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2010年10月18日月曜日

湘南の嵐便り 「アンティーク着物と聖教新聞」

私の仕事場の30メートル近くの処に骨董品屋さんがある。



「三希堂」という小さな店だ。
河井寛次郎の書とか、中国元の時代の骨董品とか珍しい物がある。

中でも品が揃っているのがアンティーク着物だ。今静かなブームだという。
私は骨董には全く知識がないが歩いているといつも店の前の着物が気に掛かる。



週に一度着付けを替える。
一着八千円から三万円位で素敵なデザイン、絵模様の着物が手に入る。何着か買って家に置いてある。


現代の着物は花鳥風月が主たるパターン、十万や二十万や三十万ではペラペラの着物しか買えない。
その代わりアンティークな着物は、明治あり、大正あり、モダニズムあり、アールヌーボやアールデコもある。大胆な色使い、シンプルなデザイン、シュールリアリズムもある。

種類も沢山あります

着付けが毎週変わります
着物というよりは絵画を見る様で楽しい。帯の組み合わせも面白い、帯は三千円から一万円でいいのが手に入る。孫の七五三にアンティーク着物はどうかと思ったが何を考えているのと一蹴された。これから育つ女の子に昔の着物はないかもしれない。
江戸紫のシンプルな着物に線画きの白い朝顔だけ、帯は黄色一色のみ、中々モダンであった。


近頃銀座のママさん、ホステスさんたちも勝った組と負けた組とは着物を見れば一目で判る。一千万以上もする総絞りの着物とか、辻が花風仕立て物は勝ち組、レンタル着物でナフタリンぽい臭いがするのは負け組、見栄と虚飾を生き甲斐にしている夜の蝶達もこんな不景気は経験した事がないと泣きが入っている。

三希堂さんご夫婦はとても仲良い夫婦、今ある企画を協力してもらっている。

先日ガマガエルの置物を写真に撮りたいのであるかと聞いたら、奥さんがお店にはないけど私がいつも新聞を配っている家の庭の池の側に確かガマガエルが置いてあった様だという。申し訳ないけど借りれないかなと聞くとちょっと自転車で行って来てあげると言ってくれた。


中々見つからず困っていたので私はちょっと出掛けるけど会社の者に連絡しておいて下さいとお願いした。そうしたら見つかったら私のお願いも聞いてといわれた。

何?と聞くと聖教新聞をとってくれるかだって。新聞配達の意味が分かった。
その場はお茶を濁しつつ立ち去って暫くして会社に電話すると、ガマガエルじゃなくて亀だって言ってましたという伝言。

忌々しいよりイボイボしい。

骨董品の数々


そうか三希堂にいつも数人集まっているのは学会の人たちだったんだ。
それ以後私は折伏され続けている。仕方なくアンティークの着物と帯を買った。

中々にいいが着てくれる女性がいない。
着物好きの女性が申し出てくれればお送りします。
その代わり一度デートする事、ただし誰から見ても美人である事。

2010年10月15日金曜日

湘南の嵐便り 「海の向こうはブラックジョーク」




十月十一日体育の日は朝から天気晴朗、風は爽やかであった。

午後四時から五時半まで海辺を散歩した。
手には使い捨てのカメラ、私はずっとキャノンオートボーイ頼みだった。(バカチョンと云われた)三十年使って遂に部品が無く修理不能、それ以来使い捨てカメラを使用している。他のカメラは使えない。



道ばたの花をパチリ、パチリ。しかし花の名は判らない。
海はやや波高し、サーファー達がその波に乗る。バーベキューを楽しむ若者達が何組もいる。烏帽子岩が逆光の煌めく海の中に黒いシルエットになっている。

砂遊びをする少年や少女、もしかして釣れるかもと投げ釣りをする人ポツリポツリ。江ノ島の灯台が斜光を浴びて美しい。富士山は雲が多く見えない。赤とんぼがだんだん少なくなっているのが気になる。


サイクリングロードはウォーキング、ランニングの人達で一杯。
中高年の男女が断然多い。秋の陽はつるべ落とし、一気に西の山並みに消えて行く。この季節が一番いい。

湘南サーファーの憧れカリスマサーファーの高津佐浩行さんのサーフショップへ寄る。
TシャツのOFF SALEをしていたので二枚買う。一枚3600円なり。

アクセルサーフ

高津佐浩行さん

体にうっすら汗が出て来た。コンビニに寄ってカルピスウォーターを買う、冷えて旨い。
今年は猛暑で海に行かなかった。心がギザギザ、体の切れ味が悪い。
頭が悪いのはそのせいだろうと思っている(元々悪いのだが)。



コンビニで週刊誌をパラパラめくっていると落合信彦著作の書評があった。

落合信彦氏

本の題名は「無知との遭遇」、ジョーク集である。
その中にこんなのがあった、中国でギョーザ事件が問題になっている頃飛び交っていたという。

「中国の農民が、その年は畑の収穫を上げようと思い立ち、春に新しい種を買って来て畑を耕した。だが、秋になっても収穫はゼロだった。種が偽物だったのだ。
絶望した農民は農薬を飲んで自殺しようとした。だが、死ねなかった。農薬も偽物だった。農民が住んでいる村の人たちは『死ぬことはない』と彼を励まそうと村を上げて宴会を開き、そこで餃子が振る舞われた。農民は生きる希望を取り戻し、餃子を口にした。
すると農民は死んでしまった。」


この本を買う事に決めた。
海の気分もトワエモアの歌みたいで良かったが、このブラックジョークは中々であった。
海の向こうの隣人中国は一筋縄でいかないのだ。

2010年10月14日木曜日

湘南の嵐便り 「エスペランサと絶望」

チリ・コピアポ。

ノーベル賞受賞者の栄光も素晴らしいが、地下700メートルで69日奇跡的に生き抜いた人間の強い意志もノーベル賞に劣らず素晴らしかった。
屈強な男は地界から現れた。

一人目の救出者アバロスさん

息子と固く抱き合い、妻と抱き合う、だが何処までも冷静だ。
フロレンシオ・アバロス(31)、仲間から選ばれた男であった。


一発で十万人以上も殺してしまう悪魔の爆弾もあれば、自分の体に爆弾を巻き付けジハードだと言って自爆し沢山の命を奪う命もある。

世界中の目がチリの奇跡に釘付けになるのはそこに見失っていた人間の強さ、人間の意志、人間と人間の信頼関係、国民と国、国と国、英知と経験の結果、そこに国境はなかった。

アバロスさんの息子、感動しました
そして何より我々を感動させたのは、父と子、夫と妻、友人関係の絆だ。
何もかも現代社会は忘れしまっていた。
事故にあった鉱山は収入がいいが危険で人が入りたがらない処であったという。
しかし家族のため、生活を守るため、危険を承知で入山していったのだ。


トンネルを抜けるとそこはもっと長いトンネルだった。
悪夢から覚めるともっと悪夢だった。折角の命の先が幸多かれと思わずにはいられない。
「奇跡は奇跡的には起こらない」といった人がいたが正にこの度の奇跡は普段の強い心の結集であったのだ。


人と人が罵り合い、足を引っ張り合い、嫉妬し合う浅ましい社会はこれを教訓に活かす事だ。私も学ぶ事が多かった。

鳥肌が立って、涙が流れ手を叩き続けた。白いヘルメットを被った少年の父を見つめる目は神を見る様であった。日本国の国会の予算審議がテレビから流れていた。
何と切ない、悲しい、虚しい論争かと目と耳を疑った。


切ない、悲しい、虚しい論争中・・・


チリで事故が起きている中で一人の赤ちゃんが生まれた。
その名を「エスペランサ=希望」という名にした。
地界から出た男に希望が待っていてくれたのだ。


地上へ引き上げるカプセルの名は「エスペランサ」と「フェニックス=不死鳥」だ。
日本国にエスペランサは果たしてあるのか、あるいはフェニックスの様に甦る事が出来るのか。

国会論争を見る限りNOといえる、希望より絶望の方が近い。
不死鳥より焼き鳥だ(麻雀で一回も上がれないのを焼き鳥という)最低だ。


親たちよ、子供にゲームや勉強ばかりさせないで、海で川で山で砂場で公園で真っ黒になるまで遊ばせる事が大切だ。いくら勉強出来ても点数を沢山とっても木登りして柿の一個も取れなければ生き残っていけない。

子供たちには思い切り遊んで欲しいですね


20代の若者が家計簿をつけたり、スーパーのチラシを持って買い物をする、クーポン券をせっせと貯めて少しでも貯金をする、こんな事が現実だとしたら明日は真っ暗闇だ。


チリはいろんな事を世界中に教えてくれた。命は尊い。
パパは少年や少女、妻や仲間の誇りなのだ。




男は強くなければ男でない。子熊達にエサをあげたい熊が射殺された。
アチコチで熊も猿もエサが無くなっている。これらも人間と同じ命に変わりはない。



2010年10月13日水曜日

湘南の嵐便り 「仇討ち」

高田馬場の決闘
PARCOの決闘!高田馬場。


先夜あるところで16歳の少年が何カ所も刺されて死んだ。

いつもたむろする自動販売機の横であった。
そこに少女が一緒に居た。襲って来た人間を見て「逃げろ」と言ってから殺害された。

テレビの写真で見るとツッパリの様だが男前の少年だった。
新聞やマスコミ報道は絶えず被害者側に立って同情的に書くからどんな極道もどんな鼻つまみ者も普段は子煩悩な優しいいい人になる。


又はまさかあんないい人がという事になる。
こんな報道がいかに世の中を正す事をジャマして来ていたかを知らねばならない。
私は何も殺された少年を責める気はない。

私も同じ孤独で淋しがりの不良少年だったから殺された少年に心から痛かっただろう、だからあんまり夜遊び不良してはいけなかったんだよと言ってやりたいのだ。


鍵屋の辻
正確に報道するなら、以前から自動販売機の周りに来ていた一人の16歳の少年が少女をかばいながら夜の自動販売機の横で何者かによって斬殺された。

少年少女は夜遅く何故家に居ないで二人で何を語っていたのか。
少年少女に孤独の影と淋しさの痛さを感じ得ずにはいられない、どんな悪童でもまだ16歳これからが本当の夢も希望もあり人生の始まりである筈であった。

わずか16歳の人生を血まみれにした事とは何か社会全体で事件を感じなければならないと思う。

お通夜の日、一人の少女はこう言ったとても穏やかでいい顔だった、お疲れ様と声を掛けたと。このお疲れ様とは一体何か。
もう一人は女をかばって死んだなんてカッコいいと思ったと、一人の隣人は子供だ子供だと思っていたけど女の子をかばったなんて少しは大人の男になっていたのねと、テレビの報道では暴走族的映像がしきりにインサートされていた。
なんたる卑怯な報道か頭に来たのだ。




森の石松の仇討ち

人々はインタビューに応えきっと悔しかったと思うなどという。
私が少年の父ならこう応える。
どんな悪ガキでも俺の愛する息子だ、それをズタズタにされたのだから殺した相手も必ず同じ様にズタズタにしてやると。

子を殺されて仇をとったという親の話を聞いた事が一度もない。
親が子の仇をとらずに誰が取るのか、少女をドラム缶に入れて焼き殺した少年達はシャバにいてのうのうと生きている。こんなのは真っ当な法律ではない。

親達よ、暴力は最後の理性だという教えもある。
目には目を、歯には歯を、誰かが実践すれば阿呆なマスコミも必ず連動する。


古来より仇討ちは武士の掟であり日本の伝統文化だったのです。
私は愛する者の為なら必ず仇討ちをすると決めています。


忠臣蔵
 
忠臣蔵


 ※写真は仇討ちに関するものです



2010年10月12日火曜日

湘南の嵐便り 「高山ラーメン」

下呂温泉

 俺はちょっと「ゲロ」に行って来る、と言っても飲み過ぎて気持ち悪くなって「吐き」に行く訳ではない。


 下呂温泉に行くのだ。
下呂温泉は有馬、草津と並ぶ日本三大名湯の一つ、そこに行くのだ。




最も主たる目的は飛騨高山のカリスマ左官職人挾土秀平氏に会うのと、鳳凰屋台が何年振りかで修理が終わり出るという高山の日本三大美祭を見る事が目的で、後は高山ラーメンの名店「つづみ」でラーメンを食べる事である。


 連れは一人、残念な事に二日間の祭の初日は雨また雨であった。 
京都で云う「山車」、高山では「屋台」と云う。雨さえ降らなければ何台もの屋台が練り歩く。


海外からも沢山の人々が集まっていた。
無常にも早々と中止、「屋台」はその姿を拝むのみ、しかし高山の街は人、人、人、人そして雨、雨、雨、雨も又風情なりだ。 


飛騨牛の丸明

二之町

無形文化財の二之町で連れは、飛騨牛の串焼き、ワンダフル。飛騨牛のコロッケ、うま〜い。みたらし団子、うま〜い。五平餅、うま〜いの大喜び。 


昔の街並みを三時間程歩いて、私が選んだ高山ラーメンのNO.1「つづみ」へ、午後一時十五分、やはり二十人以上が並んでいる、仕方なし。




高山ラーメンNO.1のつづみ!一番右端が例のホステス風の子。。。
このシンプルなソバが最高に美味しいんです!

 私の前は27歳位のスナックのホステス風の二重つけまつ毛の女性、胸は寄せてあげてる風、何かひたすらメール。 並んで約一時間、次の方は何人ですか、私二人、つけまつ毛一人だったが携帯メールの早打ち。

で結局相席、突然頭から飛び出る様な声で席が空いたから来て、その声はまるで小学生がいきなり27歳のホステスになった様な声。

舌足らずで甲高い。
 ハヤクキテヨーデモ、アイセキナノーと、そこへスナックのマスター的33歳位の太った男、ここがこの写真の店なんだぁー。昨日のラーメンとどっちが旨いかな。
ワタチュラーメンと煮たまご、俺はチャーショウメンの大盛り。

 ちなみに私と連れは一方がラーメン私がチャーシュウメン。
しばし待っている時、マスター的男がワンタンメンって何、ホステス風、ラーメンとワンタンがイッチョなのよ、じゃ俺ワンタンメン、すいませーん、ラーメンの上にワンタン乗せて下さい。 

お店の人今からそれは無理です、満席の店はシーンと固まった。 

始めからワンタンメンって頼まないと駄目なのよ、そうなの、ラーメンにワンタン乗っけてくんないの、と言う。で結局ワンタンだけ別注文したのであった。 

私たちは無言。外では雨の中ズラリ並んでいるので早く食べて席を空けるのがルールだから、でも連れがおいしいー、こんなの初めてだと言ってくれればそれでOKだ。 

海外の人も沢山!

荻窪のラーメン三名店、丸福、春木屋、丸信を食べて来た私はラーメンには相当ウルサイ。高山のラーメンは相当旨いのだ。 
アゴ(飛び魚)やカツオダシとか秘伝の技で作ったスープは醤油味で極めてシンプル。
メンは細めのちりぢり系、あとはメンマと美味しいチャーシュウのみ。
 実に上品で上質である。 
高山だけで30店以上が味を競っている。

次の日天気予報は大雨とか、仕方なく予定を変え名古屋に向かう。
途中でどんどん晴れて来るではないか。聞けば「屋台」が出たという。残念だった。


 下呂⇔(40分)⇔高山⇔(120分)⇔名古屋⇔(120分)⇔小田原⇔(25分)⇔茅ヶ崎。乗車時間合計約660分余、奥飛騨慕情の旅であった。 









2010年10月8日金曜日

湘南の嵐便り 「松岡正剛」


松岡正剛氏


ある高名な哲学者がこんな事を書いていた。

私の人生で唯一自分を誉めてやりたいのは本を読まなかった事だ。
悪い活字、悪い文章程精神衛生上悪影響なものはないからと。

しかしこれは万巻の書を読んだ人のみに許される超一級のジョークだろうと思う。


我が国にとんでもない知の巨人、読書の超人が一人いる。
名を松岡正剛という。66歳である。


松丸本舗の書棚

本の海を泳ぎ、本の山を登り、本のピラミッドを建てる。
あらゆるジャンルの本を読み、整理し、系統だて分類しその上で空間の中に本の迷宮回廊を作り上げる。

丸の内丸善4Fに松丸本舗という松岡正剛が独自の視点で選別配列した奇跡的な書棚のコーナーがある。それはまるで計画的完全犯罪の様に謎めいてなおあらゆる仕組みが施されている。


一見好き勝手の様に、そう子供部屋の本棚の様に置いてある。
躾の厳しい親なら本棚をキチンと整理しなさいと叱られるだろう。
本の題字すら読めない本もある。
人間の心理として読みにくいものは見たくなるものである。

横のものは縦にしたくなる、縦のものは横にしたくなる、あえて分類をしていないものは分類したくなる。

売り場のベテラン女性にこれで売れますかと尋ねると、ウフフフとだけ言った。
私は大好きなパンクロック作家「町田康」の本をその日二冊買った。ずっしりと重い一冊700ページ、かつて私が読んでコレは誰かに勧めたいと思っていたからだ。
一冊は「告白」、一冊は「宿屋めぐり」、一冊は友人に、一冊は知人にプレゼントする為である。


「町田康」の本を手にしてそうかこの空間はパンクロックなんだと思った。




一日中居てもタダで楽しめる、松岡正剛という人間図書館なのだ。

2010年10月7日木曜日

湘南の嵐便り 「オドイーターとムシューダ」





お釜は何をするものかと聞かれれば真っ当な人はゴハンを炊く物と答えるはずです。



そのお釜が近頃ダーウィンも驚く程進化を遂げテレビの画面をジャックしているのです。


本来は新宿二丁目辺りに生息していたのが、オスだかメスだか判らないオカマ&ニューハーフとしてそのタレント性(才能)をフルチンに発揮しているのです。(中にはある物を取ってしまった元男もいます。)





彼等いや彼女等は実に頭の回転が速く、話題は豊富お客は笑いの渦の中の住人となってしまいます。男の喜ぶツボを知っているのです。
銀座あたりのクラブでしこたま高い料金を取り、ただ座っているだけの人形みたいな女と大いに違うのです。(中にはとびきりの女の子も居ますが)


ただ私は正直言ってオカマ&ニューハーフは苦手です。
臭いに敏感なので濃い化粧と、元男の体臭と香水の混ぜこぜになった臭いに頭がクラクラになって気持ち悪くなってしまうのです。



「はるな愛」という売れっ子のニューハーフがこんな事を言っていました。
ある男と一緒にいた時にどうしても誤魔化せないものがあった。
それは寝具に染み込んだ男だった時の体臭が決して消せない、夕方になるとヒゲが生え出す事だと。いつもオドイータとムシューダで消そうとしたとかしないとか(?)






臭いの話でもう一つ面白い話がある。
西城秀樹がワンマンショーをある地方の公会堂で催した時、その日の司会者にこういった。
すみません、今日は終わった後変な臭いがするかもしれませんから。
そしてスタート1500人ギッシリ満員、オバサンで満タン、秀樹が歌い出すと熱狂、絶叫、ある者は泣き、ある者は失神してしまう。もう大興奮大会となって終演、その後会場内には異様な臭いが。




それはオバサンたちが「過換気症候群」でアンモニアをお漏らししてしまった人が続出したのだ。

過度の緊張と興奮状態になると緩んでしまうのです。
当然「秀樹感激」だったはずです。





これからワンマンショーに行くときはオドイーターかムシューダを持参して下さい。

2010年10月6日水曜日

湘南の嵐便り 「孫」


週末は運動会でした
駆けっこでは一番でした!

孫を持つとこんなにも晩年の人生が明るく楽しいのかとつくづく思っている。


筒井康隆の小説に「私のグランパ」というのがある。
女子高校生のおじいちゃんは昔気質のヤクザ者、その人が出所してくる。
女子高生はジイジイとかおじいちゃんとか言わずグランパと呼ぶ。

私はこのつまんない小説を読みながらグランパだけは頂こうと思っていた。
そして待望の孫が今では四人、上から8才、7才、7才、4才と続く、二人は直ぐそばに居るのでほぼ毎日の様に来る。


週末と日曜日は一緒に食事する。
8歳の子は将棋を覚えて中々強い。私の出す算数の難しい問題が全て出来ると500円玉を一個あげる(一週間に一回だけ)、その時の嬉しい顔といったらない。

お金は色んな人が触って汚い物だから直ぐ手を洗う事にしている。
この頃は手を洗うのが面倒なのでズボンのポッケを広げグランパここに入れてなどという。下の子はお絵かきが中々なので上手に描けるとやはり500円。




遠くから二人お泊まりに来た時は上の子がぬり絵が上手いので上手にいったら500円。
下の子は私とベイブレードをやって買ったら100円玉一個。
みんなそれを持って近所のサークルKに行って好きな物を買ってくる。

小さな家の中は足の踏み場もない、至る所落書き、貼り紙、カードだらけである。
下手に剥がすと貼った物を覚えていて凄く怒るのだ。


「孫は来てうれし、帰ってうれし」むかしから可愛い者だったのだろう。
「孫」という歌が大ヒットした位だから。

大泉逸郎の「孫」



何処まで成長を見届けられるか判らないが今の私の力の源泉である事は間違いない。グランパは反抗期や年頃の娘になった時が心配なのだ。私のDNAが色濃く出ないといいと願っている。


パパ、ママ達はお酒も女遊びも博打も煙草もやらない(息子が煙草を少し)。
親に全く似ていない超真面目なのだ。性格穏やか、極めて質素、争いを好まず。

父親と正反対なのだ。