え、まだ観てないの、何!まだ観てないの、もう3回観たぜとずっと友人から言われていた映画「ボヘミアン・ラプソディ」をついに観た。日比谷ミッドタウン、3時半の回に20分間に合わず、ミッドタウン内で時間を潰した。館内は超満員であったが、いちばん前のいちばん右の席に座れた。スクリーンまでの距離がかなりあるので、広々と見れた。もともと前にアタマがあるのが嫌いなので、いちばん前に座る。前に人がいなければ、2段目か3段目だ。12月12日茅ヶ崎市民会館大ホールで、小林旭ショーを、会社の熱狂的アキラファン2人と見て聞いて久々に、アキラ節に青春時代を思い出した。小林旭は既に80歳(?)2時間以上立ちっぱなしで一気に20数曲を歌った。会場内は、殆ど同年代であった。石原裕次郎と小林旭は、私たちの必須科目であった。映画の主題歌を誰より早くマスターするのが、三度の食事より大切であった。歌とは、なんてすばらしいのだろうか。一曲聞くたびに青春時代にかえれる。アキラは旅から旅へ歌い続けて行く。アキラもいいが「ボヘミアン・ラプソディ」は、最高であった。 クイーンのフレディ・マーキュリー役を演じた俳優は、前歯を数本引っこ抜いて(?)マーキュリーと同じような出歯になっていた。あるいわハリウッド得意の特殊テクニックで。意地悪な女性インタビュアーが、なんで出歯を直さないのと聞く。又、仲間になる時、そんな出歯でロックが歌えるかと笑う。マーキュリーは言う、出歯の分だけ口の中が広い、だから広域の声が出るんだと言う。伝説の名曲がどうして生まれたかが分かる。プロは絶対に妥協しない。曲名はみんな知っているだろう。続々と歌う姿にゾクゾクする。気がつくと足がステップしていた。曲のフレーズが全て文字で出るのが、大成功だった。貧しき者、苦しみ悩む者、ラジオが友だった頃、きのこ雲の下で失ったもの。弱者たちの叫びを曲にしていた。極めて文学的で、詩的なフレーズばかりだった。 CDでリズム感と歌う声だけ聞いていたので、最後のウィーアーザ・チャンピオンを熱叫をしている姿に、涙が流れてしまった。戦え、負けるな、俺たちはチャンピオンなんだ。45歳エイズを告白した次の日に、この世を去った。ハリウッドの撮影、編集、 音響などにドギモを抜かれた。伝説のチャリティーライブは圧巻だった。小林旭も、みなさん年の瀬にたくさんお越しいただき、ありがとうございます。昔の名前で出ている小林旭です。大拍手で始まった。こうして大借金を歌って返した。クイーン時代に稼げたものは今、マーキュリー・フェニックス・トラストとして、エイズ撲滅のために使われている。
日本のロック界よ復活せよ。演歌よ生き返れ。弱者のために。熱叫せよ。男と女の愛を歌ってくれと。サバの水煮缶をパカーンと開けて、いつものグラスに酒を入れた。缶詰は青春の味なのだ。