私は「成程」である。私成程は現在、座敷牢にいる時間が多いので、以前より何故だったのかと言うテーマが追えた。それはA・ヒトラーが生んだ戦車主体の機甲軍団が、戦史、戦略家も「こんな速い進軍は考えられない」と思っていた謎だ。何故一日二日で森林の中200数十キロも進めたか。又、空軍も海軍も潜水艦も、“アンビーバブレ! こんなの信じられない”作戦が可能になったか、等々である。その答えは、ドイツ軍はずっと眠らなかったのだ。私成程はエベレストに登頂するがごとく、ローレンス・フリードマンの「戦略と世界史/上下」約1000ページを30日位かけて、やっとこさ読んだ。浅学を極める私成程には難事なことであった。購入してから二年近く積んであった。ネットフリックスで「ヒトラーの共犯者」とか「ヒトラーと麻薬」とかのドラマシリーズや記録映画を見た。ヒトラーは第一次大戦の時はただの伝令だった。最高軍位は伍長であった。オーストリア生まれで生来胃弱な男、絵描きか建築家を目指していたが、才能はなかった。得意と言えばファナティック(狂ったような)な演説力だった。第一次大戦でコテンパンにされたドイツは、巨額の賠償金を負わされていた。不況のどん底だった。ヒトラーは伝令として従軍、銃弾飛び交う地獄のような塹壕戦の中で、被弾して戦場を離脱、入院生活をする。この入院生活の中で、体の中に潜んでいたサイコパス的性格が現われる。この取るに足らない胃弱な男に目をつけたのが、富裕層の代表で熱烈な人種差別主義者(反ユダヤ人)劇作家のD・エッカートであった。ある日ビアホールのような酒場で、熱弁をふるうヒトラーを見て、これぞ求めていた“救世主”だと決める。影響力が大きい、エッカートの支持を得てアレヨ、アレヨという間にリーダーとなって行く。私成程は知った、ドイツ第三帝国といっても、実は数人の側近たちによる権力と権欲の、取り合いであった。エッカートの一番弟子だった。ルドルフ・ヘス(副総統後に自殺)、策略家でゲシュタボのトップになったH・ヒムラー(後に自殺)片足が不自由で冴えない脚本家だった。Y・ゲッペルス、天才的な弁舌で宣伝相となる(後に自殺)冷血漢で最悪の男と言われた。M・ボルマン(後に自殺)突撃隊、E・レーム(後に射殺)そして一番の大物が空中戦で22機を撃遂したと言う、空軍の英雄H・ゲーリングであった。伍長だったヒトラーに、国民的英雄で空軍大将のゲーリングがつきナチス・ドイツは猛ビートで進撃を始め、奇跡的に第三帝国を生む。ゲーリングはモルヒネ中毒で、アル中だった。無類の美術収集家で、侵略した国々の美術品をかたっぱしから手に入れた。実業家で社交界のスターだったゲーリングがつかなければ、第三帝国は出現しなかったはずだ。私成程はそうかと知った。ゲーリングは精神科に入院していた。これら数人の異常な側近たちが、時に手を組み、時に敵対し、それぞれ疑心暗鬼を持ちながら、強大な権力と権欲を手にした。さて、話は長くなった。ドイツ軍は何故強かったのか。それは、戦後連合国が手に入れた資料で分かった。答えは“覚醒剤”である。酷い胃弱だったヒトラーは、主治医にいろんな薬を調合させていた、睡眠剤、精神安定剤、興奮剤、数十種に及ぶ覚醒剤であった。熱狂的演説をするヒトラーは、実はヘトヘトに疲れていた。性的コンプレックスを抱えていたので、シャブ中(覚醒剤中毒)になるのは必然であった。そしてドイツ軍全体をシャブ中にして行ったのだ。ドイツ軍は一睡もしないで進撃していたのだ。私に成程は合点がいった。一日に何本も打ったり、錠剤を服用した。陸・海・空ドイツ軍全体が眠らない殺人鬼と化して行った。シャブ中はエスカレートする。その先に「アウシュビッツ」などの強制収容所でのユダヤ人虐殺があった。“砂漠とキツネ”と言われたロンメルの戦車隊の奇跡は、シャブ中だからできたと分析された。(何しろ眠らないのだから、速い作戦が可能になる)ドイツ軍には何かあると読んだのは、英国のW・チャーチルであった。答えは薬物とつきとめ反撃に出たチャーチルは、薬品工場を徹底的に空爆して行った。日々数千万錠を必要としていたドイツ軍は、クスリが切れて、疲労度が過足度的にアップ、兵士はヘトヘトになって次々と敗戦をした。ヒトラーは朝から強力な覚醒剤や、胃弱の薬を打ったり飲んだりしなければ、恐怖と不安と戦えなかったのだ。サイコパスであったヒトラーが最後に側近にしたのは、若い愛人エヴァ・グリーンのために建てた、別荘の建築家A・シューペアであった。シューペアはサーチライトの天才と言われた。政治家でもなく、軍人でもなく、策略家、殺人鬼でもない一般人だった。シューペアは処刑されず20年の刑となり、七十六歳で死んだ。回想録を書き遺した。「恐ろしいのは物語りの始まりより、結末の見えない終り」だと言う。私成程はどこかの国の話に似ているなと思った。又、コロナは始ったばかり、その結末はと思うのであった。
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