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2013年9月3日火曜日

「カレーラーメン」




先週見たNHKのプロフェッショナルという番組中の宮崎駿監督は、落ち着かず苛立っていた。休日一人机に向かう、煙草を喫いつづけ、足は貧乏ゆすりを激しくしていた。
あーダメだ、これじゃダメだといっては消しゴムで下絵を消す。

3.11が起きた時会社は3日休んだ、その後スタッフに向かって怒鳴った。
「なんで休んだのだ、アニメの生産現場から離れるな」と。
その後スタッフにパンを配っていた。またある日は、スタッフが体調を崩して休んだのだろうか、それに対して体がぶっ壊れても自分の担当している絵は描きあげてもらわないと困ると。

わずか数秒弱の上映シーンに一年以上かける。
群衆が混乱する絵をアニメで作り上げそれを試写した。
仕上がりが満足であったのか、それを担当した一人のスタッフに上機嫌で上手く行った、上手く行ったといっては声をかけた。

アニメは気の遠くなる作業の積み重ねだ。
自分は人より少しばかり先を行っていたと思ったが時代のほうが先を行っている。
この言葉には日本という国からファンタジーやロマンや少年少女の淡い想いや、大人たちの包容力が無くなってしまった事への切ない気持ちが込められているのだろう。

宮崎作品には少女が主人公である事が多い。
きっとロマンチックな想い出があるからだろうか。
現在上映中の「風立ちぬ」の少女は(?)堀辰雄の「菜穂子」から名づけた名前だ。
文学少女などという言葉はすでに無きに等しい。
携帯を持ち、スマホやラインなどで交信しあう少女たちは最早宮崎駿監督のイメージする少女とはあまりに掛け離れてしまったのだ。

中原中也的に言えば、「汚れちまった悲しみに・・・」だろうか。
寺山修司風に言えば、「少女という絶対的純粋が黒い雲となって時代を嘲笑しているのだ・・・」と。

TVでは十五歳の少女が殺された事件をこれでもか、これでもかと、偽善的同情報道に作り上げ流出する。娘を殺された肉親に今の気持ちはなんてバカな質問をする。

宮崎駿監督の引退会見は六日に行うそうだ。
何年先か何十年先に日本という国が大人たちの愚策愚行で見るも無惨になった時、ああ、あの時、時代が私より先に行ってしまっている、と引退を決めた真意を知るだろう。

私といえば情けなくも正体がわからないほど「汚れちまった悲しみに、今日も・・・」なのである。「風立ちぬ」が出来上がった後のある日、宮崎駿監督は一人でカレーラーメンを作って食べていた。こうしているとやっと正常な心ある日常に戻って行く気がすると。

2013年9月2日月曜日

「進歩しないもの」




九月二日(月)午前二時を過ぎた頃、私は元山口組系組長の「鎮魂」という新刊本を読んでいた。

人間と人間の間を壊すものはやはり、そのひと言や、その金や、そのやり方や、その人事であった。表の社会も裏社会も組織とは人事である事が書かれていて興味深かった(宝島社刊)。

九月一日(日)は茅ケ崎はサザンオールスターズ一色で朝からギューギューであった。
暑い、あまりに暑いので借りてきていた映画を見る事にした。
二本とも題名は同じである。「許されざる者」だ。
過去に見ていたのだが、李相日監督、渡辺謙主演で同名の映画を日本的にアレンジして製作中というので借りていた。

一本目の「許されざる者」は、ジョン・ヒューストン監督、バート・ランカスターとオードリ・ヘップバーン主演であった。時は大西部開拓史の頃。
牛追いのカウボーイ家族が小さな町の外に居た。長兄がバート・ランカスター、次男、三男、末っ娘がオードリ・ヘップバーンであった。
物語の核は末っ娘が実はインディアンの娘であったのだ。
過去の戦いの時にインディアンが逃げる時赤ん坊を置き忘れてたのだ。
その家族の父と母は同じ兄妹として優しく育てるのだが、町の有力者の息子がその娘に求婚する。インディアンの族長がその娘を俺の妹だから返せと攻めて来るのだ。
封建的な町民たちはインディアンの血は許し難き、結婚なんてとんでもないのだ。
そして猛烈な攻防戦が始まる。さて、その結末は。

二本目の「許されざる者」はアカデミー受賞作である。
敬愛してやまないクリント・イーストウッド製作主演、そして監督だ。このオッサンは本当に凄い。七十歳を超えてから名作を次々に作っている。
近代映画史上NO.1の映画屋だろう。
物語は、小さな男の子を二人持つ男、元々札付きのワルであった。
西部劇でいうところの賞金稼ぎだ。足を洗って町外れの小さな木小屋に住み養豚場をしている。堅気になったのは良き妻のおかげであった。
しかしその妻に先立たれてしまった。子どものために金が欲しい、だが体は老いていう事を効かない。

そんな時町の娼婦宿で二人の牧童が一人の娼婦を切り刻むという事件が起きる。娼婦たちは体を張って稼いだ金を出し合って1000ドルの賞金を作る。町を仕切っているのが封建制の塊の様な保安官だ(ジーン・ハックマン)。
この町では黒人、移民、そして「よそ者」は居てはならない存在なのだ。
そして物語はある結末に向かう。

元山口組系の伝説の親分の本(現在は引退して実業家)に出て来る話も「許されざる者」に出てくる話も、人間の欲と得、本筋の人間とよそ者との確執、それと男としての意地とプライドだ。その時男はどんな行動をするのか、である。

またアメリカという国が未だに西部開拓史と同じである事を知る。
町を守る(国を守る)ためには、よそ者(外国)は敵。
インディアン、黒人、移民は許されざる者なのだ。
その者たちに待っているのはリンチ、拷問、縛り首、そして射殺だ。さて封建社会では許されざる者であった黒人の大統領、バラク・オバマは国際社会の許されざる者、シリアのアサドという無法者にどんな賞金をかけ、どんな落とし前をつけるのであろうか。
国際社会からの絶縁か破門か、あるいはフセインやカダフィか。
ノーベル平和賞受賞者の決断は。
当然我が国の首相は全て場面が読めていない外交オンチだ。
文明は著しく進歩をしているが、人間の心は進歩できない。

2013年8月30日金曜日

「変と変態」


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新聞販売店の信じられない勧誘が今アッチコッチで問題となってるという。
一人暮らしのご老人宅を狙っては、色々プレゼントを持って行き三ヶ月は無料ですよ、いつ止めてもいいですよなどと云って勧誘する。

三ヶ月で止めるというと、アレコレあげましたよね、その代金を払って下さいとか、止めるとご近所付き合いにいい事ないですよとか云うのだ。

八月二十九日夜十時からのNHKのラジオニュースで特集されていた。
夕刊だけでもとか云ってご老人を安心させてるのが入り口らしい。
中には五万円もする液晶テレビを置いていって止めるというとその運搬賃みたいなのを支払って下さいなんていうのもあるらしい。

消費者相談センターにはかつては全体の4%位だったが最近では10%近く苦情が寄せられている様だ。一人暮らしで孤独な生活をしている方々が益々多くなっている。
買い物にすら行くこともままならないから、洗剤だとかトイレットペーパーとか他の様々の生活用品はご老人にとってありがたい事なのだろう。
目が悪く、満足に文字が読めないのに三ヶ月だけと購読を始めるご老人も多いと聞く。(知人の話)

私は読売新聞を購読しているのだが、私の処に来るオジサン、お兄さんは実に感じがいい。先日は巨人VS中日のチケットを貰った位だ。
スーパーカブに乗ってすれ違うと気持よく手を振ってくれている。

新聞屋さん、お米屋さん、牛乳屋さんは生活の中のご近所力の要だ。
いろんな情報を持っているからだ。ご近所の話についてより詳しいのは床屋さんだ。
ご近所みんなで力を合わせてひとり暮らしのご老人を守らねばならない。
耳から入ってくるニュースを聞きながら知人と何とも変な話だなと気を重くした。

女性が乗っていた自転車のサドル(革製だけ)を300個以上も外してかっぱらった臭いフェチの話には心底、世の中には理解不能の変態がいるものだ。(サドルの臭いを嗅ぐ、そして舐めるのが趣味なのだ)夜、家に帰り2台の自転車を外から中に入れ替えた。
危うしサドルだ。

生ゴミフェチなどが生ゴミをかっぱらって行ってくれると誠に助かるのだが(?)その夜食べた生牡蠣とホヤ貝は見事なものだった。生牡蠣やホヤ貝を初めに食べた人は余程腹が減っていたのか、相当好奇心が旺盛の人か、かなりの変態だったのだろう。
ウニやナマコもまた同じだろう。

南三陸の久慈を舞台にした「あまちゃん」にウニが出てくる。それを食べに行こうかという話が持ち上がっているのだが、ミーハーは嫌なので返事は未だ控えている。

2013年8月29日木曜日

「女性でもバカ野郎」


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バカヤロー驚かすなとオジサンは飛び上がりつつ怒鳴った。

手には「朝の茶事」のペットボトルを握っていた。
オジサンを驚かしたのは、年の頃は三十五・六の女性だ。

茅ヶ崎発上り東京行き、通勤ラッシュが終わった後の列車に私は乗った。
車内はかなり空いていた。私は午後からの打ち合わせ用に沢山の資料や画集やらを二つの紙バッグに入れて持っていた。
空いていたのでトートバッグは足元に置き、大事な紙バッグは脇に置いた。

私の対面にいる女性は大きなバッグを脇に置いていた。
バッグの中が見えるか見えないか半透明になっていた。
市原悦子を若くして、つけまつ毛をごそっと付けた感じだった。
お決まりの様にスマホとおぼしきものに目をやり指を動かしていた。

その女性と少し空いた処にオジサンはいた。
年の頃は五十七・八だろうか。グレーのスラックスにボタンダウンの白いワイシャツを着ていた。茶色のカバンを抱くようにしていた。目をじっと閉じていた。

その日は茅ヶ崎のTSUTAYAにレンタルしたDVDを返却したので茅ヶ崎から乗ったのだ。
辻堂を通過し藤沢に近づいた時に突然というか、いきなりというか何かが気に入らなかったのか、女性の脇に置いてあるバッグが猛然と吠え始めたのだ。

グワァン、グワァン、ウォーと。
そりゃだれでも何事が起きたかと思うではないか。
半透明の中で薄茶の生き物というか、犬が吠えまくってバッグを揺さぶっているのだ。
犬種は私にはわからない。平泉成を細くしたようなオジサンは「朝の茶事」のペットボトルを落としそうになりながらバカヤローと怒鳴ったのだ。

私はそれが滅茶苦茶おかしくて笑いがこらえられなくなってしまった。
通勤快速はスピードアップだ。私は笑いがどうにもこらえられず様々な工夫をした。
新聞紙で顔を隠し、口の中に手の指を三本くわえるのが一番効果的であった

。犬は女性が◯☓ちゃん、メ、メ、メみたいにおまじないをしてすっかり静かになっていた。近頃、犬とか猫とかを連れて列車に乗る人が多いのは知っていたが、突然あれほど吠えた例はなかった。犬はいい気持ちで悪夢でも見ていたのではなかろうか。

その後オジサンも静かになった。女性はハナから何事も無かった様子であった。
私はずっと笑いをこらえていた。

前夜に味わった大好きなお椀に入っていた鯛のカブトの鱗がきちんと取れておらず、喉にへばりついて取るのに難儀した。喉がやけに痛いのを思い出したら笑いを忘れた。

2013年8月28日水曜日

「結婚のススメ」




「インド人もビックリ!」というCMコピーを憶えている人は私と同年代だ。
 
八月二十三日金曜日の日経新聞朝刊を読んだ、「インド人にビックリ」した。
今は亡き「てんぷくトリオ」の三波伸介さんなら、「ビックリしたなあ〜もう」とビックリした筈だ。

大見出しには「インド婚礼産業、華麗なる成長」縦書小見出しには「ディオールの宝飾品、カリブ旅行」とある。
立て組中見出しには「三兆円市場商戦に熱」とある。

わたしの持論である少子高齢化社会を脱すには、若者が恋をし、愛を知り、恋愛を重ね、良き縁、良き偶然と出会い結婚をして家族づくりに励む。
この事を国をあげて応援するしかない。子どもに恵まれなくとも夫婦愛を知る。
このまま行くと我が国は半分以上が老人となる。

結婚しない若者がどんどん増えているからだ。
インド人は中国人に次いで多い、だからこれ以上増えなくてもいいじゃんと思うのだが、なんと日本の三十倍を超す年間1000万組が式を挙げ、年間三兆円規模の市場を作っている。経済成長率を大きく上回る年率25%のペースで拡大中なのだ。

インドは階級意識が高く、家族同士のつながりを確認する挙式は豪華絢爛を極めるという。世界のスーパーブランドが熱い商戦を繰り広げているのだ。

ちなみに日本とインドの挙式の比較を列挙してみると、
挙式の市場規模/インド29450億円VS日本14300億円、
予算/インド3000万以上が当たり前VS日本平均343万円、
組数/インド1000万組VS日本30万組、
人気の新婚旅行/インド→ハワイ、モルティブ、トリニダード・トバゴVS日本→欧州、ハワイ、
予算/インド500万円前後VS日本約55万円。

これが富裕層になると青天井でもうとんでもないベラボーな挙式となるらしい。
料理は宗教上の理由で牛や豚が食べられないが5080種類の料理が並ぶという。

2020年代前半には中国を超えて若者人口は世界一になる見通しだ。
別に何もうらやましい事はない。
その国にはその国のやり方があるし、好き勝手やればという事なのだが、若いカップルが増えるのは羨ましいと思う。

若者から恋と愛を取ったら何が残るのかといいたい。
バーチャルな恋愛ではなく泥沼の様な抜き差しならぬ恋愛を経験を重ねなくして人生の困難には立ち向かえられないのだ。
人生とは男と女性の永遠のバトルなのだから。
但し男が女性に勝つ見込みは相当に低いといえる。

それでも私は声を大にして一度か二度(?)は結婚してみろといいたい。
私の友人は八度も結婚をした。
結婚式なんかインド人に任せて、自分たちだけでいいんだから。
大人たちよ若者を結ばせたまえだ。

2013年8月27日火曜日

「雨ガエルさん」


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これは怖い話かそれともちょっと嬉しい話か、少し肌寒くなるかもしれないが本当にあった話をする。

バブル最盛期、私はある広告代理店から大手証券会社のCM作りの殆どを依頼されていた。株価は三万五千円を超えていたのだが、私は株の事は全く分からない。
そこで依頼されていた代理店の責任者の方に誰かアドバイザーがいないかと相談した。

一人いい人がいますよといってその代理店のOBの方を紹介された。
学習院大学出身というがそんな感じはまるでしない。亡くなった父君が有名な宮大工でお寺の仕事も多く手がけていたとか言った。
歯が殆ど無いが頭の中にはたっぷり知識があった。
弟さんがいるのだが殆ど他人状態で孤独な生活をしているとか。

お酒とカラオケが何より好きであった。
朝早い打ち合わせの時はかなり前日のお酒が残っていた。
私はその人と顧問契約をした。実によく仕事をこなして頂いた。よく飲みに行った。
数年間続いた。

ある日の午後、青白い顔をして私の処に来た。
「イヤーまいったなあ、癌だって」と云った。
自分の身体はいいのだが仕事が続けられないかもと言った。
迷惑を掛けたくないので他の人を探して下さいと云った。
えっ、本当ですかと言った。

私は直ぐに信頼する茅ヶ崎の医師のところに電話した。
とにかく連れて来なさいというので二人で先生の処に行った。
一週間入院して検査をした。見舞いに行くとベッドの上で瞑想をしていた。

先生から残念だが半年位だね、癌研を紹介すると云われた。
その人に言うと癌研に行くと云った。ほぼ半年後その人は逝った。
葬式なんていいですよ、無縁墓地にでもと云っていた。

命日は雨が多い季節だった。
私は幹部と相談し、会社葬とする事と決めた。
池袋に父君が建てたというお寺がある事を知っていたのでそこで行う事とした。
広告代理店時代のかつての同僚たちが沢山参列してくれた。
その人がよく通っていたBarのママが猫を抱っこして来ていた。
BGMにその人がよく唄っていた「北へ帰ろう」を流した。

その次の年、命日が近づいた日の夜、我が家の小さな縁側の上に大きなガマガエルが居た。今まで見た事もないのに。愚妻や子どもたちはギャー嫌だ、気持ち悪いと云った。夜になると出て三日間居て消えた。
その次の年も全く同じ頃にガマガエルが縁側の上に居た。

私はきっとあの人が帰って来たのだと思ってその人の名前を言った。
「八木さんでしょう」と。

ガマガエルはじっと私の方を見ていた。
庭師のオジサンにその事をいうと、ダ・ダ・ダンナソレハキット、アイニキタンダヨといった。そして数日後「石のカエル」を持って来てくれて、ココガイイといって小さな池の脇に置いてくれた。

次の年から「八木さん」は出て来なくなった。
ガマガエルは雨ガエルともいうらしい。処暑も過ぎ、久々にまとまった雨が降った。
「石のカエル」に雨があたり心なしか気持よさそうな顔に見えた。
「八木さん」歌を唄ってますか、酒飲んでますかと声をかけた。

茅ヶ崎の先生は今でもよく云う。
「八木さん」ほど思い出深い患者さんはいないな、一週間ほどだったけど何か不思議な霊力がある人だった、と。

「八木さん」と同じ食道癌になったサザンの桑田佳祐は助かって良かった、元気に歌を唄っている。TVからCMとのタイアップソングが津波のように流れて来る。
命の行方は誰がどんな基準で決めているのだろうかと思った。

2013年8月26日月曜日

「ボクサーに栄光あれ」


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不良少年、悪ガキ、問題児、あの子とは遊ぶな、近づくなといわれ続けた少年たちもボクシングと出会い栄光をつかむと不良少年時代は「やんちゃな少年時代」と言い換えてくれる。

世界チャンピオンの殆どは元不良少年、手に負えない存在であった。
学校の番長であり、街の番長であり、県の総番長であったりした。さてボクシングと出会う事が無かったら、どんな人生を送っていただろうか。

ボクシングは合法的な殺し合いだ。それ故グローブをつけた人間は恐怖を知る事となる。ルールを守る事を知る。相手に対して敬意を表す事を知る。ダウンをしたボクサーは先ずどこを見るか、それは自分のコーナーだ。そこに居るやセコンドが味方だからだ。
勿論一発で気絶するか脳にダメージを受けたらコーナーすら見えずノックアウトだ。

一方、イジメっ子(不良少年)にイジメられ続けた少年もボクサーになってその仕返しをすることが出来る。チクショウ強くなりたい、強くなるんだ、チクショウという思いが強いボクサーを生む。喧嘩に強くなりたいという理由で入門する少年は多い。
だが厳しい練習と減量を体で憶え、グローブをつけ四角いリングに上がると喧嘩のバカバカしさが分かって来る、強くなれば成る程。貧乏もまた強いボクサーを育てる。

ハングリースポーツといわれるボクシング。
自分の為に一生懸命働いてくれている父のため、母のため、弟のため、妹のため、おじいちゃんおばあちゃんのために強くなるんだと日夜アルバイトしながらジムに通う。
拳ひとつで夢を叶えるためにボクシングはある。傷ついたボクサーの笑顔程美しいものはない。

ボクサーの寿命は短い。夏の花火の様に鮮やかに人々を興奮させそしてリングを去る。
だが歴史に残る男と男の殴り合いは忘れられる事はない。伝説の主人公となる。

私は仕事する時によく思う。
その仕事に生命を懸けているか、自分の仕事はボクサー程痛い思いをするかと。

八月二十五日夜、ロンドンオリンピックのミドル級金メダリスト村田諒太選手がデビュー戦を勝利で飾った。2R224秒レフリーストップのTKOだ。
相手は東洋チャンピオンだった。何故かチャンピオンは脅えていた。

メインイベントが何故10R8Rでなく6Rなのかはわからない。
ラスベガスの超大物プロモーターが来ていた。いつかボクシングの聖地ラスベガスのリング上で栄光の笑顔を見せてほしい。愛する妻と子と亡き恩師のために。
世界を代表する元不良少年を相手に。

ボクシングは人間を素晴らしくする。
敗者にもまた栄光あれと思う。次に戦えば立場は違うかもしれない筈だ。

ところであなたの仕事は痛いですか。一発で命を失うほど。

2013年8月23日金曜日

「サンダル」


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新橋駅側に汽車ポッポ(SL)がある。
今ではそこはタバコを喫う人の溜まり場で、SLの煙突ではなくSLの横から煙が立ち上る。見た目堅気そうでうら若き女性もうまそうにタバコを喫い、二つの鼻の穴からブハァーと白い煙を出している。

かつては噴水があったのだが今はない。
噴水の代わりにタバコ好きが煙を噴出しているのだ。

熱闘甲子園が終わった日の夜、朝からアンデルセンで買ったホットドッグとカレーパンしか食べてなかったので腹が減り減りであった。
藤圭子自殺というでっかい文字が新聞売りのところにあった。
で、夕刊紙を買った。

列車に乗るつもりだったが記事が気になり、よしメシでも食べるかと思った。
見れば小諸そばの旗、かつやの旗、豚丼の旗がへんなりとあった。
何にすんべいかと思った。

大和鮨というのが目に入った。鮨は三食でもOKという程好きだ。
何しろ早いのでいい。入った事はないのだが高そうでないので入った。
カウンターだけに15人位は入れるだろうか。二階もある様であった。
入ると見える空き席は五席、入り口に一人、予約席が二席であった。その隣に座った。

左上に小さなテレビがありNHKの首都圏ニュースをやっていた。
冷酒を1合頼んでさあ新聞を読むかと思うと、予約席に三十歳位の男と二十五、六歳の女性が入ってきた。予約している位だからきっと常連だと思った。
お通しに数の子が少々出た。つまみにゲソ焼きにツメをつけてと頼んだ。

冷酒も来た、さあ新聞となったのだが男女がモメている。
男、おまかせは高いよ、上にしようと言っている。
女性が何ケチってるのよ特上にしてよと言った。お前贅沢なんだよと男は言った。
予約しといてみっともないじゃない、ただの上なんて、ただじゃねえよと男が言った。だったら並でいいわよと女性が言った。

板さんおまかせは3200円、特上が2800円、上が2000円、並が1600円だったと記憶している。あんまり言い争うので憶えは定かでない。気が散って新聞を読む気になれなかった。二人が如可なる仲であったのだろうか。
女性はアタシちょっとタバコ喫って来ると言って出て行ってしまった。
男はお茶をアチアチとか言って飲んだ。板前がニタッと笑った。前歯が一本抜けていた。

新橋は会社員たちの夜の王国だ。何が起きても不思議でない。
誰が誰とくっついても何ら不思議ではない。オッセイナあの女と男はつぶやいた。
板前がまたニタッと笑った。

私といえば、まずホウボウを握ってもらう事にした。次に新子とアジ次に海老を頼んだ。女性が帰って来た。二人共上にぎりを頼んだ。よく分かんねえ二人であった。笑いながら話を始めていた。女性は片方のサンダルを足から外していた。左だったか右だったかは忘れた。透明状のバンドエイドが踵に貼ってあったのは覚えている。

2013年8月22日木曜日

「熱闘と熱湯」


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熱闘甲子園も前橋育英高校が勝利して終わった。
甲子園のグランド上には日頃忘れてしまった言葉が土煙をあげていた。
母校、校歌、青春、友情、旋風、歓喜、血涙、無念、追撃、悲願、達成、そして勝利と敗北。

私は「敗北」という言葉が好きだ。
敗北こそ人生への応援だ、勝利だけの人生はない。
敗北から何を学ぶかで次の人生は変わって行く。

作詞家であり作家であった阿久悠さんは大の高校野球ファンであった。
スポーツニッポンでその観戦の詩を書いていた。その殆どが敗者を称える詩であった。
その数は300以上に及ぶ。

落球をした選手、失投をした選手、暴走した選手。
それは現実の社会でも当てはまる。
エラーと三振は野球につきものという。 

156センチの選手がファール、ファールで粘った。
ところが審判員たちはそれをバント行為だと決めた。 
156センチの小さな選手は出塁率7割近かったが、その決定を聞いて泣いて悔しがった。

選手それぞれの個性と持ち味、人それぞれの個性を伸ばさないのがこの国の最大の弱点だ。

熱闘甲子園の最後を見た後、赤坂を歩いていた。そこに工事現場があった。
何人ものガードマンのオジサンがヘルメットを被って交通整理をしていた。
きっと地方から出て来た人々だろう。
顔は甲子園球児の様に陽灼けしている。顔には汗がびっしょりとついている。

一度立ち話をした事がある。
オジサンが言うには頭から足の先まで熱いお風呂に入っている様だと言った。
都会の工事現場も「熱湯甲子園」なのだ。地方にゃ仕事がねえ、頑張って仕送りしなきゃなんねえんだと汗を拭きながら言った。車さ来たアブネエベといってくれた。
労働者は決して敗けない。

2013年8月21日水曜日

「タンメンの日」


丸亀市猪熊弦一郎現代美術館



「左うちわ」とはいかない記事を読んだ。

今年ほど「うちわ」のお世話になっているのに何故だろう、香川県丸亀市は全国の「うちわ」の生産シェアの9割近くを占めているといわれている。 

3.11以後節電意識の高まりで需要は急増した。
11年度の販売量は1.8倍の16800万本、12年度は更に増え、17800万本を販売した。
しかし販売の殆どは企業のイベントで配る販促用であった。
今年13年はこれが振るわない。

今年は企業の関心も一服。
景気は回復したというが企業の販促費は絞り込まれた。製造コストも上昇気味。
中国製が主流となった。国内の受注競争は激しい。
コストダウンしても130円が限界だという。

「うちわ」を売る店の話によると消費者は「うちわ」は無料という意識が高いのだと。
そういえば「うちわ」を買ったという記憶はない。

今年使っているのはウイスキーを買ったおまけと、以前富山の風の盆に行った時の物、それと地元の信用金庫の物と、駅で配っていた分譲マンションの物だ。
全然香川県に貢献してないではないかと反省しきりだ。
150円から3000円位の品揃えがあるというから奮発して800円位一本買ってみるかと思っている。

丸亀市は私の絵の先生の先生である、猪熊弦一郎巨匠の出身地だ。
猪熊弦一郎美術館の設計は確か建築界の巨匠、谷口吉生さんであったと記憶している。
入り口の構えが正に広大な「門」の一文字の如しだ。
日本随一と言っても過言ではない。

丸亀といえば「うどん」だが、こちらもうどん競争が激しく「左うちわ」とはいっていない様だ。

日本国の借金は遂に1000兆円を超えた。 
1万円札で1千億枚、積み上げると富士山どころか、あの宇宙ステーションの25倍の天空に届くというではないか。とてもじゃないが「左うちわ」とは真逆だ。
外は猛暑、財布の中は寒々としている。

818日家族六人で後楽園球場に行った。
読売新聞の販売店からもらった内野席の上の上の上の席であった。
三回裏の途中小用でトイレに行くと、入り口から右手二番目の「大」の扉が開いたままだった。老人とか専用で広く、そこの水洗の右上の平らな処に黒いお財布が置いてあった。

とても目立ったので中に入り手にした。
ギザギザ革で長く、チャックでコの字形になっている。
分厚い、かなり入ってそうだった。だがしかし私は迷う事なく、それを球団職員にちゃんと渡した。名前と住所を聞かれたので教えた。相当入っていたのだろう。

その後の話はプライバシーもありとても長くなるので出来ない。
ただハッキリしているのはその持ち主は今日も「左うちわ」で、ああよかった、ああえかった、ああやっぱり日本人は最高に正直だべなと思ってくれている筈だ。
家族の一人は貰っちゃえばよかったのにと言った(笑)。
帰りにラーメン屋でタンメンと餃子を食べたのだ。