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熱闘甲子園も前橋育英高校が勝利して終わった。
甲子園のグランド上には日頃忘れてしまった言葉が土煙をあげていた。
母校、校歌、青春、友情、旋風、歓喜、血涙、無念、追撃、悲願、達成、そして勝利と敗北。
私は「敗北」という言葉が好きだ。
敗北こそ人生への応援だ、勝利だけの人生はない。
敗北から何を学ぶかで次の人生は変わって行く。
作詞家であり作家であった阿久悠さんは大の高校野球ファンであった。
スポーツニッポンでその観戦の詩を書いていた。その殆どが敗者を称える詩であった。
その数は300以上に及ぶ。
落球をした選手、失投をした選手、暴走した選手。
それは現実の社会でも当てはまる。
エラーと三振は野球につきものという。
156センチの選手がファール、ファールで粘った。
ところが審判員たちはそれをバント行為だと決めた。
156センチの小さな選手は出塁率7割近かったが、その決定を聞いて泣いて悔しがった。
選手それぞれの個性と持ち味、人それぞれの個性を伸ばさないのがこの国の最大の弱点だ。
熱闘甲子園の最後を見た後、赤坂を歩いていた。そこに工事現場があった。
何人ものガードマンのオジサンがヘルメットを被って交通整理をしていた。
きっと地方から出て来た人々だろう。
顔は甲子園球児の様に陽灼けしている。顔には汗がびっしょりとついている。
一度立ち話をした事がある。
オジサンが言うには頭から足の先まで熱いお風呂に入っている様だと言った。
都会の工事現場も「熱湯甲子園」なのだ。地方にゃ仕事がねえ、頑張って仕送りしなきゃなんねえんだと汗を拭きながら言った。車さ来たアブネエベといってくれた。
労働者は決して敗けない。
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