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2020年4月28日火曜日

第59話「私は電気」

私は「電気」である。私電気には忘れられないことがある。少年の頃、私電気は暗くなると家に帰り、茶扶台の上に乗って電気をつけるのを心掛けた。亡き母が外へ働きに出ていて、私電気たち六人の子を育ててくれていた。父を亡くしてから母は、小・中学校に問題集や文房具の販売をしていた。重い見本を持って歩き回る。絵や書道の道具、裁縫の道具や運動用具なども注文をとっていた。まい日帰りが遅い、幼稚園に迎えに来てくれるのは、いつも暗くなっていて、私電気は一人園長先生と母を待っていた。(天沼幼稚園をよく憶えている)暗い中で手をつないだ母の手はすべすべしてあたたかであった。フツーの子より一年長く幼稚園に通った。小学生になった時から家に帰り、私電気は電気をつけた。兄姉は学校や仕事に行っていて、明るい内には帰って来ないからだ。私電気は伝書鳩を飼っていたので朝と夕方にエサをやり、一日一回は飛ばしてあげないと鳩が運動不足で病気になる。ニワトリが四羽いてエサをあげる。猫と犬が一匹づついてエサをあげ散歩をさせる。母が働きづくめで疲れて帰って来て、暗い家だとかわいそうなので、私電気は電気をつけて、雨戸を閉めた。そして遊びに出た。自転車に乗って友だちがいるところに向った。この習慣は長くつづけた。ある日いつものように家に帰ると、まっ暗い茶の間に長兄が一本のローソクを立てていた。停電かと思ったが、近所の家は明るく電気がついていた。七時半頃母が帰って来て、あらどうしたの、あっ電気料金を払ってなかったから止められたのねと言った。私電気は長兄と自転車に乗って、荻窪の四面道という所にあった、電気会社の営業所に行ってお金を払った。家に帰ると電気がついていて明るかった。私電気はそれ以来電気会社が嫌いになってしまった。後年仕事をさせてもらった時、この時の話をした。今、何故こんな古い思い出話(エッセイ本にも書いた)を書くかと言えば、私電気たちは今新型コロナウイルスの問題でこれ以上なく暗い中にいる。検査数を発表せずに、感染数だけを発表すると言うイカサマ数字で、明日という日が“明るくない日”の思いを強くしている。国を明るくするのが国の役目だが、イカサマが横行している。私電気はずっと東海道線に乗っていないので、私の大好きな変な乗客とか、オモシロイ乗客を見ていない。昨日久々に東京へ向ったが、列車はガラガラであった。ステイホーム週間とか、またまた都知事がカタカナ語を発した。“家にいよう週間”の方が、ご老人や子どもに分かりやすいはずだ。ずっと家に居ると明るい話ばかりではない。この先を考えるとそれぞれ暗い話となる。私電気はきっと電気代も払えない家が出てくるだろうと予測する。466億円の予算をとったアベノマスクの配布はまだ4%、品質不良で検品やり直し。 “にわか業者”に5億2千万円の隋意発注(指名)実際にマスクにかかる費用は、まっ暗闇の中。コロナで座敷牢生活をしている中で、網淵謙錠(故人)の「乱」を読んだ。幕末から明治までの詳細な本である。いかに国を守り、国の将東を考えていたか、諸外国と丁々発止のやりとりができる、人材教育に投資をしていたかが分かる。幕末・江戸末期の徳川家には、有能な人材が実に多くいた。私電気は思う13人に一人が、学費が不足していて退学を考えているという、大学生さんを守るために、予算を使うべしと。国を明るくしてくれる人材を育てなければ、この国の未来はない。マスクは作れるが、有能な人材はすぐにはつくれない。“学力は電力だ”、私電気はそう思うのだ。(文中敬称略) 

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2020年4月27日月曜日

第58話「私は学習」

私は「学習」である。ずーと座敷牢生活を私学習はしている。この二週間近所に住む息子以外誰とも会っていない。(鍼灸の達人には来てもらった)どこにも行ってない。バスもタクシーにも乗っていない。二週間で使ったお金は、達人にお支払いした以外は3000円位である。新聞代が殆ど、禁酒しているので酒代ゼロ。キリンの「生茶」と、「ボルビック」のミネラルウォーター、大好きな「みたらし団子」、「甘栗むいちゃいました」「ノザキのコンビーフ」、「十勝チーズ」、「ところ天」、「豆まんじゅう」、「ノンアルコールビール」、「ジャンボモナカアイス」「むかしながらの酢昆布」など。私学習は3000円あれば二週間現金を使わずにいられることを学んだ。が、J-COMとネットフリックスで、有料映画を30本近く見たから、それは別途料金として、口座から落とされる。毎日下半身に負担のかかるストレッチをしているので、筋肉がパンパンになっている。シャドーボクシングを3R×2分。一日15時間以上テレビとか映画を見たり、古い新聞を読んだり、大長編小説を一日30ページ(2時間かかる)読んだりしていると、粗末な椅子なのでオシリがカチンコチンに固くなってしまう。この度の新型コロナウイルス問題に近い、パンデミックの映画も数本見た。又、世の中でいわゆる知識人、文化人といわれている人たちが、どんなメッセージを語るかとチェックしていた。博士、哲学者、科学者、社会学者、漫画家、コピーライター出身の経営者、小説家、教育者、人類学者、医師、経済人、作家、などなどであった。人生のなんたるかを全く経験していない、社会学者古市憲寿なる若者の、中身のないスカスカの文明論を語る早口に、バーロ10年早いよと思った。もっと人生に鍛えられてから、ノーガキを言えと思った。勉強はできても、アタマが悪い。真実と理論は違う。すっかりテレビタレント気分になっている我が身を、この際学べと私学習は思うのだ。(もっとタレントさんを見習え)NHKのチコちゃん風に言えば、ボーとして生きんじゃネエよみたいで、「その存在のあまりの軽さ」という映画の題名みたいだ。この14日間でオッと気づかしてくれる人が一人いた。その御方は高名な建築家であった。曰く「箱から出よ、自然と共生せよ、みたいなことであった。家という箱の中に住み、通勤列車という箱で運ばれ、会社という箱の中で仕事をする」この定められた日常が、新型コロナウイルスの波紋によって、家から出るな、街へ出るな、観光地には行くな、飲食、レストランに行くな、つまり箱に向うなと言うことだと思った。日本人は箱人間であった。私学習はテレワークとか、全くできないがこれからの時代は、会社という箱社会が急激に変化するだろう。出世とか肩書文化は、いかにつまらないものかを知るだろう。私学習はピラミッド型の社会は終り、個人の個性を生かした、石垣的個ラミッド型の会社が生き残って行くだろう。会社を大きくする時代は終る。第二次世界大戦の大敗北によって、日本は民主主義を学んだ。コロナ戦争に何を学ぶかで、国も社会も、会社も個人も、その価値が判断されるだろう。私学習はチコちゃんに、ボーと生きてんじゃネエよ!と叱られないように、と思っている。これから生きていく時間を、私学習は学習する。つくづく拝金主義社会の無惨を知る。新型コロナウイルスの出現で壊滅となる。箱から出ることを許される日が来たら、箱を見直して行こう。昨夜アカデミー作品賞候補作になった。「マリッジ・ストーリー」を見た。2時間16分、その殆どを夫婦の離婚話に尽いやす。これほど夫婦のセリフの多い映画は、いままでにないだろう。結婚大好き、離婚大好き国家アメリカの、離婚訴訟がよく分かる。コロナ離婚が相当数でると予想されている。箱の中でもう嫌だ、嫌だ、あ~嫌だと思っている人に、ぜひおススメの映画だ。私学習は今日久々に東京へ箱に乗って行く。(文中敬称略)




2020年4月23日木曜日

第57話「私は波紋」

私は「波紋」である。私波紋は一つ何かが起きると、小、中、大と広がって行く。現在午前四時四十九分(テレビ画面のデジタル表示)NHKの「クローズアップ現代」の再放送を見ている。「“イベント中止”文化は生き残れるか」だ。コロナウイルスにより、私波紋が生じあらゆるイベントが中止になっている。劇作家・演出家の「平田オリザ」さんがインタビューに応えている。大手芸能プロダクションの社長やイベントプロデュース会社の社長、音楽プロデューサーの「つんく」さん、又純烈というグループのマネージャー(社長かな[?])新日本フィルハーモニーの代表みたいな人。瀬戸内の美術館の館長、女性の画家とかが、私波紋がありとあらゆる分野の人たちに広がって、これ以上はやって行けないと、口々に言う。カレンダーやスケジュール帳は、中止、中止、中止である。私波紋は歌舞伎、宝塚、オーケストラ、ライブコンサート、演劇、個展、美術展、お笑いの舞台、およそ人が集まるもの全てに広がっている。CDが売れなくなった時代、ミュージシャンはライブが命綱である。この二ヶ月位でライブが8万以上中止になったと言う。現在はもっと、もっと増えている。ライブに欠かせない、音響や美術、照明機材など私波紋はとめどなく広がっている。歌手から“歌”を取ったら、“手”だけになってしまう。その手だけでは食べて行けない。私波紋はところで文化庁の長官は誰(?)と思う。最大級の補正予算を組んだと言うが、“真水”は28兆円位しかないと分かった。(私は38兆円位と思っていた)ここから国民一人ひとりに10万円支給とか、ややこしい条件を満たした四苦八苦のところに、30万円支給とかに分配される。が、どこにも文化を救済、支援する予算はない、いわば“ゼロ”なのだ。イギリス34万、フランス30万、ドイツ24万と申請後すぐにアーチストに支給される。オイオイ何やってんだよ文化庁と言いたくなるではないか。平田オリザさんが言うには、この国は文化への支援が、先進国の中でかなり下位なんだとか。やっぱり石原慎太郎さんクラスの人が、オイ金を出せ! と言わないと文化は衰退して、みんな食べて行けなくなる。気合が入っている文化人が思い当たらない。私波紋はいつまで広がり続けるのか、コロナ次第で視界不良だ。音楽がないのはイロハがないのと同じだ。人の心が不安増大、家の中でストレス満杯になっている今こそ、文化を守るために予算が必要なのだ。肥満膨張の文部科学大臣には、文化の欠片も感じない。映画関係も強烈なダメージを受けている。全国のお祭りやイベントも中止、中止、中止。的屋の親分衆も泣きが入っている。(屋台が出せない)世の中は私波紋でざわざわしているのだ。そうか、とりあえずCDをジャンジャン買ってとお願いする。アマゾンで買えるのだろうか、私波紋には分からない。“ライブはライフ”でもある。テレビに出ていた人たちが、あと二ヶ月今のままが続いたら、みんな失業転職だと言っていた。現在午前五時五十八分天気予報が流れている。眠気はないので私波紋は、アタマをクールダウンさせるために、知人から借りている、「ライ・クーダーのパリ、テキサス」のCDを聴くことにする。モーニングコーヒーを一杯。クリント・イーストウッド監督の「ミスティック・リバー」を久々に見たのだが、すばらしい映画だ。(はじめて見た時よりよかった)ショーン・ペンがアカデミー賞で主演男優賞を受賞した。(最高)人間は過去から逃げることはできない。一度受けたトラウマは消去できない。私波紋は今無性にライブコンサートに行きたい。コロナが生んだ私波紋はいつ消えることができるのだろうか。


2020年4月22日水曜日

第56話「私は数字」

私は「数字」である。私数字は実は数学が大の苦手である。が、数字を理解することはできる。ここに記す数字は、元通産官僚古賀茂明氏が、四月二十二日の日刊ゲンダイに示した数字だ。アベノミクス7年の悲劇/「沈みゆく日本経済と産業」という、新連載シリーズの第一回であった。それを知った感情は省く。私数字が大ファンである、同志社大学「浜矩子教授」がノミクスと言っていた通りの数字だ。史上最低の日銀総裁黒田東彦の罪も大きい。病的嘘つきと、病的ホラ吹きが仕組んだ愚策のツケは大きい。医薬に詳しいある賢人が、我が国のリーダーの病的嘘つきは、現在服用している強力な薬の副作用で、すでに本人は自分が何を言っているのか、何を言ったのか分からない。そして誇大妄想になる。アドルフヒトラーも同じだったと言う。当然内閣の大臣たちはそれを察知しているのだろう。国民はそんな分別もつかないリーダーに支配されている。で、数字だがGDP(国民総生産)で見ると、1990年ごろ日本のGDPは米国の半分以上あったのに、2018年には4分の1に満たなくなった。中国は2010年に日本を追い越し、18年には日本の2.7倍と大人と子どもの差に。一人当たりのGDPの世界順位でも90年代は常に1桁で2000年には2位だったが、安倍政権になってからは、民主党政権の10位台から一気に下降し、18年は26位、アジア・中東でも何と7位。物価上昇分を差し引いた実質的な給料は、ずっとマイナス4%以上減っている。21世紀に入って先進7ヵ国で実質賃金が下がっているのは日本だけ。そして世界一の借金国。支持率を気にするために、日銀にバンバン株を買わせる。日銀はバンバン紙幣を刷る、そして赤字は増える負のスパイラルだ。エラソーに黒田総裁は、トリクルダウンだなんて言ったが、トリプルダウンだ。シャンパングラスを積み上げて、下に落ちて来たのは、マスク2枚だけ。米軍では使えなくなったオンボロ機をジャンジャン買わされる。本当はこの人がやらねばならないはずの、財務大臣麻生太郎は、まったく無視され状態何の影響力もない。ただ持っている莫大な資産に、おこぼれチョーダイと人数が集まった。その数字だけが影響力。私数字はこの政治家を見ていると、この国が悲しくなる。政権中枢にいても座る座布団がない。九州男児としての誇りも、政治家としてのプライドも持てないほどボケている。実に見苦しい存在だ。100年に一度と言われている、コロナウイルス問題を他人事にしか見ていない。私数字は今日本全国の大企業以外の、中小零細企業や飲食店、各種フリーランス、各文化人、映画人、ミュージシャン、劇団関係、演劇人、各種楽器演奏者、各種料理教室、陶芸や絵画教室、ミニシアター経営者、などなど文化の力で人の心を動かしてくれる人々が、このままじゃアウトだと言っているのを聞く。ドイツではまっ先に文化人たちを守る手を打った。それは人々の心を守ってくれるからだ。私数字は思う間違いなく史上最悪最低の七年間の政治だと。私数字はナメたらいかんぜよと言った、夏目雅子さん(故人)の映画を思い出す。~「何から何まで真っ暗闇よ すじの通らぬことばかり 右を向いても左を見ても ばかと阿保のからみあい どこに男の夢がある」と歌った、鶴田浩二さんを思い出す。現在午前七時四十二分四十六秒。眠気が来ない。昨夜太宰治原作の「ヴィヨンの妻」を見た後、作ることはできない短編映画のシナリオを書いた。私数字は“√2ヒトヨヒトヨニヒトミゴロの映画を作りたいのだ。そう言えば小泉進次郎という大臣は、とんとお目にかからないが、まだ育休中で、ミルクをあげているのだろうか。私数字が待望するキャリア豊富な人が、きっと世を救ってくれるはずだ。北朝鮮の魔王「金正恩」はオプソ(終り)なのだろうか。(文中敬称略)




2020年4月21日火曜日

第55話「私は程々」

私は「程々」である。カタカナにすると、ホドホドだ。「過ぎたるは及ばざるが如し」と言う教えがある。誠に不謹慎を承知で書く。ある記事によると、今、世界中で避妊具をフル操業をしても製産が間に合わないと言う。今は亡きCM界の天才(映画もよかった)市川準氏が手掛けたヒットCMに、亭主元気で留守がいいと言うのがあった。タンスにゴンと言う商品だったと記憶する。今全国でコロナ連休中の人が多い。亭主元気で家に居るのだ。私程々は月刊文藝春秋五月号/総力特集コロナ戦争の中で読んだものを思い出した。それは国際日本文化研究センター准教授・磯田道史さんの「感染症の日本史~答えは歴史の中にある」その中のものだ。明治四年シベリア海岸で牛疫が流行している。これはヨーロッパで大きな被害をもたらした伝染病で、日本中の家畜の死亡もありうる。駐上海の米国領事が、駐日公使宛に送った手紙だったとある。これを受けて明治政府は、後に「近代的な感染病対策」の先駆けとなるものを布告した。今でいえば「国民への生活面での自粛要請」であった。私程々は実に感心する。「牛疫」はヒトには感染しないものであったが、明治政府の指示は、実に細部に立ち入っていた。中でも、衣服を清潔に保つこと、掃除をすること、窓を開けて換気をすること、さらに房事すなわちセックスは節制すべしと要請した。ずっと家の中に居るとつい致し方ないとなるのは、人類の本能である。今、世界中で元気な亭主が家に居る。そこで大量の避妊具が消費されているのだろう。私程々はそうか、元気な年代がウラヤマシイなと思っている。先日一組の夫婦が酒を飲んでいて(5時間位)妻が夫に、あなたの稼ぎが少ないからと夫にからんだら、夫はふざけんなと妻を数回殴打したら、死んでしまったという事件があった。きっと飲み出した時は仲良しだったのだろう(?) 明治政府が布告したように、セックスは最も濃厚接触であることは言うまでもない。ホドホドにと私程々はアドバイスする。男と女がオスとメスになった時、つまり激情のあとによく事件は起きるのだ。計画的にするべし、又、子どもたちの教育的にも注意すべしだ。お役人が生んだ「濃厚接触」と言う(?)キワドイ言葉は、きっと3密と共に、流行語大賞に選ばれると思うのだが、教育上実によろしくない。私程々は思うのだが、広告界は世の中に何も発信貢献していないなと。あらゆる業界、あらゆる分野の人々が、あらゆるカタチで、家にいよう”“医療従事者の人々に感謝しようとメッセージを発信しているのに。私程々は今何をすべきか早急に考えている。少子高令化は日本を滅ぼすはずだから、子どもづくりは大賛成だ。政府はこの際国策的援助として、濃厚接触激励交付金みたいな予算を組んでほしいと思う。昨夜「よこがお」という映画を見た。一人の主婦がはじめて入った美容院で、一人の若い美容師に出会う。そして……。亭主は元気がいいに決まっているが、女房を不満足のままにしているとオドロシイことになる。「紙の月」という映画も同じであった。私程々はホドホドをススメる。
                     (磯田道史准教授文章より一部抜粋)


2020年4月20日月曜日

第54話「私は電話」

私は「電話」である。私電話は今では携帯が常識である。私電話はガラケーというのを五年程前から使用しているのだが、上手に使いこなせていない。留守電入れておいたけどとか、ショートメールをしておいたけどと言われても、そのやり方がよく分からない。多くの人にご迷惑をかけている。どえらいお叱りも受けた。今日は昨日とうって変わって二月頃の温度で寒い。そして雨がシトシト降っている。懲役刑には労役という労働があるが、禁固刑には労役がない。私電話は今は座敷牢内で禁固刑を務めているような状態だ。労役をすれば一日いくばかの日当がもらえるが、私電話は一日何もしないと、無収入となる。人間働ける内は働いた方がいいというが、今改めて仕事のありがたさ、働くことのありがたさを知る。つれづれなるままにガラケーを手にして、すっかりごぶさたしている人に電話をする。そうすると相手の方が、まるで宝くじで一万円が当たったように喜声を出してくれる。イヤー久しぶりから始まって、コロナ、コロナと話は弾み、互いに分析をした情報を交換し合う。電話で話ができてよかったよ、なんか元気出たよ、毎日家に居て、女房子どもとしか会話をしてなかったからね、やっぱり朝起きてさぁ~、行く場所があって、いろいろ予定があって、働けるというのは、ありがたいことだったんだと思うよ。どんな仕事でも今はやりたいね、と殆どの人は言う。私電話も同じである。この先どうなっちゃうんだろうかと、電話のラストはなるのだが、分からない、とにかく人に迷惑をかけないように、座敷牢で禁固刑を務めることにしよう、じゃ又、コロナに気をつけてで終る。今会話をしたがっている人が実に多いのではと思う。家庭内感染が増加しているようだ。家族同士でも2メートル離れて会話を、なんて言われても狭い家に住んでいる身にそれは無理な話だ。もっとも私電話のところは、ずっと不要不急以外の会話はしないできた。なかよしこよしの家族とか、会話大好きな夫婦や家族の家は、口にマスクして日常会話をしなければならない。家庭が無口になると、ストレスは倍加するらしい。が下手に話をしすぎると、えっ、何その話知らなかったけどとボロが出たりする。十分気をつけねばならない。コロナはこれからが本番らしい。ずっと昔ラジオの人気番組があった、題名は忘れたがそれは、電話による人生相談だった。忘れてないのがパーソナリティの山谷親平さん(故人)が言った、決め言葉「絶望は愚か者の結論なり」だ。人間生きていれば勝負ができる。「人生とはあの世までのひまつぶし」と言った賢人もいる。人間はその人、その人の決められた運命線の上を走って行く。あの人はどうしているのだろうか、あいつは元気だろうか、そう思ったら一日一人か二人に電話をしてみよう。人間は声で会うことができる。明日はいい天気だと、天気予報士が言っている。20世紀最大の文豪と言われる、フランツ・カフカは、絶望の名人とも言われた。カフカは結核で死ぬまで、実直に労働者傷害保険協会に通勤した。そのカフカの言葉にこんなのがある。「すべてのお終いのように見えるときでも、まだまだ新しい力が湧き出てくる。それこそ、お前が生きている証なのだ」夕刊を取りにポストに行くと、「茅ヶ崎市保険年金課保険料担当」から通知が来ていた。バーロ高い税金を取って、スズメの涙だと思いつつ封を切って中を見ると、ややこしい書類を提出してくださいとあった。オッ還付金なのと思い、よく読んだら、3月分1000円の還付だった。今日は寒い。でも明日は暖かい。あなたの電話を待っている人が、きっといる。私電話はそう思う。

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2020年4月17日金曜日

第53話「私は徒歩」

私は「徒歩」である。私徒歩はずっと家の中に居ると、足がシビレてズキズキと痛むので、大雨が降っていなければ小一時間歩いている。私徒歩は家からどこまでいったら、何分かかるか分かっている。10年間雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、夏ノ暑サニモ。冬ノ寒サニモ負ケズとにかく歩いた。鬱との闘いの日々であった。起きているとずーと眠くならない。三日間起きていたことがある。仕方ないのでスポーツウェアを着て私徒歩は歩いた。まい日同じコースだとつまんないのに気づいてから、今日は江ノ島に向かって、今日は烏帽子岩に向かって、今日は鉄砲通り、今日は桜花園通りとトホトホと歩いた。海岸側のサイクリングコースを歩いていると、顔なじみもでき、軽いあいさつを交わすようになった。長いのは寒川神社まで往復した。(約6時間)江ノ島の灯台まで歩くと、片道2時間半位であった。鬱ぽいヒトは、最初はひどくツラク、シンドイが、まずは15分歩くことから始めるといい。実は一センチでも動くのがシンドイ時の、15分はキツイ。私徒歩はパジャマの上に、スポーツウェアを着て始めた。早朝四時半頃であった。11月の初めすでに寒かった。私徒歩のそんな姿を見た地元のタクシー運転手さんが、海岸に釣りに来ていて、どうしたんですかヨロヨロ歩いてと言った。眠れないんだよと私徒歩は言った。そうか人間は霊長類の2足歩行動物なのだと思った。初めは15分がシンドかったが、やがて20分、25分、30分、40分、50分、60分、100分が平気の平左になる。強風の時は砂が目に入る。雨の時は合羽ごとビショビショになる、雪の日はズボッズボッと足が入る。これが楽しいな、となっていった。真夏の炎天下江ノ島の水族館まで行く。暑いのなんのだが、帰り道海浜公園内の売店で大好きなメロンソーダが待っている。全身汗ビッショリで売店の椅子に座る。よく冷えた彩やかな緑色のメロンソーダは別格に気持ちいい。少年の頃から大好きであった。銭湯の名糖コーヒー牛乳より好きであった。一年二年と歩くと、私徒歩はアルキ中毒、アル中になっていた。出張の時はスポーツシューズをバックに必ず入れた。海外にロケに行く時も必らず持っていった。アル中だから歩かずにはいられないのであった。五年、六年となると歩きながら、何故か五木ひろしの「よこはま・たそがれ」を口ずさんでいた。~ よこはま たそがれ ホテルの小部屋 くちづけ 残り香 煙草のけむり ブルース……あの人は 行って 行ってしまった もう帰らない~。こうなると私徒歩はアタマの中の鬱がウソみたいに消えて、かなりウキウキとなっていた。「よこはま・たそがれ」は私徒歩の特効薬であった。他には北島三郎の「風雲ながれ旅」とか、竜鉄也の「奥飛騨慕情」であった。私徒歩には演歌がいいリズムを生んだ。今、相当の人たちが、コロナウイルス連休で外出ままならず、気分は鬱々としているはずだ。私徒歩はぜひ歩きなさいとアドバイスをする。血の巡りがすこぶるよくなること間違いなし。昨日午後四時十五分頃、近所の辻堂海岸から江ノ島方向に向かって私徒歩は歩いた。海は荒れていた。サーファーもいない、釣り人もいない。砂浜でサウンドウエッジの練習している人もいない。風がかなり強かった。私徒歩は歩きながら、高名なアートディレクターの方から届いた、一枚のハガキの文章を思い出した。かわいい愛犬がペン画で描いてあった。「親方、この国はどうなるのでしょう(?)」と書いてあった。スタッフは在宅とのことだった。この御方が、ある出版社のすばらしい新聞広告を正月発表した。おそらく今年度NO.1のはずだ。気がかりなのは、WHOの日本人ドクターが、テレビのインタビューで、日本が今出している数字は、全然少ないと思う、検査をしていないから、本当は今の10倍位は感染症がいるはずだと。私徒歩はつくづく嘘つき国家だなと思った。医師の方たち、看護師さんたちに一律100万円払ってもいいと思った。108兆の予算の中味は嘘ばかり、真水は38兆位でしかないらしい。「108」という数字は意味深である。除夜の鐘の数だ。私徒歩はいよいよ政権が大昨晦(年の終わり)に近づいていると思った。気分が晴レバレしないヒトへ、さあ~スマホを置いて歩きなされや。
                               (文中敬称略)   
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2020年4月16日木曜日

第52話「私は民衆」

私は「民衆」である。コロナの日々を送りながら私民衆は、民衆の恐ろしさを知る。BSプレミアムに中野信子さんという、人気の脳科学者が出演していた。映画ばかり見ているので時々違うものを見る。その番組は魔女狩りについてであった。1640年頃ドイツのある地方に小さな都市があった。そこは一人の独裁的司教が支配していた。その頃いろんな疫病や不作や不幸な災いが起きていた。民衆は不安な日々を送っていた。なんでこんなに災いが起きるのか。その時一人の男が魔女のせいだと言う。男は魔女についての一冊のオドロシイ本を出す。その頃活版印刷が生まれおり、250ページ位のその本が民衆の間に広まった。凶暴な司教は一人の女性をお前は魔女だろうと捕まえ、拷問をする。そして魔女仲間の名を言えとあらん限りの拷問をする。身にまったく憶えのない女性は拷問の痛さから逃がれるために、思いつくまま人の名前を言ってしまう。名前が出た人間は男女年令の区別なく捕まえられ、人間が思いつくあらゆる拷問をする。そして次々と名前を言わせて捕まえる。そして又と続く。捕まえられた人間は民衆によって魔女狩りとなり、火あぶりにあったり、首をつられたり、徹底的に殺された。私民衆は思う、人間という生き物の最大の本能は死にたくないという教えを。高名な学者がそう書いていた。人間に不安という衣を着せると、日々増幅をする。自分が魔女にされないために、拷問や処刑に加担する。例え自分の親兄弟、親族や友人、知人、隣人、恩人、恩師だろうが、拷問から逃れるために名前を言ってしまう。言ったからとしても処刑されるのだ。民衆はいつでも観衆になると言うが。不安から逃れたい民衆は、処刑を見る観衆となる。疫病の災渦が生じると世界中で、魔女狩りに近い事が起きる。関東大震災の時多くの朝鮮人が魔女狩りのように大量虐殺された。アメリカで有名なのは赤狩り(共産主義)という名の魔女狩り施風があった。(マッカーシー施風)私民衆は究極の魔女狩りは、戦争だと思う。死にたくない、恐い、生きたいという不安が、人間を変えてしまう。気さくな八百屋さん、陽気な魚屋さん、もの静かな大工さん、やさしい学校の先生も、戦争の中では狂人となってしまう。平時ならお祭りを楽しむ民衆、花火大会や草野球を楽しむ民衆が殺人鬼となるのだ。現代もそれは続いている。ネット社会にいる顔の見えない魔女狩りたちだ。それはワンタッチで世界中に広がる。私民衆はPCも使えないのだが、ひとたびアイツは気に入らない、アイツは疑わしい、きっとアイツが犯人だとなると、もう逃げることができないと言う。民衆は不安を抱え込んでいるとビョーキになり、誰かのせいにしたくなる。私民衆はこの先きっと起きるであろう民衆心理を心配する。この際いい音楽を聴き、いい映画を見まくり、いい本など読んで人に感染させない日々を送る。一日15秒か長くて2、3分の会話である。私民衆は実はずっと無言の生活も得意である。カフカ原作の「変身」と、朝井リョウ原作の「何者」という映画を見た。今の大学生たちの生態を就活を通しながら描き出している。現在午前五時二分二十八秒、民衆は誰でも悪魔に変身する。




2020年4月15日水曜日

第51話「私は支給」

私は「支給」である。かつてこんな怒声的フレーズがテレビドラマから放たれて、大ブームとなった。確か安達祐実さんであった。「同情するなら金をくれ!」と少女は叫んだ。ドラマの名は忘れたが、フレーズは忘れていない。今、日本中で支給は至急にと怒声が叫ばれている。私支給は上からの命令がないと至急にと怒っている人に支給されない。私支給の支給源は、そもそも国民が納めた税金である。政府とはこの税金をどう使うかを任された機関である。私支給は怒る、税金を納めるのを少しでもおくれたら、日曜日でも納税をしてくださいと電話してくる。一度茅ヶ崎市の女性職員に、なんで日曜日に電話するんだよ、と言ったら、平日は家にいらっしゃらない人が多い、日曜日の夜七時頃がいちばんいらっしゃるからだと言った。至急か! バーロと言って電話を切った。現在日本国政府の指揮系統がパニックになっているようだ。総理大臣の言うことと、官房長官の言う事に差異が生じ、財務大臣は与太者みたいに自論を放ち、コロナ担当大臣は目を泳がせながら、他国の例を持ち出し意味不明。でもって自民党の幹事長は、何をモタモタやってんだ! ややこしい支給方法で、ケチケチすんじゃネエとばかり、一律で10万円支給を至急せよとスゴミを効かした。本来厚労大臣が担当すべきコロナ問題を、笑い顔で評判がよくないからと外したのか、実は年金の支給を75歳に引き上げる法案を、ドサクサに乗じて成立させるために、その注力を発揮せよと役を命じているのかも知れない。コロナ、コロナと大騒ぎをしている今、この悪企みの法案の審議は進むはずだ。与太者風財務大臣は、財務官僚にとって使い放題だ。総理大臣への記者会見で外国人記者が、コノコロナウイルスモンダイノセキニンワドウナルノデスカみたいに資問したら、総理大臣は一瞬ドキッとして、ソレは私が責任をとればいいと言う訳ではないのですが、ソ、ソレは麻生副総理がつとめることになると思うわけであります。私支給の元締財務大臣はこのひと言で、あわよくば例え一日でも、もう一度総理大臣と呼ばれたい色気が出たようだ。実のところ国民になんか全然目がいってない。権力争い真最中なのだ。私支給は至急されるべきなのだが、この国のエリート役人は絶対に自分に失敗のツケが来て、出世のジャマになることはしない。国民の命より自分の肩書き命なのだ。かわいそうなのは現場の役人さんで、ややこしいことを、もっとややこしくすることの処理に追われる。国のリーダーが、私が責任を持つさっさと支給しろ、ややこしい手続きをカンタンにしろ! と言えば至急に支給される。やっぱり貫目が重い人物、キャリア豊富な人物がリーダーの脇にいないと今起きている状態となる。野球用語でいえば、ベンチが軽いとなる。官邸を仕切っているのは、現在選挙で選ばれていない、官僚出身の補佐官だと言われている。現在午前五時九分四十一秒、早朝のニュースでIT担当大臣がいることをはじめて知った。マスクで顔がよく分からなかったが、あなたは誰! と言うかんじだった。シドロモドロであった。ITでコロナ感染症を追跡するんだとか。医療現場が崩壊している。権力争いをしている場合じゃない。ビートたけしは国会議員を半分にすればいいと言い。鶴瓶師匠はソファーに座ってお茶飲まずに踊りはりゃよかったのにと。星野源は何の連絡もなかったですよと言う。私支給の近所の奥さんたちは、いまさらマスク2枚もらったって、バカにすんじゃないわよ、500億円近くも使ってさと怒る。ノーベル賞受賞の博士は、100億をワクチン開発に回すべきだと叱かっていた。民主党政権時代を悪魔のようだったとよく言っているが、今や悪夢のような政権だったと、歴史にクッキリ残るはずだと思う。私支給は至急にが鉄束なのだ。今年は小庭に咲くと期待していた、牡丹の花が咲きそうにない。花芽が一つも出ていない。やけに寒い朝が来た。このまま夏もなく、秋もなく、尾羽打ち枯れたような冬になるのだろうか。太陽は別名コロナとも言う。(文中敬称略)


2020年4月14日火曜日

第50話「私は下駄」

私は「下駄」である。この頃私下駄を履く人は少ない。四月十日一人の偉人がこの世を去った。映画監督の「大林宣彦」さんだ。八十二歳であった。私下駄はある年、当時人気絶頂だった「鈴木保奈美」さんを大手コーヒーメーカの商品広告に起用することを、広告代理店さんと共にすすめた。幸い企画案が採用となり誰に演出を頼むかとなった。いつも私下駄を使ってくれていた、CD(クリエイティブディレクター)に若手の人気女優を撮らせたら、今は大林宣彦さんでしょと言った。いいね、受けてくれるかなとなった。その頃すでにヒット映画を何本も手がけていて大御所であった。映画監督は今ではCMを多く手がけるが、当時は少なかった。CMの演出家が手がけていた。記憶が確かなら青山の骨董通りにあったオフィスにCDの方とお願いに行った。広島出身と聞いていたので、きっとすこぶる荒っぽい広島弁なのだろうと心期していた。(「仁義なき戦い」の広島弁が有名)青山通り近くのビルの中にオフィスがあって、型通り失礼しますと言って、ソロソロと入った。大林宣彦さんは素足に下駄履きであった。奥さまがプロデューサー&マネージャーであり、御二人共この上なくおだやかでやさしかった。イヤードウモドウモ、まぁ座って座ってと言ってくれた。広島弁だと思っていたが、そうでなくフツー弁だった。ひとしきり映画談議をして、演出をお願いした。その後快諾をいただき後日撮影となった。その日、スタジオにいるとカタコト、カタコトと下駄の音がした。大林宣彦さんはパンチパーマにサングラスが定番であったが、まさか撮影に下駄で来るとは思わなかった。信玄袋みたいのを持っていた。人気絶頂だった鈴木保奈美さんは実に静かであった。そして実に美しかった。とてもいい作品ができて、次の年もお二人にお願いすることになって行った。大林宣彦さんは父上が軍医であった。七歳の時に敗戦となった。自分は敗戦少年だと言っていた。口をすこしオチョボ口にして、戦争は絶対にしてはいけないと話す。気負いない語り口は、民話の語り部みたいだった。愛妻家であっていつも奥さまと一緒だった。肺癌で余命数ヶ月と宣告されながら、長編の大作を生んだ。徹底的な平和主義者であった。反戦を旗印にしていた。大林宣彦さんの言葉にすばらしいのがあった。(記憶が定かでないが)「ボクねこう思うんだよね。日本はバカな戦争をして、原爆落とされてアメリカに占領されてしまった。でもね、奇跡的なものを手にしたんだよ、平和憲法をね、憲法九条は絶対に守らねばならないんだ」私下駄は大林宣彦監督のすさまじい生への執着力は、ひとえに反戦と平和のためにあったと思う。映画は平和を勝ち取る武器であったのだろう。心より敬意を表し合掌する。余命数ヶ月宣告から三年近く、酸素ボンベで息をしながら歴史に残る名作を生み出した。「花筐(HANAGATAMI)」は、発表後ベスト1になった。「青春は戦争の消耗品ではない」という言葉があった。私下駄は外に出れないので一日二本から五本映画を見ている。今日は大林宣彦監督といえばこの作品と言われる。尾道三部作「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」を一気に見ることにする。東日本大震災後、日本に新たな戦争が迫ってきた」と危機感を語っていたと言う。私下駄はあの世に下駄履きで行く大林信彦さんに深く頭を下げるのだ。コロナ、コロナの世の中に真冬のような永雨が降っている。午前一時三十八分四十二秒。今起きている事はいつか終って行く。その先のために一日一日何かを学び大切に生かそうと思い、中村文則原作「去年の冬、きみと別れ」という映画を見始めた。

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