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2013年8月20日火曜日

「クラゲ」


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この季節になると、必ず思い出すパルコのキャッチフレーズがある。
「ナイフで切ったように夏は終わった」作者は誰であったかは分からない。

この頃夏には切れ味がない。
ただひたすら暑い、蒸し暑い。何もする気にならない。

芸術性のないダラダラした夏だが、江ノ島の水族館で見たアカクラゲはビューティフルであった。
優雅にして繊細、幾何学的にしてすこぶる扇情的であった。
悪女の如くユラユラと誘い込み、漂っていた。

ナイフでスパッと切れない夏は悪態をつきながら未だ未だ続く様だ。
日本列島は細く長い。思いもよらぬ集中豪雨はヒステリーの如くだ。
人間がヒリヒリしているから大自然もストレスを溜めているのだろう。

タコクラゲは愛嬌があり、ユーモアに満ちていた。
ホンワリ、ホンワリ漂っていた。

むかしある道路で見つけた交通標識を思い出した。
「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く、むかしはみんな歩いていた」
八月が終わると駆け足で月日は進む。みなさん残暑お見舞いを申し上げる。

夏休み見た映画でNO.1は、韓国映画の「牛の鈴音」だった。
ただ苦行する老牛と年老いた農民夫婦と韓国の農民たちが出てくるだけだ。
農民にとって牛こそ無から有を生む命なのだ。

昨年見たNO.1映画は「ニーチェの馬」だった。
それには父と娘とおぼしき女、それと老馬、あとは日々ジャガイモを蒸したものと井戸の水だけであった。

「有」は無に向かうが、「無」は有に向かう。
有る者は無が来るのを日々脅える。何も無い事こそ何よりの希望かもしれない。

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