私は「波紋」である。私波紋は一つ何かが起きると、小、中、大と広がって行く。現在午前四時四十九分(テレビ画面のデジタル表示)NHKの「クローズアップ現代」の再放送を見ている。「“イベント中止”文化は生き残れるか」だ。コロナウイルスにより、私波紋が生じあらゆるイベントが中止になっている。劇作家・演出家の「平田オリザ」さんがインタビューに応えている。大手芸能プロダクションの社長やイベントプロデュース会社の社長、音楽プロデューサーの「つんく」さん、又純烈というグループのマネージャー(社長かな[?])新日本フィルハーモニーの代表みたいな人。瀬戸内の美術館の館長、女性の画家とかが、私波紋がありとあらゆる分野の人たちに広がって、これ以上はやって行けないと、口々に言う。カレンダーやスケジュール帳は、中止、中止、中止である。私波紋は歌舞伎、宝塚、オーケストラ、ライブコンサート、演劇、個展、美術展、お笑いの舞台、およそ人が集まるもの全てに広がっている。CDが売れなくなった時代、ミュージシャンはライブが命綱である。この二ヶ月位でライブが8万以上中止になったと言う。現在はもっと、もっと増えている。ライブに欠かせない、音響や美術、照明機材など私波紋はとめどなく広がっている。歌手から“歌”を取ったら、“手”だけになってしまう。その手だけでは食べて行けない。私波紋はところで文化庁の長官は誰(?)と思う。最大級の補正予算を組んだと言うが、“真水”は28兆円位しかないと分かった。(私は38兆円位と思っていた)ここから国民一人ひとりに10万円支給とか、ややこしい条件を満たした四苦八苦のところに、30万円支給とかに分配される。が、どこにも文化を救済、支援する予算はない、いわば“ゼロ”なのだ。イギリス34万、フランス30万、ドイツ24万と申請後すぐにアーチストに支給される。オイオイ何やってんだよ文化庁と言いたくなるではないか。平田オリザさんが言うには、この国は文化への支援が、先進国の中でかなり下位なんだとか。やっぱり石原慎太郎さんクラスの人が、オイ金を出せ! と言わないと文化は衰退して、みんな食べて行けなくなる。気合が入っている文化人が思い当たらない。私波紋はいつまで広がり続けるのか、コロナ次第で視界不良だ。音楽がないのはイロハがないのと同じだ。人の心が不安増大、家の中でストレス満杯になっている今こそ、文化を守るために予算が必要なのだ。肥満膨張の文部科学大臣には、文化の欠片も感じない。映画関係も強烈なダメージを受けている。全国のお祭りやイベントも中止、中止、中止。的屋の親分衆も泣きが入っている。(屋台が出せない)世の中は私波紋でざわざわしているのだ。そうか、とりあえずCDをジャンジャン買ってとお願いする。アマゾンで買えるのだろうか、私波紋には分からない。“ライブはライフ”でもある。テレビに出ていた人たちが、あと二ヶ月今のままが続いたら、みんな失業転職だと言っていた。現在午前五時五十八分天気予報が流れている。眠気はないので私波紋は、アタマをクールダウンさせるために、知人から借りている、「ライ・クーダーのパリ、テキサス」のCDを聴くことにする。モーニングコーヒーを一杯。クリント・イーストウッド監督の「ミスティック・リバー」を久々に見たのだが、すばらしい映画だ。(はじめて見た時よりよかった)ショーン・ペンがアカデミー賞で主演男優賞を受賞した。(最高)人間は過去から逃げることはできない。一度受けたトラウマは消去できない。私波紋は今無性にライブコンサートに行きたい。コロナが生んだ私波紋はいつ消えることができるのだろうか。
2020年4月23日木曜日
2020年4月22日水曜日
第56話「私は数字」
私は「数字」である。私数字は実は数学が大の苦手である。が、数字を理解することはできる。ここに記す数字は、元通産官僚古賀茂明氏が、四月二十二日の日刊ゲンダイに示した数字だ。アベノミクス7年の悲劇/「沈みゆく日本経済と産業」という、新連載シリーズの第一回であった。それを知った感情は省く。私数字が大ファンである、同志社大学「浜矩子教授」が“アホノミクス”と言っていた通りの数字だ。史上最低の日銀総裁黒田東彦の罪も大きい。病的嘘つきと、病的ホラ吹きが仕組んだ愚策のツケは大きい。医薬に詳しいある賢人が、我が国のリーダーの病的嘘つきは、現在服用している強力な薬の副作用で、すでに本人は自分が何を言っているのか、何を言ったのか分からない。そして誇大妄想になる。アドルフヒトラーも同じだったと言う。当然内閣の大臣たちはそれを察知しているのだろう。国民はそんな分別もつかないリーダーに支配されている。で、数字だがGDP(国民総生産)で見ると、1990年ごろ日本のGDPは米国の半分以上あったのに、2018年には4分の1に満たなくなった。中国は2010年に日本を追い越し、18年には日本の2.7倍と大人と子どもの差に。一人当たりのGDPの世界順位でも90年代は常に1桁で2000年には2位だったが、安倍政権になってからは、民主党政権の10位台から一気に下降し、18年は26位、アジア・中東でも何と7位。物価上昇分を差し引いた実質的な給料は、ずっとマイナス4%以上減っている。21世紀に入って先進7ヵ国で実質賃金が下がっているのは日本だけ。そして世界一の借金国。支持率を気にするために、日銀にバンバン株を買わせる。日銀はバンバン紙幣を刷る、そして赤字は増える負のスパイラルだ。エラソーに黒田総裁は、トリクルダウンだなんて言ったが、トリプルダウンだ。シャンパングラスを積み上げて、下に落ちて来たのは、“マスク2枚”だけ。米軍では使えなくなったオンボロ機をジャンジャン買わされる。本当はこの人がやらねばならないはずの、財務大臣麻生太郎は、まったく無視され状態何の影響力もない。ただ持っている莫大な資産に、おこぼれチョーダイと人数が集まった。その数字だけが影響力。私数字はこの政治家を見ていると、この国が悲しくなる。政権中枢にいても座る座布団がない。九州男児としての誇りも、政治家としてのプライドも持てないほどボケている。実に見苦しい存在だ。100年に一度と言われている、コロナウイルス問題を他人事にしか見ていない。私数字は今日本全国の大企業以外の、中小零細企業や飲食店、各種フリーランス、各文化人、映画人、ミュージシャン、劇団関係、演劇人、各種楽器演奏者、各種料理教室、陶芸や絵画教室、ミニシアター経営者、などなど文化の力で人の心を動かしてくれる人々が、このままじゃアウトだと言っているのを聞く。ドイツではまっ先に文化人たちを守る手を打った。それは人々の心を守ってくれるからだ。私数字は思う間違いなく史上最悪最低の七年間の政治だと。私数字は“ナメたらいかんぜよ”と言った、夏目雅子さん(故人)の映画を思い出す。♪~「何から何まで真っ暗闇よ すじの通らぬことばかり 右を向いても左を見ても ばかと阿保のからみあい どこに男の夢がある」と歌った、鶴田浩二さんを思い出す。現在午前七時四十二分四十六秒。眠気が来ない。昨夜太宰治原作の「ヴィヨンの妻」を見た後、作ることはできない短編映画のシナリオを書いた。私数字は“√2ヒトヨヒトヨニヒトミゴロ”の映画を作りたいのだ。そう言えば小泉進次郎という大臣は、とんとお目にかからないが、まだ育休中で、ミルクをあげているのだろうか。私数字が待望するキャリア豊富な人が、きっと世を救ってくれるはずだ。北朝鮮の魔王「金正恩」はオプソ(終り)なのだろうか。(文中敬称略)
2020年4月21日火曜日
第55話「私は程々」
私は「程々」である。カタカナにすると、“ホドホド”だ。「過ぎたるは及ばざるが如し」と言う教えがある。誠に不謹慎を承知で書く。ある記事によると、今、世界中で避妊具をフル操業をしても製産が間に合わないと言う。今は亡きCM界の天才(映画もよかった)市川準氏が手掛けたヒットCMに、“亭主元気で留守がいい”と言うのがあった。“タンスにゴン”と言う商品だったと記憶する。今全国でコロナ連休中の人が多い。“亭主元気で家に居る”のだ。私程々は月刊文藝春秋五月号/総力特集コロナ戦争の中で読んだものを思い出した。それは国際日本文化研究センター准教授・磯田道史さんの「感染症の日本史~答えは歴史の中にある」その中のものだ。明治四年シベリア海岸で牛疫が流行している。これはヨーロッパで大きな被害をもたらした伝染病で、日本中の家畜の死亡もありうる。駐上海の米国領事が、駐日公使宛に送った手紙だったとある。これを受けて明治政府は、後に「近代的な感染病対策」の先駆けとなるものを布告した。今でいえば「国民への生活面での自粛要請」であった。私程々は実に感心する。「牛疫」はヒトには感染しないものであったが、明治政府の指示は、実に細部に立ち入っていた。中でも、衣服を清潔に保つこと、掃除をすること、窓を開けて換気をすること、さらに房事すなわちセックスは節制すべしと要請した。ずっと家の中に居るとつい致し方ないとなるのは、人類の本能である。今、世界中で元気な亭主が家に居る。そこで大量の避妊具が消費されているのだろう。私程々はそうか、元気な年代がウラヤマシイなと思っている。先日一組の夫婦が酒を飲んでいて(5時間位)妻が夫に、あなたの稼ぎが少ないからと夫にからんだら、夫はふざけんなと妻を数回殴打したら、死んでしまったという事件があった。きっと飲み出した時は仲良しだったのだろう(?) 明治政府が布告したように、セックスは最も濃厚接触であることは言うまでもない。ホドホドにと私程々はアドバイスする。男と女がオスとメスになった時、つまり激情のあとによく事件は起きるのだ。計画的にするべし、又、子どもたちの教育的にも注意すべしだ。お役人が生んだ「濃厚接触」と言う(?)キワドイ言葉は、きっと3密と共に、流行語大賞に選ばれると思うのだが、教育上実によろしくない。私程々は思うのだが、広告界は世の中に何も発信貢献していないなと。あらゆる業界、あらゆる分野の人々が、あらゆるカタチで、“家にいよう”“医療従事者の人々に感謝しよう”とメッセージを発信しているのに。私程々は今何をすべきか早急に考えている。少子高令化は日本を滅ぼすはずだから、子どもづくりは大賛成だ。政府はこの際国策的援助として、“濃厚接触激励交付金”みたいな予算を組んでほしいと思う。昨夜「よこがお」という映画を見た。一人の主婦がはじめて入った美容院で、一人の若い美容師に出会う。そして……。亭主は元気がいいに決まっているが、女房を不満足のままにしているとオドロシイことになる。「紙の月」という映画も同じであった。私程々はホドホドをススメる。
(磯田道史准教授文章より一部抜粋)
2020年4月20日月曜日
第54話「私は電話」
私は「電話」である。私電話は今では携帯が常識である。私電話はガラケーというのを五年程前から使用しているのだが、上手に使いこなせていない。留守電入れておいたけどとか、ショートメールをしておいたけどと言われても、そのやり方がよく分からない。多くの人にご迷惑をかけている。どえらいお叱りも受けた。今日は昨日とうって変わって二月頃の温度で寒い。そして雨がシトシト降っている。懲役刑には労役という労働があるが、禁固刑には労役がない。私電話は今は座敷牢内で禁固刑を務めているような状態だ。労役をすれば一日いくばかの日当がもらえるが、私電話は一日何もしないと、無収入となる。人間働ける内は働いた方がいいというが、今改めて仕事のありがたさ、働くことのありがたさを知る。つれづれなるままにガラケーを手にして、すっかりごぶさたしている人に電話をする。そうすると相手の方が、まるで宝くじで一万円が当たったように“喜声”を出してくれる。イヤー久しぶりから始まって、“コロナ、コロナと話は弾み、互いに分析をした情報を交換し合う。電話で話ができてよかったよ、なんか元気出たよ、毎日家に居て、女房子どもとしか会話をしてなかったからね、やっぱり朝起きてさぁ~、行く場所があって、いろいろ予定があって、働けるというのは、ありがたいことだったんだと思うよ。どんな仕事でも今はやりたいね、と殆どの人は言う。私電話も同じである。この先どうなっちゃうんだろうかと、電話のラストはなるのだが、“分からない”、とにかく人に迷惑をかけないように、座敷牢で禁固刑を務めることにしよう、じゃ又、コロナに気をつけてで終る。今会話をしたがっている人が実に多いのではと思う。家庭内感染が増加しているようだ。家族同士でも2メートル離れて会話を、なんて言われても狭い家に住んでいる身にそれは無理な話だ。もっとも私電話のところは、ずっと不要不急以外の会話はしないできた。なかよしこよしの家族とか、会話大好きな夫婦や家族の家は、口にマスクして日常会話をしなければならない。家庭が無口になると、ストレスは倍加するらしい。が下手に話をしすぎると、えっ、何その話知らなかったけどとボロが出たりする。十分気をつけねばならない。コロナはこれからが本番らしい。ずっと昔ラジオの人気番組があった、題名は忘れたがそれは、電話による人生相談だった。忘れてないのがパーソナリティの山谷親平さん(故人)が言った、決め言葉「絶望は愚か者の結論なり」だ。人間生きていれば勝負ができる。「人生とはあの世までのひまつぶし」と言った賢人もいる。人間はその人、その人の決められた“運命線”の上を走って行く。あの人はどうしているのだろうか、あいつは元気だろうか、そう思ったら一日一人か二人に電話をしてみよう。人間は声で会うことができる。明日はいい天気だと、天気予報士が言っている。20世紀最大の文豪と言われる、フランツ・カフカは、絶望の名人とも言われた。カフカは結核で死ぬまで、実直に労働者傷害保険協会に通勤した。そのカフカの言葉にこんなのがある。「すべてのお終いのように見えるときでも、まだまだ新しい力が湧き出てくる。それこそ、お前が生きている証なのだ」夕刊を取りにポストに行くと、「茅ヶ崎市保険年金課保険料担当」から通知が来ていた。バーロ高い税金を取って、スズメの涙だと思いつつ封を切って中を見ると、ややこしい書類を提出してくださいとあった。オッ還付金なのと思い、よく読んだら、3月分1000円の還付だった。今日は寒い。でも明日は暖かい。あなたの電話を待っている人が、きっといる。私電話はそう思う。
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2020年4月17日金曜日
第53話「私は徒歩」
私は「徒歩」である。私徒歩はずっと家の中に居ると、足がシビレてズキズキと痛むので、大雨が降っていなければ小一時間歩いている。私徒歩は家からどこまでいったら、何分かかるか分かっている。10年間雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、夏ノ暑サニモ。冬ノ寒サニモ負ケズとにかく歩いた。鬱との闘いの日々であった。起きているとずーと眠くならない。三日間起きていたことがある。仕方ないのでスポーツウェアを着て私徒歩は歩いた。まい日同じコースだとつまんないのに気づいてから、今日は江ノ島に向かって、今日は烏帽子岩に向かって、今日は鉄砲通り、今日は桜花園通りとトホトホと歩いた。海岸側のサイクリングコースを歩いていると、顔なじみもでき、軽いあいさつを交わすようになった。長いのは寒川神社まで往復した。(約6時間)江ノ島の灯台まで歩くと、片道2時間半位であった。鬱ぽいヒトは、最初はひどくツラク、シンドイが、まずは15分歩くことから始めるといい。実は一センチでも動くのがシンドイ時の、15分はキツイ。私徒歩はパジャマの上に、スポーツウェアを着て始めた。早朝四時半頃であった。11月の初めすでに寒かった。私徒歩のそんな姿を見た地元のタクシー運転手さんが、海岸に釣りに来ていて、どうしたんですかヨロヨロ歩いてと言った。眠れないんだよと私徒歩は言った。そうか人間は霊長類の2足歩行動物なのだと思った。初めは15分がシンドかったが、やがて20分、25分、30分、40分、50分、60分、100分が平気の平左になる。強風の時は砂が目に入る。雨の時は合羽ごとビショビショになる、雪の日はズボッズボッと足が入る。これが楽しいな、となっていった。真夏の炎天下江ノ島の水族館まで行く。暑いのなんのだが、帰り道海浜公園内の売店で大好きなメロンソーダが待っている。全身汗ビッショリで売店の椅子に座る。よく冷えた彩やかな緑色のメロンソーダは別格に気持ちいい。少年の頃から大好きであった。銭湯の名糖コーヒー牛乳より好きであった。一年二年と歩くと、私徒歩はアルキ中毒、アル中になっていた。出張の時はスポーツシューズをバックに必ず入れた。海外にロケに行く時も必らず持っていった。アル中だから歩かずにはいられないのであった。五年、六年となると歩きながら、何故か“五木ひろし”の「よこはま・たそがれ」を口ずさんでいた。♪~ よこはま たそがれ ホテルの小部屋 くちづけ 残り香 煙草のけむり ブルース……あの人は 行って 行ってしまった もう帰らない~。こうなると私徒歩はアタマの中の鬱がウソみたいに消えて、かなりウキウキとなっていた。「よこはま・たそがれ」は私徒歩の特効薬であった。他には“北島三郎”の「風雲ながれ旅」とか、“竜鉄也”の「奥飛騨慕情」であった。私徒歩には演歌がいいリズムを生んだ。今、相当の人たちが、コロナウイルス連休で外出ままならず、気分は鬱々としているはずだ。私徒歩はぜひ歩きなさいとアドバイスをする。血の巡りがすこぶるよくなること間違いなし。昨日午後四時十五分頃、近所の辻堂海岸から江ノ島方向に向かって私徒歩は歩いた。海は荒れていた。サーファーもいない、釣り人もいない。砂浜でサウンドウエッジの練習している人もいない。風がかなり強かった。私徒歩は歩きながら、高名なアートディレクターの方から届いた、一枚のハガキの文章を思い出した。かわいい愛犬がペン画で描いてあった。「親方、この国はどうなるのでしょう(?)」と書いてあった。スタッフは在宅とのことだった。この御方が、ある出版社のすばらしい新聞広告を正月“発表”した。おそらく今年度NO.1のはずだ。気がかりなのは、WHOの日本人ドクターが、テレビのインタビューで、日本が今出している数字は、全然少ないと思う、検査をしていないから、本当は今の10倍位は感染症がいるはずだと。私徒歩はつくづく嘘つき国家だなと思った。医師の方たち、看護師さんたちに一律100万円払ってもいいと思った。108兆の予算の中味は嘘ばかり、真水は38兆位でしかないらしい。「108」という数字は意味深である。除夜の鐘の数だ。私徒歩はいよいよ政権が大昨晦(年の終わり)に近づいていると思った。気分が晴レバレしないヒトへ、さあ~スマホを置いて歩きなされや。
(文中敬称略)
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2020年4月16日木曜日
第52話「私は民衆」
私は「民衆」である。コロナの日々を送りながら私民衆は、民衆の恐ろしさを知る。BSプレミアムに中野信子さんという、人気の脳科学者が出演していた。映画ばかり見ているので時々違うものを見る。その番組は“魔女狩り”についてであった。1640年頃ドイツのある地方に小さな都市があった。そこは一人の独裁的司教が支配していた。その頃いろんな疫病や不作や不幸な災いが起きていた。民衆は不安な日々を送っていた。なんでこんなに災いが起きるのか。その時一人の男が魔女のせいだと言う。男は魔女についての一冊のオドロシイ本を出す。その頃活版印刷が生まれおり、250ページ位のその本が民衆の間に広まった。凶暴な司教は一人の女性をお前は魔女だろうと捕まえ、拷問をする。そして魔女仲間の名を言えとあらん限りの拷問をする。身にまったく憶えのない女性は拷問の痛さから逃がれるために、思いつくまま人の名前を言ってしまう。名前が出た人間は男女年令の区別なく捕まえられ、人間が思いつくあらゆる拷問をする。そして次々と名前を言わせて捕まえる。そして又と続く。捕まえられた人間は民衆によって魔女狩りとなり、火あぶりにあったり、首をつられたり、徹底的に殺された。私民衆は思う、人間という生き物の最大の本能は“死にたくない”という教えを。高名な学者がそう書いていた。人間に不安という衣を着せると、日々増幅をする。自分が魔女にされないために、拷問や処刑に加担する。例え自分の親兄弟、親族や友人、知人、隣人、恩人、恩師だろうが、拷問から逃れるために名前を言ってしまう。言ったからとしても処刑されるのだ。民衆はいつでも“観衆”になると言うが。不安から逃れたい民衆は、処刑を見る観衆となる。疫病の災渦が生じると世界中で、魔女狩りに近い事が起きる。関東大震災の時多くの朝鮮人が魔女狩りのように大量虐殺された。アメリカで有名なのは赤狩り(共産主義)という名の魔女狩り施風があった。(マッカーシー施風)私民衆は究極の魔女狩りは、“戦争”だと思う。死にたくない、恐い、生きたいという不安が、人間を変えてしまう。気さくな八百屋さん、陽気な魚屋さん、もの静かな大工さん、やさしい学校の先生も、戦争の中では狂人となってしまう。平時ならお祭りを楽しむ民衆、花火大会や草野球を楽しむ民衆が殺人鬼となるのだ。現代もそれは続いている。ネット社会にいる顔の見えない魔女狩りたちだ。それはワンタッチで世界中に広がる。私民衆はPCも使えないのだが、ひとたびアイツは気に入らない、アイツは疑わしい、きっとアイツが犯人だとなると、もう逃げることができないと言う。民衆は不安を抱え込んでいるとビョーキになり、誰かのせいにしたくなる。私民衆はこの先きっと起きるであろう民衆心理を心配する。この際いい音楽を聴き、いい映画を見まくり、いい本など読んで人に感染させない日々を送る。一日15秒か長くて2、3分の会話である。私民衆は実はずっと無言の生活も得意である。カフカ原作の「変身」と、朝井リョウ原作の「何者」という映画を見た。今の大学生たちの生態を就活を通しながら描き出している。現在午前五時二分二十八秒、民衆は誰でも悪魔に変身する。
2020年4月15日水曜日
第51話「私は支給」
私は「支給」である。かつてこんな怒声的フレーズがテレビドラマから放たれて、大ブームとなった。確か安達祐実さんであった。「同情するなら金をくれ!」と少女は叫んだ。ドラマの名は忘れたが、フレーズは忘れていない。今、日本中で支給は至急にと怒声が叫ばれている。私支給は上からの命令がないと至急にと怒っている人に支給されない。私支給の支給源は、そもそも国民が納めた税金である。政府とはこの税金をどう使うかを任された機関である。私支給は怒る、税金を納めるのを少しでもおくれたら、日曜日でも納税をしてくださいと電話してくる。一度茅ヶ崎市の女性職員に、なんで日曜日に電話するんだよ、と言ったら、平日は家にいらっしゃらない人が多い、日曜日の夜七時頃がいちばんいらっしゃるからだと言った。至急か! バーロと言って電話を切った。現在日本国政府の指揮系統がパニックになっているようだ。総理大臣の言うことと、官房長官の言う事に差異が生じ、財務大臣は与太者みたいに自論を放ち、コロナ担当大臣は目を泳がせながら、他国の例を持ち出し意味不明。でもって自民党の幹事長は、何をモタモタやってんだ! ややこしい支給方法で、ケチケチすんじゃネエとばかり、一律で10万円支給を至急せよとスゴミを効かした。本来厚労大臣が担当すべきコロナ問題を、笑い顔で評判がよくないからと外したのか、実は年金の支給を75歳に引き上げる法案を、ドサクサに乗じて成立させるために、その注力を発揮せよと役を命じているのかも知れない。コロナ、コロナと大騒ぎをしている今、この悪企みの法案の審議は進むはずだ。与太者風財務大臣は、財務官僚にとって使い放題だ。総理大臣への記者会見で外国人記者が、“コノコロナウイルスモンダイノセキニンワドウナルノデスカ”みたいに資問したら、総理大臣は一瞬ドキッとして、ソレは私が責任をとればいいと言う訳ではないのですが、ソ、ソレは麻生副総理がつとめることになると思うわけであります。私支給の元締財務大臣はこのひと言で、あわよくば例え一日でも、もう一度総理大臣と呼ばれたい色気が出たようだ。実のところ国民になんか全然目がいってない。権力争い真最中なのだ。私支給は至急されるべきなのだが、この国のエリート役人は絶対に自分に失敗のツケが来て、出世のジャマになることはしない。国民の命より自分の肩書き命なのだ。かわいそうなのは現場の役人さんで、ややこしいことを、もっとややこしくすることの処理に追われる。国のリーダーが、私が責任を持つさっさと支給しろ、ややこしい手続きをカンタンにしろ! と言えば至急に支給される。やっぱり貫目が重い人物、キャリア豊富な人物がリーダーの脇にいないと今起きている状態となる。野球用語でいえば、“ベンチが軽い”となる。官邸を仕切っているのは、現在選挙で選ばれていない、官僚出身の補佐官だと言われている。現在午前五時九分四十一秒、早朝のニュースでIT担当大臣がいることをはじめて知った。マスクで顔がよく分からなかったが、あなたは誰! と言うかんじだった。シドロモドロであった。ITでコロナ感染症を追跡するんだとか。医療現場が崩壊している。権力争いをしている場合じゃない。“ビートたけし”は国会議員を半分にすればいいと言い。“鶴瓶師匠”はソファーに座ってお茶飲まずに踊りはりゃよかったのにと。“星野源”は何の連絡もなかったですよと言う。私支給の近所の奥さんたちは、いまさらマスク2枚もらったって、バカにすんじゃないわよ、500億円近くも使ってさと怒る。ノーベル賞受賞の博士は、100億をワクチン開発に回すべきだと叱かっていた。民主党政権時代を悪魔のようだったとよく言っているが、今や悪夢のような政権だったと、歴史にクッキリ残るはずだと思う。私支給は至急にが鉄束なのだ。今年は小庭に咲くと期待していた、牡丹の花が咲きそうにない。花芽が一つも出ていない。やけに寒い朝が来た。このまま夏もなく、秋もなく、尾羽打ち枯れたような冬になるのだろうか。太陽は別名“コロナ”とも言う。(文中敬称略)
2020年4月14日火曜日
第50話「私は下駄」
私は「下駄」である。この頃私下駄を履く人は少ない。四月十日一人の偉人がこの世を去った。映画監督の「大林宣彦」さんだ。八十二歳であった。私下駄はある年、当時人気絶頂だった「鈴木保奈美」さんを大手コーヒーメーカの商品広告に起用することを、広告代理店さんと共にすすめた。幸い企画案が採用となり誰に演出を頼むかとなった。いつも私下駄を使ってくれていた、CD(クリエイティブディレクター)に若手の人気女優を撮らせたら、今は大林宣彦さんでしょと言った。いいね、受けてくれるかなとなった。その頃すでにヒット映画を何本も手がけていて大御所であった。映画監督は今ではCMを多く手がけるが、当時は少なかった。CMの演出家が手がけていた。記憶が確かなら青山の骨董通りにあったオフィスにCDの方とお願いに行った。広島出身と聞いていたので、きっとすこぶる荒っぽい広島弁なのだろうと心期していた。(「仁義なき戦い」の広島弁が有名)青山通り近くのビルの中にオフィスがあって、型通り“失礼します”と言って、ソロソロと入った。大林宣彦さんは素足に下駄履きであった。奥さまがプロデューサー&マネージャーであり、御二人共この上なくおだやかでやさしかった。イヤードウモドウモ、まぁ座って座ってと言ってくれた。広島弁だと思っていたが、そうでなくフツー弁だった。ひとしきり映画談議をして、演出をお願いした。その後快諾をいただき後日撮影となった。その日、スタジオにいるとカタコト、カタコトと下駄の音がした。大林宣彦さんはパンチパーマにサングラスが定番であったが、まさか撮影に下駄で来るとは思わなかった。信玄袋みたいのを持っていた。人気絶頂だった鈴木保奈美さんは実に静かであった。そして実に美しかった。とてもいい作品ができて、次の年もお二人にお願いすることになって行った。大林宣彦さんは父上が軍医であった。七歳の時に敗戦となった。自分は敗戦少年だと言っていた。口をすこしオチョボ口にして、戦争は絶対にしてはいけないと話す。気負いない語り口は、民話の語り部みたいだった。愛妻家であっていつも奥さまと一緒だった。肺癌で余命数ヶ月と宣告されながら、長編の大作を生んだ。徹底的な平和主義者であった。反戦を旗印にしていた。大林宣彦さんの言葉にすばらしいのがあった。(記憶が定かでないが)「ボクねこう思うんだよね。日本はバカな戦争をして、原爆落とされてアメリカに占領されてしまった。でもね、奇跡的なものを手にしたんだよ、平和憲法をね、憲法九条は絶対に守らねばならないんだ」私下駄は大林宣彦監督のすさまじい生への執着力は、ひとえに反戦と平和のためにあったと思う。映画は平和を勝ち取る武器であったのだろう。心より敬意を表し合掌する。余命数ヶ月宣告から三年近く、酸素ボンベで息をしながら歴史に残る名作を生み出した。「花筐(HANAGATAMI)」は、発表後“ベスト1”になった。「青春は戦争の消耗品ではない」という言葉があった。私下駄は外に出れないので一日二本から五本映画を見ている。今日は大林宣彦監督といえばこの作品と言われる。尾道三部作「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」を一気に見ることにする。東日本大震災後、日本に新たな戦争が迫ってきた」と危機感を語っていたと言う。私下駄はあの世に下駄履きで行く大林信彦さんに深く頭を下げるのだ。コロナ、コロナの世の中に真冬のような永雨が降っている。午前一時三十八分四十二秒。今起きている事はいつか終って行く。その先のために一日一日何かを学び大切に生かそうと思い、中村文則原作「去年の冬、きみと別れ」という映画を見始めた。
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2020年4月13日月曜日
第49話「私は2個」
私は「2個」である。1個と1個が存在して成立する2個だ。例えば、善と悪、表と裏、日常と非日常、罪と罰、嘘と真など私2個は数多くある。座敷牢に居る生活が六日経った日、運動不足解消のにめに近所の海岸に行った。正月駅伝のランナーが、大観衆の声援を受けて走っていた道に、車の数は少ない。夕陽が沈みそうな海にはサーファーが浮いている。右方向を見ると薄青と「太陽」の赤みが混じった空が大山連峰の上にある。左方向を見ると江ノ島の灯台が、もうすぐ灯りが入るぞと語りかける。歩道橋の踊り場にある木製の丸椅子に座っている。すっかり観光用となった地引き網の船が陸上げされている。この頃は魚が獲れないので、地引き網は人気がない。空を見るとうっすらと「月」が滲み出ている。「太陽」と「月」を見ていて思った。この地球上の全ての人類が、この「2個」のおかげで生きている。森羅万象、生きとし生きるもの全てが、この2個の下で、生まれ育ちそれぞれ違った神を信じ、違った言語を語り、違った食べ物を食す。この2個は地球を創生し人類を誕生させた。私2個は思う、太陽と月の下で何辺にして、国と国、人間同士が争い続けるのかと。いかなる大王も、皇帝も、大富豪も、太陽と月は手に入れることができない。私2個は今外出禁止の中にいる。日常が非日常になっている。何もかも無の状態になった以外、日常的である。鵠沼海岸に住む友人が、小鰯(コイワシ)を届けてくれた。料理上手の奥さまが、美味しい食べ方をご主人に伝え、それを活字にしてFAXを送ってくれた。これが実に美味しかった。愚妻と共にアツアツのものを手に取って食べた。きっとワイン通なら、白ワインかで楽しむのだろうと思った。私2個は新型コロナで休み中は、禁酒と決めているので、残念ながら酒はなしであった。家の前の公園でたくさんの子どもたちが遊んでいる。近所に住む高校二年生の孫が来て将棋をする。いつの間にか力をつけ、このところ二勝五敗であった。そして大敗けし、おこづかいをせしめられた。二勝六敗である。勝負時間は一時間三十分位であった。父親と弟も来て“ケンタッキーフライドチキン”が食べたいというので予約しておいた。午後六時キッチリとバイクで運んで来てくれた。とても日常であった。テレビのニュースをつけると、東京都内で感染者過去最多と報じている。ゴーストタウンのような銀座、誰もいない新宿歌舞伎町、渋谷センター街入り口の大きなビルボードの広告は、“ビートたけし”が恐い顔して交差点を睨んでいる。いつもは人の波だが、チラホラ、ベタ凪である。非日常はニューヨーク、パリ、ロンドン、世界中に生まれている。将棋などしていていいのだろうか。赤坂のクラブのママから電話があり、もうダメこのまま店を閉めるかもと言う。銀座で高級エステを経営している、女性社長と電話で話す、スタッフは一時解雇して失業保険にしてもらい、終息したら再雇用にすると言った。三月箱根にグランドオープンした、ホテルのオーナーと電話で話す。オープン即買い手募集ですよ言った。コロナもなくオリンピックが予定通りなら、萬、萬歳だったのに。天才中野裕之監督が電話で、この映画泣けますよと、教えてくれたインド映画「バジュランギおじさんと、小さな迷子」を鍼灸の達人にアマゾンで買ってもらって(自分では買えない)いたのを、持って来てくれた。体中に鍼を刺してもらった。午前一時から見始めて午前三時四十九分エンドロールが流れた。母親とインドで迷い子になった、とんでもなく美しい6歳の女の子は、国境近くで列車の中から外に出た間に、母親が乗る列車が発車してしまったのだ。この女の子は幼い頃ある事故で受けた衝撃で、言葉を発しなくなっていた。当然長い映画のラストは、言葉を取り戻した女の子の絶叫で終る。おじさ~ん、おじさ~んと。この映画は正に2個である。インドとパキスタン。仏教とアッラーの神。敵と敵だ。超マッチョで色男のおじさんは、愛と勇気を持っていた。善と悪があるようでない不思議な映画。愛は国境を越えるという泣けるシーンを、ラストで現わす。圧倒的に美しい自然の中、愛と勇気を讃える敵同士。すばらしく楽しい感動作だ。午前四時過ぎ新聞記事を整理する。ノンフィクション作家「吉岡忍」のコラムを読む。サッチャー英国首相(故人)は、かつて「社会などというものはない。存在するのは男と女と家族だけだ」と言ったとか。日経新聞のシリーズ“文学周遊”に太宰治の“八十八夜”の中の言葉がよかった。「真暗闇でも、一寸さきだけは、見えている。」午前五時のニュースで、政府PCR検査拡充検討へと報じている。世界の新聞では日本は何もかも遅いと報じる。“太陽と月”世界中の人類がこの2個を怒らせてしまったのだろうか。私2個は日常と非日常の中に、閉じこもりている。広告とは皮肉だ。“そうだ京都に行こう”のJR東海は、京都知事から、“どうか京都来ないで”となり、JR東日本の“行こうぜ東北”は、岩手県知事から、“来ないで岩手”となった。観光立国を目指して、誘致キャンペーンをしていたところは、みんな来ないでとなりテレビCMは中止となった。あらゆる媒体が人材派遣会社の広告で滞杯だったが、殆ど姿を消した。ミシュランや食べログなどのガイドは、今は無用となってしまった。ある店の主人は常連のお客さんが一人でも来てくれるなら、店を開けると言い。私は潮時かと思っている。このコロナウイルスを期に、店を閉じると言う老主人がいた。私2個は静かに打ち寄せる波を見ながら、潮時という言葉を思い出した。お金は無いが作りたい夢が未だいっぱいある。“無用の用”という言葉もある。インド映画には決まって群衆による踊りのシーンがある。♪~キッチンからチキン 鶏の鳴き声は コケッコッコーと歌い踊る。女の子はインド人が食べない、フライドチキンが大好きだったのだ。時間があるので、ずい分と長くなってしまった。このまま起きていて、午前八時から始まる、TBSの関口宏のサンデーモーニングを見る。私2個に眠気は、ない。(不眠症という)いつかきっとみんなでニコニコする日が来るはずだ。
(文中敬称略)
2020年4月10日金曜日
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