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2010年5月14日金曜日

人間市場 蒲焼き市


暦の上で立夏を過ぎた。月日の経つのは早いものである。

夏となればなんと言っても大好物の鰻の季節である。
万葉集に大伴家持(おおとものやかもち)の一首として「石麻呂に我れ物申す 夏痩せに良しといふものぞ 武奈伎(むなぎ)捕り食せ」というのがある。石麻呂があまりに痩せているので、鰻でも食えやと家持が冷やかしたとのこと。この頃既に鰻は滋養強壮の素であった。
「武奈伎」とか胸が黄色いから「胸黄」とか家屋の棟木に似て丸くて細長いから「棟木」と言われたりしていたらしい。近畿地方では「マムシ」なんて恐い言い方もあるとか。

江戸の学者、平賀源内が商売が元気のない時、土用の丑の日をつくり鰻を焼き団扇でバタバタやらしたら、江戸は鰻のいい焼きの香りと煙でいっぱいとなり一大ブームとなったとか。
何とかの日というのが近頃たくさんあるがその原形であるといえる商売繁盛はアイデアだ。鰻といえば何といっても蒲焼きが一番だ。

関東は背開きをする、腹開きは切腹を連想するので止めたのだろうという説がある。
関西では腹開きにし蒸さずに焼く。地方によって様々だが鰻はやっぱり江戸の味だ。鰻に縦に串を打ち、屋台などで焼いていた形が「蒲の穂」に似ているから「蒲焼き」と名が付いたともいう。


その発祥の地が埼玉県浦和市だという。浦和駅前には「浦和うなこちゃん」の石像まであるらしい。この辺りは川や沼地が多く、沢山取れたのだ。今でも浦和周辺には30軒ほどの蒲焼き店があり、さいたま市の伝統産業に指定されている。

鰻を食べる決まりは一時間じっと待つ。お酒をチビリチビリ、お新香をコリコリ、これだけ耳で団扇のバタバタする音を聞き、目で立ち上る白い煙を楽しみ、鼻でいよいよタレが染み込んだ蒲焼きの香りを、生唾を飲み込みながらじっと待つ。間違っても遅いな早くしろなんて言ったら帰って下さいと言われる。あー腹の虫が鳴いて来た。そこまでじっと待つのが掟なのだ。

鰻と掟で一つ恐い話を思い出した。ある恐い筋の人たちの会話だ。
あの野郎山に埋めるか、東京湾に沈めるかどっちかにしようと思ったが、鰻とハマチのエサにしたやった。身体をブツ切りにしてミンチにして養殖場に投げ込むともの凄い勢いで鰻とかハマチが群がり、あっという間に食べ尽くされるらしい。
コレが絶対の処理の方法だなんて鰻重の特上を食べながら話している。キモ焼き、うざく、キモ吸いを旨そうに食べながら、やっぱこの季節は鰻だな、身体が何となく盛り上がって来る感じがするもんな、なんて話している。

一人の男、あっ痛え何だこの固まりは、オイ何だと思うこの金色の固まりは。
もう一人の男の男が言う、金歯のかけらじゃネエか。
えっまさか冗談だろ、だってヨォ鰻が人を食ってりゃ金歯のかけらが入っていたっておかしかネェだろうが。ヤメロって気持ち悪い。
オイ親父この鰻は何処の鰻だ、天然か養殖か。お客さん今頃天然物なんて2%しかありません、98%は養殖です。ウチの鰻は鹿児島県のものです。えっ、鹿児島県・・・オイまさかあの野郎、確か金歯が何本もあったな・・・。

冗談です、カバヤキにちなんだバカヤキな話です。でもひょっとして本当かも。


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