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2017年5月18日木曜日

「だって、だって」


シャンソンの名曲に「さよならはダンスのあとに」というのがある。
故吹越吹雪が日本語にカバーして大ヒットした。

現代社会においてさよならは、刺してから、首を絞めてから、水に沈めてから、解体してから、溶かしてから、埋めてから、そして燃やしてからとなった。
少年少女から老年老女まで別れる時は残忍である。冷酷無比である。

会うが別れの始めという。人間は会った瞬間から別れ→別離に向かう。
どんなに愛し合ってもどっちかが先に死ぬ。それが嫌だと思えば無理心中となる。
愛とは別れなのだ。否そもそも愛などというのは何の実体もない。
実体のないものを見つけようとするからトラブルが生じる。

この時によく使われる言葉が「だって」だ。
だってあの時はこう言ってたじゃないか。だってあの時こう言ったでしょ。
だって違うじゃん言ってたことと。だって違うだろ言ったことと。

「だって、だって」は別れのシーンに使われる。
だってはバーチャルな夢の世界を連想させる。さっきまで抱き合っていた恋人同士が、だって奥さんと別れるって言ったでしょうと叫びブスっと刺す。
だって結婚は無理って言ってただろうと首を絞める。
だってオレは疲れてんだよ少し寝かせろよ、ウザいんだよとボッコボコにする。
だって今日はお金持って帰るって言ったでしょと火をつける。

「別離」という名画があったがウソみたいな映画だ。
この頃起きている事件はあまりにだってな感じがする。
男と女は別れるために一緒にいると思えばいい。
なんだかずーっと何十年も一緒ねとなればそれが結論。理由はない、説明もつかない。
そんなものと思えば「だって」はない。だってもともと他人なんだから。



2017年5月17日水曜日

「ガード下にて」



私は女性に対しては悪口雑言は書きません(何人かの女流作家以外は)。
何故なら絶対に勝てないと思っているからである。

昨夜銀座から新橋駅まで歩いた。
有楽町マリオン交差点を渡り、有楽町ガード下を通った。
午後六時すでに小さなヤキトリ店がずらりと並ぶ場所は酔客でいっぱいであった。
おー早い内からやってるな、ちゃんと会社で働いたかなどと声はかけない

朝・昼・夕方まで静かにしている人が退社してビールだ、緑茶ハイだ、焼酎サワーだ、やっぱり日本酒だと盛り上がる。
つま味はヤキトリが主体だが、美味なるものは同僚や上司の悪口雑言である。
あのヤローはバカだとか、あんちくしょうは大嫌いだとか、◯×ちゃんと出来てるとかをつま味にする。この場合モロキューに味噌をつけたりしたのを食べながらが特に絵になる。何しろ人のことをクソミソに言うのだから。

会社に限らず組織というのは、悪口雑言の活力で持っていると言っても過言ではない。
三人の会社も三万人の会社も同じ。
有楽町ガード下を観察するのは久々でかなりゆっくりと歩いた。
やけに女性が多いなと思った(気のせいだろうが)。

そんな中で、なんだいお前たちはという男たち三人と女性一人のグループが目についた。黄色いビールケースの上に薄い座布団をのせてそこに座って飲んでいた。
何を、ワインをである。ヤキトリ屋の屋台とワイングラスは似合う訳がない。
レバーだ、ハツだ、カシラだに食いつき口をベタベタさせながら四人はワイングラスを手にしていた。

日本人でワイングラスが似合う男は海外で相当に場数を踏んだ人しかいない。
ワインと葉巻とパイプは男のキャリアを要求する。
会話も同じ、同僚や上司の悪口雑言はダメ。ファッションに音楽、政治、経済、映画に文学、絵画や詩などを語り合い、ラストは恋愛論で終わりにする。
結論はやっぱり女性には勝てない。
◯△の深情だけには気をつけようとなる(私の推測)。
私はワインも葉巻もパイプもやらない。ガードの上を列車がガタガタと行き交った。
ヤキトリの煙の中、そこは会社員の聖地であった。

ワインといえば先日行った青山のイタリアンレストラン(1944年~)アントニオズのオーナーがワイン談義をお客さんとしていた。近頃は日本産のワインが人気だとか。
特に甲州ワインはすこぶる人気だと言っていた。



2017年5月16日火曜日

「顔札」




前頭葉部分を打ったせいか、表社会のことが浮かばず話は裏社会っぽいのになる。
「顔札」“かおさつ”ではない。バクチの世界では“がんふだ”と言う。
プロのバクチ打ちは八百長の名人、達人でもある。

トランプカードとか花札に自分だけ、あるいは自分の仲間だけ見分けられる印をつける。この目印のついたものを「顔札」という。
これさえあれば相手の手の内がひと目で分かる。
プロはその日使う数だけ顔札を用意する。
はじめはテープが巻いてあるのでシロウトはマッサラの札(使っていないもの)だと思い込んでしまう。

プロは数学の天才、記憶力の天才である。
シロウトは絶対に勝てない。顔札にするプロは細工物の名人、達人でもある。
例えば黒い札(花札の裏)に黒い印をつける(主に鉛筆を使う)と、小さな小さな印が光の当たり具合でチラッと見えるのだ。
トランプカードは白地だから当然白いものでつける(日本画の顔料とか)やはり光の当たり具合でチラッと見えるのだ。

トランプといえば、アメリカの大統領がロシアと八百長をやっていたのと疑惑が生じている。顔札はネット上でやっていた。
トランプカードや花札の印は名人、達人に頼めばキレイに消せるが、ネットはそうもいかない。FBI長官の首をいくつ取っても八百長のやり取りは消せない。

FBIといえばアンタッチャブルのエリオット・ネスが有名だが、果たして現在のFBIはアメリカ伝統の正義心と報道の独立心を発揮するだろうか。
歴代のFBI長官の中でフーバーという稀代の男がいた。
50年近くFBI長官に君臨して政財界を動かした。J・F・ケネディ暗殺の黒幕ともいわれる。あらゆる秘密情報を握っていた。つまりこれという人間に印をつけていたのだ。

現在ではGPSなどというものでずっと追う。顔札を警察ではS=スパイという。
あいつはオレが顔をつけている札だとか、オレのS、オレたちのSという。
トランプ大統領がニクソンになる日が来るかもしれない。

アメリカ合衆国に正義があることを信じたい。
ジャーナリズムと民主主義があることを信じたい。
ハッタリ屋のトランプ大統領の手の内は、ノーカードかワンペアかもしれない。
相手が脅しで降りるのを待っている。実は心臓がバクバクしているのだ。
だからオレのこと調べてないよな、などとドシロウトみたいなことを聞いてしまうのだ。
そういえばトランプはトランプカジノを破産させていた。
韓国語ではこんな状態を、オプソ=終わりと言う。

いつものグラスに冷酒を入れた。
つま味は知人のヨットマンが航海の途中に送ってくれた煮干しを焼いたものだ。
おしょうゆをかけると香り高く絶品この上なし。

「赤ちゃんに…。」




男を売る社会(今では裏社会)でいちばん嫌われる人間を「カイバ」みたいな奴と言う。カイバとは馬の餌の事。
決して自腹を切らずいつも人におごられて遠慮なくバクバク食べる男だ。

今日はオレがとか、ここはオレがとかの器量がまったくなく、あのヤローはガッツキだと言われる。年下の人間は年上の人間に誘われたら決して勘定を支払ってはいけない。
オレに恥をかかせるなと言われる。
但し一宿一飲の恩義と同じで、その時のことを忘れず今度は自分が小さな店ですが一度ぜひと返しをと言えばいい。
いい器量をしているな、あいつは伸びるな、使えるなと言われる。

山口組が分裂して神戸山口組と二つになり、その神戸山口組が分裂して任侠山口組が生まれた。山口組三国志時代となった。分裂する理由は金と人事だ。
親分が子分から金を集める、自分の身ばかりを考えて子分のために金を使わず体も張らない。
暴対法で子分が犯した罪は親分の責任となり、パクられて懲役に行かされたり、多大な賠償金を支払わねばならない。
いい歳して10年、20年の刑を打たれたら生きて娑婆には出て来れない。
で、オマエラ事を起こすなと命を下す。が、上納金や会費はしっかりと取る。
子分は親分に対して頭に来てウチの親分はカイバみたいにオレたちから金をバクバク取って美味いもの食べやがるとなる。人間、食い物のことは決して忘れない。

モノが食えずにクスぶっている時、ラーメンを食わしてくれた。
腹が減っていてあの時ほど旨かったものはない。
で、それをごちそうしてくれた人を親分、兄貴分と思い命をかけて尽くして来た。
体も張った。懲役にも行った。
だがなんだい今の時代は、男も侠気も、仁義も義理人情もない。
支払いは人に払わせてばかりのカイバじゃねえかと思って見切りをつける。

暴力団から暴力を取ったらただの「団」だからハングレたちからもナメられてしまう。
ヨシッ、侠(おとこ)を見せてやる、本物のヤクザ者ファンの熱烈な想いに応えるために新しい仁義の道を行く。
ヤクザ者の中でも金筋と言われる者は、決して人に勘定をさせない。
場下(バシタとは女房のこと)や自分のオンナを質屋に入れてでも金を作って払う、見栄で生き行く世界なのだ。

むかしこんなシーンを見た。
人の金でバクバク飲んで食っている男を兄貴分が怒って、テメーカイバみたいにバクバク食ってんじゃねえ、と言ってテーブルの上にあったブルドックソースをボタボタにかけた。その店の前で正座させられて更にマスタードを白い麻のスーツにどっぷりかけられた。

男は世にたくさんいる。
その中に名を残す者、出世して行く者とそうでない者がいる。
ピカッと光る男が100人から200人に一人はいる。一緒に飲めば分かる、その男のすべてが。東海道線に乗ったら正面に赤ちゃんがいた。
ママのヒザの上に、ジーっと私の顔を見てウギャーと火がついたように泣き出した。
泣き止まないので立ち上がって赤ちゃんから見えないところへ移った。
赤ちゃんは私のすべてを見抜いたのだろう。

2017年5月12日金曜日

「キッスは道路と」




5月9日私は夜の銀座でディープキスをした。
と言えばオッ、ウソ、ホント(?)そんなバカなとなる。

実は銀座のコンクリート、つまり道路を相手に顔面ディープキスをした。
少し飲みすぎて足がもつれてしまったのだ。ガァーンとやってしまった。
外傷には慣れているのだが、いい歳をしてみっともないことこの上なし、反省と猛省をしている。人に会わせる顔がないのである。

その日の夜銀座グランドホテルであるイベントがあり、それに四人で参加していた。
銀座Dannasm(ダンナズム)という洒落た催しであった。
現在銀座で名を成しているダンディなダンナたちがドレスアップしたレディを連れて集まっていた。頭にはボルサリーノ、パナマ帽、ソフト帽。
黒と白のコンビの靴、ピンストライプ、ボーダーのジャケット。

1960年代のファッションを装った、むかしの少女たち(今のオバサンたち)VANやJUNのジャケットやエドワードやケントのスーツ。
むかしの銀座みゆき族青年(今のオジサンたち)がオレが村中で一番と集っていた。
私がお世話になっている東洋羽毛さんのブランドoluha(オルハ)の商品展示をするコーナーをグランドホテルさんが提供してくれた。その御礼をしに行った。

150人くらいが会場いっぱいにいて、今の様なオシャレの時代でない、ファッションに目覚めたあの頃、あの日を楽しく語り合っていた。1960年代のファッションショーであった。コットンのボタンダウンにニットの棒タイ、スイムカットのヘアー、コットンパンツにデッキシューズ。

私は当然黒のジャケットに黒のジーンズ、アロハシャツに黒と白の(安物のシューズ、靴下に穴が空いていてシュン)コンビの靴。
まぁ~久々に楽しくなって、ついホテルを出てから飲み過ぎてしまったのだ。
気分は若くなったが体は全然オジサンだった。
家に電話をすると怪我した顔で帰ると、小さな孫が恐がるから帰って来ないでねと愚妻は言った。
いろんな方々に大変ご迷惑をかけてしまった。今シロチンをあっちこちに塗っている。
週末はひたすら謹慎する。というより恥ずかしくて外に出れないのだ。

5月10日夜七~九時、どうしても行かねばならないので、渋谷伝承文化ホールに着物ショーを見に行った。ぎっしり満員、ご夫人二人をショーの主催者にご紹介するのが目的だった。21人の美人が21カ国のイメージで一着を織り上げていた。
京友禅、加賀友禅、西陣。
モデルさんは傷らだけの私の顔を興味深そうに(?)見ていた気がした。

昨日早朝お世話になっている会社の社長さんからお見舞いの電話を頂いた。
心より御礼でも、穴があったら入りたい。
「キッスは目にして」というヒット曲があったが、コンクリートの道路とキスするバカであった。

2017年5月11日木曜日

「連休中」




伊勢佐木町ブルースで始まる「ヨコハマメリー」という伝説のドキュメンタリー映画がある。今から十二年前公開されて強く深く感銘した。
中村高寛監督の名は映画界に一気に広まった。
三十歳の頃によくぞここまでヨコハマメリーに肉迫したかと思った。

メリーさんはいつも真っ白いお化粧をして街角に立つ老街娼であった。
濃い化粧、派手にドレスアップした衣裳。背中を丸めて歩く姿はハマの名物であった。
というより名士だったのかもしれない。気位が高くザーマス言葉であったと言う。
年齢不詳、ある年メリーさんは街角から姿を消した。

中村高寛監督はヨコハマに住んでいる、メリーさんに興味を持ち徹底的にヨコハマの人ビトに取材し撮影して行った。
何年もかけて制作費を働いて稼ぎながら、そして遂にすっぴんのメリーさんを探し出す。

連休前中村高寛監督の最新作のドキュメンタリー映画のことで配給会社のトランスフォーマーの社長石毛栄典さんと渋谷のセルリアンタワーの喫茶室で会った。
この新作については後日詳しく紹介する(九月からロードショー公開)。

日本のドキュメンタリー映画のベストワンは、原一男監督の「ゆきゆきて神軍」と言われているが、遂にその原一男監督を超えるドキュメンタリーの監督が出たと思っている。
トランスフォーマーの石毛栄典社長は、自主映画を多く手がけて来た人であり、多くの新人を育てて来た。中村高寛監督は小柄だが全身から殺気を感じる。
眼光は鋭く食い入るように私の目を見て話す。一作一作が遺作ですと言う。
全力投球というより全身投球をするからだ。
製作費の多くは自分が働いて稼いだお金だ。

石毛栄典社長は父上の意志を継いで社長となった。
まろやか、ふっくら、中国の太公望のようであり人間マシュマロのような包容力がある。で、連休はまい日映画を見た。
中村高寛監督が「ヨコハマメリー」を送ってくれたので、まずそれからスタート。
石毛栄典社長が、石井聰互全集BOX1とBOX2を送ってくれた。
1BOX23,800円、2BOXだから47,600円ということになる。

自主映画のカリスマ石井聰互の19~23才の作品は今見てもスゴイ。
「高校大パニック」「1/880000の孤独」「突撃!博多愚連隊」「狂い咲きサンダーロード」「シャッフル」スゴイ、モノスゴイ、8ミリカメラ、16ミリカメラを手に持って何しろ走る、走る、走る。暴力とバイオレンス。
出演者は皆ノーギャラの友人や知人、中にはお金を出して死ぬほど走らされる。
リヤカーにカメラマンと石井聰互が乗って、ノーギャラの友だちたちがリヤカーを押して押しまくる。ゲリラ撮影だ。で、石井聰互作品を12本+ロングインタビュー。

以下「走れ、絶望に追いつかれない早さで」「シマウマ」「クズとブスとゲス」「闇金ウシジマくん」「湯を沸かすほどの熱い愛」「弁護士」「溺れるナイフ」「新・仁義なき戦い」「淵に立つ」「FAKE」「後妻業の女」。

♪~生きてる限りは 今もなお探しつづける 恋ねぐら 傷つき破れたァ 私でも骨まで愛して 骨まで愛してほしいのよォ~。 クレイジーケンバンドの横山剣が唄う。
中村高寛監督の最新作のラストに流れる。
連休前に三度見て連休最後にもう一度見た(サイコーです)。

2017年4月27日木曜日

「五月十日まで」




四月二十七日(木)午前五時二十六分五十三秒。
外はひたひた雨、テレビのニュースでは台風一号がフィリピン沖に発生したとか。

「400字のリング」は五月十日まで休筆します。
一年のはじめ今年こそはアレをしよう、コレをするぞ、アレコレするわ、きっと充実した一年に、実りある一年にしようと思い、一月二日の書き初めに、大きな文字で“初志貫徹”とか“夢実現”とか“自己研鑽”とか“やるぞ”とかを書いたはずです。

あけましておめでとうの次の日とその次の日に箱根駅伝の若者たちの快走を見て、速いな、スゲエな、スゲエ速いなと読売新聞の旗を両手に持ってバタバタと千切れんばかりに声援を送った。
速いのは駅伝ランナーだけでなく、一日いち日がビュンビュン過ぎ去って行く。
なんだもう五月か、連休か、一年の半分近くが終わってしまう。

アレだって、コレだって、アレコレだって何もやってないではないか。
ダメダコリャー初志貫徹は初志ボロボロ、夢実現は夢そのまんま、自己研鑽は自己退化だ。やるぞは、やってないぞとなっている。
ダメな自分と知りつつも、本当にダメな自分に猛省する。
年を重ねるごとに一年は早くなるらしい。
子どもの時、少年少女の時代のようにたくさんの明日への楽しみがなくなるからだ。
一日千秋の思いはそれを感じることすらない。
人名は忘れ、地名は忘れ、生きている目的すらを忘れている。
イカン、アカンと思っている。

ニュースでは雨は昼までにあがるとか。さぁ~みなさん今年は未だ七ヶ月余ある。
世はデタラメとゴチャマゼとドンチャンサワギの末世の如くのえじゃないか、えじゃないかだ。ネバーギブアップ。

先日見たONE OK ROCKでボーカルの若者(森進一さんと森昌子さんの子)が、オマエラ絶望すんじゃねえぞ、諦めんじゃねえぞ、オレは死ぬ気でやってんだ、オマエラシッカリしろよ、敗けんな、いいか、行くぞぉ~、グワァ~と大喚声、ガンガンの大ステップとなった。

若者たちから気合をもらった。
オレたちはアイドルじゃない、ロックンローラーなんだ、闘ってんだと叫んだ。
残り七ヶ月余がある。年の初めの思いを一つでもやり遂げたいと思う。
みなさん、いいゴールデンウィークを。

2017年4月26日水曜日

「愛、その先」



三十九歳の男に二十四歳年上の妻。妻はかつて男の高校時代の国語教師だった。
夫がいたが別れて教え子の結婚相手となった。

男とは、フランス大統領選で決選投票に向かうことになった、マクロン議員である。
さすが恋愛大国、フランス文学の国である。映画のような話であった。
マクロンの戦う相手は極右主義者ルペンとなった。

人相学的に言うと、上唇の薄いというか無い女性は性格が強く、感情が激しく、愛されると恐いらしい。日本人女性には少ない。私のまわりには一人もいない。

マクロン議員は妻なくして私はないと語る。
妻というかお母さんみたいな女性はかなり恐い顔だがやさしく笑っていた。

とこんなことを書きながらテレビのスポーツニュースを見ていると、顔面をヒジかなにかで殴られて血だらけのメッシがラストプレーで劇的なゴールを決めていた。
バルセロナが、R・マドリードを3対2で撃破した。メッシは2ゴールを決めた。
アナウンサーは、メッシ、メッシ、メッシ、メッシーーー―!と心臓が飛び出るほど絶叫していた。

先日の夜ボクシングの世界タイトルマッチでフィリピンのタパレス選手に11回16秒でTKO敗けした大森将平選手は、右アゴを砕かれ病院へ直行となった。
奥歯も抜けていた。五分五分で戦っていただけに残念だった。
勝った選手はチャンピオンだったが計量にパスできず勝ってもタイトルを剥奪された。
勝っても認められない。

男はプライドと仁義を守るため、愛する者を守るためには、頭を割られ、鼻を折られ、アゴを砕かれても逃げずに戦わなければならない。
私の体はすでにガタがきているのだが、一人か二人くらいなら何とかなるかもしれない。

マクロン議員がもしフランスの大統領になったら、必ず映画になるだろう。
ドラマチックなことこの上なしだ。陸上世界リレー選手権を見た。
アメリカ、カナダ、イギリス、ドイツ、フランス、オランダ、すごい選手たちは殆ど黒人だ。移民で来た選手たちだ。

午前二時頃コンビニに買い物に行った。店員の二人は外国人であった。
シンブントフクロベツベツニシマスカ。
お酒二本を持つ男は、とってもていねいであった。
異文化は交流し進化する、この流れを止める事は生物学的にも出来ないという。

4×800メートルリレーに難民選手団が出場していた。
ビリになったが観衆は立ち上がって相手を送った。
人類は愛でつながって行くと信じたい。

2017年4月25日火曜日

「冷やし中華の汁」




午前二時過ぎ銀座一丁目セブン-イレブン店内、イートインコーナー。
すでに20数脚の椅子は逆さまになっていたが、一人の老女が逆さまを元に戻して座っていた。

老女というからには八十歳に近い。
バサッとしたソバージュのヘアスタイル、スパンコールいっぱいの化粧の濃さ、キラキラの上等なドレス姿から見るとどこぞのママさんかもしれない。
頭に花いっぱいのカチューシャを付けている。
ガクンペタンと座り、ダランとしながら冷やし中華を食べ始めていた。
白いローヒールの靴を外し指の先っぽに引っ掛けていた。

洋カラシが好きなのか小さな正方形に入っている洋カラシを一袋、二袋、三袋と切って麺の上にのせた。冷やし中華に洋カラシとお酢は絶対必要だ。
大スターとなった近藤真彦が何かの番組で家でカレーライスを食べる時“赤い福神漬”がなく服を着替えてわざわざ買いに行ったと言っていたが、それと同じだ。

カラシが効き過ぎたのか鼻にツーンと来たのか、グフォン、グフォンとなった。
目から大きな涙が出ていたが、泣きながら短い割り箸で麺をすすった。
次にヒックヒックとシャックリをしだした。ノドにつかえたのかもしれない。
ウハァ~、ウハァ~と声を出した。グフォンとヒックとウハァ~が重なり合った。
かなり苦しそうであった。
ダイジョーブですかとインド人風の店員さんが老女に近づき背中を叩いてあげた。
冷やし中華は半分くらい残っていた。

私はミネラルウォーターと“かのか”二本とビーフジャーキーを買っていた。
人間観察が好きな私は老女を名残惜しく見ながら店の外に出ると、銀メタのベンツが停まっていて、白い手袋をつけた運転手さんが立っていて店内を見ていた。
あのヒトの運転手さんと聞くと、社長ですとピシャと言った。

冷やし中華の季節になった。大、大、大好きである。
何が好きかと言えば麺やキュウリや千切りの玉子焼きや紅しょうがなどすべて食べ終わった後に、カラシとお酢が効いた汁を皿ごと飲むのが好きなのだ。
いろんな味が皿の上に混然一体となった汁となって存在する、これが格別なのだ。
バカ者はこの汁を残す。

2017年4月24日月曜日

「恐いのは…」




小説家の妻はバス旅行(?)に行っている。
その妻の留守に女性を呼びイケナイ事をしている。

やってはイケナイ事をすると、天罰が下る。
テレビのニュース画面にバスの転落事故を知らせるニュース。
オレには関係ないやと、小説家は未だイケナイ事をしようとすると電話が入る。
奥さんが事故に遭ったと。

ウダツの上がらなかった自分に小説家の才能があると言って励まし、支えてくれた妻。
四十六歳となって人気作家の一人だ。妻は四十四歳であった。
この小説家は同じバス事故で妻を失った長距離トラックの運転手に近づき、その子どもを育てる役目を、頼まれていないのにする。

長い長い坂道、自転車の後部に子どもを載せる、前の籠の部分に食材を入れているので重い。坂道を登って行くが途中で自転車を降りる。
「こんな坂道をママは登りきっていたの」と子どもに聞く。ウンと答える。
このワンフレーズに映画のキモがある。
小説家はイケナイ事をしていた自分に「永い言い訳」としてそんな事を繰り返す。
が、子どもは心を開かない。
西川美和脚本監督はフツーの人間の中に潜む、フツーでない心理を描くのが実に見事だ。名作「ゆれる」がある。小説家を本木雅弘が演じていた。

松本清張の黒のシリーズの中にこんなのがある。
大阪へ出張することになった会社員が妻に一日ウソをつく。
女性の住む部屋でイケナイ事をしている。飛行機の搭乗券を人に譲っている。
イケナイ事をした後テレビのニュースを見ると、飛行機事故が起きている事を知らせる(羽田沖事故をモチーフにしている)。
自分が乗っているはずの飛行機だ。
事故死した搭乗員名にカタカナで自分の名前が出る。会社から裏金を運ぶ役を命じられていたので会社は死人に口なしとする。妻は夫でない男(死体)を夫ですと言う。
イケナイ事をしていた会社員は生きているが戸籍を失う。

ある日路上で自分の妻とすれ違う。妻は分かっていても無視をする。
戸籍のない男を妻も女性も捨てる。妻は多額の補償金と生命保険を手にする。
イケナイ事をすると、イケナイ事を映画は教える。

一人の会社員がやっと郊外に戸建てを買う。駅からバスで通う。
ある日そのバスの中で同級生だった女性と会う。
女性は夫と死別して五歳の男の子と同じバス路線の所に住んでいる。
男はイケナイと知りつつイケナイ事をしに通い始める。五歳の男の子は決してなつかない。ある夜男が眠っていると子どもがマサカリを持って立っている。
上映当時、五歳の子に殺意はあるか否かで論争となった。

さて、この映画を見ましたか。現代社会では三歳児ですでに殺意はあるという。
どこまでがイケナイ事か裁くのは検事でも裁判官でもない、妻と子だ。
昨日深夜から朝まで松本清張の黒い画集シリーズを一気に三本見た。
一本100円で女性の恐さがよく分かる。

夜が開けて来た。いつものグラスにブルーのガリガリ君を入れてジンを注いだ。
これが実に美しく旨い。