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2009年12月6日日曜日

人間市場 社説市篇

朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞、毎日読む度に社説の言葉使いが気になっている。
全てが命令調なのだ。
何々しろ、何々に目を向けろ、急げ、するな、示せ、動け、考えろ、しっかりしろ。
どこか、運動部の先生風だ。それじゃ書いている自分たちはというと、飲み、打つ、買う、くどく、最高給、ハイヤー、高級ワイン、高級バー、高級ホテル、ファーストクラスの特権階級。自分たちが命を張ってジャーナリストの矜持をもって、ノーブレス・オブリージュを全うしている人は一人もいない。
どっぷりと旧体制に浸かって来て、今なおそれを懐かしんでいる。何しろ大好きな料亭、あの子のいるクラブ、いかがわしい所大好きなのに。お土産とお小遣いが貰えない。命令調は少し脅し入れりゃ、少しは出すだろみたいな感覚だ。

朝日新聞に早野透というコラムニストがいる。日刊スポーツに「政治の時間」というコラムを日曜日の朝刊に載せる。読むともう、笑笑とか和民当たりで一杯機嫌で書いている感じ。いつも問題を提起しつつも、じゃあんたはジャーナリストとしてどう行動すんのよ。書きたい事あればまず朝日を退社してからにしろよと言いたい。
お宅の会社の社内戦争は、まるで仁義なき戦いじゃないの。

何で朝日は部数減に歯止めがかからないのか、どっぷり赤字体質になったのは何故か、紙面の作り方がへたくそになったのは何故か、取材写真が下手になったのは何故か(読売の方が全然上手い)。それを総括してから記事を書けと言いたい。

かつて好きだった、星浩さんも田原総一郎辺りに仕切られちゃったりして。
がっかりしてる。どんどん体制的、批評家調になってしまった。
まず、自分たちを見ろ、そう命令したい。金払って読んでいるんだから。庶民感覚から一番離れているのが、大マスコミの記者たち。勉強しない人たち、頭の悪い人たち、全然行動しない人たち、酒と女と噂話の好きな人たち。

君たちに命令する権利はない。文句あったら言って来て下さい。待ってます。

2009年12月5日土曜日

人間市場 坊主市篇

銀行とか、証券、いわゆる金融業。実態は金貸し業。その基は実はお寺の坊主だった。

時は室町時代、堺に大徳寺とか海会寺という寺がある。
この頃、寺はとんでもない事をしていた。堺の商人から安い金利で金を借り、将軍家や朝廷に金を貸す。それで得た利益で、海外貿易に投資。
又、勘合という将軍家のお墨付きをもらい、明との貿易で莫大な金を掴んだ。
それは大阪城夏の陣で焼失するまで続いた。火薬の素になる硫黄や刀剣、漆などの工芸品を明へ送った。特に硫黄は利益の主役だった。
なんの事は無い。将軍より天皇家より上に金貸しの坊主がいたと言っていい。
その坊主の親玉の名は取龍(しりゅう)という。
この坊主の作ったシステムが現在の金融業、金貸し業のモデルケースとなっている。預金をもらう時は、45度の角度で揉み手をして、金を返せの段になると、そっくり返る。鬼と化す。長い友人が自己破産をした。その時の銀行は正に鬼であったという。

さんざん利子を取っておいて、いざとなると、ハイここまでで万歳しましょう。で、残っていたローンの家を召し上げだ。


何でこんな事を書くかというと、私は、坊主大嫌い。ある事で坊主を呼ぶか呼ばないかという事となった。当然私は反対。坊主無用を主張した。


私の知っている鎌倉の高僧はカラオケ狂い。新宿の坊主は、博打狂い。青山の坊主は、フィリピンバー狂い。魚藍坂の坊主はSM狂い。坊主憎りゃ袈裟まで憎い、だが民主主義は多数決。私の主張は坊主に関してのみ却下されました。
坊主を見たら金貸しと思ってもいいですよ。近頃は少々焦げ付きが多くて泣きが入っています。坊主丸儲けとはいかないのです。ザマーミロです。
先日、火葬場で煙草を吸いながら真っ赤な携帯電話で、何やら遊びの話をしてました。オイッ、坊主、お前も焼いちゃうぞって言ったら、アチャなんて坊主頭を叩きました。


皆さん、坊主は叩けば叩く程、値段が下がります。

そうそう、鎌倉の高僧の持ち歌の一つが「骨まで愛して」でした。小町通りの中程のカラオケバーによく居るそうです。

2009年12月4日金曜日

人間市場 コシノ市篇

この際ハッキリ言います。不美人ほどファッションの世界では活躍します。

ご存知、コシノファミリー。母、小篠綾子、弘子、順子、美智子と文字で書くとかなり美人家族を想像するでしょう。しかし、想像を超えたそうでない親子なんですね。四人揃うと小さな子供は泣き出したり(?)引きつけたり(?)ある子は登校拒否になったりします(?)暗闇からヌ〜っと出ると死ぬ人もいます(?)ルーツを訪ねるとそれはもう、日本不美人史です。恐いです。凄いです。私の三人の姉といい勝負です。

今年の初め、谷崎潤一郎の「細雪」を読みました。こちらの四姉妹はきっと鏑木清方や伊東深水が描く様な美人だったのでしょうね。かなり長い小説でしたが、絶品の文章心地よい読後感でした。


ちょっとある事で、コシノ家のファッションを調べました。色、ライン、カット、プライス。結構、中々なんです。あの鳩山幸さんもご愛用、四人が海外でショーをやっているDVDも見ました。絶句。でかい、厚い、太い、ズングリ、もう一歩で天童よしみに重なります。青山骨董通りにある友人がいる会社の一階にヒロココシノのブティックがあります。

おっ、このセルリアンブルーのジャケットいいジャン。これ着て似合う女性はかなりの美人じゃないと駄目だな。値段は十一万八千円(確か?)か(別に買いませんでした)。コバルトブルー、ヴィリジアンブルーの使い方とグレーの組み合わせはいいなと言いながらも、あの顔と顔と顔が私を襲って来ました。かなりブルーな恐怖です。

刺青を織り込んだ様など派手のセーターを着た親分、いや若頭、いや幹部風のお兄さんが、お前あのブルー良いじゃねぇか、ヨォ、どうだい、なんて金の指輪だらけの手でウィンドを叩いてました。全然似合いそうもない女性でした。待ち人が着たのでその後どうなったかは判りません。


ちなみにコシノ家の様な顔は学術的に言うと、遥か数万年前アフリカ大陸で猿から進化して生まれた人間が、アフリカ系、ヨーロッパ系、アジア系に分かれました。アジア系は主食マンモスを求めシベリアの大地に向いました。極寒の地で人間は進化しました。凍傷から身を守るため、手足は短く体はずんぐりとなり、目尻は細く唇は太く厚く、口は固いマンモスの肉を噛むために大きくなり、下顎は力強くなりました。と、まぁコシノ家は正当なアジア人と言う訳です。どんどん優秀な人間を残して欲しいと思うのです。私も人の事を言える様な姿形ではありません。正しいアジア系です。

紫式部なんかもの凄いアジア系であったという学説があります。美人へのコンプレックスがあの王朝絵巻を生んだのです。


もっとも学説は当てになりません。誰も本人に会っていませんから。

2009年12月3日木曜日

人間市場 椿市篇

私の家に坪庭がある。(二坪位)

実生(みしょう)、椿の実が落ちそこから新しい椿の木が生まれる事を言う。と長いお付き合いの庭師のおじさんから教わった。数木ある寒椿が咲き始めて目を和ましてくれる。椿は別名、首切り花とも言う。ポツンと落ちるからだろう。一木の牡丹がある。一年毎に、二輪見事に咲く。牡丹は崩れ花。バサッと崩れ落ちる。二本の梅の木がある。二十年前母が家に来た時、一緒に植木屋さんに行って買ってくれた。親指ほどの太さだったが今では立派な梅の木になり、美しく花を咲かせ、又、たくさんの梅の実をつける。毎年それで梅酒を作る。家ではおばあちゃんの梅の木と言っている。梅は飛ぶと言う。菅原道真の東風(こち)吹かば匂いをこせよ梅の花、から来たのだろう。春風と共に花は飛び去る。

一本桜の木を植えたいと庭師のおじさんに言ったら、家に桜は縁起が悪い、桜は散るからだと言う。お城や学校や公園や川べりなんかに植える木だと言われた。


二年前友人夫婦と吉野の山桜を観に行った。少し季節を逃していたが、それはそれで風情があった。坂口安吾の「桜の花の満開の下」を読んだ事があったので、ぜひ観たかった。薄曇りがかえって、夢幻の世界を生んでいた。同じ桜が咲き誇るではなく、一本一本がそれぞれ個性的な色香を出し、それが西行の詠んだ歌の見事を証明する。小説では確か、吉野の桜の下を通ると人間の気が狂うと書いてあったと思う。篠田正浩監督で映画化され、主役は都の女性が岩下志麻、山賊が若山富三郎であった。その舞台となった寺があり、実にいい。特に壁画がいい。その庭にある桜の木が又、いい。能の世界がこの寺にある。闇があり、滅びがあり、秘があり、密があり、血の臭いがある。これ程光が似合わない寺も少ない。


更に山の上には、誠に小さな一つの庵がある。吹きさらしの佇まいである。畳にすると二畳程であろうか、西行がここに二年ほど住んでいた。西行庵という。そこから吉野の山々、木々の変化を目に憶えさせ旅に出た。命を懸けて想う一人の女性の為に。一度ぜひお勧めしたい。


さて話を実生に戻す。私の命も親が落とした一つの命である。親木の様になるには私はいささか劣等である。私の実生たちが立派に育っているのが救いである。

2009年12月2日水曜日

人間市場 孫市篇その2

愛する孫が少年野球のチームに入った。小学1年生である。

日曜日の朝から昼まで、又は午後1時から4時まで練習したり、試合形式をする。孫は一番チビである。熱心な大人が監督、コーチをする。優しい人たちだ。当番のお母さんたちがおにぎりや、お茶を用意している。1軍、2軍、合わせて40人位いる。

若かりし頃、私の家の前の公園で息子に野球を教え始めた。もっと、もっと、もっと、とせがまれた。上から投げると打てないので、下からボールをトスした。

おっ、なんだあの黒い固まりは、と思った。丁度、中位の火針位の大きさだ。何だろうと見ていると、その中からポコッと白いボールが出るではないか。丁度私が息子にトスした様に、ポコッ、ポコッと3メートル位先から打者に向かって山なりのボールが出る(投げるのではない)。孫たちは、それを打って走る。いいぞ、いいぞと監督さん、空振りしても、いいぞ、いいぞとコーチさん。ホメまくる。決して怒らないのだ。息子から、余計な事言わないでよと言われていたけど言うまでもない。良い教え方だ。私としては、ただ応援して手を叩くだけだ。その昔、息子を少年野球に入れるかと見学に行った時、あんまり細々注意ばかりし、怒ってばかりいる監督やコーチを見て、オイッ、コラァー、ボールの握り方、バットの持ち方、ちゃんと教えてんのか、何で子供にバントなんかさせんだ。いちいちサインなんか出すな、スクイズなんてやるな、と言った事を思い出した。思えば若かったんです。

で、息子は入れませんでした。体が小さいので、肘や肩を壊させたくなかったのです。中学から野球を始めた息子は、朝練、猛練、熱練、激練を休む事なく頑張り通し、2番、2塁のレギュラーとなり、22年ぶりに優勝しました。体調を壊していた私も、10日間応援しました。ダイクマで200ミリ望遠レンズ付き一眼レフを買いました。

今では息子が、息子の息子に野球を教えているのです。私、グランパはトスの機械になっています。孫からちゃんと投げろと叱られます。

2009年12月1日火曜日

人間市場 ジム市篇

丸まる太った女性、まるで黒い大木。乱れ髪から汗が吹出る中年女性。鉛筆の様に細く折れそうな女性。口が浅利の様に開く女性。右手をぶらぶらさせる女性。花柄のフリルをいつも着ている女性。マットの上で絞め技をやっている女性、等々。この女性たちは、私が通っているスポーツジムで日々いい汗を(?)流している女性。

重量挙げ、ランニング、ウォーキング、自転車漕ぎ、ペダル踏み、レスリング、ボクシング、バレー、格闘技、エアロビクスなんかをガラス越しに見るともういけません。

鰺、秋刀魚、馬面(カワハギ)、辰の落とし子、鯨、たらば蟹、マンボウ、まるで江ノ島水族館の如し。

中、高年の女性がハイノ、ハイノ、ハイノ、ハイノ、ハイ。恐いですね。凄いですね。

ジムに通う事15年。未だかつて一人もいい女性、ああ、あの女性来てっかな、という女性に会った事無し。つまんねぇのばっかり。

今度は気持ち悪い程日灼けしたおっさん。とんでもなくでっかい掟破りの巨根の兄ちゃん(ちゃんと隠せよ)。洗濯用具を持ってくるおじさん。気が狂った様に走り続けるメガネの会社員(だと思う)。走り終わった後、馬鹿丁寧に器具を拭く肩に刺青入りのお兄さん。携帯を掛けながら自転車漕いで叱られた入門者。

その人たちのあだ名を付けていこう。楽しいな人間は(?)。

時速6kmで1時間。シャドーボクシング3ラウンド、サンドバッグを2ラウンド。これが、私。誰かに見られている気がすんな。あだ名を付けられてんだろうな。

おっと、杉山愛ちゃんがやってきました。グレートムタがジャグジーに沈んでました。一緒に入りました。

2009年11月30日月曜日

人間市場 報道市篇

この国にはジャーナリズムという墓場があって、ジャーナリストという人々が死骨となって埋まっている事は知っています。

かつては、福地桜痴、宮武外骨、黒田清、大宅壮一、大森実、本多勝一、本田靖、児玉謙次等が私のリスペクトの対象でした。現在では、立花隆さん。何しろ大長編の「天皇と東大」を一年がかりで読んだ位ですから。作家ですが、辺見庸さんは殺気があります。又、写真家の藤原新也さんは妖気があります。本日は、この国の政治を的屋のタンカ売りみたいにし駄目にしている、もしくは政治を暗くしている、又、政治を無知化している三人について話そうと思います。


一人はご存知、田原総一郎氏。まるでテレビゴロみたいな人。国民の一票の価値で選ばれた国会議員を、大臣を、幹事長を(他のヒラ議員なんか当然)怒鳴る、机を叩き、喚く、馬鹿にする。自分の選んだ財部氏とか高野氏に話を振りながら、もういい、と言って話を切る。朝日新聞の星浩さん(この人は朝日の唯一の良心です)の話を切る。だったら一人でやればと思う。政界や政治や経済を挑発する。テレビという「公」を私物化している。自分の主義主張がまるで見えない、向う傷を受けない、左なの(?)右なの(?)中なの(?)。

国会議員の先生一人位は、馬鹿者!不届物!と、水をぶっかける位していいんですよ。民意の代表ですから、私たちまで怒鳴られ、馬鹿にされた気になっているんです。


二人目の人は古館伊知朗さん。この間の放送で驚きました。ゲストに呼んだ政治家と経済人に、持ち前の正義の押し売り、国民は、庶民感情は、弱者はと、口角泡を飛ばす。その時、お相手の二人が正論で応えると、あろう事か興奮して、「私は政治も経済もプロじゃないんですよ、しっかり応えて下さい」だって。高いギャラ貰ってるんだから、もっと勉強しなさい。しないなら司会者に徹しなさい。少しは高いギャラの一部を恵まれない人々の為に使いなさい。


三人目の人、後藤謙次さん。又の名を、赤坂次郎とかいう説もあります(?)。黒くて厚い唇が不気味な人。明るい所が似合わない、政界を裏からしか見ないから何しろ暗い。出て来ただけで、この国に明るい政治は無いのではと思ってしまう。個人的には、あの黒田清の下で勝負していた、大谷昭宏さんがいい。ヤニまみれの歯から出る言葉は鋭い、煙草が値上がります。

禁煙をして下さい。

大嫌いなのは政治アナリストの伊藤惇夫、うがった見方しかしない。

もっと世の中を正面から見ろと言いたいのです。

2009年11月29日日曜日

人間市場 比較市篇その2

いよいよ司馬遼太郎の「坂の上の雲」か。


思い出すな。ホテルオークラ1Fのスチームバス。よく会ったな。今はありませんが、その頃あったんです。四部屋(オークラですから変な事は一切なし)スチームバスに入ってたっぷり汗をかいて、垢をこすってもらう。その後にベッドの上でマッサージ(パウダー、オイルを選べる)。


開高健の名作に「玉砕ける」というのがあるが、その通り、信じられない位垢が出るもんなのです。女の人が(美人は居ません)お客さん、ホラこんなになんて言って我が身の垢を見せられます。「玉砕ける」です。勿体ない気もします。


隣に入ったの、司馬遼太郎先生では。そうです、長く泊まると毎日来ますよ、優しいお方ですよ。そうか、俺は今大先生と同じ裸仲間か、なんて思いつつあまりの気持ちよさに眠ってしまうのです。

こんな夢を見ました。あなたは司馬遼太郎派、それとも山本周五郎、池波正太郎、藤沢周平派。そんな問答を長屋の大家さんと将棋を指しながら話してます。
私は、一、山本周五郎、二、池波正太郎、三、藤沢周平つまりは市井の民派と言う大家さんは司馬遼太郎、つまりは英雄、豪傑派。
私は、司馬さんは女を書かないでしょ。成功者しか書かないでしょ。話が講談ぽいでしょ。あの小林秀雄が女を書かないのは小説家じゃないって言ってました。同感です。司馬先生は歴史家なんです。「街道をゆく」みたいなエッセイは抜群ですがね。
それにあの人、好き嫌いが激しいでしょ。と、相手は怒鳴る。判った、じゃ読むの止めなさい。いやほとんど読んでますよ。じゃ好きなんじゃないの。別に嫌いじゃないです。でも、少し書き過ぎ、話作り過ぎなんだよな。その点、山本周五郎は情緒と裏切があるし、池波正太郎は、「人間の業と性分」があるし、藤沢周平には「淡さと純情」があんだよな。それから山田風太郎最高だよね。


出来たら、司馬遼太郎の官能小説を一度読みたかったな。

「坂の上の女」とか、「菜の花の女」とか。お客さんいつまで眠ってるんですか、時間ですよ。
おっ、夢見てたか。あの頃のスチームバスが恋しいな。

2009年11月28日土曜日

人間市場 尊敬市篇

人間はいかにして生まれ、育ち、進化し、変化し、突入を企てる人間になるか。

それを体現している男がいる。その男の名は、江頭2:50。
芸名からして怪異であるから、その姿、その行動も奇怪であるのは当然であり、国をも巻き込むその行動は科学的に証明される事は、ほぼ永久にない。薄い髪、少ない胸毛、細い体、膨らみのないお尻、光る黒のスパッツ、妖しく光る目、口から飛び出るヨダレ、全身にほとばしる汗、人を見ると追い駆けるその無目的かつ無法な行為と突如性に、人々は逃げまどう。

社会全体が拒否をする。群衆は恐れおののき、絶叫をあげる。ヤメテェ〜、ヤメロ〜、グワァ〜、キャ〜となる。芸のない凄い芸人なのだ。ただ走って、追っかけて、飛び込んでそれでギャラを貰っているのである。


ある日若い女性たちに、君たちエガちゃんと一緒に寝る気ある?と聞いたら、一人は一億貰えたら考える、一人は絶対嫌、一人は死んでも嫌、一人は舌噛んで死ぬ、一人は触られただけでも死ぬ、などと言いました。
それじゃ、今度エガちゃん呼ぶからなと言ったら、えっ、ホント?呼んで、呼んでだって。
江頭2:50はスーパースターなんです。
私は大ファン、死ぬ程大好きです。こういう人を私は大尊敬するのです。絶対勝てません。


もう一人、私が大好きなのが阿呆の坂田こと、坂田利夫師匠です。大阪に行くと決まって花月に行きます。入り口の上の壁に(金)マークの師匠が、手を叩きながらおまちどぉ〜さんと言ってくれます。それだけで、私の目はウルウルするのです。馬鹿と阿呆に勝てる人はいません。

近々一献交わす機会があるかもしれず、胸がドキドキしています。

2009年11月27日金曜日

人間市場 恩人市篇

NHK9時のニュース、高校野球、ボクシングの世界タイトルマッチ、そして水戸黄門。

この世を去るまでこの四つを欠かさず見ていた老人がいました。

その人の名は、松下幸之助翁です。晩年は狭い病室の中に色んな試作品を広げていたそうです。

最後まで発明していたのです。特に黄門様が印籠を出すシーンが大好きだったとか。

丁稚奉公から家庭電器という世の中を作った。二股のソケットを開発。ある人にこれどうでっか、と見せたそうです。それを手にした一人の男は、直感的にこれは売れる、そう思い投資を決めました。世界のナショナルの初めです。決して忘れなかった幸之助翁は生涯その人を恩人と思い続けたそうです。

さて、井戸を見つけた人、井戸を掘った人、井戸の水を飲む人、三者三様があると言います。又、籠に乗る人、担ぐ人、その又草履を作る人と言う言葉もあります。何が言いたいか。それは、あまりに目先の事に心を奪われて、大切な恩人の事を忘れていないか、不義理をしていないか。一人で成功した人間はいないのだよと言いたいのです。

今年、恩人たちを何人も失いました。又、恩人たちが生死の間を彷徨っています。自分にとって一番の命の恩人って誰だろう。当然親です。命を生んでくれた人ですから。親孝行しなかったな、年の瀬が迫ると毎年こんな心境になるんです。大きな家に住むんじゃない、のが親の教えでした。私は、立って半畳、寝て一畳これをモットーにして来ました。

ちなみに私には寝室はありません。食事をするテーブルの横下にマット一枚と毛布二枚で寝ています。2階から運んで来ます。毎日、自分で寝床を作ります。自分で敷いて、自分で畳むのです。畳んだら小さな箒で掃除をします。寝床の部分しかしませんが。

で、なんで孝之助翁が黄門様の印籠のシーンが好きだったか、想像しました。きっと、94年も人生やってきて、あんまりの人間のセコさ、悪さ、ダラシナさにホトホトうんざりしたんじゃないでしょうか。お前らこれが目に入らないか控えろと。側に助さんと格さんがいたかどうかは判りません。

我が家で今なお活躍している電化製品にはナショナルの文字、地デジだが、イボ痔だか知らないが、まだ写っているのに取り替えろとか、気に入らねぇことこの上なしなのです。

小さなテレビは俺の大恩人なんだから。40年前私に初めて仕事をくれた恩人が今、10時間の手術を終えて病床で戦っている。40年前から共に戦って来た親友が、大手術をしたばかりだ。私に歩くことを勧めてくれた男だ。ハーレーダビットソンが大好きな、男。もう一度乗せてあげたい。富岡八幡宮で病気平癒のお守りをもらって届けました。黄門様の印籠の様に悪い奴を退治してくれるといいのだが。