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2013年8月27日火曜日

「雨ガエルさん」


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これは怖い話かそれともちょっと嬉しい話か、少し肌寒くなるかもしれないが本当にあった話をする。

バブル最盛期、私はある広告代理店から大手証券会社のCM作りの殆どを依頼されていた。株価は三万五千円を超えていたのだが、私は株の事は全く分からない。
そこで依頼されていた代理店の責任者の方に誰かアドバイザーがいないかと相談した。

一人いい人がいますよといってその代理店のOBの方を紹介された。
学習院大学出身というがそんな感じはまるでしない。亡くなった父君が有名な宮大工でお寺の仕事も多く手がけていたとか言った。
歯が殆ど無いが頭の中にはたっぷり知識があった。
弟さんがいるのだが殆ど他人状態で孤独な生活をしているとか。

お酒とカラオケが何より好きであった。
朝早い打ち合わせの時はかなり前日のお酒が残っていた。
私はその人と顧問契約をした。実によく仕事をこなして頂いた。よく飲みに行った。
数年間続いた。

ある日の午後、青白い顔をして私の処に来た。
「イヤーまいったなあ、癌だって」と云った。
自分の身体はいいのだが仕事が続けられないかもと言った。
迷惑を掛けたくないので他の人を探して下さいと云った。
えっ、本当ですかと言った。

私は直ぐに信頼する茅ヶ崎の医師のところに電話した。
とにかく連れて来なさいというので二人で先生の処に行った。
一週間入院して検査をした。見舞いに行くとベッドの上で瞑想をしていた。

先生から残念だが半年位だね、癌研を紹介すると云われた。
その人に言うと癌研に行くと云った。ほぼ半年後その人は逝った。
葬式なんていいですよ、無縁墓地にでもと云っていた。

命日は雨が多い季節だった。
私は幹部と相談し、会社葬とする事と決めた。
池袋に父君が建てたというお寺がある事を知っていたのでそこで行う事とした。
広告代理店時代のかつての同僚たちが沢山参列してくれた。
その人がよく通っていたBarのママが猫を抱っこして来ていた。
BGMにその人がよく唄っていた「北へ帰ろう」を流した。

その次の年、命日が近づいた日の夜、我が家の小さな縁側の上に大きなガマガエルが居た。今まで見た事もないのに。愚妻や子どもたちはギャー嫌だ、気持ち悪いと云った。夜になると出て三日間居て消えた。
その次の年も全く同じ頃にガマガエルが縁側の上に居た。

私はきっとあの人が帰って来たのだと思ってその人の名前を言った。
「八木さんでしょう」と。

ガマガエルはじっと私の方を見ていた。
庭師のオジサンにその事をいうと、ダ・ダ・ダンナソレハキット、アイニキタンダヨといった。そして数日後「石のカエル」を持って来てくれて、ココガイイといって小さな池の脇に置いてくれた。

次の年から「八木さん」は出て来なくなった。
ガマガエルは雨ガエルともいうらしい。処暑も過ぎ、久々にまとまった雨が降った。
「石のカエル」に雨があたり心なしか気持よさそうな顔に見えた。
「八木さん」歌を唄ってますか、酒飲んでますかと声をかけた。

茅ヶ崎の先生は今でもよく云う。
「八木さん」ほど思い出深い患者さんはいないな、一週間ほどだったけど何か不思議な霊力がある人だった、と。

「八木さん」と同じ食道癌になったサザンの桑田佳祐は助かって良かった、元気に歌を唄っている。TVからCMとのタイアップソングが津波のように流れて来る。
命の行方は誰がどんな基準で決めているのだろうかと思った。

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