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2010年5月11日火曜日

人間市場 母の日市

五月九日、今日は母の日である。
花屋さんの中はカーネーションで一杯だ。
カーネーションを母の日に贈るのは、カーネーションはイエスキリストの死を悲しんだ母マリアの涙で咲いた花だからと伝えられている。又、カーネーションは散る事がないからだという。オーストラリアでは菊を贈るらしい。Chrysanthemumのクリサンセマムのマムから来ているらしい。

おっ母さん、母さん、母ちゃん、母上、母君、お袋、ママ、マム、マミー、いろんな母の日がある。

女は弱し、されど母は強しといわれる、我が子を守る為に母は全てを投げ打って頑張ってくれる。佐渡のトキが自分の子が育っていなかった卵をくちばしで一個ずつ落とす場面を見て涙した人は多いだろう。その一方で生後七日の子を自らの手で殺してしまう若い母親がいる。思わずバカヤローと怒鳴ってしまった。
戦後女性と靴下が強くなったと言われた時期があった。厚木のシームレスストッキングが生まれた頃からだ。それまでのストッキングは傷つきやすく、よく伝線が入っているといわれた。

私は美人よなんて気取って歩いている女性にそっと伝線が入っているよなんて言うと、相手は頬を赤らめ感謝とも軽蔑ともいえない目で睨んできた。美人でない人はすでに諦め気取っていないので声を掛けても仕方ない。美人に伝線を言ってあげるかどうかは重要な問題であった。まして自分が初めてデートした相手に入っていたとしたら心は行き場を失ってしまう。


さて女性は本当に弱く、母は本当に強いのか、答えはYESである。
やはり男女平等といってもやはり女性は女性である。男が守ってあげねばならない。それが出来なければ男が子を生む苦しみを担当しないといけない事になる。男は真の母親になる事が出来ないのだ。ならば真の父親になるために男を磨かないとならない。

その前にこの頃言われるところの草食系から脱しないといけない。
チラシを見てスーパーに行き、ポイントカードを集め家計簿をつける若者が多いというがそれはそれでいいと思う。
夢が無い、逞しさが無い、欲望が無い、無い無いづくしだが私はそれが全体像とは思いたくない。恋をし愛を知れば必ず自分の中にある野性が現れてくる。たった一間でもいい、愛する人と二人で生きて行く、そして小さな命をつくり育てる。

その昔、「名もなく貧しく美しく」という映画の名作があった。シンプルイズベスト。
この世には不幸が二つある。一つはお金のある不幸、もう一つはお金の無い不幸という。私は高度成長期の中で生きて来た。だから若い人達に向かって俺たちの頃はなんて言わない。一人一人若者と話すと実にしっかりしている。草食系も肉食系もない。現在進行形でしっかり自分を見つめている。少子化が進み昨年より10万人お母さんになった人が少ないという統計が出た。

人生という靴下に何本も伝線が入ってもいいのだ。自分の愛する人と一緒に苦労を共に出来れば大人の皆さん、側に一人でいる男女がいたら恋愛を勧めてみてください。そしていつの日か自分たちの生んだ子から一本の赤いカーネーションを貰う喜びを語ってあげて下さい。この国にこれから一番大切なのは純愛だと思う。

昔の人がいいました「一人じゃ食えなくても二人では食える」二人の方が無駄が無く合理的かつ経済的なのだ。
若者よメールでメッセージを送らないで、まずラブレターを書きなさい。一行でも二行でもいいんだから。大人も同じ夫婦の間でも一枚のメモを書きなさい。
たったひと言「今日は遅いメシいらない」これだけで十分なのだ。
逆にこんなメモがある場合もある。「もう一緒にいられない我慢も限界」やっぱりそうか、仕方なしだ。

夫婦の間に伝線が入っていないか、考えれば傷だらけの筈だ。一階にいる妻が二階にいる夫にメールを打っているケースもあるという。夫婦とは我慢くらべなのだ。

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