生とは違い、差別社会の壁の中にいる学生もいる。
つまり大学からの途中入学者たちだ。
人間が人間を殺すのに殺意はいつ生じるか、親の仕送りで豪華なマンションに住む、高級ホテルでランチをし、夜ごとコンパで相手を探しフリーSEXをする。
まい日、まい日、愚にもないことを集まっては話す。
高級車、ブランドのファッション、そしてブランドの男と結婚してブランドの子を生む。
そこにあった包丁で刺したら、まるでゆで玉子に刺しているみたいにスーと入ったわと話す。学園のマドンナの一人であった友人夫婦と子どもを殺す。
幼児期父から虐待を受け、肉体関係も持った少女の救いは一人の兄であった。
兄は妹を有名校に入れた。
が娘となった少女は私生児を生み虐待で殺して、刑務所にいる。
小さな雑誌社の記者をしている兄は、守るべきものを守るため人を殺し、その罪を人にかぶせる。全篇どんより真っ暗なドラマであった。
殺してしまった私生児の父親は、兄であった。
“私はお兄ちゃんだけが好き”と言う。
福山雅治は物足りなかったが、役所広司の不気味さは見応えがあった。
妻夫木聡も良かったが満島ひかりは秀逸だった。(愚行録)
私の頭の中は真っ暗闇となった。
この世に殺意のない人間はいないが、ギリギリの理性がそれを止めている。
仕方なく深夜、「フーテンの寅」さんを見た。
労働者諸君!今日も元気でお仕事ご苦労さん!
一生懸命働いている我々は何故に浮かばれないのか。
10月22日莫大な時間とお金をかけて、衆議院選挙をやるという。
「愚行の極み」である。
あまりに民衆をバカにすると、とんでもないことが起きて来たのが、歴史的である。
正に追いつめられ解散で、勝っても負けても自民党内には抗争が起きる。
政界の一寸先は闇である。
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